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4-1 調査





 浴場にて怪に襲われ、珠里は一日寝込み、翌日から皇帝の身代わりに復帰した。

 そして怪の襲撃から二日経ち、道士の調査があらかた終わったらしい。

 今回の道士の調査の中心は皇宮の結界が正常に作動していたか、だ。


 結果は結界に異常無し。

 もしや怪は地面を通り抜けられるのではないかとかいう説が出てきており、結界に異常がない限りより結界を強化する方向に話が進んでいる。

 結界は空までも覆うものではあるが、地は気脈が最も根付いているとされるので覆われていない。


「……うーん」


 珠里は、道士の服装で外に出てきていた。

 楽燿経由で借りた記録を読みきり、浴場での怪の襲撃に関する道士の調査が終わったので、現場を見に行くことにしたのだ。

 五年前の件でも、記録からも天栄の暗殺未遂の記録からも、何も怪しい点や手がかりは見つからなかった。当然と言えば当然だ。そこにそんなものが記されていれば、誰かが気づいていない方が問題になる。


「確かに、異常はなさそうですね」


 珠里は、乳白色の石のようなものを注視しながら呟いた。

 石は、珠里の腰くらいの高さの四角の柱のような形状をしている。

 この石こそが皇宮の怪の侵入を阻む結界の要だ。神仙が残したと言われる、怪が避ける気を発するという一つの山からしか採れない希少なもので、仙石せんせきと呼ばれている。

 これが皇宮には決まった場所にいくつも置いてある。石の内側には道士が扱う文字が記されており、皇宮全体を覆う結界として効力を発揮しているようだ。


「これ、取り替えられていませんよね」

「はい。皇宮の結界の張り直しはまだ先の予定で、数日で準備できるものでもないので」


 単純に石の採掘に時間がかかるという点もあるが、それだけではない。

 仙石を山から採掘し、形を整え、皇宮まで持ってきてそのまま配置すれば良いという仕組みではないのだ。

 仙石が唯一生じる山なら、存在するだけで怪が山の周囲に寄ってこないが、それは仙石が多いからだ。

 皇宮や皇都周辺を石を置くだけで守ろうとすれば、石を一分の隙なく並べる必要があるだろう。貴重であるためそうはいかないことなどの理由があり、採掘された仙石には道士によって細工をされて皇宮に配置される。


「確か……仙石が効力を発揮するために必要な気を地面の気脈から取り込む効果、いくつもの仙石で一つの結界を形作るために結界同士を繋げる効果が付与されるのですよね」

「俺も、詳しい内容は知らないのですが、そのように認識しています」

「確かに、仙石の方に不備があるようには見えません」


 珠里は正式な道士ではないが、石に刻まれた文字が何の効力を持つかは知っているし、それが起動していないときや正常に動いていないときは、文字は光を帯びない。

 刻まれた文字が意図されたものであり、光を帯びて動いている以上、これ単体に不備はない。

 あとは……珠里は、淡く光る乳白色の石から、空の方へ視線を移す。つられたように虎月も見上げた空は、薄い灰色の雲に覆われた空模様だった。


「繋ぎ目に不備があるとしても、目には見えないのですよね」


 怪侵入の原因と考えられるとすれば、石の配置の方にずれがあり、複数の仙石の発する気を一つの結界として繋ぐことが上手くいっていない……なのだが。

 珠里の目は、邪気や穢れの気しか捉えない。清浄な気は見えないので、結界が覆っているはずの空を見ても、ただ空が見えるだけだ。

 それに、石の配置の方も道士が確認している。調査を疑うのなら、石の配置図を入手し、信頼できる筋にどのような距離・高低差・数で結界は正常に動くのかを教えてもらわなければならない……。


「記録を返しがてら、お師様に……うーん」


 珠里は唸る。別の観点から、考えてみるべきだろうか。


「仙石の影響を受けにくい怪が現れた可能性はあるのでしょうか……?」

「ない、とは言いきれません。それで言えば結界の張り直しの期間とは言え、怪が皇宮と皇都両方の結界を突破しているのは気になります」

「それが、偶然なのか……」


 偶然、と言えば。


「……人が、怪を呼び込むことは可能なのでしょうか」

「人が、ですか?」


 虎月が不思議そうにする。


「はい。皇宮にどうやって入り込んだのかは一旦置いておいて、私が気になるのは入り込んだ怪が『皇帝』を襲ったのは偶然か、です」

「皇宮の敷地は広く、その中で皇帝陛下の住まいに関する区域は奥に、中央にある。それなのに、今回陛下が襲われるまでに人は襲われなかったという点ですね」

「はい」

「おびき寄せること自体は可能です」

「どうやってですか?」

「『撒き餌』があります」


 虎月は懐から数枚の符を取り出して珠里に見せた。


「怪退治の際、人里から離して対処したい場合に使います。国軍や道士が民の避難誘導用にも使用するためのものです。怪の気を引く『気』が込めてあるようです」

「それは、使用したことが分かるようなものは残りますか?」

「いいえ、残りません」

「お前たち! そこで何をしている!」


 怒鳴り声が聞こえて、珠里はびくりと肩を揺らした。即座に振り向くと、道士の服を着た男が足取り荒く珠里たちの方に向かってくるところだった。


「見ない顔だな……その仙石に何をしていた」


 今、虎月も道士の恰好をし、髪形を変えている。元々虎月の顔を間近で見たことのない者なのか、変装の結果か。その道士は珠里だけでなく虎月の顔と恰好をじろじろ見て、疑わしそうにした。

 出会い頭にかなりの剣幕だが、何しろ怪の侵入があったばかりで、原因が不明の状況だ。調査も終わったはずのときに、結界用の仙石の近くに衛兵以外の人がいればこうもなるか。

 珠里はとうとう見つかったか、と内心楽燿に詫びながら、道士である証を見せつつ楽燿の名前を出した。

 途端、男の険しい表情が少し緩んだ。


「楽燿様の? 本当か?」

「楽燿様に聞いていただいて構いません。もし楽燿様が知らぬとおっしゃるのであれば、衛兵に不審人物がいたと通報すればよいでしょう」


 珠里の動じぬ態度に、道士は押されたように「……そうしよう。しかし今日はもう近づくな」と引き下がった。

 そこで珠里と虎月を強引に連れて行こうとしなかったのは、本当だった場合に珠里を通じて楽燿に失礼を行うのが嫌だったのか。楽燿の名前が出た瞬間に疑惑が薄れたくらいだ。

 言われた通りに虎月といくらか離れた辺りで後ろを見ると、道士が仙石の周囲を警戒している当番の衛兵に声をかけて何か言っているようだった。今日は誰も近づけないように頼んでいるのかもしれない。


「仙石の方は全部周り終わったので、ひとまず影響はありませんね」


 では次は……と珠里が悩んでいると、虎月が隣で口を開いた。


「……一つ、気になっていることがあるにはあります」


 珠里は勢いよく顔を上げて、「何ですか?」と虎月を促した。


「先日の怪の気配が、少し。怪は邪気の塊ですが、人の邪気や呪いはまた別物です。ですがあの怪に人の呪いを感じたような気がしました」

「それはあり得ないことなのですか」

「あり得る、あり得ない以前の意識でした。これまでそんなことはありませんでした──しかし一年前から、とある呪術士捕縛作戦の際、体を食い破って怪が現れたという不可解な件が何件かあったと聞いています」

「呪術士の体から怪が……?」


 初めて聞くことで、珠里は無意識に眉を寄せる。


「俺はすでに陛下の護衛の任についていて、そういった遠方の任務にはつかないため直接目撃したことはないのですが……救援要請に討伐に向かった他の仙獣戦士が呪術士が纏っていた呪いの気配がその怪にもしたと溢していたのが引っかかっています」

「人の形をした怪? もしくは、なぜか怪が人の体の中にいた……?」

「どのみち、結界が正常に働いていれば怪である限り弾かれるものだと思うので、侵入経路は結局分からないのですが。先日の怪を対処した青龍の仙獣戦士、奏春そうしゅんにも聞いてみます」

「お願いします」


 異なる件がここで絡んできたかもしれない、か。これはまた、資料読みに戻りそうだ。


「……もしも、仙石が効かない怪が現れたとするなら、結界はどうなるのでしょう」


 目に見えないのに、結界を見るように空を見上げた珠里は呟いた。

 そうなれば、もはや人に安住の地はない。


「その場合、皇都外の人里がそうしているように、怪が現れても撒き餌で離れたところに引き付けるようにするか、皇宮だけなら俺たちが結界の代わりをするかもしれません」


 今回は、五年前と同じく仙石を増やすことで結界を強化する方向に向かっている。より強固な結界をと言っても、別の結界を張ろうとすれば仙獣の加護になるだろうが、彼らこそ数が限られていて、そして整えて置いておけばいい無機物ではないのだ。


「そうなれば、大変です。それに、それが民に知れたときそれから永遠に続くだろう恐怖が生まれることにもなるでしょう。混乱も避けられないでしょうし……」


 事件を追えば追うほど、希望は欠片も見つからず、暗い未来だけがより光を失っていくような感覚がした。


「ふぅ」

「お疲れですか。今日のところは戻りましょう」


 あっ。ため息をついてしまったと気づいて珠里は口を押えた。そのしまったと前面に出た顔を見て、虎月は苦笑した。


「そんな顔をされなくても。何か重大な失態をしたのではないのですから」

「でも、気を使いません?」

「心配はします。同時に俺は少し安心します。──失礼、状況にではなく、珠里殿は疲れているはずなのにその素振りを見ることがあまりないものですから。隠されているなら、そういう面を見えた方が例えば体調不良で倒れるまで行く前に気が付くことができたりします」


 そんな風に言われると、なんだか落ち着かなくて珠里は服の袖をいじる。普段、兄や蝶翠にも心配の言葉をかけられることがあるというのに。

 そんな心地を抱えていたから、虎月に触れられて驚いた。体を震わせた珠里に、虎月が少し虚を突かれたようで「すみません」と詫びた。


「いえ、こちらこそすみません。少し考え事をしていました」

「暗殺事件についてですか? ……いえ、今この話はやめましょうか。それから道を変えましょう」

「なぜですか?」


 きょとんとする珠里に、虎月が視線である方向を示した。

 気が付くと、珠里は低い植木に混ざって植えられている背よりも高い木にちょうど隠れる位置に立ち止まっていた。いいや、そのように虎月がしたのだ。

 そして、木の陰からそっと示された方を覗くと、華やかな色の小集団がいた。数人の女官が周囲に背を向け、囲んでいる誰かを見ている。


「蓮妃様ですね」


 近くで声が聞こえて、また体が反応しそうになったが先ほどの虎月とのやり取りの手前、ぐっとこらえ「そうですね」と返した。


「何か、具合が悪そう……ですね」


 蓮妃は、女官に支えられて立っているようだった。


「虎月様、少しここで待っていてもらえますか? 様子を見てきます」

「医術の心得も?」

「いいえ、さすがに」


 笑って、珠里は虎月を残して木の陰から出た。虎月を残したのは、彼は蓮妃と間近で顔を合わせたことがあるからと、妃にむやみに男が近づくことは良しとされないからだ。


「失礼いたします」


 顔を伏せた立礼の状態で声をかけると、女官たちが一斉に振り向いたことが分かった。

 彼女たちは珠里が一介の道士と見るや、一人が「何用だ」と問うた。珠里は少しだけ顔を上げて、言う。


「差し出がましいようですが、そこに四阿がありますから立っているよりはお座りになった方がよろしいかと思います。それに、雨が降りそうでしたので」


 女官たちは今度は一斉に空を見て、互いに顔を見合わせて頷き合った。

 そうして近くの四阿の石の椅子に蓮妃を座らせたところで、蓮妃が「ありがとう」と珠里に弱弱しく微笑みかけた。

 実は蓮妃の普段の人となりを知れればいいと思いながら接触を図った珠里は、すかさず「とんでもございません」と言いつつ何か話を続ける口実はないかと考えていた。


「少し前まで、少し雲がかかっていたくらいで陽が出ていないうちに散歩でもと思ったのだけれど……」

「陽に弱くていらっしゃいますか?」


 そういえば、母が太陽が出ていると立ち眩みを起こしやすい体質だと思い出して聞き返していた。


「いいえ、ここのところ体調が優れずにおられたので日差しを避けて外に出たのよ」


 女官の一人が答えた。なぜか、若干の敵意のようなものを感じて珠里は身じろぎする。


「ここのところ……怪が入り込むようなことも起こりましたから」


 心配が募っても仕方ない、心労お察ししますという様子で珠里は目礼した。


「ええ、ええ、そうよ。道士は一体何をしているの? 蓮妃様だけではないわ、他の方も、女官も体調を崩しているのよ」


 どうやら、何か失礼をしたのだろうかとか、蓮妃の言葉に無難な言葉以外で直接話しかけたから当たりが強いのだろうか……などという見当は全くの外れだったらしい。

 先日の一件で、道士全体にお怒りらしい。


「おやめなさい」


 弱弱しくも、鈴の音のような声が女官を諫めた。


「その子を責めても仕方のないことだと分かっているでしょう」

「……蓮妃様、申し訳ございません」


 主のお叱りに、女官は頭を垂れ、渋々引き下がった。


「ごめんなさいね、あなた」

「いいえ、とんでもございません」

「蓮妃様!」


 空気の悪い四阿に駆け込んできたのは、宦官と侍医で、宦官は見たことのある顔だった。皇帝として、見舞いに来た蓮妃と対面したときにともに来ていた宦官だ。

 侍医が蓮妃のもとへ急ぐ傍ら、宦官が珠里を見つけて睨む。


「貴様、ここで何をしている。去れ」


 ここにいるのが邪魔だと全身で言われているのを感じ、珠里は大人しく追い払われるままその場を去った。

 雨が降りそうだと蓮妃一行に言って、自分たちが雨に打たれてはまぬけな話なので、その後虎月と速やかに皇帝の執務室に戻った。


「お帰りなさいませ。手ごたえの方は如何ほどですか?」 


 中でひたすら書簡を読み続けている琅軌がそう言って出迎えてくれたため、珠里は何とも言えない顔になる。


「琅軌様、その聞き方わざとですよね?」

「わざと、と言いますと、明らかに手ごたえありのお顔ではないのにわざわざ手ごたえは?と聞いていることですか?」


 やはりわざとだ。虎月は優しすぎるほどなのに、その兄は確実に性格がねじ曲がっている。


「虎月様、あなたの兄君いい性格されていますよね」

「よく言われます」

「よく言われるのですか」

「こそこそと二人で話すくらいには打ち解けられたようで何よりですが、聞こえていますとだけ申し上げておきます」


 まあ確かによく言われますと、本人にも言われて、珠里は何とも言えない顔になる。


「そんなお顔をされなくとも」


 同じような言葉を今日、虎月にかけられたと思うのだけれど、こんなに印象が異なるものなのだ。弱みでも握られている感覚がする。


「謝罪いたしますよ。申し訳ありません、あのような聞き方をしたのは手ごたえのなかった方がお待ちかねの報があったからです」

「何ですか?」

「五年前の記録にあった、穢れの影響を受けて里に帰った道士に会いに行った者たちが全員帰ってきたとのことです」


 珠里はさっさと着替えに行こうとしていた足を止めた。


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