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きっと不良だろう右佐くんと私

作者: 蒼乃悠生

 中学校を卒業してから、同じ中学校の子が入ったことがない高校に入学した。

 直線距離だとそれなりに近いが、電車では〝つ〟の字のように大回りで学校に行くことになる為、通学距離は長く、時間もかかる。

 私はまだ不慣れな電車に乗って家に帰ろうとしていた。

 入学してからまだ一週間しか経っていないが、友達は少しできた。なんとか楽しい学校生活になりそうだと一安心したが、一つ気がかりなことがある。それは——

「すっかり日が暮れちまったな」

 私の隣を歩く不良のような男子。彼は目つきの悪い目でで黄昏の空を見上げると、風が銀髪を撫でる。

 それから私の視線に気づき、

「どした?」

 にこりともしない表情で私を見る。

 私は一度もグレたことのない真面目人間。彼のように髪を染めてもないし、所謂ギャルのようにスカートの丈をパンツが見えるほど短く穿いているわけでもない。

 一度も染めたことのない黒髪を耳下で二つに結っているだけの、ど真面目が唯一の取り柄の私である。

 そんな私の隣に、何故彼が歩いているのか意味がわからなかった。

「ど、どうして一緒に帰ってるんでしょ……」

「ぁあ?」

 しまった。ついそのまま口に出してしまった。

 片眉を寄せて、彼は明らかに不愉快な顔になっていた。

 あわあわと慌てながら言葉を選んでいると、

「学級委員で遅くなったから、藍田(あいだ)が送ってってやれって言ったからだろ」

 藍田(あいだ)は顧問の名前。もう先生を呼び捨てにするなんて凄い悪だ。怖いわ〜本当に怖いわ〜。

 そもそも何故この二人で学級委員になったのかも理解できない。あみだくじで決まったとはいえ、どれだけくじ運が悪いのだろう。学級委員も面倒臭いのに、不良が相棒になってしまうとは、最悪だ。決まった時、つい彼の顔を二度見してしまった。

「ええええっと、右佐(うさ)くん、だっけ?」

 彼は私を一瞥するだけで、特に何も反応はない。……寂しい。

「もう駅が見えてきたし、一人で大丈夫だよ。送ってくれてありがとうね」

 遠くの遠くにちょこっと赤い屋根が見えているだけだが、駅が近いのは間違っていない。

 私は笑顔を取り繕って、さっさとさよならがしたかった。

「ちゃんと駅まで送る」

「いやいやいやいや! 子供じゃないんだし、一人で大丈夫だよ」

「ダメ」

 頑固だなぁ!

 内心で文句を言う。

 黒のスクールバックを背負って、ガムを食べる姿はどう見ても不良。周りから見て私がなんて思われるのか怖い。私も不良だと一色担にされるんじゃないのか。そうなると私の評判も悪くなるし、良いことがなさそう。

 だから一人で帰りたかったのに。

 そんなことを考えながら顔を俯いていると彼は、

「この辺の治安もあんまよくねえしな」

「はい⁉︎」

 初めて聞きましたけど。驚いてガバッと顔を上げると、前を見る彼の横顔が視界に入った。

「お前、この辺の人間じゃねえだろ?」

「ま、まあ」

「チャリの盗難も当たり前だし、ひったくり、暴力、犯罪のオンパレード。ちゃんとわかってねえと、なにかあってからじゃあ遅いし」

 線路沿いの道はちゃんと街灯もあるが、少し暗く感じる。

 確かに言われてみればちょっと怖い雰囲気がある。暗いから余計にそう感じるのだろう。

 というか、犯罪のオンパレードってどれだけ治安が悪いの。

 なんてところにやって来てしまったんだろ、私。まずいなぁ。

 高校受験する前にちゃんと調べればよかった。知人が受験していないことだけを調べて、それ以外はなに一つ調べずに受験を受けてしまったのは言わない方が良いだろう。

「護衛、よろしくお願いします」

 私は肩から掛けるスクールバックを握り締め、周りを見渡しながら歩く。不審者はいないか。

 カラスの鳴き声。

 風に吹かれて転がる空き缶。

 フェンスにねじ込まれているエロ本。

 あああああ、もうどんどん怖くなってきた。

「護衛って大袈裟な」

「大袈裟じゃないよ。怖がらせた罪は重いんだからね」

 街灯の光がチカチカと点滅し、

「わあぁぁ!」

 そんな些細なことで心臓をバクバクさせる。

「……大丈夫?」

「大丈夫じゃない!」

 心配してくれるなら、もう少し近くにいて。

 人一人分のスペースを開けて並ばないで。いや、まあ、彼女とかじゃないから仕方がないんだけど。

「悪い。怖がらせちまって。そこまで怖がるとは思わなかったから」

 そう言って、目の前に彼の手が来る。そこにはガムがあった。

「ほら、手出して。ガム食って落ち着け」

「あ、ありがと」

 私が両手を出すと、そこに一粒のガムが落ちる。包装紙を取って、ガムを口に入れると青リンゴの味がした。甘いガムだ。意外。

 気づいたら、自転車置き場まで辿り着いていた。街灯の光がいまいち心細いが、駅はもうすぐそこ。

「駅に着いちゃったね」

「そだな」

「送ってくれてありがとう」

「いや、別に。つか、ホームとかわかるか?」

「流石にわかるよ! 人のことバカにしすぎ!」

「そう。この時間、結構()()が多いから気をつけろよ」

「大丈夫大丈夫。わかんなくなったら駅員さんに訊くから」

 そこまで言うと、彼はズボンのポケットからスマートフォンを取り出した。

「連絡先、教えとく」

 いや、それ、困るんですけど。不良とそこまで深い交流をしたくないんですけど。そもそも男子の名前とか連絡先にあると、親が根掘り葉掘り訊いてくるに違いないからとても面倒臭い。

「いや、連絡先とかいいよ」

 首を横に振る。

 すると、彼は素直に身を引いた。今度は手を出してきた。なにを渡せと?

「え、なに?」

「お前のスマホ貸して。入れとくから」

「やだよ」

 なんだ私のことが好きなのか。とは口が裂けても言えないけど、本当に勘弁してほしい。



◼︎



 私はホームにあるベンチに座っていた。

 ここに来るまで、実は一回間違えた。もう少しで家とは真逆の電車に乗ろうとしていた。危ない危ない。ここで間違えていたら、右佐くんに「ほら。やっぱり」とか言われそう。

 スマホで時刻を確認する。二十一時二十七分。あと三分で電車が来る。

 ここは田舎だから電車の数が少ない。というより、さっきから電車とはいってるけど、ワンマン列車ですからね、ここ。一両編成が普通。多い時は二両編成。乗る時は後ろのドアからだよ。

「は〜早く来ないかなぁ」

 溜息混じりに呟く。

 味がなくなったガムをティッシュに包んでゴミ箱に捨てる。

 疲れたなぁなんて思っていたら、あっという間に三分が経つ。それでも電車は来なかった。

 あれ、おかしいなと思っていたら、アナウンスが流れる。

『人身事故の影響で遅れが出ています。お客様に大変ご迷惑をおかけしますがしばらくお待ちください』

 はい⁉︎

 もしかして右佐(うさ)くんが言っていた『変更が多い』ってこういうこと?

 あああああ、もういいや。

 いつ電車が来るかわからないし、一旦駅を出よう。親に連絡して迎えに来てもらおう。

 そう思って、私は駅を出た。

 が、どうやらいつも出る出口を間違えたらしい。

「遊園地……?」

 キラキラとひかる観覧車。しかもとても小さい。他の乗り物はなくて、花を植えてあったり、遊園地というよりは公園なのだろう。

 とりあえず父に電話をする。

「あ、もしもし、お父さん? 今から海光(かいこう)駅に迎えに来てくれない? 電車が動かなくってさー」

海光(かいこう)駅ってどこ?』

 父の声が返ってくる。冗談の欠片もない本気でわからない声色だ。しかも、

『それに父さん、今残業中だから迎えに行けないよ』

「はあ? じゃあ、お母さんに頼めばいい?」

『車一台しかないのに、母さんが迎えに来れるわけないでしょ?』

「えっ、じゃあ私どうしたらいいんだよ」

『電車が来るまで我慢だねぇ』

「いつ動くかわからないのに?」

『仕方がないじゃん。まあ、頑張ってよ。じゃあ』

 そう言って一方的に電話を切る父。

 私はスマホの画面を見つめた。

 無理を言ったって父が仕事を切り上げることはしないだろう。

 とりあえず駅に戻ろうとするが、来た道がわからない。なにも考えずに歩きながら電話をしていた。父が迎えに来てくれるだろうと思っていたから。

 ピンク色のライトスポットに当たりながら顔を両手で覆った。

 ここの公園のライトスポット、ちょっと趣味が悪くありませんか。

「って、そうじゃない。どうしよう、駅に向かう道がわかんないや」

 周りを見渡す。

 人がいないわけじゃない。でもどこもかしこもカップルらしき男女。時間も時間だから、何気に人目を気にしない輩が多い。キスなんて当たり前。くねくね密接する二つの体。そして姿が見えないところでは嫌らしい声が聞こえる。

 健全な女子高生が来る場所ではない!

「もうやだぁ」

 居づらい。この空気に堪えられない。

 私には彼氏がいないのよ。なんという拷問なのかしら。

 その時、ふと思い出す。

「あ、そいや右佐(うさ)くんの連絡先が入ってるんだっけ?」

 結局、あの後、無理矢理右佐(うさ)くんにスマホを奪われたんだ。

 連絡先を覗いてみると、確かに右佐(うさ)くんの名前が入っていた。そして電話番号もちゃんと。

 十一の数字、電話番号をじっと見つめる。

「うーん……」

 あんなに連絡交換を渋っといて、その日のうちに電話をするってどうなのよ。

「ええええい! 意地を張ってる場合じゃないぞ! 東条(とうじょう)!」

 自分の名前を呼んで鼓舞。

 呼び出し音が鳴る。

 まだかなーと思って待つが、出る気配がない。

 あんなに強引に連絡先を入れといて、電話に出ないとは何事ですか!

「うー……出ない……」

 高校でできた他の友達の連絡先は交換しているが、全員この辺りの人ではない。訊いたところでわからないだろう。

 やはりこの辺りの治安の悪さを知っていた右佐(うさ)くんに頼った方が可能性がある。にも拘らず彼は出ない。なんてこったい。

 仕方なく電話を切った。

「どうしよ、ここにいる人に訊きたくないしなぁ」

 イチャイチャするカップルに、そもそも近づきたくない。

 それにどこか怖いと感じる自分がいて、足が動かなかった。初めての場所。妙な色のライトアップ。街灯も全くない真っ暗な場所もある。

 犯罪が多いと聞いたから、余計に自分が犯罪に巻き込まれるのではないかと思っていた。

「も、もう一回電話をかけよ!」

 それでも右佐(うさ)くんは出ないかもしれない。

 と、ツーコール目で奴は出た。

『……なに』

 あからさまな不機嫌な声。

 これはこれで聞きたくない。

 が、そうも言ってられない。ってか、一回目の電話で出てよ。

「……ねぇ」

『……道に迷った?』

「何故わかる」

 眉間に力がこもる。気に食わない。何故わかるんだ。ちくしょー。

『電車に乗ったんじゃないの?』

「人身事故で電車が止まったの。駅を出て、お父さんに迎えに来てもらおうと思って電話したんだけど無理って言われて。仕方がないから駅に戻ろうとしたら、変な公園にいて、駅までの道のりがわかんない」

『変な公園? ああ、駅の裏の公園か。あそこ、よく青姦してる奴が多いし、変な奴も多いから気をつけた方がいいよ』

「あお、かん……?」

 て、なんでしょうかね。

 待て。そうじゃない。そうじゃないんだ、君。そんな情報が聞きたくて電話をしたわけじゃないのよ。

「助けて。怖い」

 自分の気持ちを直球に伝えた。

 すると暫くの間、彼の声は聞こえない。

 あれ、気を悪くさせたのかなと焦り始めた頃、溜息のような息を吐く音がした。

『子供じゃないんだから大丈夫でしょ』

「子供じゃないけど……でも怖いだもん。雰囲気が……なんか……その、変なんだよ」

『あーもうわかったわかった。ちょっと待ってろ。今から行くから』

 空気が伝えていた。電話を切るぞ、みたいな。だから私は間髪入れずに言った。

「電話切らないで!」

『はいはい。世話が焼けるな』

「……ごめん。でも頼れる人がいないんだもん」

『そう。とりあえず動くなよ』

「うん。早く来て」

『注文が多いな』

「だって本当にここ怖いんだもん! 変な声とかも聞こえるしさぁ。気持ち悪いよ。大人な世界がいっぱいありすぎて怖いよぉ」

『ガキ』

「ガキで結構……早く来てよ、早く早く」

『はいはい。あと少しで着くから、もう少し我慢してろ』

「うん、うん……」

 その時だった。

 左腕を掴む大きな手——

「ん……?」

 振り返ると、そこには片手に日本酒の瓶を持った酔っ払い。

 顔を真っ赤にして、とろんとした目で私を見ていた。

「女子高生? 可愛いねぇ。おじさんとちょっとお話ししようよ」

 なにが怖いのかよくわからない。でも咄嗟に声も出なくて、腕を振り払うこともできなくて、ただ首を横に振ることしかできなかった。

 掴むその手がやけに熱い——なにこれ。ナメクジより気持ち悪い。

「こんな時間にここにいるって意味、わかる?」

 わからない。だって、ここに来たのは初めてだし、地元じゃない。

 震える体で、頑張って首を横に振った。わかって。私は大人を求めてなんかない。

「嘘だ〜。おじさん、わかってるよ。お金がほしいんでしょ? ちゃんと持ってきてるから、さ〜。はいはい、行きましょうね〜」

「やだ……」

 やっと出せた声が小さい。

 おじさんが掴む手が強くて、振り解けない。いや、力が上手に入らないのだ。

 暗いところに行きたくない。

 怖い。

 闇に飲み込まれたくない。

 じわりと涙で双眸が潤んだ時だった。

「ジジイ、手ぇ離しやがれ」

 そう言った声は—— 右佐(うさ)くんだ。

 彼は私とおじさんの間に割って入り、乱れた息で相手を睨みつけていた。

「未成年に手を出したって、警察に言うぞ」

「まだなにもしてねぇっ! 余計なことすんな! クソガキが!」

 慌てておじさんは逃げていく。

 あっという間だった。

 真っ黒なパーカー姿の右佐(うさ)くん。その背中がやけに大きく見えて、そして頼もしく見えた。

 息が乱れるまで走ってきてくれたことに感謝しかない。

「ありがと……助かった」

「ったく、なんでこんなところに迷い込むんだよ」

「知らないよぉ。気づいたらここにいたんだもん」

「んにしても大丈夫だったか? なんもされてない?」

「うん。まだ処女守ってる」

「そういうことをまんま言うなよな」

「えー? そう? わかったぁ」

 彼の横を歩きながら、怖い目に遭わなくてよかったと安堵する。落ち着く鼓動。強張って硬くなっていた体も力が抜けている。

「ん⁉︎」

 待て。不良に助けてもらって安心するなんて、それでいいのか、私。

 と思ったら、ピタッと止まる足。

 突然止まる私を不審がって、右佐(うさ)くんも歩くのをやめてこちらを振り返った。

「どした?」

「そ、そうやって真面目しか取り柄のない私を優しくして騙そうっていうわけね⁉︎」

「なに言ってんの」

 すかさずそう言う右佐(うさ)くん。光のない瞳を私に向けていた。その視線は明らかに「お前バカなの?」と訴えている。

 スクールバックを両腕で抱き締めて、

「だ、だって不良が人を助けるわけないじゃない! きっと裏があるんでしょ? 騙されないんだからね!」

 体目当てなんでしょ!

 そんな体を守るように、ぎゅっとバックを抱き締める腕に力を込める。

 キッと睨みつけるが、右佐(うさ)くんはじとっと私の顔を見つめた後、「ハッ」と口の片端を吊り上げて笑った。

「誰が不良って?」

「ぇえ? そりゃもちろん…… 右佐(うさ)くん、です」

 私は身を縮めて、相手の出方を伺う。どう出てきてもいいように身構える。

「俺なんかが不良なわけねえじゃん」

「ええええええ⁉︎」

「学校もサボってねえし、暴力沙汰も起こしてねえし。見た目で判断してんじゃねえよ。つか、バカなこと言ってねえでさっさと駅に行くぞ」

 そう言って、一人で歩き出す。

 置いていかれる私。

 確かに彼は学校をサボっているところを見たことはない。だって、まだ入学して一週間しか経ってないんだぞ。わかるわけないやん。

 暴力だって、影でこっそりと人を殴ってるかもしれない。

 確かに見た目で判断しているだけかもしれないけど、その見た目で怖がる私みたいな小心者もいるんだよ。

 納得いかない。

 けど、このまま置いていかれるのは、もっと嫌だ。

 一度も振り返らずに、ひたすら進んでいく彼の背中に向かって走った。

「お、置いていかないでよ!」

「付いて来ないお前が悪い」

「本当に、駅に向かってる?」

 訝しむ視線を向けると、右佐(うさ)くんは私を一瞥し、「うっぜ」と言ったと思ったら、後頭部に衝撃があった。どうやら彼に叩かれたらしい。

「痛った! やっぱりぼ——」

 暴力を振るうんじゃないと言おうとしたが、彼の言葉に遮られる。

「わざわざ家から助けに来てやったんだろうが。失礼だと思わねえのかよ」

 その声は低かった。不愉快に思わせたのかもしれない。その表情は暗かった。

 それを見てなにも思わないわけじゃない。思ったことを素直に言いすぎたかもしれないなと黙って俯いていると、冷たい夜風が私の体を撫でる。

「くしゅっ」

 鼻水をじゅるっと吸う。

 風が冷たい。

 寒いなと思っていると、肩になにかが掛かる。

「え、パーカー……?」

 私には大きいサイズの黒いパーカーが肩に掛かっていた。

 顔を上げると、隣にはロングTシャツ姿の右佐(うさ)くんが歩いている。特になにも言わず、私を見ようともしない。ただ淡々と前を見て歩くだけ。

「……」

 不良のくせに優しいところがある。

 もしかしたら本当に不良じゃないのかもしれない。

 ぎゅっとパーカーを握って、「ありがと」と小さな声でお礼を言うと、彼は口の端をわずかに吊り上げた。



◼︎



 並ぶ自動販売機の奥には切符売り場があって、小さな改札口がある。

 こんなところ歩いたっけ? と疑問に思いながら、赤い屋根の駅を眺め、入った。

 改札の近くにあるベンチに座っていると、右佐(うさ)くんは自動販売機で温かいコーンポタージュとコーヒーを買っていた。

「ほら」

 ただそれだけを言って、私に缶を渡す。その缶には、とうもろこしのツブツブが入ったコーンポタージュの写真があった。

 なにがなんだかわからなくて、暫くして右佐(うさ)くんを見やると、隣に座った彼は既にコーヒーに口をつけていた。

「これ……なに?」

「コンポタ」

「それはわかる!」

 一呼吸を置いてから、改めて開口した。

「……くれ、くれるの?」

「寒いんだろ」

 短く答えて、自身はコーヒーを飲む。

 不良だからかな。様になってる。いや、不良とか関係ないか。

「……ありがと」

 訝しむ目をやめず、それでも私は缶を開けて、一口飲んだ。

「ん〜〜〜〜あったまるぅ!」

 飲んだ後、体の芯からじんわりと広がっていく温もり。

 缶から伝わる掌だけでは足りなかった温かさが、顔の表情もゆっくりと溶かす。

「不良なのに優しいね」

 とうもろこしの粒を咀嚼しながら言う。

 眉を思い切り寄せた右佐(うさ)くんは改めて否定した。

「だから不良じゃねえって」

「まあまあ。別に隠さなくてもいいから」

「違う」

「んじゃ、私そろそろ行くね」

「駅構内で迷わないか?」

「……だからね、言ってるでしょ? 流石に迷わないって」

 一回ホームを間違えたことが頭によぎったが、それは迷ったとはいわないと判断する。

「無事にホームに着いたとして、電車は来るのかよ。人身事故だったんだろ? 結構時間がかかんじゃねえの?」

「はっ! そうだった!」

 すっかり忘れてた。

 私の顔を見ていた右佐(うさ)くんはあからさまに溜息をつき、飲み終わった缶をゴミ箱に捨てると、そのまま受付にいる駅員さんへ向かった。

 私は慌てて残りのコーンポタージュを飲み干す。なかなか出てこないとうもろこしの粒が気になり、缶の底を叩くが出てこない。

「とうもろこしぃ!」

 あたふたしている間に彼は帰ってきた。

「電車、まだ時間がかかるってよ」

「駅員さんがそう言ってたの?」

「ああ」

「えー。困る」

「よくあるんだよ。前の駅は自殺の名所だっていうし」

「……じ、事故じゃなくて、自殺、なの?」

 まさかの言葉に嫌な気分になる。

「電車が来る頃に飛び込むんだから自殺なんじゃねえの?」

「そっか……」

 自ら命を絶たなきゃならない理由を理解できない。自然に表情が暗くなる。

 例え知らないひとであっても、この人身事故で一人死んだのかもしれないと思うと、悲しくなる。

「生きていればいいことがあるよ、きっと。だから今死ななくてもいいのに」

 空になった缶を握り締めた。

「どんな道を選ぶかは、人それぞれだからな」

 そう言った彼の目は重い事情を抱えたような深い色をしていた。

 それを見て、私は咄嗟に言葉が出なかった。不良もいろいろ訳ありなのかな、て。だから余計に無言で貸してくれた黒いパーカーが、より一層重く感じる。

右佐(うさ)くんは死んじゃダメだよ」

 全く笑いもせずに、静かに見つめた。

 彼は微かに目を見開く。それも一瞬のこと。

「一言も死にたいなんて言ってねえだろ」

 視線を背けて、改札口の向こうにあるホームを見やる。

 私は後ろを振り返った。駅の外に人の気配は少なく、ぽつぽつと光る街灯が寂しく見えた。

「なんか……いろいろ抱えてそうに見えたから」

「はあ? お前が俺のなにを知ってんだよ。ったく、不良って決めつけたり、変な奴」

 彼は片膝に足を置き、そっぽを向く。

「んまあ、なにも知らないけどね」

 でも、一つだけ知ってるよ。

 不良だけど、優しいところがあること。



 それからは特に会話らしい会話はなく、右佐(うさ)くんもただ黙って私の隣にいた。

 スマートフォンのバッテリーが少ないから極力触らない。つまらないなと思いながら、いつ来るかわからない電車を待つ。

 いつの間にか、私は眠っていた。

 体が軽く揺さぶられる。暗闇に沈んでいた意識が徐々に浮上する。

「んー……」

 眠たい目を擦る。

「おい、起きろって」

 男の声がする。パチパチと瞬きを繰り返すと、ぼやけていた視界がクリアになっていく。

 見慣れぬ黒いパーカーを羽織ってる自分の体。明らかにサイズがミスマッチ。

 すぐ隣には見慣れぬ服と、ズボンを穿いた男らしい足。

「んふっ!」

 それが誰なのかわかっても体は動かなかった。不良の肩を借りて寝ていただなんて。きっと右佐(うさ)くんは怒っているに違いない。顔を見るのが怖いなーと思って、動かずにいると彼の方から話しかけてきた。

「電車がもうすぐ来るってよ」

「ふんぬっ⁉︎」

 顔を上げると彼と視線が交わる。特に怒っている様子は見られない。

 すると、彼の右腕が伸びてきた。きっと不良らしく殴られるに違いないと目を閉じた。

「よだれ」

 とだけ言って、口元を何かで拭われる。恐る恐る目を開けると、彼のロングTシャツで涎を拭き取ってくれていた。

 その瞬間、ボンッと音が鳴ったんじゃないかと思うくらい顔が熱を帯びる。一瞬でお湯が沸いたような気分だ。

 そしてチラッと彼の肩を見ると、ちょびっとだけ濡れていた。

「ご、ごめん! よ、涎が……それにいつの間にか寝てごめん!」

 スカートのポケットからハンカチを取り出し、少しでも涎を吸い取ろうと押し付ける。

「いいって」

「っで、でも」

「そんなことより電車が来るって言ってんだろ。早く立て」

 右佐(うさ)くんは私の手を握って、改札口に歩き出す。

「え? ちょっと、ちょっと⁉︎」

 私の知らないうちに買っていた小さなきっぷを彼は持っていた。それを改札に入れて、そのまま入っていく。私も慌ててカードをタッチした。

「なになに? なんで入れるの?」

「入場券」

「なにそれ?」

「それがあれば入れる。ただでさえお前方向音痴だから買っといた」

 手を繋いだまま走っていく。駅に慣れているのか、その足に迷いはない。

「いやいや、駅構内なら迷わないって……たぶん」

「いいからさっさと走れ。一番遠い乗り場な上に、電車がもう入ってきたぞ」

「え? 嘘? もう来たの?」

 急いで階段を登り、走る。

 ちらりと電車の姿が見えた。ちょうどドアが開くところだった。

 手を繋いでいることが気にする暇はない。彼の足の速さに付いていくことで精一杯。階段を降りていると、笛の音が高らかに聞こえた。まずい、そろそろドアが閉まる。

 私の手を離して、いち早く降りた右佐(うさ)くんが車掌さんに向かって手を大きく振る。「すみません! 乗ります!」と叫ぶ姿を見て、私の為にどうしてここまでしてくれるんだろう? と疑問を抱いた。

 そして私を振り返り、

「早く乗れ!」

「え、あ、はい!」

 私が電車に乗ると同時に、右佐(うさ)くんは黄色い線より手前に下がる。

 ぷしゅーっと音を立ててドアが閉まった。

 私は彼を見つめたままなにも言えなかった。

 ありがとうも、なにも。

 ドア一枚を隔て、彼は微かに口元を弛ませた。

 私はただドアに手を置いて、彼の姿が見えなくなるまで見つめた。

「なにあれ……かっこよすぎでしょ」

 ぼそりと呟く。

 それから椅子に座った。

 パーカー、借りたままだ。お礼も言ってない。

 そもそも駅まで送ってくれて、道に迷った私を探して見つけてくれて。コーンポタージュも奢ってくれたこと、涎のこと、電車のこと、いっぱい優しくしてくれたのに。

 いっぱいお礼を言わなきゃならないのに、最後なにも言えなかった。

 不良のくせに、かっこよすぎ。そのいっぱいの優しさに見惚れてしまった。

 私は顔を、長い袖で隠れる両手で覆った。

「…… 右佐(うさ)くんの匂いがする」

 タバコの臭いも、香水のような臭いもない、右佐(うさ)くんの匂い。

 両手を少し下にずらし、

「不良のくせに、惚れてまうやろぉ……」

 暫くの間、鼻を覆う手を外せなかった。

当作品を読んでくださり、ありがとうございました!

もし少しでも気に入っていただけたら、下にある評価(★★★★★)やコメント等してくださると非常に喜びます!

是非、宜しくお願いします。

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