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アーノ

 キラキラと輝く水面。

 行きかう小舟、川向こうの都市。

 夏の夕暮れ。

 どこかで水遊びしている子どもたちの楽し気な声が、遠くに聞こえる。


 岸辺の砕けた石を手に取ってみる。

 川面に投げると、三回跳ねて水底に消えた。


「はあ……」


 俺はため息をつく。


 逃げてしまった。

 涙をこらえきれなかったけど、ユアンの前で泣くのだけは避けたくて。


 本当は褒めてもらえると思っていた。

 国中のみんなが、いろいろな事で困っている。せめて伝染病の問題だけでも解決してあげたかった。


 薬の材料を集めるという目標を立てた、ボーン・ドラゴンを倒した、ガルシアたちの助けを借りつつ生還した。

 そこまでは完璧だった。


 後はユアンから褒めてもらえれば、それでよかったんだ。

 それなのに、何がいけなかったのか。


「うまくいかないもんだな……」


 俺は細長い雲が並ぶ空を見上げる。

 さわやかな風が吹き抜けていく。


 いつまでも、ここにいるわけにはいかない。

 もうすぐ夜が来る。それまでに帰らなければ。

 俺の帰る家と呼べる場所は、あの道具屋しかないのだ。


 けど、どんな風にユアンと顔を合わせたらいいのだろう。

 それがわからない。


「ワン?」


 ふと横を見たら。緑色の犬がいた。

 狼? いや、犬だよ。これは、たぶん、犬! だって人懐っこいし。


 俺が手を差し出すと、ぺろぺろと舐めてきた。

 その犬は、左目に大きな傷を負っている。見覚えのある傷だった。


「アーノ? もしかしてアーノか?」

「ワン!」

「そうか! 良かった、元気にしてたか?」

「ワン!」


 アーノは俺に飛びついてくる。

 俺も抱きしめて頭を撫でてやる。


 アーノは、砂漠のオアシスで出会った犬だ。

 聖剣を失ってから、王都に連行されるまでの間。俺は、何か成果を上げようとできる限りのことをしていた。

 バード砂漠の中を走り、遺跡を探索し……鎧の悪魔と戦った場所にもう一度行こうとした。そこにまだ聖剣があるかもしれないと思って。

 だが、何をどうやっても無理だった。


 心が折れかけていた時、オアシスで、この緑色の犬に出会った。


 犬は何か魔物に襲われたのか、酷いケガをしていた。

 怯えて警戒していた。顔の傷は癒えておらず、放っておけば破傷風になるかも知れなかった。

 俺の生まれ故郷の村では、本当にそんな理由で人が死ぬ。


 あの時の俺が助けることができる、唯一の存在だった。

 俺は一応、国の後ろ盾を持つ勇者であり、金のかかった支援を受けている存在だった。

 だから持っていた、治癒ポーションを。


 俺は手持ちの治癒ポーションをその犬に与えた。

 犬に薬を飲ませる方法はわからなかったので、手に注いで差し出した。

 犬は警戒しながらも、俺の手を舐め、薬を飲んだ。


 その後、食べ物を分けたり、水浴びついでに体を洗ってやったりして、気が付いたら、犬は俺に懐いていた。

 先行きに不安しかない状況だったあの時の俺にとっては、唯一の癒しだった。


 ……ただ、ちょっとね。

 性別を確認せず、アーノルドって名前にしちゃって……体を洗ってやった時に、ようやく女の子だって気づいたってわけだ。やっちまったよ。

 今はアーノと呼んでごまかしている。


「アーノ……。よく俺がここにいるってわかったな」


 ここレアオリャン市は、バード砂漠からかなり遠い。

 馬車で数日はかかる距離だ。

 俺に会うために、ここまで来たのか?


「くーん」


 アーノは俺の考えも知らずに顔をこすりつけてくる。気持ちいい。

 こうしていると、俺の抱えていた悩みも、どうでもよくなってくるような気がする。


 けれど、この悩みを忘れてはいけない気がした。

 だからと言って、ユアン本人には話せない。

 ノインやガラシアたちも、ダメだ。

 アーノになら話してもいいだろう。そう思った。


「俺はさ、あの人に認めて欲しかったんだ」

「わふ?」


 アーノは俺が何を言っているのかわからないのだろう。かわいく首をかしげて見せる。


「立派な男だと、思ってほしかった。承認されたかったんだ」

「……」

「だから今の自分にできる事をしてみた。結局、俺には戦うぐらいしか能がないから、それで人の役に立つ所を見せたかったんだ」


 アーノは黙って俺の話を聞いてくれる。


「ユアンは、俺の事を誉めてくれると思った。でも、逆に怒られちゃったよ」

「……」

「よく考えたら、ノインたちにも迷惑を掛けちゃったし。嫌われても仕方ないよね……」

「わふ、わふわふわふ」


 アーノは首をブンブンと左右に振る。それは違うと言ってくれているようだ。


「そうかな。そう言ってくれてうれしいよ」


 俺はアーノの背中を撫でる。

 実際には、ユアンが俺の事をどう思っているのかは、よくわからない。

 けれど、こんな風に素直に話すのは難しい。

 どうしてだろう。


 それは俺の中に欲望があるからだ。

 ユアンによく思われたいという欲望。

 それが邪魔をして、素直に向き合えない。

 欲望を捨てれば、素直になることはできるかもしれない。

 でも、それで失敗したら、失う物が多すぎる。


 いや、待てよ。そんな失敗の何が問題なんだ?

 ダンジョンで失敗して、仲間を失っても構わないほど大事なのか? そんなわけない。


「もしかすると、俺は優先順位を間違えていたのかな……」

「わふ?」

「ちゃんと、俺がどう思っているのか、ユアンに話そう。そこからやり直さないと」

「わん!」


 アーノは俺を励ますように吼える。


「もう一度、ユアンと話し合ってみようと思うんだ」

「わふ……」


 アーノは、それでいい、と言いたげに頷くと、急に立ち上がり、どこかへと走っていく。

 どこか、帰るところがあるのだろうか。

 まあいいや。きっと、また会えるだろう。



 走って道具屋に戻ると、ノインが待ち構えていた。


「……頭は冷えたかにゃ?」

「冷えました。今の俺は超冷静です。店長はどこに?」

「え? たぶん部屋にいると思うにゃ。あと、私の目には、今のハルタンはまだ冷静には見えないにゃ。もう少し頭を冷やした方が……」


 ノインは余計な一言を付け加えてくる。

 そんなわけあるか。今の俺ほど冷静な人間など世界のどこにもいないぞ。

 ユアンの部屋は二階だ。俺は階段を駆け上がる。


「あ、ちょっと待って。部屋に入る前に……」


 ノインが何か言っているのは無視して、部屋の扉を開ける。


「店長、好きです! 愛してま、す?」

「ひゃわっ?」


 店長はこちらに背を向けていた。

 そして全裸だった。着替え中のようだ。

 そうだよな。よく考えたら、さっき遠出から帰ってきたところだったし、部屋着に着替えたりもするよな。


 つやつやした肌、体のあちこちを構成する曲線、ふにふにした足の指。全てが美しい。

 ……じゃない! 何見てるんだ俺は!


「し、失礼しました!」


 俺は慌てて扉を閉める。部屋の中からユアンが怒鳴る。


「バカ者! ノックぐらいしろ!」

「ごめんなさい!」

「ニャハハハハハハハハ」


 階段の下でノインが爆笑していた。

 くそぅ……。ムカつくけど、今のは完全に俺が悪い。



「このバカ者……」

「ごめんなさい!」


 食堂で、俺は床に正座していた。

 部屋着に着替えたユアンは、木刀を持って降りてきた。

 それで殴られるのも覚悟したのだが、幸いにもそんな事はなかった。


 ここからどうしたらいいのかな。難しい。

 ノインは隅の方でニヤニヤ笑っているし、パメラはオドオドしている。

 二人とも助けてくれないだろう。俺は、自分の力で何とかしなければいけない。


「ハルタン、落ち着くのだ。私はもう怒ってないから」

「はい」


 俺が顔を上げると、ユアンは俺の目の前に膝をつく。


「私は、おまえのことを立派な男だと思っている。改めてそれを証明する必要なんてないんだ」

「え……」


 なんだろう。アーノに向かって言ったことに対する答えのような言葉だ。……どこかで聞かれていたのかな? めっちゃ恥ずい。


「いや、それは……その」

「勘違いしないで欲しいんだが、私は、おまえを束縛したりするつもりはない。その……男の子だもんな。冒険とかに行きたいって言うのは、わかるんだ」

「店長……」


 何かよくわからない気持ちが沸き上がってきて、俺は思わずユアンに手を伸ばした。

 ユアンはその手を取り、頬を染めながら顔を逸らす。


「た、ただな。おまえに死なれたりするのは、嫌なんだよ。わかるだろ」

「はい」

「だから、もしどうしてもダンジョンとかに行きたいって言うなら、まずは私を誘ってくれ」

「はい……え? いいんですか?」


 ユアンとダンジョンに行く?

 それはもうデートでは?


「それと、木刀。折れちゃったんだってな」

「あ、ごめんなさい」


 あの木刀は、ユアンから貰った物だった。もっと大切にするべきだった。


「今日からは、これを持っていろ。この前のよりは頑丈なはずだ」


 ユアンは二階から持ってきた木刀を俺に差し出す。受け取ったそれは見た目より重い。そして不思議な温かさを感じた。

 ノインが驚いたように叫ぶ。


「ユアン! それ、お父上の形見にゃ?」

「いいんだ。こっちの方が役に立つ」

「私が言ってるのはそう言う意味じゃないにゃ」

「……」


 この木刀、そんなにいい物なのか? 実はノインも欲しくて狙ってたとか?

 ノインが俺の方にじっとりとした視線を向けてくる。


「な、なんですか」

「……この泥棒猫」


 はぁ? 猫はおまえだろ!?


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