ノス森洞窟ダンジョン、友情と後悔と希望
ボーン・ヒポポタマスは、闇の中から、じりじりと距離を詰めてくる。
俺はとりあえず、松明を乾いた地面に放った。
片手だけでも開けておかなければ、戦えない。
「ダメだ、ハルタン……」
サノテが呟く。
「五匹は無理だ。俺が万全の状態だったとしても、無理だ」
「やってみなきゃわからないだろ」
「一匹だって、二人掛かりだっただろうが……。足手まといを連れてちゃ……」
サノテは息も絶え絶えに言う。
傷口から何か悪い物でも入ったのか。もちろん解毒剤の用意もない。
足ががくがくふるえている。俺が肩を貸しても、立っているのもつらいのだろう。
俺が一人で、なんとかするしかない。
「大丈夫だ。こいつらを倒す。そしておまえを担いで脱出する。それで完璧だ」
「無理だ……」
「休んでろ。勇者の力を見せてやる」
俺は、サノテを地面に降ろし、近くの鍾乳石にもたれかからせる。
サノテは俺の腕を掴む。
「ハルタン……。俺を置いて逃げろ。おまえ一人なら、脱出できる」
「バカを言うな! 勇者は、そんな事しないんだ!」
「こんな暗がりの中で、カバに襲われて死ぬのか? そっちの方がよっぽど勇者らしくない」
サノテは変な笑いを浮かべる。
頭がおかしくなったのか?
俺は、こんな所で、おまえを死なせるために、冒険がしたかったわけじゃない!
何か、何か、それっぽい理由は……。
「俺は、外に出る道がわからない。おまえを見捨てても、俺一人じゃ脱出できない」
「しょうがない奴だな。……向こうに水が流れているのが見えるか? あの流れを辿れば……あの川に繋がっているはず」
「……」
俺は返す言葉が思いつかなかった。
サノテの言う事が、理論的に正しい。
もし間違っているところがあるとしたら、こんな貧弱な準備で洞窟に入ろうとした、今朝の時点の俺たちだ。
けれど、起こったことをやり直す事なんてできない。
砂漠の聖堂のことだって、そうだ。
現状がどんなに苦しくたって、それを受け入れて前に進むしかない。
だから俺は、間違っているとしても退くわけにはいかない。
「今のサノテじゃ、時間稼ぎもできないだろ。俺が一人で逃げたって、どっちにしろ追いつかれるさ」
俺は木刀を構えると前に出る。
カバの一頭が、俺に向かって走ってくる。
『アアアアアッ!』
「双斬脚 (そうざんきゃく)」
俺は、分裂する二本の木刀でカバの牙を叩き折って、蹴った反動で後ろに後退。
そこに左右からカバが突っ込んでくる。
「跳華衝 (ちょうかしょう)」
木刀を地面にたたきつけて、その反動で飛び上がる。
洞窟の天井を蹴って、一匹目のカバへ。
「貫徹破岩衝 (かんてつはがんしょう)」
ガコッ、ゴリゴリゴリッ、メキッ
飛び降りる勢いを上乗せして、カバの頭に貫通攻撃を放つ。
俺の木刀はカバの頭蓋骨を抜き、内側を砕く。ボーン・ドラゴンと同じ位置にコアがあるのではと思ったが、正解だったようだ。
木刀から嫌な音が聞こえた気がしたが、まだ戦える。
残り四。
崩れていく骨の上から飛び降りる。
飛び降りた先はぬかるみで、泥がはねた。
「なあ、俺は、ずっと後悔してるんだ……」
サノテが何か言っている。
呟くようなその声は、戦闘の轟音の中でも、なぜかはっきりと聞こえた。
「崩塞突 (ほうさいとつ)」
最後尾でぼんやりしていたカバへと肉薄し、その鎧のような横腹を剣で突く。
石を積まれた要塞の城壁すら崩す振動。
カバはその場で横転する。
「あの時、パーティーから最初にはぐれたのは俺だった。俺を捜索するために二手に分かれ、その後も分断されて、おまえは敵陣の中、一人で孤立したと聞いた」
突進してくるカバ、三匹。
一匹がこちらに先行している。
俺はそれを飛び越えるそぶりを見せる。カバはつられて顔を上げる。
だがそれはフェイント。
上がり切った顎の下、隙間からコアが見える。
「狙突 (そとつ)」
穴の隙間を狙うように、木刀で突く。
動いているせいで、岩砕きは撃てなかった。
だが、そのカバは動きが止まる。
脳震盪に近いダメージは与えられたようだ。
「俺が、もっとちゃんとしていれば……おまえが一人で強敵と戦って、聖剣を失うこともなかったんだ」
二匹のカバが迫ってくる。
跳華衝で飛び上がり、向かって右側の一匹に貫徹破岩衝を放つ。
敵の動きを止めていなかったため、狙いが少しずれた。コアを砕くに至らない。
最後の一匹が着地した俺を目掛けて走って来る。
俺は横に飛びのきながら、木刀を振るう。
「流刹棍 (りゅうせつこん)」
狙ったのは目の穴。この奥に正しい角度で刺せば、コアに攻撃が届くはず。
届いた。
そのカバは走っていた勢いのまま、四肢を投げ出して地面を削りながら滑っていき、鍾乳石にぶつかった。
これで、まだ一匹倒せた。
だが、ひっくり返っていた三匹が起き上がってこちらを見ている。
残り三。
「おまえと一緒の冒険は、楽しかったよ……。本当は、ずっとあんな冒険をしていたかったのに……」
やめろよ、なんか遺言みたいなの語りだすの、本当にやめろ。
死なせたりしないって言ってるだろ!
タイミングを合わせて、三方向から迫ってくるカバ。
俺は後退する。
それを見て追いすがるカバは、どう動くか。
中央はそのまま、左右は少し移動方向を変える。
結果として、中央のカバが、左右から挟まれるような状況になる。
「跳華衝 (ちょうかしょう)」
木刀を地面にたたきつけて、その反動で飛び上がる。
狙うのは中央のカバ。右にも左にも逃げられない。
「貫徹破岩衝 (かんてつはがんしょう)」
ガコッ、ゴリゴリゴリッ、メキッ、バキッ
「あっ」
中央のカバは、頭蓋骨に穴が開き、内側のコアも砕けた。
残り二。
しかし、俺の木刀も折れた。
これでは技が撃てないか?
いや、まだ行ける。ちょっと短くなったけど、技を入れるタイミングがシビアになっただけだ。
加えて言うなら、より接近する必要があるし、分厚い骨を超えてコアに攻撃が届かない可能性が……
「無理、か?」
サノテの剣を借りれば、まだ行けるか?
だが、取りに行った場合、カバも追いかけてくる。
俺は対応できるが、サノテが踏みつぶされたりしないか?
いや、それでも他に何もない。一か八か……。
「さすがに無理だと思うので、介入しますね」
落ち着いた感じの女性の声が、割り込んできた。
俺はそっちを見る。二匹のカバもつられたようにそっちを見た。
オレンジ色のドレスのような服を着た女性が、穏やかな笑みを浮かべて立っていた。
「ガラシアさん?」
俺は混乱しながらも、その人の名前を絞り出す。
正確には人ではなく、堕天使だが。
そして場違いだと思った、俺たちの方が。
まるで、泥だらけになって戦っている俺たちの方が間違っているかのような。
この人がいるのだから、本当は、ここはダンスパーティーか何かの会場だったのでは? そんな風にすら思えてくる。
だが、やはりここは戦いの場なのだ。
ガラシアも、手に長槍を持っていた。
カバ二匹は、新たに現れたガラシアを脅威だと感じたらしい。
武器を失った俺を無視して、そちらに突撃していく。が……。無駄だった。
「クロック・シンクロニシティー」
何かのスキルを発動すると同時に、ガラシアの姿が消えた。
一瞬の間に、二つの衝撃音が響いて、ガラシアは両手を広げて逆さまに宙を舞っていて、二体のカバはひっくり返って鍾乳石に激突していた。
はらはらと灰色の羽が降ってくる。
今、何をしたんだ?
速すぎて俺にもよくわからなかった。
「誰、だ?」
サノテが、困惑したように呟く。
……どう説明したらいいかな。