宝具実技実習
宝具の実技実習は屋外の実技訓練所で行われる。
広く拓けた平らな土地で、校舎からも離れている。
土がむき出しの地面は踏み固められて硬く、小石1つ転がってはいない。
今回は初実習なのであまり強力な効果を発生させる宝具は使われないが、授業が進むにつれて強力な宝具に魔力を通すようになっていく。そのため、実技実習は必ず屋外で行われることに決まっていた。
ナリシフィア達生徒は一様に、飾り気のない黒のマントを制服の上から羽織り、教師の前に整列していた。
外套は軽くて丈夫な素材で出来ており、防塵、防火、防水目的のものだった。宝具の発動の際に周囲の砂が巻き上げられたり、発火の熱に炙られたりする可能性があり、そういったものから身を守るための装備だ。
宝具の発動には激しく動くことはない。しかし制服のままだと汚れや損傷することもあるため、外套が必須となるのだ。
「今回使用するのは“幻を見せる宝具”です。これだけ小さくても、れっきとした宝具で、皇家からの借り物です。丁寧に扱うように」
男性教師は掌に収まる程度のそれを、全体に見えるように頭上に掲げた。
花や波、雲といった緻密な飾り細工の施された金の台座の上に、完璧な形の球体が乗っている。透明だが、赤や青、黄色にも見える色味が球体の中心で煌めいていて幻想的だ。
色とりどりに色彩を変え揺らめくその光に魅入られたのか、方々から感嘆したような溜め息が、ほぅと漏れた。
「シフィー、本物は初めて見たけど、宝具って綺麗だね」
傍らでもアナリシアがキラキラとした目で教師の手の中に視線を集中させ、「スチルでも綺麗だったけど、本物はもっと幻想的だー」と実に楽しそうに笑顔を見せている。
そうですね、と微笑んで相槌を打ちながらも、ナリシフィアは別の感想も抱いた。
初めての授業だけあって、やはり扱い安い宝具が選ばれるのだな、と冷静に観察する。
一般的に、小さな宝具は発揮する効果も低いと言われている。
発動に最低限必要とされる魔力量が少なくて済むのも原因だろうが、特別な現象もあまり広範囲に起こらないからだろう。
例えば、とある領の所有する“雨を降らせる宝具”は、大人が両手で持ち上げなければならない程の大きさであるとか。その分発動させる為に注ぐ魔力量も多いが、雨を広範囲に降らせることができる。持続力は注ぐ魔力量次第だが、魔力の制御が難しく、一気に注ぎ込めば豪雨となり、細く少しずつ込めれば小雨となる。
ほどよい効果を展開させることが出来るかどうかは、使用者の腕次第なのだ。
今回授業で使う“幻を見せる宝具”は、掌大ならあまり広範囲に効果を展開することは期待出来ないだろうが、如何に素晴らしい幻を作り出せるのか。想像力と魔力制御が鍵となる、使用者の腕の見せ所となるだろう。
因みに、皇国全域を覆う結界を展開する宝具は、大人が2人がかりでなら抱えられるだろう大きさであるとのこと。広範囲に展開できるだけあり、大層なものである。
座学で散々説明されていることを、取り扱いの注意点としておさらいのようにさらりと説明した後、教師はおどけたように笑った。
「それでは、真っ先にやってみたい者」
生徒の自主性を重んじているのは、最初の授業であるためだ。
初めて宝具に触れるのだから誰もが緊張して、落ち着いて普段通りに魔力制御することが難しくなる。
トヴァヒコル神より賜り、皇家から貸し出されている大事な国の宝だ。
一学生の身でそんな至宝を手に取る勇気は、なかなか涌かない。
粗相があってはいけないし、なにより上手く発動させられないことがあっては、自分が家名通りの爵位に足る実力の持ち主ではないと、資質を疑われかねないからだ。
まして最初の1人など、余計に注目を浴びて緊張し、普段通りの力が出せない恐れがある。
誰もが少し強ばった顔で周囲を伺い、どうぞお先に、と目でやんわり促している。
皇太子やナリシフィアといった上位者の自覚と威厳のある者達数人は泰然とした態度を崩さず、あら、では誰からしましょうか?と視線で間合いを測り合った。
「はい!先生、あたしやってみたいです!!」
すると貴族の子息子女達の緊張感が伝わらないのか、場違いに明るい能天気そうな声がナリシフィアの隣から上がった。
いわずもがな、貴族の事情など無縁な平民アナリシアだ。
「あたし平民だし、皆より魔力低いし、失敗する可能性高いから!成功する人続出でハードル上がっちゃう前にやりたいです!」
力強く挙手しているが、発言内容は情けないものだった。
自信がないから、先に終わらせてしまいたい。“はーどる”とは、評価の合格基準みたいな意味である、と以前に聞いていたナリシフィアは、友人の言わんとしていることを正確に把握した。
彼女の実力を正確に理解しているナリシフィアとしては、アナリシアの失敗する姿など露ほども思い浮かばないが、本人は自己評価が低いので至って大真面目であった。
「ではアナリシア嬢、前へ」
「はい!」
いってくるね、とニコニコしながら前に出るアナリシアに、おっとりと小さく手を振り、ナリシフィアは応援の言葉を口にする。
どのような幻を友人が見せてくれるのか楽しみだった。
「いきます!」
教師から宝具を受けとると、彼女はその玉に右手を触れさせ、そっと目を閉じた。
途端に、清廉な空気が辺りに広がったのを感じとれた。
ナリシフィアが心地よさにうっとり瞬きすると、直後、生徒達の足元に桃色や黄色の可憐な花々が咲き乱れ、周辺の地面を覆い尽くす。
一つ一つの花は繊細で瑞々しく、今にも蝶や蜂が寄ってきそうなほど現実めいた作りで、それでいて溜め息が出そうな程美しい花畑だった。
「見てみてスキロ!去年も一昨年も見れなかったけど、今年は見れたでしょ?」
息を飲み言葉を無くす級友達を尻目に、成功して良かった!とアナリシアが幼なじみに笑いかけている。
どうやら故郷の花畑を再現したようで、2人には馴染みのある光景らしかった。
ナリシフィアから離れた位置に整列していたスキロが、それまで無表情ともいえる感情の窺えない顔をしていたのが嘘のように、ニヤリと笑うと教師の許可も得ずに前に進み出た。
「これじゃまだ不完全だろ?貸してみろ」
アナリシアの傍らに立ち、実にさりげない動作で彼女の腰を抱き寄せ距離を詰めると、スキロは少女に回した腕をそのままに、宝具の上の右手に自分のそれも重ねた。
すると爽やかな風が吹き抜けたようにナリシフィアは感じとれ、思わず目を細めると視界いっぱいに、生い茂る丈の高い木々が現れた。青々としていて生命力に溢れた葉、触れればゴツゴツとした手触りが伝わってきそうな幹、見事な枝振りは今にも涼しげな木陰を提供してくれそうなほどだ。
呼吸すれば清々しい緑を満喫出来そうな、陽の光が射し込むのどかな森林に取り囲まれ、足元の花畑も相まってすっかり別世界の景色だ。
ある者は唖然とし、またある者は感心する中で、スキロは我関せずとばかりにアナリシアの顔を覗き込み、甘く囁いた。
「これで完璧だ。シアの作りたいもの、完成させられるのは俺だけだろ?」
今が授業中であることを、一体何人の生徒が失念させられてしまったのだろう。
何人かの少女達は赤面し目を潤ませたり、うっとりとした溜め息をつき2人の姿に魅入っている。
森林の花畑の中心で、見目麗しい一組の男女が寄り添いあっているのだ。まるで1枚絵のような光景に見とれるより他ない。
だが2人が身に纏っているのは簡素で無粋な学園指定のマントであり、今はもちろん逢瀬を楽しむ恋人達の為の時間ではない。
「仲が良いのは結構なことですが……まぁ、いいでしょう。まったく、君達2人には実技実習なんて必要なさそうですね」
呆れたように教師が宝具を回収すると、広がっていた景色はたちまち霧散した。
教師が呆れるのも頷ける。
スキロは初めての宝具実技実習で、想いあう者同士なら魔力を増幅させあうことが出来る、という現象を実行してみせたのだ。
下手をすれば体調を崩す者も現れるので、間違っても初回の実技で、やってみようと思い立つべきものではない。
それを全く苦痛なく、余裕綽々でやりきったのだ。
しかも広がった景色は、お互いに力をあわせて作られたらしい幻影で、まるで本物の森の中にいるかのように錯覚させるほどの完成度だった。
優秀な者同士が合作すれば、大した効果の得られないと言われているような宝具でも、見解を変えなければならなくなりそうな事態となるらしい。
飄々とした態度で戻ってくる青年と、ナリシフィアの方を目指して歩きながら、パタパタと手で扇いで顔の熱を冷まそうとしている少女。2人を微笑ましく迎えながらも、ナリシフィアは首を傾げて見せる。
「お二人とも、お疲れ様でした。それにしても珍しいですねスキロ様、あそこまでなさるなんて」
アナリシアに想いを寄せる者達を牽制するため、スキロが度々仲の良さを見せつける行為をしているのは認識していたが、あれだけあからさまに、しかも授業中に行うなど驚くより他なかった。
スキロは悪びれず肩を竦めて見せる。
「2年に進学してからですが、時々あり得ない難癖を遠回しにつけてくる面倒な方がいまして。あれだけ見せつけておけば、自己防衛にもなるかと」
「まぁ、苦労なさっていたのですね。私で良ければ、何かお力になれることはありますか?」
素直に友人に心配を寄せたつもりのナリシフィアだったが、スキロは苦虫を噛み潰したような顔で拒否してきた。
「いえ、ナリシフィアはそのまま構わないでください。寧ろナリシフィア様自身の問題を解決してもらった方が、結果的にこちらも助かります」
「そうなのですか?」
はい、と重々しく頷くスキロ。するとやっと照れと羞恥心から解放されたアナリシアが、復活して会話に加わってきた。
「スキロ、もういきなり人前であんな恥ずかしいことやめてよね!」
「なんだ、嫌だったのか?」
「目立つし、恥ずかしいから、嫌っ」
「ふぅん?人前じゃなきゃ良いんだな?」
「うっ、知らない!シフィーも何とか言ってよぉ、あたしを助けて!」
ナリシフィアを盾にして陰に隠れてくるアナリシアと、楽しそうに口元を綻ばせるスキロ。
微笑ましいですね、と見守るナリシフィアは、実技実習特有の緊張感が無くなったのを感じながら、他の級友達が宝具を手に幻を作り始めたのを視界の端に捉え、自らも備えるのだった。
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目立つ友人二人。次こそは殿下のターンになると良いのに……努力します。