通学時の恒例
ログランテ魔法学園への通学は侯爵家所有の馬車で行っていた。
去年まではナリシフィアと侍女のカーミラ2人だけでの移動だったが、今年からは次女のナリニティアとその侍女シンディも含め4人で乗り込み、早朝からの出発となる。
大抵の生徒は学園に併設された寮を利用していたが、一部の上位貴族や皇族に限っては申請書類を事前に提出し、受理されれば自宅からの馬車通学が許可される。
全員を許可すれば毎朝校門前が混雑することになるため、正当な理由がある者だけだ。
例えば、既に爵位を拝命し執務を抱えている者や、皇族のように公務や執務、外交に頻繁に携わり、寮住まいでは役割に支障をきたしかねない者で、聖都に屋敷を構えていれば、受理されるのだった。
メイダース家は直接的に政治に参画せずともお役目があることと、建国の巫女の末裔であることで、馬車通学を許可されていた。恐らく判断基準となったのは、詳しいことは知らずともメイダース侯爵家の特殊性を、教師陣が理解しているから、ということだろう。
馬車内ではいつもの席次、ナリシフィアとナリニティアが進行方向に向かって隣あい、侍女達はその向かいに控え座っている。
しばらく揺られていると、ナリニティアが気遣わしげに声をかけてきた。
「お姉様、昨日は災難でしたね。あの後大丈夫でしたか」
「ええ、いつものことです。ナナもそろそろ分別をつけてくださると有り難いのですけれど」
「それは難しい話かと。ダタール伯爵家への今後の出入りを禁じたとしても、培われた価値観が揺らぐことはないでしょうね」
ダタール伯爵家とはパールシーアの生家である。
つまりナリシフィアやナナリディアにとっては、祖父母の家ということになる。ナリシフィアは殆ど訪れたことはないが、ナナリディアはパールシーアについてよく訪問しているようであった。
ダタール伯爵家はメイダース侯爵家を過剰なまでに敬い、古い血筋と高い家格を褒めそやしていた。
取り引き等で古参の貴族相手なら、確かに血筋のことを持ち出し褒めれば好感触だろうが、身内にまでそれを適用する必要はないのではないかと思わないでもない。
しかし古い血筋を持つ高位貴族と縁続きになった為、取り引きがしやすくなったとか、声を掛けてくる貴族が増えたというように、ダタール伯爵家の生活が一変したようであり、それが過剰な尊敬を向けられる原因となったと推察できた。
ナナリディアはそういった特別視を幼少期から、母方の祖父母からされ続けたことで、「自分は特別な存在」「選ばれた血統の持ち主」という自尊心が堆く築かれたのだ。
「難儀なことですね。外で問題を起こす前に、なんとか考えを改めていただきたいのですが」
ナリシフィアが悩ましげに頬に右手を添え溜め息をつけば、妹もそれに同調し遠い目をする。
「そうですね。なにか良い手はないか、お兄様ともまた話し合っておきましょう」
末の妹の片思いが発覚してからずっと、正解を求め続けてきた命題なのだが、未だによい答えを見つけられないでいる兄妹達だった。
他の事に意識を向けようとさせたり、皇家に嫁ぐこと、政事に参画することがどれほど責任重大で難しいことか言い聞かせても、「わたくしなら大丈夫。できますわ!」と力強く頷かれるだけで、思いとどまる様子は微塵もなかった。
このまま皇家に直接迷惑をかける事態を起こしはしないかと、メイダース家の総力の半分くらいは使って監視・警戒体制を敷いているのが現状だ。
どうせならもっと有益なことに人員を割きたいのにと、カルディナントを筆頭に情けない思いを噛み締めている者は多い。
気持ちを切り替えるように、ナリシフィアは別の話題を振った。
毎朝恒例の情報交換である。
「そちらの学年では、何か問題事が起きてはおりませんか?」
「つつがなく。どちらかといえば、お姉様の学年の方が問題がありそうですね」
「頭の痛いことです。カーミラ、昨日の件についてお話してくださいますか?」
鋭い指摘に、ナリシフィアはたまらず眉尻を下げて、微笑みを曇らせた。
ナリシフィアがログランテ魔法学園に入学してからというもの、以前にも増して様々な問題に直面しており、心の休まらない日が多くなっている。
その1つが、ナリシフィアの隣組に所属するある平民が起こす問題だった。
「はい、ナリシフィア様。昨日、第3学年夕組在籍のマリア様が、放課後廊下にて、同学年朝組の子爵令息ジュタール・モンテディオレ様といさかいをされていましたが、子爵令嬢ナシーリア・カタヴィロス様の取りなしにより事なきをえました。どうやらマリア様が逢い引きの約束を忘れておられた為、とのことでしたが、マリア様はそんな約束はしていないと否定しています」
各学年4つの組分けがされており、第2学年以降は実力別に組割りが決められていた。魔力も高く成績も優秀な夜組。魔力は高いが成績が今一つな夕組、魔力は低いが成績は優秀な昼組。魔力も成績も低い朝組。
朝組のジュタールは成績も魔力も振るわない事から、未だに婚約者がいない。
大方、平民で距離感の近いマリアを自分の婚約者にすべく、あらぬ噂を立ててマリアの婚約を破談にしようとでもしたのだろう。第3学年ともなると卒業が近い為、まだ相手の定まっていない貴族は焦りが出てくるのだ。
ナリシフィア付きの侍女が淡々と説明すれば、ナリニティアは呆れを隠そうという気もなく顔をしかめた。
「ナシーリア様も毎度の事ながらご苦労なさっていますね。お姉様が労いのお言葉をかけて差し上げれば、疲れも吹き飛びましょうが」
「私ごときの言葉で、それほど彼女の働きに報いることが出来るのでしょうか」
「それはもちろんです。血統派の貴族ならば、お姉様に並々ならぬ憧れを抱いていますからね。この間の茶会でも、お姉様の話を聞きたいと令嬢達にせがまれましたよ」
まぁ、とナリシフィアは微苦笑をこぼす。
ナシーリア・カタヴィロス子爵令嬢は、名前からも読み取れるように古い血筋の伝統ある貴族家の娘だ。
騎手を多く排出する家系で、現カタヴィロス子爵は騎士団長を拝命している実力者だ。
ナシーリアとは、ナリシフィア自身も茶会で何度も顔を合わせており、嘗ては「兄に好かれ過ぎて困っている」と相談を受けたことがある。暑苦しくて敵わないので逃げ回るようにしているとのことだったが、逆に逃げるのではなく褒めてよい気にさせ、もっとこうしてくれたら益々自慢の兄なのに、と上手く行動を誘導するようにすべきと助言し、それを彼女は実行に移したようだった。
結果、兄トラバンスに紳士然とした振る舞いを身につけさせることに成功したナシーリアは、ナリシフィアを一層慕い、何か役に立ちたいのだと、気になることがあると定期的に報告を寄越すようになったのだった。
そんな彼女がナリシフィア達メイダース家の為に心を砕いているのが、平民マリアに関することだった。
「問題はマリア様です。せっかくナシーリア様の機転で、早い内から婚約を成していただき、行動に慎みを持っていただこうとしたというのに。全く効果が見られません」
「マリア様ご自身は、悪気があるわけではないようですけれど」
ログランテ魔法学園は、毎年一定数の平民を受け入れており、魔力が水準を上回る者として魔法に関する知識や魔力の扱いについて学ばせていた。
実力があれば城での働き口を斡旋されたり、跡取りのいない貴族の養子縁組が組まれることもある。貴族は下賜された宝具の維持・管理も義務なので、その責務を全うさせる為、血縁でなくとも優れた魔力保持者を跡取りに据えることが許可されているのだ。
また、魔力の高い者は婚姻相手としても引く手あまただ。
いかに恋愛結婚が主流といえども、高位貴族は高位貴族同士で縁付くことが多い。下位貴族にしてみれば高嶺の花だ。
しかし平民であれば、下位貴族でも手が伸ばしやすい。
もし高い魔力を持つ、誰にでも人懐こい警戒心の薄い平民の女性がいれば、どうなるか。
途端に争奪戦が開始され、学園内の風紀が乱されかねないのだ。
ナシーリアの機転というのは、そんな可能性を秘めた少女、マリアに早々に婚約者を身繕い、争いの火種を無くすことだった。
現在マリアには、トラバンス・カタヴィロスという婚約者がおり、卒業後に婚姻をすることとなっている。
マリアに兄の良いところを洗脳のように聞かせ続け、2人の間を取り持ち、お互いが自然と惹かれあうように仕向けた手腕は、見事としか言いようがなかった。
しかし、婚約者を持ったとしてもマリアの本質は変わらない。
「それにしても、ドゥトイエ・ヴァンドレール公爵令息にまで粉をかけているというお話が、わたくしどもの学年まで響いてくるのですが」
貴族としての常識がなかなか身に付かず、人との距離が大変近いのだ。
感謝を伝えるのにも大袈裟に感動し、屈託ない輝く笑顔を惜しげもなく振る舞う。おまけにマリアはとんでもなく美少女だった。
本人にその気がなくとも、彼女に惹かれる男性陣は後を絶たない。
因みに、ドゥトイエ・ヴァンドレール公爵令息とは現宰相の子息である。
ナリシフィアの記憶によれば、特別親しくしている様子は見られていない。
「同じ組割りですからね。接点もありましょう。ヴァンドレール様は生徒会副会長でもありますし、気にかけておられるのかもしれませんね」
マリアが争いの火種になりかねないことは、生徒会でも気付いているはずである。監視対象としていてもおかしくはない。
ナリシフィアはドゥトイエの冷静沈着な顔と、その級友の様子を思い浮かべて、心配ないと頷いた。
「それにアマリリス様が、婚約者のある身なのだから慎みを持つように、と嗜めてくださっているご様子です」
「まぁアマリリス様が?どの口が言っているのでしょう」
「口が過ぎますよ」
「あら、失礼しました。しかし、毎日恥も外聞もなく殿下に言い寄っておいでなのに、“他領の宝具は劣って見える”とはよく言ったものです」
他領の宝具は劣って見える、という言葉は諺のようなものだ。どの領民も自領の貴族が管理する宝具こそが、結界の宝具の次に至高、という考えを持っており、他領の宝具は「悪くはないが、うちほど優れちゃいない」と欲目で見てしまうのだ。実際はどの宝具も効果が違い比べられるものではなく、優劣などないのだが、そうは捉えず思い入れをしてしまう。
そのことから、自分のことが客観的に見られていない、同等の扱いなのに気付いていない、という意味となっている。
ナリニティアの痛烈な皮肉に、ナリシフィアは困り顔をつくった。
「アマリリス様も悪気はないのですから。それに、殿下も強く遠ざけておられないので、思惑あってのことでしょう」
「虫避け、でございましょうね。さぞや快適なことでしょう。お一人をいなしていれば、あとは言い寄ってくる者もなく政務に専念できますものね」
酷なことをなさいます、とナリニティアが冷笑を浮かべる。
アマリリスはコートマール公爵家の令嬢だ。数ある令嬢の中でも最も高貴な彼女が、隠すことなく懸想し日参している相手がサヴェンヒェル皇太子殿下である。
未だ婚約者の居ないサヴェンヒェルに想いを寄せるのは彼女の自由だが、肝心の皇太子本人はアマリリスを丁寧に且つ、穏やかに笑顔で毎回あしらっている。
普通ならば、そんな対応ばかりされれば心が折れるというものだが、アマリリスはめげない。他の令嬢を牽制しつつ、サヴェンヒェルの空き時間を僅かでも見つければ、独占しにかかるのだ。
高位貴族であるアマリリスが牽制すれば、下手な令嬢は自分を売り込みには行けない。
ましてアマリリスへの対応を見ているだけで、並の令嬢なら尻込みしてしまう。
「わたくしでしたら、慕ってくる令嬢をそのように扱われる殿方はご遠慮したいものですが。ナナリディア様は本当に見る目がない」
再び自分の義理の妹へ話題の矛先を向けるナリニティア。
対してナリシフィアは酷く冷静に、それでいて心配げに首を傾げる。
「私はそれを察せないアマリリス様も、貴族として致命的であると判断せざるをえないのですが。引き際を弁えずに振る舞うことは、ご自分の首を締めるだけでは済みません」
現に、結婚適齢期を迎えているにもかかわらず、アマリリスに婚約の打診は1つもないという。
公爵令嬢ともあろうものが、このままではいい笑い者となってしまう。
それでも、まだ諦めないのだ。
「アマリリス様がいる限り、殿下が想い人と相愛になられることは難しいと、わたくしは愚考してしまいますが」
「その認識は、間違いではないでしょうね」
愛を育ませようとしても、邪魔をされる未来しか見えない。
相手の少女を見つけたとして、メイダース家が後押しして、相愛になってもらえるように働きかけるつもりではあるが。果たして取り巻く環境を整える程度で、何とかなるのだろうか。
肩をすくめるナリシフィアと、「それでは相手を見つけても意味がないのでは……」と顔をひきつらせるナリニティア。
そもそもサヴェンヒェルがアマリリスを遠ざければ済む話だが、恐らく彼にその気はない。アマリリスに好きにさせることで彼女の行動に衆目を集め、自分の真意には目が向かないようにしているのだろう。
自分たちの役割を達成したいのに、行く先に暗雲がかかっている。
それぞれに打開策はないかと考えを巡らせつつも、最良の答えが見出だせないまま、侯爵家の馬車は学園に到着したのだった。
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やっと次こそは殿下と友人達が出せます……想定より長くかかりました……。