メイダース侯爵家
晩餐に珍しく家族が勢揃いしていたことで、ナリシフィアは嫌な予感を覚えていた。
シャンデリアのかかる高い天井。家族全員が座ってもまだ余裕のある、白いクロスの掛けられた長方形の大テーブル。その中央には果実の盛り合わせや、花の活けられた花瓶が置かれ、色味を計算されているのか部屋の雰囲気から浮かない程度に、上品に整えられている。
決して華美ではなく繊細な彫り模様の施された華奢な椅子は、ゆったりとした背もたれがついているが、背筋を伸ばして正しい姿勢を保つナリシフィアはそれを活用することはない。
家族全員が洗練された動作でカトラリーを操り、余分な音は一切たてずに食事は進む。
やがてデザートが出揃って晩餐も終わりに差し掛かろうというところで、メイダース侯爵ダンヴィリードが口を開いた。
「ところでナリシフィア、守備はどうだ?」
入り口から一番遠い席、窓を背にして座る壮年の紳士が、何気ない風を装って問いかけてくる。
くすんだ灰色の髪を総じて後ろに流して整髪剤でまとめることで、軟弱に見られがちな印象を少しでも年相応に近付けようと努力している。顔立ちは整ってはいるが、メイダース家の特徴である所謂地味顔で、ぱっと人目を引くようなものではない。
それでも声には家長としての威厳があり、彼の言葉で部屋の空気が変わった。
少し緊張感を孕んだ空間に、父上、と咎めるような声が上がる。
「今話すようなことではないでしょう。食後に執務室にシフィーを呼んだらいいことです」
発言をしたのは侯爵から見て左手の席に座る、長男カルディナントである。華はないが上品な顔立ちをしており、一見して優男である。社交界ではその気品溢れる佇まいと穏やかな声音で、密かに年下の女性達から人気を集めている。
髪の色は濃い青灰色で、琥珀の瞳は少し黄色味が強めに出ている。
彼はその外見に反して怜悧な思考と性格の持ち主で、社交場以外では冷ややかな態度をとることが多い。
今も父である侯爵を冷たく睨み据え、淡々と言葉を連ねる。
「元々のシフィーに課せられた役目から逸脱したことをさせているのですよ。頼んだのは父上です。頼んだからには、情報の扱いや報告のやり取りには、もっと配慮すべきでは?」
「あらどうして?家族しかここには居ないのだから、いいじゃない。私は聞きたいわ」
答えたのはカルディナントの向かいの席、侯爵から見て右手に座る壮年の女性である。
蜂蜜色の髪を編み込んで高く結い上げ、ふっくりと柔らかそうな白い肌と、毒気のないニコニコした顔で見る者を和ませる外見をしている。
着ているのは外出着よりは華やかさを抑えてはいるが、充分な洒落もののドレスで、濃い青色も似合っている。彼女の美的感覚が優れていることは証明しているが、空気を読むことに関しては正反対の評価を下さなければならない。
「母上、使用人もいます。いえ、それよりも。お役目に携わっていない母上とナナリディアには、聞く必要のない話題なのです」
「酷いわ、ルディ。使用人も家族みたいなものよ。それに、確かに私はメイダース家のお役目がよく解らないけど、この家が凄い所だってことは知っているのよ。この家の一員であることに誇りを持っているの。だから何か聞いたとしても、考えなしに周りに言いふらしたりはしないわ」
母親であるパールシーアは、比較的新しい伯爵家から嫁いできたのだが、特にどこの派閥にも肩入れしなかった結果、中立派という状況になった貴族家の出である。
事業によって多大な貢献を国家にしたことから爵位を得た家であった為、領地経営に精を出すことはあっても、あまり社交界での情報を集めることに関しては熱心ではなかった。
故に、メイダース家のことは「凄く古い血筋の由緒ある侯爵家で、あんまり国民に知られてないけど巫女を有していて、国の為に色々なことをしてて他の貴族から頼られている」という、ぼんやりした認識をしていた。
本来なら家の中のことを取り仕切ったりしなければならないので、侯爵夫人ともあろう者がこのようにふわふわしていてはいけないのだが、メイダース家には独特の風習も多く、なかなか身につかないようだった。
幸いにも、離れに“ナフィリシア”が居る為、困った時には判断を仰ぐなどして凌いでいた。
そのせいで余計に“ナフィリシア”の存在に甘えているのかもしれないが、侯爵夫人は全く気にした様子もない。
恥じ入るどころか僅かに胸を反らし、自分も知る権利があるのだぞと言わんばかりのパールシーアの隣で、末の娘であるナナリディアも主張した。
「わたくしだって、今年貴族院を卒業したらお役目に携わりますわ。いえ、寧ろわたくしこそを、サヴェンヒェル様の側妃にすべきなのですわ。メイダースの血の重み、貴さを理解し、受け止めているわたくしこそが一番その役目に相応しいのです!こう言ってはなんですが、お姉さまは前時代的な考え方であまり目立つことを好みませんし、見た目も地味でいらっしゃいますもの。側妃とはいえ皇家に嫁ぐなんて、見劣りしてしまいますわ」
貴族院とは、貴族の子息子女が10歳から15歳までの期間学ぶことを定められた学校である。
算術や母国語、歴史や国の文化、音楽、芸術、舞踏、所作、他国や友好国に関する知識、言語、等の魔法以外のあらゆる知識を学ぶ場所だ。大抵の貴族は家で個別に家庭教師がつけられ、既にそれらは習得済みであることが多いので、貴族院では学問よりも社交に力を入れる者の方が多い。
親の言い付けであることも多いが、自発的に取り組む者もあり、将来の為の人脈作りに勤しんでいるのだ。
貴族院内では魔力の使用を禁じられており、魔法具の所持も認められていない。魔法に関することは、一律ログランテ魔法学園のみで学ぶことになっていた。
そんな貴族院で、ナナリディアは血筋の確かさと賢さ、美しさを理由にちやほやされているらしく、態度にも表情にも自信がみなぎっていた。
白銀の髪は見せびらかすかのように背中にたらし、明るい琥珀の目は勝ち気な光を宿す。元が整った目鼻立ちではあったが、化粧によってより華やかに大人っぽくなるように工夫され、装いも鮮やかな赤を好む。およそメイダース家の者とは思えないような目立ち方をするナナリディアに、母以外の家族は全員、頭が痛いとばかりに溜め息を堪えた。
「ナナ、お前が皇太子殿下の側妃に召し上げられることはない。諦めなさい」
厳しい表情と口調で、侯爵は再三に渡る通達をする。
それでも納得がいかないようで、ナリシフィアを親の仇のように睨み付ける。
「わたくしの方がサヴェンヒェル様を理解して差し上げられますわ。だって、こんなにお慕いしているのですもの。義務感だけのお姉さまなんかより、よっぽどお力になれますわ!」
挑戦的な目を真向かいから差し向けられ、ナリシフィアはおっとりと微笑み返す。
それがダメだということを、何度説明しても末の妹は理解しないのだった。
「ナナリディア様、差し出がましいようですが、貴女様に側妃のお役目は務まりませんよ。お姉様以上にそのお役目に沿うことが出来るであろうお方を、わたくしは存じ上げません。無理なものは無理と、いい加減受け入れられてはどうですか?」
呆れた表情をしながらも、声は嗜める色合いを濃くして、ナリシフィアの左隣の少女が発言する。
髪の色は水色。瞳は橙色と、この家の色味ではない。
しかし振る舞いは気品に溢れる淑女のもので、気後れもなく堂々としたものである。
「この家の問題よ!分家は黙っていなさい」
「お言葉ですが、皇家と国の行く末に関わる問題です。勝手に問題を小さくお纏めになりませんよう」
「ナナリディア、ナリニティアの言う通りだ。それとティアはれっきとしと我が家の一員だ。僕の大事な妹だ、お姉様と呼べとまでは言わないが、礼を尽くせ」
ナリシフィアの正面と左隣の少女達が言い合いをしていると、兄であるカルディナントも参戦する。
水色の髪の少女はナリニティアといい、その優秀さを買われて、分家から本家であるメイダース侯爵家に養子になることを求められたのである。
歳はナリシフィアより2歳下で、ナナリディアから見れば1歳年上となる。
しかし己の血筋に誇りを持つナナリディアは、本家の生まれではないナリニティアの存在を受け入れられないようだった。
カルディナントは優秀な人間の方が好きなので、実の妹のナナリディアの愛称は決して呼ばない癖に、ナリニティアの愛称はあっさりと呼んでいた。言い分としても、ナリニティアの主張の方を日頃から推している。
4人兄妹の中で、ナナリディアだけがなにかと考え方や行動が浮いていた。
原因として考えられるのは、パールシーアの褒めて伸ばす教育なのだが、本人の資質と皇太子に対する恋心も大幅に影響を与えている気がした。
まだ1度も直接会ったことのない皇太子殿下を親しげに名前呼びし、自分と一目会えば血筋が確かな者同士惹かれ合うに違いない、と信じているきらいがあった。
いっぺんに登場人物が増えました。
しかも似た名前ばかりで申し訳ありません。
しかし世界観的に逃れられないのです。
ダンヴィリード・メイダース→家長。侯爵。
パールシーア・メイダース→侯爵夫人。
カルディナント・メイダース→嫡男。次期侯爵。
ナリシフィア・メイダース→長女。何もなければこのまま巫女。皇太子の出方次第で側妃。
ナリニティア・メイダース→次女。分家からの養子。優秀。
ナナリディア・メイダース→三女。末っ子にして自信家。皇太子が好き。
ということになっています。