建国神話と“休眠”
メイダース侯爵家はメイダース領に広大な豪邸を構えているが、聖都にもそれなりの規模の庭付きの邸宅を所有していた。
屋敷は白い壁と紺色の屋根で、あまり華々しくはなく、品のある造りとなっている。
庭に咲くのはクレマチスやデルフィニウム、ラベンダーのような控えめな花達だが、淡色の色味で一体感のある庭園となっていた。
その庭の石畳を馬車がまっすぐ通過し、正面玄関に着く。
中から痩身の紳士が侍従に伴われて出てきたのを、2階の窓から確認すると、ナリシフィアは鏡台の前に再び腰を降ろした。
「今日のお父様のご帰宅は常になく早いのですね」
「旦那様も他の貴族からの追及をかわすのに、お疲れになってしまわれたのではありませんか」
「期待を持って帰宅いただいたとすれば、何の成果もあげられず、ご報告すべきことが無いのが心苦しいですね」
「お嬢様が気にやまれることはありませんよ。本来ならこのような真似を、お嬢様がする必要などないのですから」
侍女に髪を整えられながら話題にするのは、ここ数年のメイダース家共通の悩みに関することだった。
メイダース侯爵家第2子にして、長女のナリシフィア・メイダースは、自分が公的な存在であることを物心ついた時から自覚していた。
それ故に、自らの行動や言動には何よりも気を遣い、淑女の手本としてあるべく努力し、貴族として国や皇家の為となるよう最優先に心掛け、己を律して生きてきた。
それくらい他の貴族でも行っている類いのものと思われがちだが、メイダース家のそれは他貴族の比ではない。
私を滅し、全てを国に捧げる生き方は、つまり行動規範も物事の取捨選択も、総じて私情を一切差し挟まないという。究極の国家主義と言えた。
それというのも、群を抜いてメイダース家が特殊な立ち位置にあるのが原因だった。
メイダース家は建国の当初から存在する、由緒正しい家柄と血筋を持つ貴族である。
現在は直接的に政治に参画することはないが、派閥間の均衡を保つことや、皇家にとある方向に特化して仕える形で、確かな地位を得ていた。
この国、ナタースヒリア皇国は、神の末裔であるヴェスタジア皇家の治める安息の地である。
神の末裔ということについて説明するためには、国の成り立ち、建国神話について語る必要がある。
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現在皇国のあるこの地は、もともとは生物の存在しえない不毛の荒野であったという。
他種族より迫害を受けた祖先達が辿り着いた、唯一の逃げ場であった。
人々は創造の神であるトヴァヒコル神をかねてより信奉しており、どんなに辛い時でも毎日熱心な祈りを欠かさなかった。
その中には巫女としての力を持つ娘が居て、人々の祈りを神に伝える役割を果たしていた。
その巫女ナフィリシアがある日、トヴァヒコル神より御告げを賜った。
「ザヴァンサイド・ヴェスタジアを王と成し、この地に国を建立せよ。その暁には、我が娘であり豊穣の女神ナタースヒリアをザヴァンサイドの妻として与えよう」
御告げを聞いた人々はすぐにザヴァンサイドを王に据え、崇め讃えた。
すると雲に覆われていた空は晴れ間が差し、大地が鳴動した。
次いで、巫女の身体を借り、神が朗々と語り出す。
「そなたらの信心に応え、我は顕現した。この国に宝具をしんぜよう。この不毛の地は、我が娘が降り立てばたちまち緑に変じるだろう。我への信心を忘れず、我が娘を永劫大事にするがよい」
そして神の手には、いつの間にか大きな玉が抱えられており、ザヴァンサイドはそれを受け取り、言われるままに魔力を込めた。
すると結界が荒野を覆い、国民を守る不可視の壁となった。
トヴァヒコル神はその様子を満足げに見守り、天に帰っていった。間もなく、豊穣の女神ナタースヒリアが現れる。
女神ナタースヒリアの力により、大地には緑が芽吹き、澄んだ水が涌き出した。
大地に緑が満ちたことを喜ぶように、夜空にいくつもの星が降り、明るくきらめいた。
ザヴァンサイドは跪き、ナタースヒリアに感謝の言葉と誓いを捧げた。
「私が喜びを得られるのも、こうして皆から期待を得ることが出来るのも、全てはあなた様のお力によるものです。これからずっと共に歩めることを幸福に思います。あなた様への感謝と愛の証しに、この国の名にナタースヒリア様のご尊名を拝借致したく思います」
「よろしいでしょう。許します」
「これは永劫違えることのない、絶対の誓いです。なにを於いても大事に致します」
女神ナタースヒリアと皇帝ザヴァンサイドは、幸せそうに微笑みあうと手に手を取って互いを慈しんだ。
そして、ナタースヒリア皇国千年の繁栄が始まるのである。
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このように、建国神話は国民に広く伝えられている。
因みに『手に手を取って互いを慈しんだ』という表現には、睦みあい子孫繁栄に努めたという意味合いが隠されており、幼い子供にも読みやすい内容となっている。
そして初代皇帝ザヴァンサイドと女神ナタースヒリアが、星降りの夜に誓いを交わしている姿が書かれているのは、今で言う結婚式を執り行ったということを表している。
実際の建国神話には、迫害の歴史や苦難の放浪が切々と、神の降臨と神々しさ、皇帝に対する賛美が長々と書き連ねられているのだが、子供向けならばこの程度にサラッとした内容である。
つまり皇家には女神ナタースヒリアの血が、脈々と受け継がれている、ということは動かしようがない事実なのだ。
その証明として皇家の直系のみが、自身の名前にナタースヒリアの名を入れることを許されていた。
そしてトヴァヒコル神から賜った宝具もまた、皇家が保管、管理し続けていた。
宝具により展開された結界は、今も尚国土全域を覆い、外敵や魔物の侵入を阻んでいる。
その結界を維持するために、皇帝は定期的に魔力を宝具に注ぎ続けなければならず、常に発動状態にある宝具は数十年か数百年の内に劣化し、修復の為の魔力を必要とするようになる。
しかし結界の宝具に魔力を注ぐことが出来るのは、皇帝陛下と皇太子殿下のみである。
例外として一緒に魔力を注ぐことが出来るのが、皇后陛下と皇太子妃殿下となる。彼女達はあくまで補助としての役割が出来るだけであり、単独では魔力を注ぐことができない。皇帝陛下と皇太子殿下が居てこその補助である。
そして、その4者以外の者が魔力を注ごうとすれば宝具に魔力は弾かれる。それでも更に無理を通して魔力を注ごうとすれば、宝具は損傷されるという。
歴史書のおよそ900年前の記述には、こうある。我こそが皇帝たらんと兄に反意を持った第3皇子が、兵を率いて謀反を起こし皇居を制圧した。王の証として結界の宝具に魔力を通そうとしたが弾かれ、更に魔力を込めたことで宝具が損傷された、と。
また700年程前には、病床にある皇帝の負担を少しでも減らそうと、当時皇太子だった皇子を含め5名の皇子が協力し、結界の宝具に魔力を込めようとしたが、皇太子以外の魔力は弾かれ、宝具は損なわれたと記述が残っている。
それ以降、定められた者以外が結界の宝具に魔力を込めようとすることは固く禁じられ、管理も一層厳しいものとなったという。
では、損傷されてしまった宝具はどうなったのか。
それは当時の皇太子が“休眠”を行い、修復したのである。
“休眠”というのは字の如く、長い眠りに就き、ひたすら宝具に魔力を注ぎ続けることなのだが、詳しいことは皇帝とその帝位を継ぐ者しか知らないことになっている。その伴侶となれば詳細を説明されるだろうが、一臣下には知りようもないことである。
メイダース家が頭を悩ませているのは、この“休眠”に関する事であった。
現皇太子が“休眠”に就くのは、ログランテ魔法学園卒業から1年後と、かねてより決まっていた。
それは、本来なら早めに婚約者を定めるべき皇太子になかなか想い人が現れず、学園卒業後すぐにでも“休眠”を執り行いたいところを、妥協した結果だった。
学園で、もしかしたら運命の出会いがあるかもしれない。
臣下達はそう期待を抱いたのだ。
皇太子に想い人が現れたからといって、すぐに婚約、成婚に至るわけではない。
まず相手の家柄や素性を調べ、人となりを確認し、問題なければ周囲に根回しをした後婚約を結び、貴族達に広く婚約を発表するため夜会を開催する。
更に婚約後、皇太子妃としての教育を行い、品位、教養、政事に関する知識を磨いてもらう。
婚約期間は最低1年を見積り、その後、全国民に知らしめる為にも、盛大な結婚式を執り行う。
その後、夫婦揃って“休眠”に入ってもらい、宝具の維持という重大な公務に取りかかってもらうのである。
何故夫婦であることを求められているかというと、魔力は互いを想い合う者同士なら高め合うことが出来る、と立証されているからだった。
1人で練った魔力よりも、恋人もしくは夫婦間で協力し、合わせたものの方が何倍にも膨大だったからだ。
この法則を最初に発見したのは750年程前のことらしい。
とある低位貴族の男爵が、皇帝より下賜されていた宝具で地を均すよう命を受けたが、1人では宝具が発動しなかった。青くなる男爵を落ち着かせようと、妻が宝具を手にしたままの男爵の手に自らの手を添え、励ましながら魔力も僅かに譲渡した。すると宝具は輝きを放ち、期待以上の働きをしたという。
そのことがきっかけとなり、魔力に関する研究が始まり、魔法省やログランテ魔法学園が作られることとなり、今日に至る。
魔力は宝具を発動させるには欠かせない原動力であり、多いに越したことはない。
注ぐ魔力が多ければ、修復にかかる時間も短縮出来るのである。
大事な皇太子の将来の為にも、国の未来の為にも、“休眠”はできるだけ短い期間で済むように取り計らいたいのが、臣下の総意である。
しかし、皇太子であるサヴェンヒェル・ナタースヒリア・ヴェスタジアには、未だに婚約者が居ないのであった。
ブクマ、評価、ありがとうございます。 まだ話が殆ど書けていない状態なのに、有り難いです。