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プロローグ

人払いをされた執務室で、ナリシフィアは一人の青年と執務机越しに相対していた。

青年は一見すると黒髪だが、光を透かすと紺色にも見える不思議な色合いの髪の持ち主だった。

瞳は明るい灰色で、その目は常に穏やかな微笑みを湛えている。

白磁のようにすべらかな肌と、誰もが見惚れる完璧な美貌。

彼はゆったりと肘掛けに頬杖をつき、座り心地抜群の椅子の背もたれに背を預け、ナリシフィアの言葉を待っていた。

自然と、ナリシフィアの背筋に緊張が走り、立ち姿をより完璧なものにしようと力が込もる。それは幼少の頃より身に染み付く、礼節を重んじるが故の反射だった。


「殿下、意中の方はおられるのでしょうか?」


とうとう口にした。

自分より上位の者に対する畏怖と、一抹の後悔に押し潰されないように、ナリシフィアは表情は微笑、態度は悠然としたものに固定したまま、先方からの返事を待った。


「いるよ。でも教える気はない」


案外あっさりと返ってきた回答は、しかしまだナリシフィアに緊張からの解放を許してくれないものだったのだ。

普通に考えれば当然の返事だった。

日頃ろくに会話を持たない級友から、いきなり好きな人を教えて欲しいと請われるのだ。

教えたくないと思うのは、至極真っ当で正当な反応だった。

向こうに落ち度はなに一つとしてない、普通ならば。

しかし生憎、青年もナリシフィアも、普通という枠組みに収まれる家柄や身分ではないのだった。

それ故にナリシフィアは無粋と知りつつ、不躾な問いを重ねざるをえないのだ。


「それは、何故でしょうか?」


どこか笑い含みに、青年はナリシフィアの表情を観察している。

いつもの穏やかで、正統派王子様と認識されるようなものではなく、ナリシフィアの反応を見て楽しんでいるかのような、嗜虐的とも捉えられる類いのものである。


「今それが知れたら、相手はわたしと婚約させられて、“休眠”までに婚姻を結ばれるだろう。そうすれば、一緒に数年間を、下手をすれば十年以上を“休眠”に費やさなければならなくなるだろう?」

「そうでしょうね。何か問題が?」

「そなたは他人事だから、何とも思わないのだろうが。年頃の娘が花の盛りを、いつまで続くかも知れない期間眠りに費やすなんて、堪えられないことだと思わないかい?」


静謐。

青年の声を表現しようとしたら、そう言い表した方がいいかもしれない。

ぼそぼそとしてよく聞き取れないというわけではない。

逆なのだ。

よく通る艶のある声は、聞く者の耳に外界の音を一切意識させない。その声しか耳に入らない、そう思わせる。

まるで世界から二人だけが切り取られて、余計なものが全く介在していないような、そんな錯覚をさせられるのだ。

何年もそれを耳にしてきたナリシフィアは、しかしそれが自分に向けられている状況に初めて陥り、呼吸が苦しくなりそうな程の圧迫感を覚える。

それでも思考は明瞭なままだ。

どう説得して、目の前の青年の頑なさを崩すべきか。

最良の言葉を選びとれるよう、細心の注意を払う。


「そうでしょうか。(わたくし)でしたら、そのような機会に恵まれることがありましたら、皇国に誠心誠意お仕え出来る栄誉を賜ったのだと、誇りに思いますが。その役割を成し遂げた暁には、一族の誉れともなりましょう。大変喜ばしいことです」


礼儀には反するが、敢えて扇子で口元を隠さず微笑みを見せつければ、相手はじっとナリシフィアを見つめ、しばし黙り込んだ。


「……本当にそう思うのか?」


青年はナリシフィアから視線を逸らさないまま、背もたれから背を離し机の上で両手を組む。

はい、とそつなく返事をしながら、ナリシフィアは気付かれない程度に、安堵の息を吐いた。

どうやら少しは話してもらえる空気になったようだ。


「そこまで言うのなら、ナリシフィア。わたしと賭けをしよう」

「賭け、でございますか?」


想定していなかった単語の登場に、表情にこそ出しはしなかったがナリシフィアは怪訝に思った。

まさかそのまま賭博のようなものを持ちかけられることはないと思うが、一部の生徒間では流行りの兆しを見せていると聞く。

まだ噂の段階で調査を始めたばかりの為、実態を掴めてはいないが、もしそれに通じる何かなのであれば、品行方正な皇太子にあるまじき提案である。


「そうだ。もしそなたが勝てば、わたしは正直に、誰をわたしの唯一と決めているのか白状しよう」

「ありがとうございます」

「喜ぶのはまだ早い。もしそなたが負ければ、そなたにも相応の報いを受けてもらう」

「報いとは、一体どのような?」


賭け自体からしてどんな提案をされるのか緊張しているというのに、更に突きつけられる条件とは一体どういったものなのだろうか。

微笑みを絶やさないまま内心では身構えるナリシフィアに、青年はとても良いことを思い付いたと言わんばかりの、心底楽しげな笑みを浮かべた。


「そなたは目立つことが苦手であったな。もし賭けに負けたら、卒業式典はわたしのエスコートで参加し、一緒に一曲踊ってもらおうか」

「……本気でございますか?」


卒業式典は通常の学園行事とは違う。

2人が現在在籍しているログランテ魔法学園は、他国からの生徒の留学も受け入れていた。この国における魔法の在り方が他国とは違うものであるため、研究目的での留学者が毎年一定数いるのだ。

その為国王だけでなく、親交のある他国からの使者の列席もあるのだ。

それは学内の式典という扱いではなく、完全なる公的な場所と言える。

そんな場所でエスコートされるということは、周囲にそういう関係だと周知する意味合いが強くなってしまう。


「ああ、出来るか?」


彼は公的な場所にナリシフィアを引っ張り出すことで、彼女が婚約者のように扱われていると周囲に錯覚させ、皇太子になるべく早く婚約をさせたい者達を煙に撒こうとしているのだ。

覚悟を試しているかのように、青年の瞳が意味ありげに光る。

ナリシフィアは暫し逡巡(しゅんじゅん)した後、ゆっくりと頷いた。


「……お受け致しましょう。それで、賭けの内容はどのようなものでしょうか?」


ナリシフィアの立場上、公的な場で皇太子にエスコートされたとしても、一応言い訳は立つ。

それに賭けに勝てば何の問題もないと判断できた。


「簡単なことだ。夏の夜会までにわたしの意中の者を当て、わたしに認めさせることだ」


夏の夜会、と口の中で呟いてナリシフィアは時間が少ないことを(さと)る。

今は最終学年たる第3学年が始まっており、もうすぐ春を終えようとしている頃だった。

夏の夜会は夏期長期休暇の始まる前日、1学期の最終日に行われる。全学年を参加対象としたその夜会は、貴族間の顔繋ぎというよりはお見合いの意味合いの強いものだったのだ。

顔繋ぎならば既に貴族院で充分に行われており、魔法学園入学前に必要な相手とは(よしみ)を結んでいる者が多い。

それよりはまだ婚約者の定まっていない貴族達が、高い魔力を有する者や優秀な生徒と学年を越えて出会う場を提供し、子孫を絶やさぬようにすることで繁栄の一助とする、というのが目的となる。

相手探しなどナリシフィアには全く無縁なことだが、毎年気を張りながら参加している学園行事だ。


「本当におられるのですよね、そのお相手は」

「心外だな。わたしが嘘をついているとでも?」

「いえ、失礼致しました。その方は学園におられますか?」

「もちろん、生徒だ。そなたも知っている」

「左様でございますか。同学年でしょうか?」

「ナリシフィア、ちゃんと考える気はあるのか?今までわたしの事を陰ながら観察していたのだろう?その実績があるなら、わざわざわたしから聞き出そうとしなくとも、自ずと答えは見えてくるはずだ」


可能な限り情報を引き出そうとしたナリシフィアだったが、相手は呆れたように待ったをかけてきた。

いや、呆れて見せているのもわざとらしい仕様なのだ。

現にその瞳はずっと笑みを絶やさず、ナリシフィアの反応がある度に愉悦に似た色を浮かべているのだから。


「別に観察というわけではありません。見守らせていただいていたのです。……承知致しました。夜会までに意中のお相手、見つけさせていただきます。確かに、お約束致しましたよ」


敢えて嫌な表現方法をしてきた青年に、ばつの悪い思いを抱えながらも訂正させてもらう。

同時に、ナリシフィアの一族の特性上、皇家の人間がこちらに良い印象を持っているはずがないことを熟知もしている。

要件が済めば早々に立ち去るべきだろう。

話も終盤だ、時間を取ってもらえたことに対する感謝の言葉と淑女の礼で立ち去ろうとしたナリシフィアだったが、それは叶わなかった。

あろうことか青年が椅子から立ち上がり、その尊顔をナリシフィアのそれに寄せてきたからだ。

とっさのことで身動きが取れず呆然とする中で、ひたりと、至近距離で目を見据えられる。

至高の彫刻のように麗しいつくりの美貌よりも、銀細工のような繊細な輝きを持つ瞳に、魅入る。


「そなたこそ、わたしの予定を狂わせたのだ。生半可な気持ちではなく真剣に、自覚を持って取り組むように」


低く耳に心地よいあの静謐が、どこか妖艶な含みを持って耳に滑り込んでくる。

ぞわりと、肌が粟立った。

その声が届いた途端ナリシフィアは初めて、湛える微笑みを消し、大きく目を見開いたのだった。





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