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09話

 火縄銃好きのマリシェ姫のために、俺は授業計画に体育の時間も組み込んでいる。

 体育といっても実態は軍事教練だ。

 もちろん俺に軍事教練なんかできないので、ここはロイツェン公国の軍人たちにお願いすることにしている。



 俺が宮殿の廊下を歩いていると、向こうからロイツェン近衛将校の制服を着た女性が歩いてきた。

 腰にサーベルを吊り、さらにマスケット銃兵たちが使う弾薬ポーチをベルトにつけている。

 黒髪を短めに切りそろえており、凛々しい表情や軍服と相まって男装の麗人といった印象だ。



 彼女は俺を見て歩みを止めると、びしっと敬礼した。

 確か彼女は騎士階級、つまり下級貴族の出身だよな。

 俺も下級貴族ではあるが、大公の計らいで客分待遇だ。ロイツェン貴族のルールでは、客分の貴族は形式的には結構偉いことになっている。

 身分の差を考慮し、こちらは立ち止まって軽く一礼した。

「おはようございます、クロツハルト殿」

「おはよう、ええと……」



 彼女はロイツェン大公爵家の銃術指南役、つまりは射撃教官の一人だ。

 マリシェ姫が射撃に夢中になったので同性の射撃教官が必要になり、近衛連隊の中から急遽抜擢された。つい先日の話だ。

 つまり俺と同じ、急拵えの教官だった。

 一度会っただけなので、名前が思い出せない。



 すると彼女は敬礼したまま、堂々と名乗りをあげた。

「ハンナ・リッヒハウゼント・フォルトライネン・シュナイツァーであります、クロツハルト殿」

 長い。長すぎる。思い出せない訳だ。

 リッヒハウゼントが洗礼名みたいなヤツで、フォルトライネンが母方の家系で、シュナイツァーが父方の家系だよな。

 覚えきれる気がしないぞ。



「すまない、シュナイツァー殿」

「ハンナで結構ですよ。名前が長いもので、上官も大公様も、皆そのように呼ばれます」

「ありがとう、ハンナ殿」

 助かった。

 ロイツェン人の名前を覚えるのは苦手だ……。



 彼女は真顔のまま、俺をじっと見つめている。

「クロツハルト殿、少しよろしいか?」

 なんだよ、怖いんだけど。

 美人に真顔で見つめられるのは結構怖いんだが、かといって逃げ出す訳にもいかない。

「何かな、ハンナ殿? 話があるなら射撃場で聞こう」

 俺はなるべく悠然と歩き出し、彼女を射撃場に連れ出す。



 射撃場の建物に入るなり、ハンナは俺に詰め寄ってくる。

「納得いきません」

「何が?」

「貴殿の指導方針です。公女殿下の銃に、火縄銃を指定されておいででしょう?」

 ははあ、その件か。



 俺がどう説明しようか考えている間に、ハンナはヒートアップしていく。

「ロイツェン軍では火打石銃が主流です。旧式の火縄銃の扱い方をわざわざ殿下に教授するのは、何か含むところがおありなのでは?」

 ハンナは女性としては長身で、俺と身長があまり変わらない。そう睨まれると怖い。



 小心者の俺は動揺を隠すために備品の火打石銃を手に取り、火薬と鉛玉を詰めながら時間を稼ぐ。

 落ち着きを取り戻した俺は、こう答えた。

「なるほど、ハンナ殿は火縄銃では不服か」

「不服と言いますか、せっかくですから最新式の火打石銃をお使い頂きたいのです」

 最新式といっても、こんな銃じゃなあ……。現代日本だと、どっちも古式銃だぞ。

 とは思うが、彼女は姫の教官で俺の同僚でもある。

 ちゃんと説明しておこう。



 俺はもう少し落ち着く時間を稼ぐため、的に向かって引き金を引いた。火打ち石が火花を散らし、それが点火薬を着火させる。

 一瞬遅れて轟音と共に銃弾が放たれ、的を射抜いた……のなら非常に格好良かったのだが、あいにくと的をかすめて外れる。

「見たかな?」

「ええ、ひどい腕です」

 いや、そうじゃなくて。

 俺の射撃が下手なのは、アマチュアだから当たり前だ。



 俺は喉まで出掛かった言葉をグッと飲み込み、穏やかな笑顔で応じる。

「ではどこがまずかったか、説明を」

「はい。引き金を引いた瞬間、照準が大きくブレました」

「そう、それだ」

 俺はわざと的を外したような顔をして、うんうんとうなずく。



「火打石銃は引き金を引いたときの衝撃が大きい。撃鉄の火打石をぶつけて火花を散らし、それで着火するのだから当たり前だがな」

「まあ……そうですね。かなり強いバネを使いますから」

 その瞬間、ハンナはハッとした表情になる。

「もしかしてクロツハルト殿は、公女殿下の腕力を考慮されたのですか?」

「そうだな。それもある」



 俺は火打石銃を置き、今度は火縄銃を手にした。

「火打石銃は撃発時の衝撃がかなり強く、照準が狂いやすい。一般の銃兵は隊列を組み、一斉射撃で敵の隊列に撃ち込むから問題ではない。一発の銃弾で戦争の勝敗が決まることはないからな。だが、姫の場合は違う」

 今度は火縄に着火すると、俺はそれを火縄銃に取り付ける。



「姫が銃を構えるときとはつまり、暗殺などで御身が狙われるときだ。おそらく護衛もほとんど期待できないだろう。一発外せば終わりだ。ほんの少しでも命中率が高い方がいい」

「な……なるほど……」

 額にじわりと汗を浮かべ、ハンナは納得したようにうなずく。

 しかし彼女は、こうも問いかけてきた。



「確かに火縄銃は火花を起こす必要がありませんから、弱いバネで着火できます。それに引き金を引いてから発砲までが早く、一瞬の勝負に向いているのも事実です。ですが、あまりに不便ではありませんか?」

「不便かな?」

「いや、だって火種が必要なんですよ? 雨が降っていたらどうするんですか?」

 不安そうなハンナ。



 だがこれは想定内の質問だったので、ほっとした俺は笑う。

「姫はいつも屋内にいるし、屋外にいるときは常に複数の護衛がつく。危険なのは屋内でくつろいでいるときだ。そして姫がくつろがれる部屋には大抵、暖炉や燭台がある」

 だからまあ何とかなるだろう。

 それとこれは姫には絶対に内緒だが、火縄銃の方が暴発の危険性が低い。火縄をつけない限り、撃鉄が落ちても暴発しないからだ。

 あの姫様に銃を持たせるのが一番のリスクだからな。



 ハンナは少し考えていたが、やがて恐る恐る俺に尋ねた。

「まさか本当に、刺客相手の訓練をお考えなんですか? 狩りや戦の練習ではなく?」

「狩りのやり方なんか成人してからゆっくり覚えればいいし、戦争で姫が前線で指揮を執ることもないだろう」

 そういうのは将軍たちの仕事だ。

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