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08話

 俺は腕まくりしてボウルに卵を割り入れ、シャカシャカ混ぜる。

 料理長と一緒に、それをのぞき込んでくる姫。

「オムレツ?」

「ええまあ、オムレツに似ていますね」

「私、オムレツも嫌いよ? 聞いてなかったの?」

「オムレツではありませんので」

 オムレツではない、卵焼きだ。



 すると姫は腕組みして、「むー」と唸る。

「オムレツに具を入れてごまかしてもダメよ? 私、いろいろ入ってる料理って好きじゃないから」

 めんどくさいお姫様だなあ。

「具は入れません」

 俺はフライパンを温めながら、フッと笑う。



 姫は味のついていない卵料理はお嫌いらしいので、味付けにブイヨンを使うことにした。

 個人的には昆布だしが好みだが、ロイツェンには昆布も鰹節もない。

 そもそも、海産物のだしは姫の口に合わないだろう。

 ということで、ブイヨンの鍋から少しばかり汁をもらう。

 きっとこれ、ご飯が進む味になるな……。



 ブイヨンと溶き卵を混ぜたら、俺はそいつをフライパンに流した。

「何よ、やっぱりオムレツじゃない。ブイヨン味のオムレツでしょ? まあ……悪くなさそうだけど」

「オムレツとは少し違いますよ、姫。ていうか集中してますので、少し黙ってて下さい」

 フライパンで卵焼き作るのって初めてなんだよ。



 溶き卵の一部をフライパンに流して、薄く焼く。

 それからフライパン全体と木ベラを使い、慎重に巻いていった。ああ、専用の卵焼きフライパンが欲しい。

「何してるの、これ?」

「だから少し黙ってて下さいよ……っと」

 よし、少し崩れたけど巻けた。



「溶き卵、余ってるわよ?」

「まだ終わってませんから」

 俺は溶き卵をフライパンに追加する。

「焼いた卵の下にも溶き卵を流し入れます。こうすると、新しい卵もくっつきますからね」

 焼いたらまたくるくる巻いていく。

 よし、できた。



 俺はブイヨン味の卵焼きを皿に盛りつけ、厨房のテーブルに取り皿を置いた。

「できました。これが私の祖国日本の家庭料理、『卵焼き』です」

「タマゴヤキ……?」

 料理長と姫は顔を見合わせ、それから卵焼きを見つめる。

 料理長が好奇心を抑えきれない様子で聞いてきた。

「クロツハルト様、試食してもよろしいですか?」

「もちろん」

 プロに食べてもらうのは、ちょっと緊張するな。



 料理長は長い卵焼きをナイフで手際よく等分し、取り皿に少しずつ盛りつけた。さすがはプロだ。

「では殿下、お先に失礼いたします」

「え、ええ。ちょっと怖いからお先にどうぞ」

 姫がうなずくと、料理長は卵焼きを食べた。



 ど……どうでしょうか。

「ふむ……」

 料理長はフォークを手にしたまま、うんうんとうなずいている。

「なるほど……」

 だからどうなの?



 同じことを姫も思ったらしく、彼女は取り皿を手にした。

「わ、私も食べてみるわね」

「どうぞどうぞ」

 うまくいくといいんだが。



 すると姫は一口食べるなり、あっと驚いた表情をした。

「あ、これおいしい」

 よかった!

 大見得を切った以上、これで口に合わなかったら大恥かくところだった。

 やれやれだ。



 姫は感心したように卵焼きを見つめる。

「これは薄焼きを巻いてるから、厚みがあっても中まで火が通ってるのがいいわね」

「姫は半熟がお嫌いですが、薄くて食べにくいのも嫌なんでしょう? だったら、こうでもしないとお口に合いませんよね」

 本当にめんどくさい姫君だ。



 姫はブイヨン卵焼きをもぐもぐ食べていたが、やがて意を決したように顔を上げた。

「これ、自分でも作れるようになりたいわ」

「ほほう」

「だってこれを作れるのは、クロツハルト卿だけでしょう? あなたがこの国を去ってしまったら、もう食べられなくなるもの」

 そんなに俺の手料理を気に入ってくれたなんて、ちょっと嬉しい。

 でも心配しなくても、ここの料理長なら俺より上手に作れるよ。



 そう優しく言おうと思ったのだが、その次の言葉で俺は考えを変える。

「それにこれぐらいなら、練習したら私でも作れそう。だって溶いた卵を焼くだけでしょ?」

 これだから初心者は。

 卵料理は意外と難しいんだぞ。



 俺は姫に思い知らせてやるために、にっこり笑った。

「では、御教授いたしましょう」

 ひいひい言わせてやる。



 そして案の定、姫は悪戦苦闘していた。

「巻けない!」

「溶き卵をまとめて流すからですよ。私は二回に分けていたでしょう」

「だってめんどくさいもの!」

 めんどくさがってちゃダメだろ。



 一方、料理長は早くも卵焼きをマスターしていた。

 綺麗に巻いて、もう俺より上手に卵焼きを作っている。

 日本の板前が作るような本格的な卵焼きには遠く及ばないが、それでも家庭料理の水準は遙かに超えている。さすがはプロだ。

「料理長がもう作れるようになりましたし、姫はいいんじゃないですかね」



 わざと意地悪して言ってみたが、マリシェ姫はぶんぶんと首を横に振る。

「公女たるもの、一度決めたものを途中で撤回したら示しがつかないでしょ! 満足できるものが作れるまでやる!」

「立派な心がけだと思いますが、でしたらめんどうくさがらずに丁寧に作って下さい」



 俺はオーブンの中を見る。長時間の調理のせいか、火力が落ち始めている気がした。

 案の定、炭が白くなって火が弱まってる。

「卵も肉も、タンパク質と呼ばれるものでできています。これは摂氏六十度ぐらい……あー、つまり火傷を負うぐらいの熱さでなければなりません」

 首を傾げる姫。

「火傷?」



「我々の体もまた、タンパク質でできているからですよ。例外はないのです。毎回フライパンを触って火傷する訳にもいきませんから、油の広がり具合などで判断できるよう経験を積みましょう」

 料理も科学同様、実践と分析だ。



 俺はオーブンの横にあったバケツを指さし、マリシェ姫に告げる。

「では姫、炭を足して下さい」

 そのとたん、その場にいた料理人やメイドがぎょっとした表情になった。

「ク、クロツハルト様!?」

「公女殿下に炭など……」



 触れるだけで手が汚れる炭は、貴族が触れるべきものではない。

 バケツからスコップですくい、暖炉やオーブンにくべる作業さえ、使用人がするものだ。

 俺も自分が何をやっているかはわかっているが、これもいつか必要になるかもしれない技術だ。



 マリシェ姫は俺個人はともかく、俺の授業内容に対しては一定の信頼を置いてくれているようだ。

 今も不審そうな顔はしているが、反抗したり怒ったりする様子はない。

「クロツハルト殿、私に何を覚えさせたいの? それ、料理だけじゃないでしょ?」

 気づかれてたか。



「ついでに少し、火の扱いを学んでいただこうと思いまして。姫は火縄銃の名手であらせられるでしょう?」

 名手というにはまだまだ早いが、生徒の自信とプライドは大事にしてあげたい。

 姫はちょっと頬を染め、こっくりうなずいた。

「うん。まあね」



 俺は思わず笑みを浮かべてしまい、そのまま説明を続ける。

「火種の扱いに慣れていないと、思わぬところで不覚をとるかもしれません。そのときに後悔しても手遅れですから、今ちょっと練習しておきましょう」

「なるほど」

 マリシェ姫はふんふんとうなずいて、それからニカッと笑う。

「わかった、やってみるわね!」



 成り行きを見守っていた使用人たちから、安堵の溜息が一斉に漏れた。

 そんなにドキドキしてた?

 姫は感情の起伏が激しいけど、決して暴君でも愚鈍でもない。

「えっと……あれ? 火が着かないわね……」

 腰を屈めて背中とおしりをもぞもぞさせながら、姫は真剣な表情でオーブンに炭を足している。

 早くも手と頬が煤だらけになっているが、そんなことには全く頓着していない様子だ。



 この子はまだまだ伸びる。

 俺は確信を持って、そして背後から姫の手を取った。

 マリシェ姫が驚いたような声をあげる。

「あっ……!?」

「姫、物が燃えるには相応の熱さが必要です。あまり動かすと逆に熱が逃げ、火が消えてしまいますよ」

 俺は子供の頃にバーベキューをした記憶を思い出しながら、炭を火に寄せる。



「熱は上に逃げる性質を持ちますから、火の上に炭を置きます。ただし風の流れを止めると火が弱まってしまいます。火も呼吸をしていますの……で……?」

 なんか姫の様子がおかしいな。

「姫、どうなさいましたか?」

「なな、なんでもないわよ……」

「そうですか」

 暑そうにしてるけど、輻射熱のせいか。

 さて、炭の性質についてもう少し説明しないと。



 ただし俺の説明が悪かったのか、炭火が見た目より火力を持っていることは、うまく伝わらなかったようだ。

 今後は銃を撃つとき、火縄の点火から始めてもらうことにしよう。

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