表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
70/73

33話


 俺は思わず問い返したが、女帝ディオーネは真顔だった。

「あなたの学識と人柄は、今の会話ではっきりとわかりました。軍人でもないのに、百戦錬磨のビュゼフ将軍を戦わずして退けたのも納得がいきます」

「あれは貴国の戦争計画自体に、最初から無理があったからです。私は何もしていませんよ」

 聖灯教パルネア派をそそのかしたりなんてしてないよ?



 俺は知らん顔をしてみせたが、ディオーネは真剣そのものだ。

「あなたはロイツェンの生まれではないのでしょう? ならば、どこの国に仕官しても構わないはずです。グライフに来なさい。あなたの為に新たな侯爵位を創設し、広大な領地も用意しましょう」

「お断りします。ロイツェン大公ベルン殿下には恩義がありますし、何よりも私には公女殿下の教師としての責任があります」

 姫は俺が無事に帰ってくることを祈っているはずだ。それを無視して俺がグライフに寝返るなんて、この人は本気で思ってるんだろうか。



「ディオーネ陛下。私は大した人間ではありませんが、やってはいけないことの区別ぐらいはつきます。ロイツェンを……いえ、マリシェ殿下を裏切ることなど絶対にできません」

「その言葉を聞いて、ますますあなたが欲しくなりました。グライフ帝国の発展に力を貸して下さい。あなたがグライフ側でロイツェンとの関係を良好に保ってくれれば、戦争にもならないでしょう」

 しつこいな。ていうか、俺なんか引き抜いてどうするんだ。



「私は陛下が思われているような人材ではありません。どうか御容赦下さい」

 俺が重ねて固辞すると、ディオーネはようやく引き下がった。

「やはり無理ですか……。クロツハルト殿ほどの方が、主君や生徒を裏切るはずがありませんね。仕官の件はあきらめましょう。非礼をお許し下さい」

「いえ、私こそお誘いをお断りして申し訳ありません」

 予想外すぎる展開だったから本気でビビッた。



 俺は小さく咳払いをする。

「陛下、風が冷たくなってきました。そろそろ戻りませんか?」

「ええ、そうしましょう」

 寒冷な地方なので、夏でも夕暮れには冷たい潮風が吹いてくる。油断すると風邪をひきそうだ。

 俺はついでに、女帝陛下に申し上げておくことにした。



 ティーソーサーの模様をちらりと見た後、俺はディオーネを見つめる。

「これは要素を分解させていますが、元々は『妖華紋』ですね。相手を萎縮させる『凶狼紋』や『白狐紋』ではなく、高揚させる『妖華紋』を選ばれたのは良かったと思います」

 今回のような交渉で最も危険なのは、萎縮して黙ってしまうことではなく、勇み足で余計なことを言ってしまうことだ。

 それを狙ってきたのは、やはりグライフ帝国の手強さだろう。



 俺は苦笑する。

「ただ、私はロイツェンの生まれではありませんので、ロイツェン式の紋章術は通用しません。紋章術は国籍ではなく、生まれ育った文化圏によって作用の可否が決まるのです。貴国の紋章官の不手際ですな」

 この世界で全く異なる文化圏に移住することは希なので、そういう例外のことを失念していたのだろう。



「とはいえ私に効く紋章術など、この世界のどこにもありません」

「クロツハルト殿、それはどういうことですか?」

 女帝の質問には答えないとまずいだろうが、俺にもどう答えていいのかわからない。

 正直に言ってしまおう。

「私はこの世界の人間ではないのですよ、陛下」



 ディオーネが言葉を失ってしまったところで、俺は恭しく一礼した。

「では陛下、私はこれにて。良いお茶会でした」

 風邪引きそうだから早く部屋に戻ろう。



   *   *   *



 クロツハルトが帰った後、ディオーネは無言で池の水面を見つめていた。夕暮れが迫ってくる。

「陛下、そろそろ部屋に戻りましょう。冷えますよ」

 そう言って現れたのは、海軍のカルニーツァ提督だ。背後に海軍陸戦隊の兵士を数名連れていた。

「こいつらも休ませてやろうと思うんですが、どうせなら上等なワインの一瓶ぐらい賜り……陛下?」



 ディオーネは頬杖をついたまま全く身動きせず、小さく溜息をつく。

「他に方法は……ないのでしょうか」

「何の話です?」

 海賊提督の問いかけに、女帝は顔を上げた。そして穏やかな口調で告げる。

「あなたに命じたいことがあります」



   *   *   *



 全ての日程が無事に終わり、俺は随行員と共に帰国することになった。

 スツートニク港に停泊するロイツェンの高速戦艦「銀翼号」に乗り込む為、俺は護衛たちを連れて埠頭に向かう。

 とりあえずの条件はまとめたから、後は大公に丸投げしてしまおう。どうせ詰めの調整は俺には無理だ。条件ひとつひとつに、調整に適した専門的なスタッフがいる。



 ハンナが隣でささやく。

「クロツハルト殿、警戒して下さい」

「わかってるが、どう警戒すればいいんだ」

 どうしようもないよな。どっちかというと、覚悟を決める方だろ。



 俺たちが埠頭に到着すると、背後からグライフ兵が現れた。彼らはずらりと横に並ぶが、見送りの雰囲気ではないな。こういうときに動員される近衛の儀仗兵ではなく、海軍陸戦隊の制服を着ている。実戦部隊だ。しかも百人ほどいた。

 こちらの護衛のロイツェン兵三十人が全員、ぴたりと足を止める。俺も立ち止まった。



 そこに海軍のカルニーツァ提督が現れる。

「悪いが、ちょっと待ってもらおうか」

 ほらきた。俺は彼に背中を向けたまま、無愛想に応じる。

「俺の仕事は終わった。帰らせてもらう」

「そうはいかねえよ」

 カルニーツァ提督が指をパチンと鳴らすと、グライフ海軍陸戦隊が全員銃を構えた。



「無礼者!」

 ロイツェン護衛隊のハンナ隊長が叫ぶのと、三十人のロイツェン兵が銃を構えるのが同時だった。

 グライフ兵とロイツェン兵は、三十メートルほどの至近距離で互いに銃口を向ける。撃てば当たり、当たればまず助からない距離だ。

 しかも陸地から微風が吹いており、海側にいるロイツェン兵は射撃すると発砲煙で何も見えなくなる。不利だ。

 俺は背中を向けたまま、肩越しに言う。



「ここまで話し合いを進めておいて、今さら騙し討ちか。貴国は損得勘定もできないと見える」

「そうじゃねえ。ここでてめえをブッ殺すことに、それだけの戦略的価値があると認めたのさ。誇っていいぜ?」

 冗談じゃないよ。そんな価値ないよ。おうち帰りたい。



 俺は内心で頭を抱えたが、ここでかっこわるい真似をしたら歴史に汚点を残す。もうやけくそだ。

「誰が認めたんだ?」

「全員さ。まさかビュゼフの爺さんと意見が合うとは思わなかったぜ。もちろん陛下もな」

 ああ、これもう絶対死ぬヤツだ。一緒に来てくれたみんなに悪いことしちゃったな。俺は覚悟を決めて遠い目をする。



 しょうがない。せめてかっこよく死んで、この世界の歴史に名前を残すか。どうせ死ぬんなら煽りまくってやる。

「で、お前の大事な皇帝陛下は高みの見物か」

「そりゃ……」

 カルニーツァ提督が笑いかけたが、次の瞬間に彼は慌てた声をあげる。

「おっ、おい!? いや、陛下!?」

 え? ここにいるの?



 俺が振り返ると、視線の先には女帝ディオーネがいた。今日は軍服を着ている。すかさずロイツェン兵が女帝に狙いを定めた。

 しかしディオーネは平然と前に進み出る。

「クロツハルト殿。これが最後です。グライフに来なさい」

 しつこい。だがこれを断れば、本当に俺を殺す気だというのも理解できた。殺したくないから、執拗に勧めてくるのだ。



 気持ちは嬉しいが、答えはひとつだ。俺は教え子を裏切らない。

 俺は空を見上げる。この青い空の向こうに、マリシェ姫がいる。俺の帰りを待ってくれているだろう。

 それが叶わなくなったことを詫びる。

「マリシェ姫……申し訳ありません」



 それを聞いたハンナは全てを察して無言でうなずき、そしてカルニーツァ提督も何か勘違いしたらしくニヤリと笑った。

「やっと言うことを聞く気になっ……」

 そうじゃないよ。

「私はマリシェ殿下の家庭教師です。爵位や銃弾で師弟の絆を断ちきれるとお思いになるな、ディオーネ陛下」

 きっぱりと言ってやった。



 グライフ兵の銃口が俺に狙いを定めるが、俺は夢の中にいるような気持ちで特に何も感じない。

 思えばこの世界に迷い込んでからずっと、不思議なことばかりだった。だが、とても楽しかった。

 楽しいまま死んでいこう。

 俺は女帝に笑いかけた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2018年1月25日にMFブックスより書籍化されました。
Amazonでも好評発売中!
※このリンクは『小説家になろう』運営会社の許諾を得て掲載しています。
漂月先生の他の作品はこちら
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ