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07話

 マリシェ姫について理解が深まるにつれて、「この子の教育って大変なんじゃないの?」という疑惑が深まってきた。

 そして今も、俺はそれを感じている。



「姫、なんて無様な食べ散らかし方ですか」

 今日の講義について相談に行った俺は、朝食中のマリシェ姫を目撃する。

 大公家の朝食は意外に質素で、白パンと半熟卵、それに昨夜の残りのシチュー。後は新鮮な果物かドライフルーツがつく。

 もっともこんなものが朝から食べられるのは富裕層だけで、庶民の朝食はボソボソの黒パンだけだ。それにチーズ一切れか冷えたスープでもつけば、まあまあ悪くない暮らしといえるらしい。

 俺は貴族で良かった……。



 朝から優雅に小麦粉のガレットなど食べてきている俺は、マリシェ姫の遅い朝食をじっと見つめる。

 白パンとシチューは綺麗に平らげてる。フルーツもだ。

 問題は半熟卵だった。

 俺は溜息をつく。



「黄身でベチャベチャじゃないですか」

 すると両手を黄色く染めた十五才の少女は、世にも情けない声でうめいた。

「だって半熟卵嫌いだし……」

「嫌いでもいいですから、せめて綺麗に食べられませんか? 会食でそれをやったら、姫の評価がまた下がりますぞ」

「『また』とは何よ! 『また』とは!」

 ぷんすか怒っている姫だが、別に俺を処罰したりはしないのが彼女のいいところだ。

 一応、言われても仕方がない身だというのは理解しているらしい。



 白磁のエッグスタンドに半熟卵を乗せ、スプーンですくいながら姫は嫌そうな顔をしている。

「白身は許せるけど、黄身がベチャベチャなのは嫌……」

 子供か。

「じゃあ固茹でにしてもらえばいいじゃないですか」

「固茹ではモソモソして嫌……」

 本当に子供みたいだな。



 マリシェ姫はスプーンを置くと、壁際に控えていた侍女に視線を送る。

 彼女の母親ぐらいの年頃の侍女は、無言でうなずくとトレーを下げた。

 どうやらギブアップらしい。

「ちゃんと食べないと健康に良くありませんよ」

「健康だからいいの」

 良くない。

「それに姫、料理を作ってくれた人に悪いですよ」

「別にいいもん。作ったのは使用人だもん」

 む?



 俺は一瞬、眉をひそめる。

 今の発言、良くないよな?

「使用人が作ったものなら、粗末にしても良いと?」

 俺がじわりと語気を強めると、察しのいいマリシェ姫はひきつった笑みを浮かべた。

「な、なによ? 悪い?」

「良いとは申せませんな」

 こりゃ勉強の前に教えないといけないことが出てきたぞ。



 俺は歴史の講義を延期して、姫を厨房に連れていった。

「クロツハルト卿、何をするの?」

「今日の教室はここです」

 料理人や料理女中たちが目を丸くしている中、俺は厨房を見回す。

 当たり前だが、電子レンジもガスコンロもない。



 それでも最新型の炭オーブンはあった。

 中で炭を燃やして、天板やグリル室で煮炊きをする最新設備だ。非常に高価な代物で、豪商や貴族しか持てない。

「姫、あれを御覧なさい」

「なにあれ」

「オーブンですよ。中で炭を燃やして、その熱で調理をするんです。非常に手間のかかる代物ですよ」



 一瞬で着火できて火力調節も容易なガスコンロと違い、火を熾さなければならない。

 炭は安定した火力が売りだが、火を熾すのが大変だ。それに時間が経てば次第に燃え尽き、火力が落ちる。逆に急に火力を強くすることもできない。

 火力の強い場所と弱い場所を作って、フライパンの方をあっちこっちにずらして火力調節する。慣れが必要だ。



「姫が食べ残した半熟卵について、料理人に聞いてみましょう。えーと……そこの方」

 料理長の帽子を被っている太ったおっさんが、迷惑そうな顔で首を傾げる。

「わしですかい? わしは料理長のパッチェンです、貴族様」

「どうも、私は公女殿下の家庭教師のクロツハルトです。パッチェン殿、姫に半熟卵の作り方を教えて差し上げてください」



 不思議そうな顔をしている料理長を、俺はいいからいいからと急かす。

 ロイツェン大公家の厨房を取り仕切るパッチェン料理長は、公女殿下にぺこりと一礼してから説明を始めた。

「まず小鍋に湯を沸かします。沸いてから卵を入れないと、茹で加減がわかりませんので。それからこの砂時計を一回、これは半熟卵専用の特注品です」

 あ、いいなあ。欲しい。



 料理長は砂時計を手に取ったが、説明はまだ続く。

「卵の大きさで茹で時間が変わりますんで、この砂時計も完璧じゃないです。細かい部分は慣れです」

 腕組みして仏頂面で説明を聞いていたマリシェ殿下が、やれやれといった具合に訊ねる。

「それでできあがり?」

 しかし料理長は首を横に振った。



「茹でた後、今度は水にさらして冷やします」

「なんで?」

「卵の薄皮を剥きやすくするためですよ、殿下。それにほっといたら、余熱で黄身が固まってしまいますんで」

 さすがに大公爵家に召し抱えられている料理人たちのトップだけあって、茹で卵ひとつにも手間ひまかけている。

 まあ、それぐらいは俺もやるけど。



 俺は姫に向き直り、どうだわかったかと言わんばかりに問う。

「いかがですか? 熟練の料理人が、これだけ手間をかけて作っているのです。卵にしても、健康な鶏が産んだばかりの新鮮なものを厳選しているのですよ。粗末にしてはいけません」

 俺の言葉に、マリシェ姫は唇をへの字に曲げてしぶしぶうなずく。



「わかったわよ、次からは我慢して食べるわ……」

「我慢?」

 料理長が思わず言葉を発して、慌てて口を閉ざした。

 平民の使用人が、貴族の会話に口を挟むのは厳禁だ。

 しかし俺は笑顔で続きを促す。



「いいんですよ、料理長。驚いたでしょう?」

「え、ええ……。まさか殿下が、半熟卵をお嫌いだとは思いませんでして……」

 落ち込む料理長を見て、マリシェ姫は少し気まずくなったらしい。

 おずおずと口を開く。



「あ、あのね……。卵料理、全部苦手なの」

「全部ですか……」

 いい歳したおっさんが泣きそうな顔になってるぞ。

 料理長かわいそう。



 しかし料理長もプロ中のプロだ。ぐっと表情を引き締めると、姫に質問する。

「固茹でもダメですかい?」

「うん。ベチャベチャもモソモソも嫌い」

「目玉焼きも?」

「黄身のとこはゆで卵と同じでしょう? ベチャベチャかモソモソだもの。それにあのペラペラ薄っぺらいのが食べにくいからイヤ」

 確かにフォークだと、目玉焼きは少し食べにくいかもしれない。

 でもロイツェン人は幼い頃からずっとフォークで食べてるんだから、これは単に姫が不器用なだけだ。



 料理長は諦めない。

「オムレツはいかがです?」

「食感は嫌いじゃないけど、味がしないからあんまり……」

 ロイツェンの伝統的なオムレツは塩だけで作るからな。具も入らない。

「あと、具が入ってるオムレツも嫌いなの。味が混ざるっていうか」

 具を入れてもダメか。

 やっかいだな。



 俺がいた日本では世界各国の料理や調理法が伝わってきてて、卵料理ひとつ取っても無数のバリエーションがあった。

 しかしロイツェンには茹で卵と目玉焼きとオムレツしかない。

 そして味付けは全部塩だけだ。

 正直、俺も物足りないとずっと思っていた。



 とうとう料理長はうなだれてしまう。

「わ、わかりました……。今後はもう、殿下のお食事には卵をお出ししませんので……」

「えっ、ほんと!?」

 こらこら、待て。

 栄養が偏るだろうが。



 俺は咳払いをし、喜んでいる姫を制する。

「なりませんぞ。卵は滋養に富み、育ちざかりの姫様にはなくてはならない食材。食べていただきます」

「えー……」

 料理長と姫がまとめてうなだれる。

 並んで落ち込むな。



 しょうがない。ここは俺が一肌脱ごうじゃないか。

 俺はあっちの世界で一番卵を食べる国から来たんだ。

 とはいえ、ここの調理設備じゃ凝ったものは作れそうにないな……。エッグベネディクトとか作れる自信がない。

 後は俺の大好きな煮卵とか……いや、完成するの明日以降だぞ。あと食感の問題が解決してないな。

 うーん、どうしようか。



 あ、そうか。

 俺は解決策を思いつき、姫に告げる。

「では僭越ながら、このクロツハルトが祖国の卵料理をお作りいたしましょう」

「クロツハルト殿の祖国? ニホンだったかしら?」

「はい。日本でございます」

 見てろよ。

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