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32話


 その頃、ロイツェンではマリシェ公女がぼんやりしていた。

「マリシェ様の手番ですよ」

 対面に座っているコレットが言うので、マリシェは視線を盤面に向ける。聖灯教圏で幅広くプレイされているチェスのようなゲームだ。

「うーん……」

 考えるより先に手が動くタイプのマリシェは、悩みながら「戦鬼」の駒を手に取る。



 ぐぐぐっと駒を進めて、マリシェの「戦鬼」がコレットの陣の奥深くに入り込む。

「コレットの『軍師』もーらいっと」

 ニヤリと笑ったマリシェの前で、コレットが淡々と駒を動かす。

「じゃあ『戦鬼』がいなくなったので、『妖姫』を動かしますね」

「ああっ!?」

 将棋の角と同じ動きをする駒が、スルッとマリシェの陣に潜り込んできた。



「うわうわ」

「どうしました、マリシェ様? 応じないと詰みますよ?」

 にこりと笑うコレット。彼女は論理的な考察が得意なので、直感で動くマリシェは分が悪い。

 にこにこ笑っている学友に内心で怖さを覚えつつ、マリシェは唸る。

「えーとこれ……『騎士』で『王』を守ったら『軍師』が取られるし、『王』が逃げても『軍師』が取られちゃう」



 他に何か戦力はいないのかと盤面を舐めるように見回すマリシェだが、この窮地に駆けつけてくれそうな駒はいない。みんな敵陣に突っ込んでいる。

「みんな役に立たない!」

「攻撃一辺倒で本陣の守りが疎かだと、こうなるみたいですね。この本にそう書いてあります」

 定石集を開いてコレットが言うと、マリシェがしょんぼりする。



「なんでたかがゲームに、定石とかあるのよ……」

「戦術の勉強になるからだって書いてあります。先生もそう言っておられましたよね?」

「それは知ってるけど!」

 こんなもん戦列歩兵と大砲で吹き飛ばしてしまえばいいのにと思うマリシェ。



 コレットは盤面を見て、淡々と考察する。

「マリシェ様の駒は連携が取れてませんから、大駒が私の陣地で孤立してますね。小駒は私の小駒で足止めしてますから動けません」

「あー、ほんとだ」

 素直なマリシェはふんふんとうなずく。

「先生が以前仰ってましたけど、兵力が同数でも『役に立っていない兵力』がいると劣勢になるそうです。マリシェ様の今の状態は、まさにそれではないでしょうか」



「なるほどね。これは確かに、実際の戦場でもありそうだわ」

「マリシェ様の駒、こうして見るとほとんど役に立ってませんね。王が丸裸です。『軍師』もこんなに離れてますし」

「せ、攻めどきだと思ったのよ……。攻めきれなかったけど」

 敵の攻勢を誘って陣形を乱しつつ、しっかり防いで反撃に転じたコレットに、マリシェは畏敬の念を覚える。



「コレットは凄いわね。何でも上手にできて」

「でも本当の戦争は知りませんから」

「そっちは私が頑張るわ。戦術も鍛えてね。えーと、ここはとにかく王を守らなきゃ。『軍師』には犠牲になってもらおっと」

 王を逃がしてとりあえずの安全を確保した後、ふとマリシェがつぶやく。

「先生、大丈夫かなあ……」



 コレットは「妖姫」の駒を手にする。

「御無事だといいんですけど」

 そう言って、マリシェの「軍師」の駒を取った。



   *   *   *



 グライフ帝国とロイツェン公国は、パルネアの処遇について何とか合意できた。無事に調印式も済ませたので、何とか戦争は避けられそうだ。

 離宮に用意された豪華な客室でホッとしているところに、女帝陛下のお呼び出しがかかる。なんだなんだ。



 呼び出された場所は離宮の中庭だった。中庭といっても恐ろしく広い。高校のグラウンドより広い。

「クロツハルト殿、今回は御苦労様でした」

 中庭の大きな池のほとりに設けられた東屋で、女帝ディオーネは俺に微笑んでみせた。

 椅子を勧められた俺は緊張しながら着席するが、テーブルの上にはティーセットが用意されている。まさか長時間コースか、これ。



 周囲には他に人影はない。側近も護衛も、それどころか侍女すらいなかった。バカみたいに広い中庭には、俺とディオーネだけだ。

 とりあえずなんかしゃべっておこう。

「陛下の御厚情を賜り、大変感謝しております」

 俺の言葉ににっこり笑うディオーネ。立場のこととか考えないようにすれば、やはり美人だ。



 しかし居心地が悪いな。おまけにディオーネは俺に何かしゃべらせたいらしく、自分からは何も言ってこない。優雅に紅茶なんか飲んでる。

 この場合、俺はどうすればいいんだ。やっぱり俺が会話を主導するしかないのか? この状況で?

 議題も目的もないのに女性と会話するなんて、俺にはできないぞ。

 内心の動揺を押し隠して、俺は紅茶を一口飲む。おいしい。凄くいい茶葉を使ってる。



 少し落ち着いたので、俺は中庭を見回した。

「素晴らしい庭園ですね、陛下。私はこの景色が好きです」

「あら、ありがとうございます。異国の方にもお気に召して頂けて、グライフ人を代表して感謝いたします」

 よーし、なんとか会話できた。

 すると女帝はこう問いかけてくる。



「参考までにお聞きしたいのですが、どこがお気に召したのでしょうか」

 社交辞令なんですけど……。ああ、早くロイツェンに帰って姫と授業がしたい。

 現実逃避の誘惑を振り払いつつ、俺は笑顔で応じる。

「非常時への備えと、平時の暮らしを両立している点です」



 俺は広大な中庭を見回した。

「これだけ広ければ兵をここに集めることができますし、場合によっては畑などを作って長期間籠城することもできます。水源となる池があるのもいい」

「お気づきだったのですか」

「どこの国でも、考えることは同じですから。私の故郷の国……ロイツェンではありませんが、そこでは庭木も燃料や食料にする為に植えられていました」



 本当かどうか知らないが、日本の城に松が多いのは松明の材料になり、しかも実や皮が食べられるからだと聞いたことがある。松の実はわかるとしても、皮なんか食えるんだろうか。

 俺は疑問に思いつつも、こう続けた。

「非常時の備えは怠れませんが、平時の暮らしも大切です。この中庭はとても美しく、心安らぎます。何かモチーフがおありなのですか?」



 するとディオーネはしばらく俺の顔をぼんやり見ていたが、ふと我に返ったようにうなずいた。

「ええ。グライフ帝国のカエトワ地方に伝わる神話がモチーフです。神々の楽園を再現しており、我が帝国の庭園造りでは最もよく見られる形式ですよ」

「大変勉強になります。皇帝陛下から直々に教わることができ、誠に光栄です」

 帰ったら姫にも教えてあげよう。



 女帝が変な顔をしているので、俺は苦笑する。

「申し訳ありません。知らないことを知るのが大好きなものでして。あと、それを誰かに教えたくてたまらなくなるのですよ」

「公女殿下に学問を御教授なさっていると聞きましたが、噂以上ですね。これほどの教官に恵まれ、陶冶された公女殿下に嫉妬すら覚えます」

 そう言ってもらえるのは嬉しいけど、俺が偉い訳じゃない。



「マリシェ殿下はもともと、聡明で意欲的なお方でした。私が力をつけさえたのではなく、元から備えていた力を表に出す手伝いをしただけなのです」

「ですが、それでは歴代の教官たちはその『手伝い』すらできなかったことになりませんか?」

「その通りです。実力を開花させられなかったのは、単に今までの家庭教師たちの責任です」



 外交の席で言う必要もないことだが、他に話題もないので俺はこう言う。

「生徒が成長したからといって、師が自分の手柄のように誇るのは思い上がりだと私は考えています。そんな傲慢な考えだから、彼らはこんな簡単なこともできなかったのですよ」



 そうは言っても、うちの塾も「最高の講師陣!」とか「カリスマ講師たちの授業で成績急上昇!」とか宣伝打ってたな。別に悪いことだとは思わないが、あれは微妙に居心地悪かった。

「失礼しました。教育のことになると、つい冷静さを失ってしまいます」

 俺は苦笑して、すっかり冷めた紅茶を飲む。

 するとディオーネは、急にこんなことを言い出した。



「クロツハルト殿。私の……師になりませんか?」

 えっ!?




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