27話
ビュゼフ将軍と彼の幕僚たちは、ロイツェンの宮殿に与えられた客室で相談をしていた。ビュゼフ将軍が黙っている中、幕僚たちが興奮したようにしゃべっている。
「ロイツェンの公女は、なかなかの切れ者でしたね。予想もしていませんでした」
「最近急に頭角を現してきたとは聞いていたが、まさかあれほどとはな……」
参謀たちも公女との謁見に同席している。よほど意外だったようだ。
「いささか型破りな印象はありましたが、話術の巧みさと機知の鋭さ、それにあの覇気。あれでまだ十代なんですから恐ろしい」
「『ロイツェンの怪鳥』の子は、やはり怪鳥だったか」
「てっきりあのクロツハルトが全てを仕組んでいたのかと思ったのだが、どうも違うようだ」
するとビュゼフ将軍が口を開いた。
「いや、事実はもっと恐ろしいものだろう。クロツハルト卿は一年足らずの間に、公女をあそこまで鍛え上げたのだ」
「情報部の昨年までの機密文書には『マリシェ公女に特筆すべき才はなく、帝国の脅威にはなりえない』とまで書かれていたのですよ。こんな短期間で鍛えて、どうにかなりますか?」
参謀たちは信じられない様子だが、ビュゼフ将軍はきっぱりと言い切る。
「私は学者でも教官でもないので、人材育成について詳しい訳ではない。だがここの人々の話では、クロツハルト卿が公女直属の教官になってから急変したと聞いている」
「そんなに急に変わるものですか?」
軍人たちは下位の将兵を鍛錬するが、それは選抜も兼ねている。心身ともに兵士に適した者をふるい分け、実戦に耐えられる者たちで部隊を組む。
ビュゼフ将軍は目を閉じ、懐かしむような口調になった。
「私が幼少期に絵画を学び始めた頃のことを思い出したよ。当時の私は色使いが下手でね。どうしても平坦な絵になってしまう」
ビュゼフ将軍は貴族でもあり、芸術も一通り嗜んでいる。特に絵画はかなりの腕前だ。
「困っていたとき、画家の先生がこう教えてくれた。『君が白い布だと思っているものを、もう一度よく見なさい。陰の部分は青みがかった灰色だ』とね。その瞬間、目の前が開けたような気分になった」
ビュゼフ将軍は絵画を学び始めてわずか数年で、帝国絵画展に入選している。
「人は何かのきっかけで、急成長することがある。クロツハルト卿の教授がそれを成し遂げたのだろう」
「なるほど……」
幕僚たちはうなずき合い、それからビュゼフ将軍に質問する。
「では警戒すべきはクロツハルトですか」
「そうだな。彼は危険だ。彼は事実上、公女の軍師だろう。それも主君を育て上げながら勝利に導く、稀有な才能を有した軍師だ」
ビュゼフ将軍は深い溜息をついて、大きな手で顔を撫でた。
「そもそも我々がこんな場所にいるのも、彼の仕業だからな。そうだろう、諸君?」
* * *
「そういう訳で、私がビュゼフ将軍に同行してグライフ帝国まで行くことになりました」
俺が大公からの命令書を見せると、姫は案の定ごねまくった。
「なんでよ!? そんなの先生の仕事じゃないでしょ!」
「私、これでも紋章官なんですが」
紋章官は敵地に赴く使者としても使われる。外交官だ。
「もともと、外交の糸口を探ってはいたんですよ。ビュゼフ将軍は事実上は捕虜ですし、本国まで責任を持って送還するのはロイツェンの義務です」
一応、あの人も爵位を持ってる立派な貴族だからね。貴族の末っ子あたりが軍人になったのとは訳が違う。
「ただビュゼフ将軍に陸路での訪問を提案したのですが、復路の安全が保証できないと言われて海路での訪問になりました」
「そんなのどっちでもいいから」
「良くないですよ。せっかくグライフ領をつぶさに観察しておこうと思ったのに。あの爺さん、本当に抜け目がない」
俺に国境地帯のルートを見せたくないのだろう。次回に輸送路を遮断するときの参考になるからな。
しかし姫にとってはそれよりも俺の渡航が問題らしく、俺のコートにしがみついて離れない。
「先生はここにいなさい! 他の人に行ってもらうから!」
「大公殿下の命令書に逆らうつもりですか? だいたい私が行かないと、グライフ帝国も話なんか聞かないでしょう」
ビュゼフ将軍と一番たくさん会話をしたのは俺だ。今の俺は、ロイツェン側の顔になっている。
「万が一、私がグライフで死んでも困る人はいませんし」
そう言うと、物凄い剣幕で叱られた。
「困るに決まってるでしょ!」
「心配しなくても、姫はもう一人で十分やっていけます。あの謁見を見て安心しました」
「そういう問題じゃない! 先生のバカ!」
姫が俺に甘えてるのはわかるけど、俺にも務めはあるんだよ。
「姫、心配して下さるお気持ちはとても嬉しいです。ですが私は今回、パルネアの人々ばかり危険な目に遭わせて戦ってきました。今度は私が危険を背負う番です」
「先生……」
「姫の軍師役として謀略の限りを尽くすのも、なかなかに充実していましたけどね。やっぱり最後は矢面に立ちますよ」
誰が行くかによって、グライフ帝国の反応も変わる。下っ端じゃ無理だ。俺が行かないのなら、姫が行くことになるだろう。それこそ無理だ。
「今はまだ夏です。冬にはグライフの港は全て凍ってしまいますから、それまでには帰ってきますよ」
「本当に?」
「ええ。普通に考えて、グライフが私を殺す理由がありません。外交問題になります」
いざとなれば聖灯教圏が秘密裏に団結することを学んだはずだし、グライフ帝国も今は戦争したくないだろう。
「護衛もちゃんと連れて行きますから、どうか御心配なく。今回はビュゼフ将軍の護衛と同数、三十人も護衛をつけてもらいました。護衛隊長としてハンナも来てくれます」
帝国がその気になれば、三十人程度のロイツェン兵は簡単に消せるだろう。でも姫も多少は安心してくれるんじゃないだろうか。
俺はまだ何か言いたそうな顔をしている姫に、大量の書類を渡した。
「で、これが留守中の課題です。半年分」
「半年!?」
「帰国が遅れたときの用心です。コレットと一緒に解いて下さい。シャロン王女が楽しめるような科学実験も用意しましたよ」
俺がシャロン王女の名前を出すと、姫の動きが止まった。
「シャロン……。そういえば、あの子のこともあったわね」
「はい。パルネアに安全を取り戻し、シャロン王女たちをパルネアに帰国させるのもロイツェンの務めです。そうでなければパルネアの貴族や神官たちが納得しません」
特に神官たちにはさんざん世話になった。そろそろ借りを返す時間だ。
「とはいえ、その為にはグライフ帝国にパルネア侵攻を断念させないといけませんからね。交渉が必要でしょう」
必要な方策は俺じゃなくて大公が練っている。大公しか持っていない情報もあるからだ。
「私はこれから川舟で港まで出て、そこからロイツェン海軍の船でグライフ帝国まで向かいます。そのときに大公殿下にお会いして、いろいろ打ち合わせをしてきますよ。その後、大公殿下は首都にお戻りになられます」
久しぶりの親子水入らずだ。パパに甘えて下さい。
俺は姫に恭しく頭を下げる。
「では少々片づけて参りますので、姫も勉強をおサボりになりませんように」
「わ、わかってるわよ。ちゃんとする。だから……」
姫は俺が作った課題をぎゅっと抱きしめて、俺を見つめた。
「これが全部終わったら、帰ってきてね?」
「はい、そのように力を尽くしますよ」
保証はできないけどね。




