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25話

 俺はビュゼフ将軍が本当に来るか不安だったが、彼はきちんと約束を守った。

 ビュゼフ将軍の身柄を確保した後、俺は同行してきたロイツェン軍に撤収許可を出す。

 ロイツェン軍の師団長が号令をかける。

「総員、ロイツェン領への撤収を開始する! 第三連隊はクロツハルト閣下とビュゼフ将軍の護衛をせよ!」

 元の世界じゃしがない塾講師だった俺も、ここでは軍の警護がつくVIP待遇だ。嬉しい。



 俺は大公家の紋章がついた専用馬車に乗り、ビュゼフ将軍と同席してロイツェンに戻ることになる。彼の幕僚たちも他の馬車に乗ってもらう。

「ではロイツェンに御案内しましょう、ビュゼフ殿」

「……よろしくお願いします、クロツハルト殿」

 俺たちは軽く挨拶して、馬車に乗り込む。ビュゼフ将軍は老齢だが、身のこなしが軽い。油断したら逃げられそうだな。幕僚ごと身柄を確保して正解だった。



 ふと窓を見ると、グライフ兵たちが街道を北上していくところだった。歩兵を引率している士官たちが、馬上でこちらに敬礼している。ビュゼフ将軍も敬礼で応じていた。

 俺は軍人ではないので、敬礼はせずに会釈だけしておく。こういう立場の違いをわきまえておかないと、いつ死ぬ羽目になるかわからない世界だ。



 見た感じ、グライフ兵はみんな疲れ切っている様子だ。

 マスケット銃兵にとって何よりも重要な弾薬も、あまり余裕がないらしい。紙薬莢を入れるベルトポーチの蓋が開いたままの兵も多かった。中は空っぽのようだ。

 するとビュゼフ将軍が俺の視線に気づいたのか、ぽつりと漏らす。

「貴官と話していたとき、私がどれだけ恐ろしかったか、おわかり頂けたでしょうかな」



 ビュゼフ将軍の視点で考えれば、味方は疲弊して弾薬も乏しく、街道を塞ぐロイツェン兵の方が多数だ。しかも森の中には、後詰めの兵まで待機させている。

 この状況でロイツェン軍に喧嘩を売るのは完全な自殺行為だ。

 だがビュゼフ将軍は交渉に来た俺に、そんな苦しさは全く見せなかった。なかなかのやり手だ。



 だから俺は彼に敬意を示して、こう返した。

「恐ろしかったのは私の方ですよ、ビュゼフ殿」

「であれば、私は退役しても詐欺師で食っていけそうですな」

 冗談言うんだな、この人。目が笑っている。

 よれよれのグライフ兵たちが森の奥に消えていくのを見届けてから、ビュゼフ将軍は俺に頭を下げた。



「部下たちの安全を保証して頂けたことに感謝します。どうかこの後も、我が軍に対して攻撃を加えぬようお願いします」

「もちろんです」

 弾薬が乏しいとはいえ、パルネア国内にいるグライフ軍は規模が大きい。ロイツェンの兵力でまともに戦ったら、こっちも絶対に痛手を受ける。



 ここで無理してビュゼフ将軍の軍を壊滅させたとしても、グライフ本国にはまだまだ兵力が温存されている。

 ここは穏便に撤退してもらって、ロイツェンは兵力を温存したい。

 それが俺やロイツェン陸軍の出した結論であり、うちの大公もそれを了承している。

 だから俺はビュゼフ将軍にこう言った。



「戦争はまた今度にしましょう、ビュゼフ殿。できれば永遠に来ない『今度』に」

 するとビュゼフ将軍は驚いたように目を見開き、それから困ったような顔をして首を横に振った。

「決めるのは皇帝陛下です」

「陛下にもよろしくお伝え下さい。国境線を引き直すインクに血を使うのは、私には良い方法とは思えません」



 ビュゼフ将軍は苦笑する。

「その血を流すのが我々軍人の職務なのですが、戦争はお嫌いですか?」

「嫌いですよ。グライフの人々だって家族と平和に過ごしたいでしょう。父や夫や息子が戦死して喜ぶ人はおりません」

 ふーっと溜息をつき、ビュゼフ将軍は額を撫でる。

「戦わずに済むのが理想ですが、その努力は外交官の領域です。軍人の私には何もできません」

 自分の職分に忠実な人なのはよくわかるが、これだと外交的な交渉は難しそうだな。



「ではその辺りの交渉は、いずれ外交官がしましょう」

「そうして頂けると助かります」

 彼はパルネア侵攻の司令官だから、ある程度の外交権限はあるはずだ。だが今回はそれらを使わず、切り抜けるつもりらしい。老獪だな。

 俺は慎重で堅実なビュゼフ将軍がますます気に入ったが、あっちはたぶん俺のことは嫌いなんだろう。あんまり口を開いてくれない。



 馬車は街道をゆっくり東へ進む。ゆっくりなのは歩兵の行軍速度に合わせてるからだ。

 随行員が少なければ馬車と騎兵でもう少し加速できるんだが、護衛のグライフ兵三十人を乗せる馬車がない。こちらの動きを遅くする作戦だ。このおっさん、なかなかずる賢い。

 でもビュゼフ将軍ほどのお偉いさんに自国の護衛がつかないのは外交上おかしいので、俺としては認めざるを得ない。



 ああ、早く帰りたい。ロイツェン料理が懐かしい。

 そんなことを思っていると、ビュゼフ将軍が俺に声をかけてきた。

「外交官ではない私をロイツェンに連れて行ったところで、軍事的にも外交的にもほとんど意味はありません。貴官ならわかっているはずだ。なぜこんなことをするのですかな?」

「ひとつやっておきたいことがありまして」



 グライフ帝国とは今後も領土を巡って争うことになるが、相手が大きすぎて滅ぼすのは無理だ。せいぜい革命でも起きるのを待つしかない。

 長いつきあいになるのは確実なので、今のうちに片づけておきたいことがあった。

 でもそれをビュゼフ将軍に教える必要はないので、俺はニヤニヤ笑っておくことにする。



 すると彼は大きく溜息をついた。

「私は長年、軍人として敵将の思考を読み解くことに力を注いでいました。だが貴官の考えは、どうにも読めない」

「それは単に、私が軍人ではないからでしょう」

「軍人でないどころか、紋章官とも思えない。こんな紋章官には会ったことがありません。あなたは本当は何者なのです?」



 そりゃ決まってる。

「公女殿下の先生ですよ。学問を教える以外は何もできない男です」

「……ふむ」

 ビュゼフ将軍はうなずき、腕組みして窓の外を見る。

「では私は、学問を教える以外は何もできない男に敗れ去ったのか……」

 彼はそう言い、目を閉じた。その口が微かに動く。

「ロイツェン恐るべし」

 車輪の音で聞こえにくかったが、彼がグライフ語でそうつぶやくのを俺ははっきりと聞いた。



   *   *   *



 マリシェ公女が謁見の間で、落ち着かない表情をしている。

「えー……ビュゼフ将軍、お会いできて嬉しいわ」

 姫は視線を左右に動かしつつ、言葉を考えているようだ。

「ロイツェンの国内はどうだったかしら? ロイツェンは子羊の香草焼きが美味しいけど、もう食べた? ロイツェンにしかない特別な香草があって……」

 俺は顔を上げた。溜息をついて立ち上がり、グライフ風の上着を脱ぐ。



「姫、そこまでにしましょう」

「は、はい」

 気まずそうな顔をしている姫。

「子供じゃないんですから」

「ごめんなさい……」

 姫はしょんぼりしてうなだれた。



 姫は今、ビュゼフ将軍との謁見に備えて猛特訓の最中だ。俺はビュゼフ将軍の役をして、謁見の予行演習を指導している。

「いいですか、姫。ビュゼフ将軍は表向きはロイツェンが招いた客人ですが、事実上の捕虜です」

「あ、じゃあ簡単ね」

 何が簡単なの。



 姫は腰に手を当てて胸を張ると、堂々と叫んだ。

「ひざまずきなさい!」

「いや、そりゃダメでしょう」

 俺は手を振る。やっぱりこのお姫様、国外のことになるとまるでポンコツだ。建前上は成人だが、中身は子供だからしょうがない。



「事実上は捕虜ですけど、表向きは客人ですよ?」

「どっちなのよ!?」

「どっちもです。表向きは客人として丁重にもてなしつつも、立場の違いは示して下さい。でないと、苦労して将軍を捕まえてきたロイツェン軍が報われません」

 名誉挽回のチャンスだと大張り切りだったからな。



「姫の外交デビューの初戦として、一番楽な状況を作ったんですよ。これが無理なら大公なんて務まりませんからね」

「一番楽なの?」

 そりゃそうだろう。相手は事実上の捕虜だ。外交の権限がない相手なので、こちらも外交上の要求は切り出さない。

 つまり適当に挨拶して公女の威厳を示せば十分だ。



 ただ問題なのは、このお姫様は威厳ってものがまるでないんだよな。

「はあ……」

「先生、わざとらしく溜息つかないで! 結構傷つくんだから、それ!」

「先生も姫を褒めてあげたいんですけどね。褒めるところがないもので」

「むきー!」

 だから、そういうところなんだってば。

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