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24話

 俺は護衛のハンナと共に、かなりビクビクしながらグライフ軍に向かって近づいていった。俺もハンナも騎乗しているが、グライフ軍にも騎兵がいる。何かあったら逃げきれないだろう。

「クロツハルト殿、本当に護衛部隊連れて来なくて良かったんですか?」

「あっちは七千人ぐらいいるんだろ? 百人連れてきても戦闘になったら全員死ぬだけだ。死人は少ない方がいい」



 今回は本物の戦場なので、俺も腹をくくっている。

「ハンナ」

「はい」

「何かあったら、お前だけでも逃げるんだ。いいな」

「それはできません」

 俺の周りの女性は、俺の言うことをぜんぜん聞かないな。



 ハンナは俺の旗を掲げたまま、にっこり笑った。

「クロツハルト殿と共に死ねるのなら、騎士の誉れです」

「そういう考え方は感心しないな……」

 死人は少ない方がいいって言ってるだろ。

 幸い、グライフ軍は戦う様子を見せていない。警戒はしているものの、紋章官と護衛一人に大騒ぎはしないようだ。



 でも一応、ハンナに聞いておこう。

「紋章官を撃ったらルール違反だよな?」

「はい。紋章官は軍人ではありませんから、攻撃してはいけないことになっています」

「ロイツェン軍でもそう教えてる?」

「もちろんです。ただ……」

 ハンナは真顔で言う。



「撃った方がいい場合は撃つように命じるので、それには従うようにとも教えています」

「ちょっと待て」

「事故だと言い張ることもできますし、交戦中なら流れ弾で勝手に死んだことにすればいいですから」

「待てと言っている」

 どうしよう、俺死ぬんじゃないだろうか。



 どんどん怖くなってきたが、ここで引き返したら今までのお膳立てが全て水の泡だ。俺の立場もなくなる。

 それも怖いので、俺は覚悟を決めて馬を進めた。

 グライフ軍に声が届く距離になったところで、ハンナがよく通る声で叫ぶ。

「こちらはロイツェン公国紋章官、クロツハルト邦爵である! ビュゼフ将軍閣下にお会いしたい!」



 その言葉と同時に、居並ぶグライフ兵たちがザアアッと道を開けた。まるで海を割る預言者のようだ。

 戦列歩兵たちが作る道の一番奥に、馬に乗った老将がいる。彼がビュゼフ将軍か。

 威厳ある老将は軽く会釈し、ロイツェン語で俺を招いた。

「お待ちしていた、『鉤爪のクロツハルト』殿」



   *   *   *



 俺とビュゼフ将軍は街道脇の荒れ地で、テーブルを挟んで腰掛ける。テーブルは軍議のときに使うヤツだろうけど、お偉いさんが使うヤツだけあってなかなか凝った彫刻が施されていた。

 こんな場所で長話は無用だ。俺はすぐに本題を切り出す。

「まず念を押しておきたいのですが、ロイツェンはグライフ帝国と交戦する意志はありませんよ」

「であれば、道を譲って頂きたいのですが。ここはパルネアです」



 俺にとってパルネア人は味方みたいなものだが、ビュゼフ将軍にとってはパルネア人は敵だ。そしてここはパルネア人の土地。居心地が悪いだろう。

 それにグライフ軍は作戦行動中だ。苛ついているのは間違いない。

 でもビュゼフ将軍は皮肉っぽい口調こそあれ、苛ついている様子は全く見せなかった。落ち着き払っている。さすがだな。



 つい同情したくなるので、俺は悪役ムーブで行くことにした。

「我々も苦労して街道を封鎖していますので、そう簡単にお通しはできませんな」

 ビュゼフ将軍は俺をじっと見た後、こう問いかけてくる。

「ではひとつ、聞かせては頂けないか。なぜあのような兵の配置を?」

「もともと、交戦の為の布陣ではありませんので。こちらの所在を教えつつ、いきなり戦闘にならないよう、無い知恵を絞りました」

 半分は本当だが半分は嘘だ。



 今回、俺は一万の兵しか借りることができなかった。ロイツェン陸軍の総兵力はもっとあるが、広い国土に散らばっている。それに国境地帯の兵力を空っぽにする訳にはいかなかったので、この人数という訳だ。

 ただやはり、この規模では少々心許ない。兵力を大きく見せる工夫が必要だ。

 そこで俺は一計を案じてパルネアの聖灯教徒たちにお願いし、後方の森に旗を立ててもらった。



 とはいえ、相手はベテランのビュゼフ将軍。簡単に騙されるはずがない。仕方ないのでもう一工夫した。

 まず最初の軍旗を見せて、「あの旗はただの脅しだ、あそこにロイツェン軍はいない」と思わせる。でも実はロイツェン軍がいるので、相手はびっくりする。

 その次にまた軍旗を見せると、相手は疑心暗鬼に陥って「あそこにも本当にロイツェン軍がいるのでは……」と思う。



 種を明かせば単純なトリックだ。

 でもいくつもの条件が重なった今なら、ビュゼフ将軍にも通用すると思った。彼の責任は重く、そして時間の猶予はない。こうなると名将といえども判断を誤りやすくなる。

 今のところはどうやら騙せているようだが、本当に騙せているのかは俺にはわからない。ドキドキものだ。

 するとビュゼフ将軍が口を開いた。



「なるほど、得心しました。我々軍人は交戦の為に部隊を展開する。だが貴官は軍人ではない。それゆえ、相手を屈服せしめるように兵を使ったのか。お見事です」

「素人は突拍子もないことをするでしょう?」

「さて、貴官は素人でしょうか? 私には手強い軍師、歴戦の用兵家にしか見えないのですが、私の人物眼も衰えたかな」

 ビュゼフ将軍の目は笑っていないが、口元に浮かぶ苦笑は本心らしい。演技には見えなかった。



 俺は好機だと思い、彼に提案してみた。

「閣下だけでもロイツェンに避難されてはいかがでしょうか。マリシェ公女殿下も、閣下にお会いしたいとの仰せです」

 てっきり即座に断られるかと思ったんだが、ビュゼフ将軍はこう返す。

「捕虜という訳ですか」

「いえいえ」



 俺は塾講師時代の営業スマイルをフル稼働させ、にこやかに否定してみせる。

「ロイツェンとグライフは戦争状態ではありません。捕虜などとは誰も思いますまい。ただ、我が国が何を考えているかもおわかりでしょう」

「私は外交官ではありません。一軍人に過ぎんのです」

 わかってはいるけど、立場上まずいからその話題には触れないということか。やっぱり堅実な人だ。



 よし、めんどくさいから強引に連れて行こう。

「もしロイツェンに立ち寄って頂けないのであれば、私はおとなしく引き下がるしかありません。ただ、前方のロイツェン軍の指揮をしているのは私ではありませんので」

「確かに。貴官は紋章官だ」

 そう、俺は軍人ではない。

「ええ。後のことは保証しかねます」



 ビュゼフ将軍は一瞬、鋭い視線を俺に向けた。歴戦の戦士が持つ恐ろしい凄みがあったが、俺はかろうじて微笑みでごまかす。

「さて、どうしますかね?」

「戦う前から捕虜にはなれん。貴官の要求は無茶だ」

 捕虜じゃないって言ってるのに、頭の固いおっさんだな。



「閣下にお越し頂くときは、捕虜ではない証として幕僚や護衛の方々にも同行して頂きたいと思っています。もちろん、武装解除は求めません」

 司令官が一人で大軍を操ることなど不可能だし、細かい作戦を全部立案している余裕もない。だからビュゼフ将軍の配下には戦争の専門家たちがチームを組んでいる。

 将軍にとって幕僚とは、騎士の武具や騎馬と同じだ。上級の管理職だから、やっぱり部下がいないとな。



 ビュゼフ将軍はしばらく黙っていたが、やがて深い溜息と共にこう答えた。

「これ以上、譲歩を引き出そうとしても無駄だろうな。よろしい、要求を受諾しましょう。私は幕僚十一名と護衛三十名をもって、ロイツェンを訪問します。この師団の指揮は師団長に委ねるつもりだが、彼らを無事に通して頂けるのでしょうな?」

「もちろんですとも」

 俺は微笑みつつ立ち上がる。早いとこ自分の軍に戻りたい。



「では閣下、私はロイツェン軍に戻ります。後ほどお迎えをよこしますので、どうかお手柔らかに」

 するとビュゼフ将軍は苦笑を浮かべた。

「それはこちらの台詞だよ、クロツハルト殿」

 いや本心だよ、冷や汗ダラダラだったもん。本職の軍人さんはやっぱり怖い。

 俺はかろうじて平静を保ちつつ、どうにかロイツェン軍の陣地まで戻ることができた。

 さあ、姫の授業を再開しよう。いい教材を捕まえたぞ。

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