23話
「ビュゼフ将軍は有能な指揮官です。グライフ軍がパルネアの各都市に現れた日付を調べてもらったら、とんでもない進軍速度でした」
俺は姫にパルネアの地図を示した。主要な都市に日付が書き込まれている。これもパルネアの聖職者たちが提供してくれた情報だ。
それを見た姫が眉をひそめる。
「これ、戦闘しながら行軍してるのよね?」
「ええ、パルネア軍がほとんど足止めになっていないのがわかります。通りすがりにぶん殴って、そのまま進軍してますね」
それでパルネア軍は壊滅してるんだから、物凄い強さだ。
しかし首都制圧後は、急に動きが鈍る。
「軍というものは集合しているときは強いのですが、分散すると弱くなります。また、動いてるときよりも、止まっているときの方が弱いとされます」
「グライフ軍は今、辺境各地の制圧の為に分散してるのよね。で、主力は首都にいて動いてない……って考えればいいのかしら。つまり今は、侵攻時よりも弱い状態?」
「その通りです。さすがですね、姫」
「えへへ」
俺は姫の笑顔に笑顔で応じて、地図を鞄にしまう。
「で、有能な指揮官というのはだいたい同じような行動を取ります。突拍子もないバカなことはしません。誰かさんと違って」
「不敬罪で首を刎ねられたい人がいるみたいね」
口をへの字に曲げる誰かさん。
俺は笑いながら説明を続ける。
「歴史に残るような天才はときどき突拍子もないことをするんですが、ビュゼフ将軍は典型的な堅実派と評されています。勝てる戦は必ず勝ち、勝てない戦は最小限の損害で退きます」
「安心して軍を任せられる将ってことでしょ。かっこいいと思うわ」
敵ですよ、姫。でも敵への敬意というのも持ち合わせておいた方がいい。姫はそういう立場の人だ。
おそらく女帝ディオーネも、「必ず勝てる相手」としてパルネアを選び、「必ず勝てる兵力」を用意し、「必ず勝てる指揮官」としてビュゼフ将軍を指名した。
そしてその通りに、ビュゼフ将軍率いる軍団はパルネアを占領した。
そこまでは理想的な流れだ。計画段階から無謀な作戦なんてのも歴史上にはいくらでもあるので、この作戦は美しいとさえ言える。
「ビュゼフ将軍は堅実派ですが、堅実な選択というのは限られます。今回はロイツェン側がいろいろ小細工をして、彼の選択肢をひとつに減らしました。おそらく彼はそのことにも気づいているでしょうが、他に選択の余地はありません」
「それが撤退ってことなのね。軍隊を使わずにこんなことができちゃうなんて、とても新鮮だわ」
戦う前にケリつけちゃうのが一番楽だからね。
今回は好条件が揃っていたから、俺みたいな素人でも可能だった。
「ビュゼフ将軍は今回、四つの失敗を犯しました」
「四つも?」
その四つの失敗のどれかひとつでも欠けていたら、こんなにうまくいかなかっただろう。
だからこんなのをもう一回やれって言われても絶対無理だ。
「一番大きな失敗は、パルネア派聖灯教徒の反応を読み違えたことですね。武力で押さえつければパルネア王室が降伏し、貴族や民衆が従うと思ったのでしょうが、王室は最後まで抵抗しました。これがひとつ」
俺は指を折って数える。
「このひとつめを読み違えたので、新たな失敗を犯しました。辺境各地での制圧戦が予想以上に長引き、弾薬が不足してきたのです。これがふたつめ」
「ふんふん」
姫も指を折って数えている。
「あとこれは彼の責任とは言い切れないのですが、グライフの陸軍と海軍の不仲が致命的でした。港を占領して海から物資や兵員を輸送する作戦が使えなかったからです。これが三つめ」
「あー、そうね」
「そして四つめが、パルネアの王族に逃げられたことですね。おかげでロイツェンに『パルネア王室の味方』という地位を与えてしまいました」
本当は逃がしたくなかっただろう。ただ、逃げられても「戦争ふっかける口実にしちゃえばいいや」と思っていた節がある。
こっちもそれは感じていたから、グライフ軍が動けなくなるように策を講じた訳だ。火種を抱えている側には、火をつける選択肢もある。
姫は感心したように、何度も指を折って数えていた。
「ふーん……確かにそうね。ひとつひとつは何とかなりそうだけど、全部合わさると大変そうね」
笑っている姫の顔を見て、俺はまた彼女をからかいたくなった。
「ああ、もうひとつありました」
「えっ、なに?」
俺はニヤリと笑う。
「マリシェ公女殿下、あなたの存在を軽視したことですよ。姫が一人前に成長され、我が公国が双頭の竜になっていることを彼は知りませんでした。これが五つめです」
「なっ……ななっ……いや、そこまででも……」
耳まで真っ赤になって照れている姫に向かって、俺は手を差し伸べる。
「では姫、彼に五つめの失敗を教えに参りましょう」
* * *
パルネア北部の国境地帯にある村に、ロイツェンの騎兵が二騎駆けてくる。
何事かと飛び出してきた村人たちに、騎兵たちは聖灯教パルネア派の挨拶をした。
「我が蝋燭に青き炎を絶やさんことを!」
騎兵たちはロイツェン人だが、パルネア派の信徒だ。
すぐに村人たちが警戒を解き、騎兵たちを村の中に招き入れた。村の近くの街道にはグライフ憲兵の検問所があるので、見つからないように物陰に誘導する。
騎兵の一人が馬から降りて、大きな荷物を村人たちに渡す。
「ロイツェンの軍旗だ。パルネア人のあんたらに頼むのも妙な話だが、なるべく汚さないように頼む」
「任せときな。それと異教徒の憲兵どもには酒でも飲ませとこう」
「そうしてくれ。気づかれると厄介だ」
もう片方の騎兵は周囲を警戒しつつ、にこっと笑った。
「遠く離れた土地で、こうして青炎の使徒と会えて嬉しいよ」
「俺たちもさ、ロイツェンの兵隊さん」
村人たちが笑うと、荷物を渡した騎兵は馬に飛び乗った。彼らは別れの挨拶を送る。
「俺たちは異国の軍隊だ。もう会うことがないよう祈っている。だが、胸に灯す火の色は同じだ」
騎兵たちはそのまま、次の村を目指して駆けていった。
* * *
「止まれ」
撤退中の一個師団を率いていたビュゼフ将軍は、街道上で行軍停止を命じた。
斥候の偵察によると、前方の丘陵にロイツェンの軍旗が見え隠れしているという。
疲れ切っていた兵士たちの表情に緊張が走るが、ビュゼフ将軍は冷静だった。
「伏兵なら軍旗をこれ見よがしにちらつかせたりはせん。相手の行動に矛盾があるときは、こちらが思っているような状況ではない。さらに深く斥候を送れ」
ついでに少し兵を休ませようと、ビュゼフ将軍は警戒態勢のまま待機するよう命じた。座って休むことを許可する。
(ここでの遅滞は全軍に影響するが、兵たちが疲れ切っていては戦うこともできん)
ビュゼフ将軍が率いる司令部の師団が後方への退却を完了させないと、他の師団への命令系統が機能しない。無線のない時代なので、移動中にできることは限られている。
街道にはパルネア人の行商人たちが往来しており、およそ七千人ほどのグライフ兵を怖々といった様子で見ている。中にはあからさまな侮蔑や憎悪の視線もあった。
(パルネア人がロイツェン軍と協調関係にあるとすれば、彼らは無数の斥候を放っている状態に等しい。考えれば考えるほど、危険な状態だな)
だが怯えすぎると逆に危険だ。出会うパルネア人を皆殺しにしながら進む訳にもいかない。
そんなことを考えていると、斥候が駆け戻ってきた。
「た、大変です! ロイツェン軍が本当にいます! 戦列歩兵、砲兵、騎兵の混成部隊、およそ一万! 街道を完全封鎖する形で、全軍が戦闘隊形です!」
「何っ!?」
三十年以上に及ぶ軍務の中で、ビュゼフ将軍がこんな声を出したのは数回しかない。
「閣下、先手を打って攻撃しますか?」
「我が帝国はロイツェンとは交戦状態にない。こちらから手出しすれば、ここで勝っても面倒なことになる。おまけに相手が多数の上、丘陵地を占拠されている」
できれば今は戦いたくない相手だが、迂回もできなかった。街道を外れると馬車が進めなくなり、弾薬や食料を運べなくなる。大砲も馬に牽引させている為、ここに遺棄していくしかなくなるだろう。
何より、他の師団がこれからここを通る。迂回するなら後続の部隊全てに新しい迂回路の通達が必要だが、今それを決めている時間はない。
そのとき、斥候からの続報が入った。
「ロイツェン軍の後方の森に、ロイツェンの軍旗を確認しました! 総数不明! 前方のロイツェン軍が邪魔で近寄れません!」
「後詰めか」
一万のロイツェン兵を打ち破っても、まだロイツェン軍がいる。
「閣下……」
副官たちの表情からは、覇気が完全に失われていた。
彼らを安心させる為、ビュゼフ将軍はうなずく。
「わかっている。我が師団の継戦能力では、後詰めの部隊と戦うのは困難だ。弾薬が足りん。いったん後退し、後続の師団との合流を」
そこに新たな報告が飛び込んでくる。
「閣下、ロイツェンの紋章官が接近中! 護衛が掲げている旗の紋章は、クロツハルト邦爵のものです!」
「むう……」
ビュゼフ将軍は唸り、それから全てを理解した。
「我々に選択の余地はない。彼に会おう」




