表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
57/73

20話

 一方その頃、グライフ帝国陸軍ではちょっとした騒ぎが起きていた。

「第三十四憲兵隊のキルネフ二級憲兵官であります」

 かつてクロツハルトを追い返した憲兵隊長が、首都の司令本部で緊張した表情で背筋を伸ばしている。

 それを静かに見つめているのが、ビュゼフ将軍だった。



「ここに呼ばれた理由はわかっているかな、キルネフ二級憲兵官」

 キルネフが黙ると、ビュゼフ将軍は彼を睨む。

「質問に答えたまえ」

「……わ、わかりません、閣下」

 どうやらキルネフは憲兵隊を守ることを選択したようだ。ビュゼフ将軍は目を伏せる。



「私が憲兵隊にこれだけの強権を発動したことは、かつて一度もなかった。君たちとは仲良くやっていきたかったものでね。逆に言えば、今回の召集にはそれだけの重みがあるということだ」

 キルネフは無言だが、表情が強ばっている。

 ビュゼフ将軍の傍らに立っているのは、将軍の側近たちだけではない。情報部の高官も控えていた。

 憲兵隊と情報部の不仲は陸軍では誰もが知っている。



 ビュゼフ将軍は穏やかに言葉を続けた。

「君がロイツェン公国からの使者を独断で追い返したことが、少々問題視されている。場合によっては君を収監しなくてはならなくなる。もっと酷いことになるかもしれん」

 この場合の「もっと酷いこと」というのは通常、懲罰部隊送りか強制労働だ。処刑もありえる。



「だが情報部の調査によれば、君は軍務に精励する忠実な軍人だ。模範的といってもいい。その模範的な君がどうしてこんなことをしたのか、教えてもらいたい。事情がわかればそれは斟酌しよう」

 すかさず情報部の高官が口を挟む。

「貴官の行動は全て調査済みだ。言い逃れできると思うなよ」



 ビュゼフ将軍は軽く手を挙げて、情報将校を制した。

「君らがそうやって厳しく接するから、ますます強硬に隠蔽するようになるのだよ。ここは私に任せなさい」

「はっ。申し訳ありません、閣下」

 すぐに情報将校が敬礼して引き下がる。威圧と懐柔。この辺りの呼吸は慣れたものだ。



 ビュゼフ将軍は世間話でもするかのように、こう語り出す。

「我が軍は現在、本国から遠く離れた異教徒の地で困難な任務にあたっている。パルネア王族の捜索、反抗勢力の鎮圧、占領統治の継続。身内で争っている場合ではない」

 キルネフは無言のまま直立不動だったが、額に汗をかいていた。

 ビュゼフ将軍はさらに言う。



「パルネアと同じ聖灯教国家であるロイツェンは、隣国で起きているこの戦争を快く思っていない。隙あらば介入してくるはずだ。大義名分を与えてはいかん」

 憲兵隊にはわからないだろうが、南征軍の戦闘継続能力は枯渇しつつある。ロイツェンに攻め込む余裕はもうない。



「まだ今は戦争の時間だが、外交の時間は確実に近づいている。そのとき困るのは憲兵隊だ。部下が独断で外交官を追い返したとなれば、本国の憲兵総監の首が飛びかねん。だが今なら私が処理できる範囲内だ」

 キルネフはまだ無言だが、動揺しているのがはっきりと見て取れた。組織の為なら口を閉ざす覚悟はあるが、その沈黙が組織に不利益になると言われれば動揺するようだ。



 ビュゼフ将軍はそこで黙り、キルネフの反応を待つ。これ以上、何か言う必要はないと判断したからだ。

 案の定、キルネフは口を開いた。

「……今回の件、どこまで処罰されますか?」

「心配するな、誰も処罰されんよ。特に君は絶対だ。外交官のクロツハルトと直接会っている重要人物だぞ。聞きたいことが山ほどある。その功績があれば処罰されないどころか、勲章のひとつも授与せねばなるまい」



 表情を和らげてビュゼフ将軍が言うと、キルネフは敬礼する。

「全ての質問に偽りなく答えると誓います」

「よろしい。では最初の質問だ」

 ビュゼフ将軍が身を乗り出した。



   *   *   *



 一方その頃、洋上ではカルニーツァ提督が歯ぎしりをしていた。

「ロイツェン人どもめ、河口だけでなく途中にも要塞を作ってやがるのか」

 民間人に紛れて偵察してきた水兵が、首を縮めてうなずく。

「へ、へい。河から攻め込まれることはとっくに承知してるようで、橋の手前の両岸に砲台がズラッと」



「橋に大砲を並べて正面から撃ち合いつつ、左右からも撃ちまくるつもりだな」

 そいつはやべえなとカルニーツァ提督は腕組みする。

 攻撃側が強行突破しようとしても、橋の高さと橋脚の間隔は無視できないので速度を出せない。しかも帆船で河を遡上することになるので、風向きが良くてもかなりの低速になる。



「で、そんな要塞みたいな橋が複数あるって訳か」

 カルニーツァ提督は眼帯を撫でながら、艦隊司令部の机に船長帽を放り投げる。

「やってらんねえ。ロイツェンの艦隊は油断なく沖合に展開してる。河口に侵入するだけでも一苦労なのに、そこからまた連戦なんか無理だろ」

 陛下から預かった大事な船をこれ以上沈めてたまるかと、カルニーツァ提督は顔をしかめる。



「ロイツェン大公のベルンとかいうおっさんは、港で指揮を執ってるらしいな。対応が恐ろしく迅速だ」

 通信網が未発達のこの世界では、報告と命令の時間差は距離に大きく左右される。難しい問題はトップの判断が必要だからだ。

 だがロイツェンの最高指導者が最前線である港にいるので、艦隊も港湾守備隊も最小限のタイムラグで動くことができた。



「おまけに首都からの報告は川舟を使って素早く届く。首都には情報が集まるようにしてるはずだから、大公は首都を留守にしてても四方に目を光らせてる状態って訳だ」

 カルニーツァ提督の読みは当たっており、公女の顧問であるクロツハルトがせっせと報告書を送っている。

 だが一方で、大公から公女への指示はそれほど早くならない。河の流れを利用できないからだ。



 それに気づいている側近が質問する。

「しかしそれなら、首都の守りは手薄なのでは?」

「そのはずなんだが、大公の娘が公務を代行してるそうだ。銃の名手で、暗殺団をまとめて返り討ちにした猛者なんだとよ」

「いい女海賊になりそうですな」

 荒っぽいのが大好きな側近たちは、ロイツェンの姫君に何となく好感を抱く。



 カルニーツァ提督はさらにこう言った。

「おまけにその荒っぽい公女には、流れ者の懐刀がいてな」

「ほう」

「『鉤爪のクロツハルト』っていう異名を持ってるらしい。公女を鍛え上げたのがそいつだっていうんだから、だいぶ危ねえヤツだろう。聞いた話じゃ、亡命してきた貴族で凄腕の軍師だとか」

 クロツハルトの経歴の怪しさが、海賊たちの想像力を刺激する。荒くれ者の常として、そういう話はみんな好きだった。



「だがそうなると、海軍だけじゃロイツェン首都攻略は無理だな。ロイツェン艦隊を全滅させて、港を占領するぐらいか」

「しかし提督、それでは我々は陸軍の使いっぱしりになりませんか?」

 ロイツェンの港を占領すれば、陸軍が弾薬や兵士を運べとうるさく言ってくるだろう。船の輸送力は馬車などとは桁違いだからだ。



 カルニーツァ提督は髪をくしゃくしゃにして、低い声で呻く。

「しょうがねえだろ、俺たちは陛下の海賊なんだからよ。でもまあ安心しろ、ロイツェン攻略は割に合わねえ」

 彼は船長帽を被り直す。

「ここに俺たちの艦隊がいることには意味がある。パルネアの港を封鎖して、ロイツェン軍の上陸を阻止してるからな。だが無理して艦隊を失ったら、それもできなくなる。最後まで生き残る海賊は、一番用心深い海賊だ」



 カルニーツァ提督は冷徹な軍人だった。勝てない戦争はしない。

「ビュゼフのジジイに書面で連絡しろ。『ロイツェン海軍および港湾の兵力は極めて高く、多大なる損害なしには攻略不可能である』とな」

「い、いいんですか? 陸軍に弱みを見せて」



 部下たちが動揺するが、カルニーツァ提督は肩をすくめてみせる。

「後々ややこしいことになったときに『だから言っただろ』って陸軍に言う為だよ。書面で残すのもその為だ。ちゃんと公文書にして控え取っとけ。陛下にも同じものをお送りしろ」

「承知しやした!」



 部下たちが慌ただしく動き始めると、カルニーツァ提督は椅子に座って机の上に脚を投げ出す。腕組みをして堂々の態度だ。

 しかし彼の口から出てきたのは、こんな言葉だった。

「なるほど、これが『ロイツェンの怪鳥』か……。こりゃ、ずらかる支度もしておかねえとな」

 怖いもの知らずの提督の額には、じんわりと汗が浮いていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2018年1月25日にMFブックスより書籍化されました。
Amazonでも好評発売中!
※このリンクは『小説家になろう』運営会社の許諾を得て掲載しています。
漂月先生の他の作品はこちら
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ