19話
俺と姫が雑談しながら紅茶を飲んでいると、執務室をノックしてシャロン王女が顔を覗かせた。
「マリシェ姉様、お仕事終わった?」
「うん、終わったわよ。どうぞ」
姫が笑顔を向けると、シャロン王女はパッと顔を輝かせて室内に入ってきた。
どこに座るのかなと思っていたら、なんとマリシェ姫の膝の上に座る。これはびっくりだ。
「姉様、お菓子食べてもいいですか?」
「ええ。食べ過ぎには気をつけてね」
おいおい、あの食い意地の張った姫がまともなこと言ってるぞ。
妹のような存在ができたことで、急にお姉ちゃんっぽくなったようだ。凄いな。
シャロン王女もまだ七歳なので、十五歳のマリシェ姫は大人に見えるんだろう。すっかり尊敬しきっていて、べたべた甘えている。
確かにそれなりに日数は経っているけど、こんなに早く仲良くなれるものか?
すると姫はシャロン王女の髪を撫でながら、こんなことを言う。
「シャロンは偉いわね。異国の地で一人なのに、よく我慢しているわ。王族としての務めも立派に果たしているし、本当に素敵なお姫様よ」
「えへへ」
はにかむシャロン王女。マリシェ姫はといえば、慈母のような優しい眼差しをシャロン王女に注いでいる。
姫が意外と優しい子なのは知っていたが、年下の子を褒めるのも上手だな。
すると姫は俺の視線に気づいたのか、目線と仕草でこう言ってきた。
(先生の褒め方を参考にしてみたわ)
(まじですか)
(ふっふーん)
得意げな姫。しかも彼女は続けて、シャロン王女にこう提案する。
「今度、首都にある青炎派の神殿にお参りしない? パルネアと同じ宗派の神殿よ」
「えっ、ロイツェンにもパルネアと同じ神殿があるの!?」
知らなかったようだが無理もない。パルネアではロイツェンの青炎派教徒をあまり重視していないからだ。
だからこそ、ロイツェン国内の青炎派の聖灯教徒は悔しい思いをしている。
シャロン王女は早くも乗り気なようで、マリシェ姫に甘えていた。
「マリシェ姉様も一緒に来てくれる?」
「もちろんよ。私とクロツハルト先生が案内するわ。先生は青炎派の人たちから、とても尊敬されているのよ」
尊敬といっていいのかどうか……。仲良くはしている。
俺は素早く、シャロン王女の参拝が持つ意味を考えた。
序列は低いものの、シャロン王女はパルネア王国の王位継承権を持つ立派な王族だ。そのパルネア王室は聖灯教青炎派の庇護者である。パルネアが青炎派の本場だ。
そんなシャロン王女がロイツェンの青炎派の神殿を参拝するとなれば、「パルネア王室がロイツェン国内の青炎派の存在を認めた」と言えなくもない。
パルネアはロイツェンに対する外交的な配慮もあり、表向きにはロイツェン国内の青炎派とは距離を置いてきた。水面下ではもちろんごそごそやっていたが、建前上は「パルネア王国はパルネア派、ロイツェン公国はロイツェン派」という姿勢を貫いている。
パルネア王室が参拝してくれたら、どちらの国からも日陰者扱いされていた青炎派神官たちは大喜びするだろう。
これは姫がタダで恩を売れるいいチャンスだ。
しかもこの提案、俺からはできなかった。マリシェ姫には好き放題言える俺だが、シャロン王女は俺の教え子ではない。異国の王女様だし、俺なんかがお願いできる立場ではない。
姫だからできる提案だ。素晴らしい。
そこまで一気に考えて、俺はにっこり笑う。
「大変良いことだと思います、姫。ロイツェンにも青炎の灯を絶やさぬ者たちがいることを、シャロン王女殿下にも知っていただきましょう。皆も喜びます」
「でしょ? でしょ?」
ほらそこ、もうちょっと優雅にして。シャロン王女が不思議そうな顔してるから。
マリシェ姫は大公家の一員であり、ロイツェン派の庇護者としての立場がある。パルネア派にあまり肩入れするとロイツェン派が拗ねてしまうので、パルネア派との接触をなるべく避けてきた。
でもシャロン王女はもともとパルネア派の信徒だし、パルネア派の神殿を参拝しても何の不思議もない。俺と姫はただの付き添いです。
おお、素晴らしい。ノーリスクハイリターンと言ってもいいぞ。
これはもう、なかなかの策士ぶりといってもいいんじゃないだろうか。それにシャロン王女の心情にも配慮しており、彼女のことを心から気遣っての提案であるのもわかる。本当に素晴らしい。
俺は後で姫をうんと褒めてあげようと思った。
* * *
「……まあ、私の深読みしすぎだった訳ですが」
俺は自宅に遊びに来たカルツ神官に、深い深い溜息をついた。
「青炎派とシャロン王女への気遣いは本物だったんです。ただ、ロイツェン派への配慮までは考えていなかったそうです」
「我々としては大変ありがたい公女殿下ですが、ちょっと心配ですね」
カルツ神官も苦笑している。
今日の彼は表向き、救児院の院長としての訪問だ。院を出て就職したコレットの様子を見に来ている。
本当の訪問理由はもちろん別にあり、パルネア王国からの密書を携えてきた。オリジナルは暗号文なので、解読してもらったものを姫に届けるのが俺の仕事になる。
残念ながらカルツ神官はパルネア派の中堅聖職者なので、宮殿に参上する資格がない。下手にうろつくと怪しまれてしまう。
彼とはもうすっかり友達だし、とりあえず俺の愚痴を聞いてもらう。聞いてもらうぞ。友達なんだからな。
カルツ神官はコレットの淹れた紅茶に満足げに目を細め、それからこう言う。
「公女殿下はロイツェン派の庇護者です。私もロイツェンの民ですから、公女殿下が自らの立場をお忘れになるようなことは望みません」
「そうですね。姫がロイツェン派からの信頼を失うと、ロイツェン派への影響力が低下します。そうなるとパルネア派にとっても不利益になるでしょう。誰も得しません」
そのへんは姫にも自覚して欲しいところだ。
溜息をついていると、カルツ神官がニヤニヤ笑っている。
「ですがクロツハルト殿、本当は寂しいんでしょう?」
「ははは、まさか」
「教え子の成長は嬉しいですが、いずれ自分の指導が必要なくなる日が来ます。それが近づくようで寂しいのではありませんか」
「うっ……」
さすがはプロの教育者、しっかり見抜かれていた。
俺はしばらく変な顔をしていたと思うが、苦笑してみせる。
「もう少し、私の愚痴を聞いてもらいますよ」
「もちろん。ダチですから」
カルツ神官は笑顔でうなずいてくれた。




