17話
こうして俺は占領下のパルネア領から無事に帰国できたのだが、我が姫は大変お怒りだった。
「追い返されちゃってるじゃない!」
「別にビュゼフ将軍に会うのが目的ではありませんし」
俺は解読してもらった暗号文を、大公家の機密文書として記録していく。
やはりグライフ帝国軍は、異教徒であるパルネア人に対して冷淡なようだ。
「パルネアでは現在、神殿での説法や集会などが全て禁じられているようですね」
「なんで?」
「反乱の密談をしていないか、都合の悪い情報を交換していないか、警戒しているんでしょう」
やろうと思えば他にいくらでも方法はあるから、それについては無駄なことだ。
「あとは聖灯教の影響力を弱めようとしているようです」
神殿に行けば文字を教えてもらえるし、本当に窮乏したときには食事や寝床も提供される。神官次第だが、いろいろな相談にも乗ってくれる。
領主への苦情窓口としても有効で、領主といえども神官たちの直訴は無視できない。
「田舎に住んでいる人や都会の貧しい人にとっては、本当に大事な存在なんですよ」
「ねえ、先生」
「何ですか?」
マリシェ姫は上目遣いに俺を見る。
「それってもしかして、大公や領主がやった方がいい仕事だったり……する?」
お、さすがは姫。
「そうですね……。世俗の権力者がそこらへんをしっかりやれば、神官たちの影響力は徐々に弱くなっていくでしょうね。私の故郷なんか、不信心者だらけです」
異教の文化に寛容なお国柄でもあり、祝って楽しそうなものなら何でも祝う。
姫はふんふんとうなずき、何かメモしている。
「将来的には使えそうね……。覚えとこ」
「ただし、ゆっくり穏健にやってください。急にやると大変ですよ」
社会というのは現状維持を求める力が強く、変わるのには時間がかかる。社会で最も力を持っている層は、力を持っている現状に満足していることが多いからだ。
そういうことも教えておく。
すると姫は小首を傾げてみせた。
「最近は授業じゃないところで、いろいろ教えてくれるのね」
「座学で学ぶ段階は過ぎましたからね。これからは実習で鍛えていきますよ」
それはいいんだけど、ただの塾講師には厳しい状況が多すぎないか。
元の世界で教えていた頃も大変だったけど、命の危険や国家存亡の恐怖は感じたことがなかった。
俺は溜息をつきつつ、姫に今後の方針を示す。
「駆け引きにおいては、『相手が最も恐れていること』を見抜く必要があります。グライフ軍が今何を最も恐れているか、わかりますか?」
「わかる訳ないじゃない! 相手は異教徒なのよ?」
マリシェ姫が「むー」とふくれっ面をする。
俺は思わず笑ってしまったが、がんばってまじめな顔を作りながら指導する。
「異教徒でも食事はしますし、疲れれば休息が必要です。価値観や立場が大きく違うだけで、生身の人間なんですよ」
だから優しくされれば嬉しいし、家族や友人を殺されれば悲しみ怒る。
いずれはそういうことも教えたいが、今は敵に同情している余裕はない。
「で、敵が何を恐れているかですが、歴史的にみて遠征軍の悩みといえば『補給』や『風土病』などが代表的です」
「なんで?」
「教えましたよね」
まあいいや、教えたことの半分は忘れてしまうと思っておいた方がいい。姫の場合は復習が雑だから、九割忘れていても納得できる。
「本国にいればすぐに手に入る武器や食料も、遠征先ではなかなか手に入らないんです。周りは全部敵みたいなものですから、買うにしてもぼったくられますし、奪うにしても手間です。恨まれますし」
「いっぱい運んでくればいいじゃない」
両手を広げてみせる姫に、俺は諭すように言う。
「いっぱい運んできても、足りなくなるんですよ。戦争は遠足じゃありませんから、予定外のことがたくさん起きます。戦闘が長引いて弾薬が足りなくなったり、災害や敵襲で食料を失ったりします」
「めんどくさいわね……」
実際とても面倒なので、距離が離れていることはそれだけで国防上有利だ。
「さらに遠征して敵地を占領した場合、もっとめんどくさいことになります。占領民の多くは遠征軍に対して良い感情を持たないのが普通です」
「まあそうよね。それまで普通に暮らしてたんだし」
「特に今回は異教徒同士ですから、対立は深刻でしょう。グライフ帝国のジャーム教は異教徒を悪とみなしていますし」
おかげでパルネア人からの憎悪が凄い。パルネアからの密書にも、グライフ人への恨みつらみがたっぷり書き込まれている。
俺はその紙片を大事に保管しつつ、溜息をついた。
「集まってきた情報は断片的ですし、勘違いや誇張も多く含まれています。無意味な情報の方が多いです。これとかそうですね」
「グライフ兵が大勢集まってたって情報? でもこれ、時間も場所もちゃんと書いてあるわよ? 重要そうじゃない?」
一見すると役立ちそうだが、こういうのはどう判断すればいいかわからない。
「集まってるといっても、戦闘準備なのか、訓練や警備なのか、それとも薪を集めていたのか、わからないでしょう? 兵士の所属や装備についても触れられていませんし」
もともと軍隊は人間が大勢集まってできたものだ。そしてグライフ軍は今やパルネアのどこにでもいる。
「私たちは今、小さな窓からパルネアを覗き込んでいます。見えているものが全てではありません。慎重に判断しましょう」
なんだか情報リテラシーの話みたいになってきたな。
「姫は今、過去の歴史から学んだ『広くて大雑把な地図』と、パルネアからもたらされた『狭くて詳細な地図』を持っています。二つを照合して重なったもの、本当に正しいと思えるものを選びましょう」
「……わかったわ」
姫は真剣な表情でうなずいた。
この作業は本来ならロイツェン軍に委ねたいのだが、ロイツェン軍と聖灯教パルネア派の関係は良好ではない。カルツ神官たちに恨まれたくないので、この作業は俺と姫、それからハンナの三人でやることになる。
しかしやっぱり、ちょっと無理があった。
「わからないな……」
「どうとでも判断できちゃうわよ、これ」
俺と姫が頭を抱えていると、ハンナが苦笑する。
「私もわかりません。ただ軍人、それも銃の専門家としては、グライフ陸軍の弾薬備蓄が乏しいような印象を受けます」
それだけわかれば十分だろ。
ハンナはパルネアからの情報のうち、「民衆の暴動が起きてグライフ軍が騎兵で蹴散らした」という情報を指さした。
「騎兵の主な武器は槍です。暴動鎮圧に騎兵を投入するのは効果的ですが、どこでも騎兵を使っているのが不自然ですね。騎兵は馬の餌が大変なので、そんなにいないはずです」
「つまり歩兵を使わず、あえて騎兵を使ったと?」
「あくまでも私のやり方ですが、歩兵を投入した方が楽です。銃声だけで暴徒は逃げ出しますから。下手に殺すと厄介ですので、シュナイツァー流では空砲や威嚇射撃で追い散らします」
さすがシュナイツァー流銃術の伝承者。「騎士の銃術」と銘打つだけのことはある。対暴徒戦術までカバーしているとは恐ろしい。
他にも「処刑の際に銃を使わない」「金に困った兵士たちが官給品の横流しをしても、火薬だけは流さない」など、それらしい情報もあった。
これだけで断定するのは危険だが、グライフ軍の火薬不足は俺も以前から想像していた。
パルネアは軍隊で銃をほとんど採用していないし、大砲もあまり使わない。火薬の生産地もない。占領しても火薬は奪えない。
グライフ本国、特にパルネアに近い地帯はどうだろう?
俺は地図を広げる。さあ、歴史の次は地理の復習だ。
「火薬の主原料である硝石は、乾燥地帯でしか採取できません。しかしグライフ帝国の西半分はどこも寒冷で湿潤です。最も乾燥しているロイツェン国境地帯でも硝石は採れませんので、採取は不可能でしょう」
姫が不思議そうな顔をする。
「地図だけでわかるの?」
「さすがに季節風や海流の影響がわからないので断言はできませんが、どこも海に近すぎます。雨や雪が降りやすいので難しいと思いますよ」
俺がそう説明すると、ハンナがすかさず補足した。
「天然の硝石がない場合は秘密の製法で作ることになりますが、年単位での作業になります。でも我が軍の調査によると、グライフ軍は本国の奥深くに火薬の生産拠点があるらしいんですよ」
「じゃあたぶん、連中は弾薬を本国の輸送に頼っている。まずは補給線を断ち、本格的な弾薬不足にしてやろう。姫、お願いします」
「えっ? あ、うん! 任せといて!」
姫は目を白黒させながらも、何度もうなずいてみせた。




