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15話

 俺はグライフ帝国陸軍のキルネフ憲兵隊長に付き添われ、パルネア国境の村におじゃますることになった。

 しかしこの人、どこまでもついてくるぞ。

「キルネフ殿」

「はっ」

「まさかこのまま、私と共に村に一泊するおつもりか?」



 すると憲兵隊長は当たり前のような顔をして返事した。

「お帰りになるまで、我々憲兵隊が紋章官殿の警護をいたします。グライフ軍としての立場がありますので」

 後ろにぞろぞろついてくる憲兵たちが、無表情に俺を見ている。

 やりづらい。



 俺は村に到着し、村長の家を訪問して挨拶することにした。出てきたのはよぼよぼの御老体だ。

 そして俺の横には、憲兵隊長たち。村長の家は広いが、こいつらがひしめいているので狭く感じる。

 ますますやりづらさを感じながら、俺は村長にパルネア語で挨拶した。パルネア語はロイツェン語とほぼ同じだ。



「はじめまして。私はロイツェンの紋章官、クロツハルト邦爵だ」

「へ、へえ、これはお偉いお方が……どうもどうも」

「今夜は宿をお借りしたい」

「へえ、何もねえ村ですが、なんかこう……お過ごしください」

 言葉を失って頭を下げている村長に、俺は偉そうな態度で雑談をする。



「ところで『この辺りではどんな作物が採れるのかな?』そう……『腐った赤豆』とか?」

「こ、こりゃ参りましたな……。貴族様がお命じになるのでしたら、『腐った赤豆』でも『食べてみせます』が」

「そうかそうか」

 俺は冷笑を浮かべてうなずき、椅子に腰掛ける。



 ちらりと憲兵隊長を見ると、不思議そうな顔をしていた。

「何かな、キルネフ殿」

「いえ……」

「聖灯教徒同士だから、仲良くするとでも思ったのかね? あいにくとロイツェン人とパルネア人とでは宗派が違う。我らの間のわだかまりは、貴官にはわかるまい」

 俺が溜息をつくと、憲兵隊長は神妙な表情で黙る。



 実を言うと、今の会話は全部符丁だ。「腐った赤豆」は「異教徒」の隠喩、そして「食べる」は「十分な量がある」という意味なので、今の会話はこうなる。

「この辺りに異教徒はいますか?」

「はい、大勢います」

 つまり、グライフ軍が多数いることを教えてもらった。



 これは聖灯教青炎派の聖典限定ネタなので、グライフ人やロイツェン人には理解できない。

 俺は青炎派のカルツ神官とメイドのコレットに特訓してもらって、どうにか覚えることができた。

 意志疎通はできているようだ。



 スパイ映画みたいで楽しいが、バレたら俺はともかく村長が危ない。慎重にいくぞ。

「こんな田舎では、退屈を紛らわせる『書物』もなかろうな。『金細工』の書物でもあればいいのだが」

「申し訳ございません、『書物』と呼べるようなものは何も」

「ふん、『老眼』では本も読めんか」



 この村に「役に立ちそうな情報」、特に「王室関連」の情報は入っていないらしい。国境の村だから当然か。一応、「情報提供に感謝します」と返事はしておいた。

 俺は腕組みして退屈そうにしながら、窓の外を眺める。

「まったく、つまらん国だ……。『黒い瞳の女たち』でも連れてくれば良かったな」

 これも聖典ネタで、意味はいろいろあるが「事態を打開する救援」という意味でも使われるそうだ。



 すると憲兵隊長が気まずさに耐えかねたのか、口を開く。

「では今夜は、護衛の女性士官と同室にいたしましょうか?」

 あ、そういえばハンナも瞳は黒かった。ハンナも青炎派の符丁は知らないので、目をパチパチさせている。



 どうしよう、こういうときはどうすればいいの?

 俺はとりあえずフッと笑っておいてから、手をヒラヒラ振った。

「こんな無骨な筋肉女に興味はない」

 ああ、とっさの言い訳とはいえ、酷いことを言っちゃったぞ。ヤバい、ハンナが露骨に傷ついている。



「……と思ったが、まあ一興だな。同室にしていただこう」

「承知いたしました」

 今夜はまず土下座から始めたいと思います、ハンナさん。

 スパイ映画みたいに颯爽とはいかなかったが、とにかくこの方法でなら憲兵隊長に気づかれずに情報交換できそうだ。



「こんな村でも『上等な火酒(高位の聖職者)』ぐらいは『用意(連絡)』できるのだろうな?」

「近くの街まで行けば、『芋の火酒(教区大神官)』が……。『御用意(連絡)』しましょうか?」

 教区大神官というと、パルネア聖灯教の幹部だ。国内に数十人いて、かなりの権限を持っている。



「明日の出立までに間に合わん。この『泥まみれ(秘密裏にお願いします)』の田舎者め。『錆だらけ(秘密)』の『銅貨(手紙)』をくれてやるから、夕食は『子羊の心臓(永続的な協力関係)』を食わせろ」

「あっ、羊は無理です……。鶏で御容赦を」

 あ、符丁関係無しに羊は貴重なんだな。すみません。



 俺と村長の間では今ものすごく有益な情報交換をしているんだが、だんだん申し訳なくなってくる。

 だがそれこそがこの符丁の真の狙いだ。どう見ても険悪なムードだもんな。誰も俺たちを疑わないだろう。



 こんな際どい会話をしばらく続けた結果、俺が青炎派の神官たちに味方するロイツェン人であることや、パルネアの王族を保護していることを伝えることができた。

 村人たちは別に監禁されていないし、パルネア国内の移動は自由だ。教区大神官に伝えてくれるだろう。



 そんな会話をしていると、憲兵たちが俺たち一行の宿舎を手配してくれたらしい。民家を一軒強制的に借り上げ、住人を追い出して確保してくれたようだ。

 憲兵隊長が俺に事務的な口調で告げる。

「今夜は不寝番を立てますので、どうか御安心を」

 それってつまり、パルネア人と交流できないように隔離するってことだよね。さすがは憲兵、用心深い。

 でももう手遅れなんだよな。ふふふ。



 夕食のときも、運ばれてきた食事は食器に至るまで入念にチェックされた。俺たちが食事している間も、傍らに立つ憲兵たちが無表情に監視している。

 食事は鶏の塩焼きとカチカチの黒パン、それに薄いスープだけだった。この村ではこれでも精一杯のごちそうなのだと思う。ありがたくいただく。



 ただし俺はパルネア人と仲違いしている風を装う必要があったので、仏頂面のまま無言で食べた。

 食事が終わると憲兵たちが食器を下げ、外で村人に渡す。村人との直接接触はできない。

 そんなに警戒されている様子はないが、憲兵たちのきっちりした情報統制にはプロの手腕を感じるな。



 そして夜はハンナと同室になり、俺は土下座して謝った。ただし会話は盗み聞きされている可能性が高いので、筆談とジェスチャーで謝る。

(すまん、ハンナ。村長との会話はパルネア派聖灯教徒の符丁なんだ。誤解しないでくれ)

 あくまでも個人的な趣味ですが、アスリート体型の引き締まった女性は結構好きです。



 ハンナはいたずらっ子のような笑みを浮かべて声を押し殺しながら、こう応じてくれた。

(心配しなくても大丈夫ですよ。クロツハルト殿が私にぞっこんなのは、よくわかっていますから)

(全然違う方向に誤解してるじゃねーか!)

(あはは、冗談です。昼間のお返しですよ!)

 くそっ、みんな俺をオモチャにしやがって。



 その夜は同じベッドで眠ることになったが、ハンナの寝相がメチャクチャに悪かったことだけは生涯忘れないと思う。

 俺は抱き枕じゃないぞ。


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