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13話

 数日後。俺は白い軍服に身を包み、屋敷の使用人たちに最後の指示をした。

 退役兵士兄弟、門衛のハウザーと料理人のリックには屋敷の留守番を命じる。

「留守中の応対と警備は頼む。その代わり、俺の留守中は羽を伸ばしてくれ」

「やったぜ」

「話がわかる旦那で助かります」

 ちゃんと留守番しろよ。



 メイドのコレットには、もっと優しく声をかける。

「留守中は雑用をしなくてもいい。しっかり勉強して、少しはのんびりしなさい」

「はい、ですが……」

 コレットは何か言いたげだったが、目を伏せる。

 あ、わかったぞ。



「俺が留守だと、公女殿下も来なくなってしまうな。君は無位無官だから宮殿には参上できないが、姫に相談して抜け穴を用意してもらった」

 俺はコレットに封書を手渡す。

「本日付をもってコレット・リンネンを昇進させ、クロツハルト邦爵家の家令に任じる。励みたまえ」

「えっ!?」



 コレットが目をまんまるにしたが、無理もない。家令といえば使用人のトップで、屋敷のほぼ全権を任される身だ。平民が就ける職業の中では最高位のひとつとされる。もちろん超高給取りだ。

「わ、私みたいな小娘が家令だなんて、旦那様は本気ですか?」

「もちろん。歴史の浅い我が邦爵家には、他家で経験を積んだような優秀な使用人はなかなか来てくれない。今いる使用人の中で、最も優秀で信頼できる人物にお願いするしかないだろう」



 それから俺は醒めた目で軍人兄弟を見る。

「お前らに家令やらせるぐらいなら、空白のままにしといた方がまだマシだからな」

「ちっ、わかってますよ旦那」

「コレットなら仕事もできるし、給料の勘定も安心だ。旦那様から直接給金もらうより安心できますよ」

 言いたい放題のこいつらだが、まだわかっていないようだな。



「言っておくが、お前らの人事権もコレットが握ってるからな。解雇されないように気をつけろよ?」

 ハッとした顔をした後、ムキムキの門衛と料理人が左右からメイドに卑屈な笑みを向ける。

「家令様、もっと旨い料理作るからどうかお許しを……」

「家令様、今後は仕事をサボらないので解雇だけは……」

 こいつらやっぱり解雇した方がいいんじゃないだろうか。



 まあいいや。俺は苦笑し、二人の肩を叩く。

「我が家の家令は公女殿下の御学友でもあらせられる。俺に仕えるのと同じように、しっかり身辺を守れよ」

「あ、旦那様よりはしっかり守りますぜ」

「飯も旨いもんを食わせます」

 いい心がけだが、やっぱりこいつらは主人に対する敬意が足りない。



 俺は溜息をついて、コレットに言った。

「当主が宮殿に出仕できないとき、家令は当主代行として宮殿に参上することができるそうだ。姫は今、遠縁の女の子を預かっている。姫を手伝って差し上げてくれ」

「承知いたしました、旦那様」

 隣国のお姫様とも仲良くなって、そのコネで世界に羽ばたいて下さい。君ならできる。



 そこに射撃教官のハンナがやってきた。

 背後に直属の近衛銃兵二人を従えている。ギルベルム卿の謀反のときに一緒に戦ってくれたベテランだ。

 ハンナが髪を揺らし、ビシッと敬礼する。

「クロツハルト殿、お迎えに上がりました」

「道中の警護、よろしく頼むよ」

 今回はちょっと危ないところに行くからね。



 ハンナは騎士階級の貴族将校だし、銃の腕前は達人だ。見た目は若い女性だが、銃さえあれば俺より遥かに強い。背後の二人もかなり強いのは確認済みだ。

「よし、じゃあ行くか」

 兵士が曳いてきた馬に乗ろうとしていると、なんだか周囲が騒がしくなった。



「クロツハルト邦爵!」

 公女殿下が凄い剣幕で怒鳴り込んできたぞ。

 マリシェ姫は近衛兵をずらっと引き連れて、我が家の前の通りを完全に塞いでいた。

 姫は俺の腕をつかんで、必死の形相で問いただしてくる。

「先生、こんな危ない時期にパルネアに行くなんて正気なの?」



「正気です。私は紋章官を拝命しておりますので、グライフ軍の異教徒といえども手は出せませんよ」

 紋章官は敵味方の紋章を識別することができるので、戦場に立つことがある。ただし紋章官は文官なので武装しないし、敵に攻撃されることもない。そういうルールだ。



 まあ戦争のルールはしょっちゅう破られるので信用はできないが、この微妙な時期に大公家直属の紋章官、それも形だけとはいえ上級貴族に手出しはしないだろう。

 もちろん危険は最小限になるよう、聖灯教パルネア派を通じて手を打っている。怖いのは道中の狼と山賊ぐらいだな。



「この色違いの白い軍服が紋章官の証で、これはロイツェンもパルネアもグライフも共通です。これを着ていれば大丈夫ですよ」

「ギルベルム卿みたいなのもいるから、安心はできないわ」

「おっしゃる通りですが、他の誰よりも安全な立場なんですよ」

 俺は大公家の一族ではないから、人質にされる心配はない。だが外交官としての権限はあり、紋章官だから攻撃されにくい。最適だ。



 俺は姫に笑いかける。

「心配なさらずとも、すぐに戻りますよ。今回の訪問の目的は、グライフ遠征軍司令のビュゼフ将軍にお会いして書簡を渡すだけですから」

「本当に?」

 無駄に鋭いな。でも本当の目的は秘密だから、ここでは言えない。



「さ、姫は宮殿にお戻り下さい。ここでは警備が不十分です。あと当家の前を塞がれますと、市民が往来できません」

 さすがに公女殿下と近衛隊の中を横切る者はおらず、通行人たちは困ったような顔をして遠巻きに眺めている。

 姫はそれを見て、小さく咳払いした。



「しょ、しょうがないわね。なるべく早く戻ってきなさい。これは主命です」

 俺は苦笑し、恭しく一礼する。

「仰せのままに、殿下」

 なるべく早く帰るのは、俺も重要視している。

 いつ戦争になるかわからないからな。



 こうして俺は白い軍服姿で馬に乗り、ハンナたちロイツェン近衛兵三名に守られながらパルネア王国に向かった。俺とハンナは騎乗、護衛の兵士二人は徒歩だ。

 そしてロイツェンは結構広いので、国境までは何日もかかる。



「徒歩の行軍速度だから時速三キロと仮定して、八時間行軍で二十四キロ……。時速四キロにすれば三十二キロになるな。時速三キロのまま十二時間行軍にすれば三十六キロか」

 なるべく早く移動したいんだけど、徒歩の二人が疲れてしまうと、いざというときに戦えない。



 俺が悩んでいると、傍らのハンナが興味ありげな顔をする。

「クロツハルト殿は暗算早いですよね」

 考え事をしながらなので、俺は適当に返事をした。

「九九のおかげだよ」

「えっ!?」

 ぎょっとした顔をするハンナ。



 あ、いかん。ロイツェン語では「クク」は何かの俗語だった。マリシェ姫も最初に聞いたときはどん引きしてたな。

「あ、あー……。今のは違うんだ」

 俺が弁明しようとすると、ハンナが笑う。

「クロツハルト殿も、たまには冗談を言うんですね! ちょっと安心しました」



 あれ? もしかして下ネタ平気な人?

 ハンナはクスクス笑いながら、馬を寄せてくる。

「女の身で軍隊にいれば、そういうのは嫌でも慣れますから」

「ああ、そうなのか。いやでも、今のはな」

 俺の弁明を聞かずに、ハンナは顔を近づけてくる。そして声を潜めてささやいた。



「……私とクク、しますか?」

「えっ!?」

 ちょっと待って。ロイツェン語の「クク」ってどんな意味!? ああしまった、あのときちゃんと調べておけば良かった。我が身の不勉強を呪う。

 俺が驚いて固まっていると、ハンナは笑いながら馬を離した。笑顔で軽く敬礼する。



「御検討下さい、クロツハルト殿」

 検討って……。なんか今、すごいセクハラをされた気がするぞ。

 俺はひたすら困惑しつつ、とりあえず国境を目指すことにした。

 ……で、ククってどういう意味なの?


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