11話
グライフ帝国の旗が、パルネアの聖都宮殿に翻っていた。帝国陸軍の軍旗も翻っている。
砲撃でかなり破壊された宮殿だったが、今はグライフ帝国陸軍の仮設司令本部が置かれていた。
「海賊提督からの質問状か。まるで詰問だ」
ビュゼフ将軍は溜息をつき、文面をざっと読む。若い提督からの質問状は、行間から火を噴きそうな勢いだ。
書類を整理していた若い副官が苦笑する。
「閣下、無視なさっておけばよろしいのでは?」
「そうもいかんよ。私も彼も帝国軍人だ。正式な問い合わせには応じる義務がある」
そう答えたビュゼフ将軍は、ペンを手にして小さく唸る。
「だがしかし、王妃一行を逃がした連中に詰問されるのは気に入らんな」
「海軍に情報を渡さなかったのも慣例ですからね。非難される謂われはありませんよ」
「それはそれで軍としては問題はあるのだがね。かつては帝室直属の私掠艦隊だった彼らだが、今は正式な海軍だ」
だったら軍人らしくもう少しちゃんとしてくれと、溜息をつくビュゼフ将軍。
「まあいい。防諜上の理由と、情報の精査に時間を要した為と回答しておこう」
「それなら連中も黙るしかありませんな。勉強になります」
「そうしてくれ。だが、こういうことばかり得意な軍人にはならんでくれよ。私も恥じているのだからな」
伝統あるグライフ陸軍は貴族将校によって組織されており、歴史が浅く海賊出身者が多い海軍を軽蔑している。
陸軍トップの一人であるビュゼフ将軍といえども、部下たちの気持ちは無視できない。海軍に甘い顔はできなかった。
「私も海軍は嫌いだが、こんなことばかりしていると陛下に嫌われてしまうな……」
* * *
「あぁん? 火薬?」
パルネアの港で陸軍の士官と面会したカルニーツァ提督は、片方の目だけで士官を震え上がらせた。
「海軍の火薬を陸軍に使わせる訳ねえだろ。とっとと失せろ」
「しかし先日の戦闘で、我が大隊は弾薬の備蓄が尽きてしまい……」
「そういうのはビュゼフのジジイに言え」
カルニーツァ提督の周囲には、マスケット銃やサーベルを手にした荒くれ水兵たちがたむろしている。海賊にしか見えないが、彼らも名誉あるグライフ帝国軍人だ。
陸軍士官はずりずり後退しつつも、必死に弁明する。
「師団本部には補給の要請をしましたが、本国からの輸送に時間がかかるそうです」
「じゃあ待ってりゃいいじゃねえか。その間に俺たちがロイツェンも征服してやるからよ」
カルニーツァ提督が笑うと、水兵たちもゲラゲラ笑う。
「これでビュゼフのジジイも、ちったぁ海軍のありがたみがわかっただろうよ。てめえら陸軍とは輸送力が違うんだぜ」
「むむぅ……」
陸軍士官は説得を諦めたようだった。顔を真っ赤にしながら、無言で敬礼する。
そして水兵たちの口笛に送られながら、騎馬にまたがって去っていった。
陸軍士官の姿が見えなくなってから、カルニーツァ提督が腕組みする。
「ふん、火薬が足りてねえのはこっちも同じなんだよ……」
「海戦続きでだいぶ使いましたからね、親分」
「白兵戦するとパルネア海軍もかなり強えからな。どうしても敵の射程外から大砲でしとめることになる。……おい、親分じゃねえ。俺は提督だ」
いつものやりとりをしてから、カルニーツァ提督は溜息をつく。
「母港を出てから、火薬だけはまともに補給できてねえからな……」
グライフがパルネアの間にある小国をすんなり占領できたのは、海上封鎖をしていた海軍の貢献が大きい。海側からの砲撃も効果は絶大だった。
しかし占領地であまり火薬を接収できなかった為、海軍も火薬には余裕がない。本国からのピストン輸送でかろうじて維持している有様だ。
最前線で高速戦艦が不足しているのも、輸送任務に割り当てているのが一因だった。
「あークソ、なんでこんな火薬のねえ国を攻めてるんだよ。奪うもんがなきゃ楽しみがねえ。ロイツェンを先に攻めて、火薬をぶんどってりゃ簡単だったのに」
「そりゃロイツェンが手強いからでしょ、親分。ロイツェンを先に攻略しようにも、途中のパルネア海軍を片づけないと邪魔ですし」
「俺だってわかってんだよ、そんなことは」
パルネアとロイツェンの位置が逆だったら良かったのにと思う提督だった。
* * *
「ふむ、海賊たちも火薬は足りんようだな」
情報将校の報告を受けて、ビュゼフ将軍は小さくうなずいた。
港でガタガタ震えていた例の陸軍士官は、別人のようにキビキビとした口調で報告を続ける。
あのときとは所属章や階級章も違っていた。弾薬の要請ももちろん嘘だ。
「はっ。何人かの水兵に賄賂を握らせて聞き出しましたが、途中の寄港地でも火薬の補給は受けていないようです」
「帝国火薬工廠が陸軍の管轄なのは、彼らにとって不幸だったな。とはいえ、我々にとっても幸運とは言い難いが」
グライフ帝国はロイツェン公国とは異なり、帝国領の東部で硝石が採掘できる。そのため火薬の製造は東部で行われていた。
しかし今回は大陸の南西部に侵攻しているせいで、陸軍も慢性的な火薬不足だ。本国からの弾薬輸送路が延びきっている。
ビュゼフ将軍は老眼鏡をかけ、書類に目を落とす。
「輸送中の事故による喪失や、地元有力者への謝礼分まで咎めるつもりはないのだがね。それにしては減り過ぎだ。横領の疑いがある」
すると情報将校は困惑した表情になる。
「今回は陸路での輸送が長距離になりすぎて、捜査も監視も困難です。どこで誰がどれぐらい横領したのか、把握できません」
「わかっている。だが書類上で十万発分を発送したことになっているのなら、十万発分の働きを求められる。そうでなければ、我々はいずれ海軍から弾薬を受領する立場になるだろう」
「海軍に陸軍物資の輸送などさせれば、どれだけ横流しが起きるか……。ひとつも届かないのではありませんか」
貴族出身の情報将校が眉をひそめたので、ビュゼフ将軍は首を横に振った。
「君の懸念は陸軍上層部も共有している。だからこそ、この問題は陸軍の手で解決せねばならん。この書類にチェックした輸送隊に監視員を潜伏させたまえ。悪質な事例は厳罰に処し、全体の粛正を図る」
書類を手渡した後、ビュゼフ将軍はさらに続けた。
「それと例の弾薬集積所の連続不審火も、引き続き捜査を頼む。パルネア人の反抗勢力が動いているという噂もある。人手が足りんのは重々承知だが、噂の真偽や出所も突き止めてくれ」
「はっ!」
情報将校が去った後、ビュゼフ将軍は深い溜息をついた。
「……敵だらけだな」




