08話
ロイツェン公国の情報収集力というのは、俺が思っていた以上に優秀だった。
もともとが謀略で本国を裏切った属州だから、建国当初から諜報機関が整備されているらしい。
民間の交易商や聖職者の中に、極秘の情報収集ネットワークが構築されているのだという。
「だからそれを私にペラペラしゃべらないで下さいよ」
どんどん深みにはまっていく恐ろしさに、背筋がひんやりしてくる。今は大公家に厚遇されているからいいが、何かあったら速攻で消される立場になりつつあった。
マリシェ姫は集まってきた情報を時系列順にまとめ、偉そうにうむうむと腕組みしている。
「パルネアはもうダメね!」
「ダメですね。それは今更ですけど」
「ほんとにダメね!」
「ええ、ダメです」
銃などの兵器が進化したのに採用しないし、戦術の研究もしなかったからな。
何より中央集権が進んでおらず、貴族たちが兵を持っているというのも良くなかった。
「先生が言ってたように、本当に初動が肝心ね。パルネア側は兵の動員が間に合ってないみたい」
「そりゃあ王様が召集命令を出して、貴族たちが兵を集めるところから始めますからね」
貴族たちは家臣に命じて傭兵や農民兵をかき集め、武具を支給する。必要なら簡単な訓練も行う。
「グライフ帝国軍は国境地帯の城塞を攻略し、パルネア領になだれ込むまでわずか三日です。防衛線が機能してません」
「密偵の報告によると、グライフ軍が最新型の大砲をズラッと並べて撃ちまくったんだって」
牧歌的な中世のお城に、むごいことをする。パルネアの城や城壁は投石機や歩兵の攻撃に備えて作られていて、大砲に対しては案外脆い。
そして城塞陥落や会戦での大敗北が伝えられる頃には、もう首都までグライフ軍が迫っていた。迎撃どころか、下手すれば逃げるのも間に合わない。
俺は報告書をパラパラめくる。
「パルネア王は一家ごと行方不明、国としての機能はほぼ完全に失われましたか……」
「有力貴族たちの中には、自前の軍隊で抵抗してるところもあるみたいだけど、さすがに噂ぐらいしか伝わってきてないわ」
全貌がさっぱりわからないのが、この時代の戦争っぽい。飛行機も電信も写真もないから、情報が穴だらけだ。
まあいいや、断片的な情報だけで何とかしよう。
「グライフ帝国の南征軍は総数不明ですが、おそらく大きな損害は受けていないはずです。まだまだ戦えるでしょう」
「やっぱりロイツェンに攻めてくる?」
「時期はわかりませんが、可能性は高いでしょうね」
大公がグライフ帝国の女帝ディオーネに送った書簡に対しても、返事が来ている。大公が不在なので姫が代わりに受け取った。
「あくまでも港の帰属を巡る二国間の紛争なので、ロイツェン公国に対する領土的野心などは最初から存在しないと言ってますね」
「信じるもんですか」
ぷりぷり怒って拳を振り回しているマリシェ姫。
いいぞ、その調子だ。外交文書なんて嘘ばっかりだからな。少し安心した。
姫は俺の顔をチラチラ見ながら、こう言ってくる。
「どうせあれでしょ、パルネアの件が片づいたら適当ないちゃもんつけてロイツェンに侵攻するんでしょ」
「私がグライフ帝国の皇帝なら、まず間違いなくそれは考えますね。聖灯教圏に正面切って喧嘩を売った以上、中途半端にやる方が危ないですし」
「えへへ。やった、正解した」
嬉しそうな顔をしてデレデレしている姫。
ちょっと安心してたら、すぐこれだ。
戦争を始めるための「いちゃもん」なら、すぐに用意できる。何を口実に戦争を始めるかはまだわからないが、どうにでもなるだろう。
そういえば、パルネアの王族が行方不明なのが気になるな。王族の動向次第では、戦争の火種になりそうな気がする。
でも俺はただの塾講師で、元の世界では外交官でもなければ軍人でもなかった。歴史の知識で「これから起きそうなこと」を予想しているだけだ。
具体的な計画は専門家の力を借りないと無理だ。
「今後の軍事的な懸念について、将軍たちから意見書が上申されています」
「どれどれ」
よっこいしょと俺の手元をのぞき込む姫。狭い。
「グライフ帝国の侵攻予想なんですが、今回は陸路での侵攻を誘う為に大公殿下が首都を離れています。大丈夫ですよね?」
「失礼ね、さすがにそれはわかってるわよ」
「その陸路については、ふたつの可能性があります」
俺は壁の地図を示した。
「ひとつはパルネア攻略軍がそのまま攻撃してくるパターン。ロイツェンの西側の国境はパルネアと隣接していますが、この方面は防備が比較的手薄です」
「その辺りにグライフ軍がいるのは、ほぼ間違いないのよね。密偵を送って調べさせたし」
一番警戒しないといけないパターンだ。
だがまだある。
「一方、ロイツェンの北側の国境はグライフ帝国と隣接しています。この北側から侵攻を受ける可能性もあります」
「そっちは大丈夫じゃない? ロイツェンの北側の国境守備隊は強いわよ」
得意げに胸を張るマリシェ姫。
「砲撃戦に備えた新型の要塞がいくつもあるし、兵力もバッチリ。長期戦になっても困らないよう、首都からの街道を整備して補給も援軍も迅速に行えるわ」
「お見事です、姫。よく覚えてくれましたね」
ここの地理の小テスト、姫が合格するのに三回ぐらいかかった記憶が蘇る。
俺は将軍たちの意見書を要約して、姫に伝えた。
「しかしこの北側ルートの場合、グライフ本国から新たに兵力を送り込めるので敵の侵攻規模が読めないという問題点があります。またロイツェン国内の街道が整備されている為、防衛線を突破されると一気に首都まで迫られる可能性があるとか」
「ああー……そっか……なるほど」
腕組みして悩んでしまう姫。
「じゃあ先生、どっちから来るの?」
「そんなの女帝ディオーネに聞いて下さいよ」
グライフ帝国にはロイツェンの「草」はいないし、文化や人種の違いがあるから密偵を送り込みづらい。すぐにロイツェン人だとバレてしまう。
だから帝国内部の情報が乏しかった。
俺は姫と一緒に腕組みして考え込みながら、それでもひとつの見解を導き出す。
「……国家元首の指揮下を離れた軍隊って、暴走しやすいんですよ」
「パルネア国内にいるグライフ軍のこと?」
「ええ、現地での指揮は軍人が執ってますからね。本国に報告するのも軍人ですから、彼らにとって不都合な情報は皇帝に届きにくいはずです」
俺は文官なので、武官をあまり信用していない。彼らは彼ら独自の論理を持っているが、俺は紋章官という仕事柄、ときどき利害が衝突する。
もちろん武官たちも俺たち文官を面倒くさい奴らだと思っているだろうが、とにかくすぐに勝手なことを始める印象があった。
大公もそれには気づいていて、要所要所でアメとムチを使い分けている。
「命令を忠実に実行する職人みたいな軍人も多いですが、政治家みたいなことをしたがる軍人もいます。皇帝の目が届かない異国の地で、勝手なことを始めないとも限りません」
「ロイツェン建国とか、まさにそれだものね」
パルネア帝国ロイツェン州の長官が、与えられた軍団を率いてそのまま独立しちゃったもんな。
「不確定要素が多いので、やはりパルネア側からの侵攻を最も警戒すべきでしょう。もしグライフ側からの侵攻があっても、そちらは姫が手を打つまで持ちこたえてくれるはずです」
……たぶん。
マリシェ姫はふんふんとうなずき、目をキラキラ輝かせた。
「よし、じゃあその方向で作戦計画を立てるように、将軍たちに命じましょう!」
「もともとその予定ですし、余計なことは言わない方がいいと思うんですが……」
俺も君も軍人じゃないし、戦略については素人だからね。
「でもせっかくですから、ハンナを招いて相談してみましょうか」
銃術指南役の女性教官ハンナの名前を出して、俺は笑ってみせた。
姫がやる気になってくれてるんだ、頑張ってもらわないとな。




