05話
聖パルネア王国領、北部のスーザンチウム平原。
昼前に始まった会戦は、既に大勢が決しようとしていた。
「戦況はどうか?」
小規模な騎士団のひとつを率いる老将・バニエン伯爵が、兜のバイザーを上げて配下の騎士に尋ねた。
まだ若い騎士は首を横に振る。
「銃声と砲煙のせいで状況がわかりません。伝令もまだです」
「苦戦は間違いないとして、問題はどう動くかだな。王弟殿下の本陣だけは何としてもお守りせねばならんが、こうも混乱しておっては……」
見通しの良い平原ではあるが、馬上から肉眼で確認できる範囲には限りがある。
後詰めとして右翼後方に配置されているバニエン伯爵の騎士団には、前方の戦況が今ひとつ把握できなかった。
「主力が激突しておるが、じわじわ押されておるようだ」
「では王弟殿下の本陣に馳せ参じましょうか?」
「いや待て、命なく持ち場を離れる訳にはいかぬ」
命令のラッパか太鼓が聞こえればいいのだが、とにかく銃声がやかましい。
「北方の蛮族どもめ、花火なんぞで我らを愚弄しおって……どうどう」
飾りたてた軍馬をなだめ、バニエン伯爵は溜息をつく。
彼の周囲には槍持ちの従者と盾持ちの従者。それに馬の轡を取る馬丁。この三人も武装しており、いざとなれば抜剣して戦う。
居並ぶ他の騎士たちも同様に三名ずつ従者を連れており、総勢で四百名ほどの部隊を編成していた。この百騎がバニエン伯爵の騎士団である。
「だいたい鉄砲というものは一発撃てばそれで終わりだ。一方、長槍は何度でも突ける。負けるはずがないのだが……」
なんでこんなに苦戦しとるのだと、バニエン伯爵は解釈に苦しむ。
そのとき、隊列左翼の騎士が叫んだ。
「閣下! 左前方より敵歩兵が接近中です! グライフ帝国陸軍、第三〇四歩兵大隊の軍旗!」
「迎え撃て!」
伯爵の号令で全騎士が盾と騎兵槍を携える。この状態の騎士たちは、あらゆるものを圧倒する機動力と破壊力を持つ。地上最強の戦士たちだ。
敵は横一列にずらりと並び、銃を構えた戦列歩兵だ。太鼓の音に合わせて進軍してくる。
油断はできないが、伯爵には勝算があった。
「農民の軍隊などに遅れを取るな! 前進!」
騎士団が前進を開始する。徒歩の従者たちを置いていく訳にはいかないし、走らせると軍馬も疲れるので、徒歩速度での前進だ。
(接近すれば撃たれるが、こちらには甲冑と盾がある。撃った後の銃兵は丸腰の藁人形だ。銃撃に耐えて肉薄し、全滅させる)
犠牲を覚悟の上で前進する伯爵だが、敵はなかなか撃ってこない。長弓の間合いはとっくに過ぎ、クロスボウの間合いも過ぎている。もうすぐ投げ槍や投石の間合いだ。
(飛び道具を持っているのに撃たんとは、まさか臆したか? いや、既にどこかで弾を撃って、銃が空なのでは?)
そんなことをちらりと考えたとき、前方にパパパッと赤い火が散った。
「ぐっ!?」
「ぬおっ! ひ、卑怯な……」
次々に騎士たちが落馬し、軍馬や従者たちも崩れ落ちる。
だが好機だ。伯爵は槍を振り上げた。
「敵の銃は空になった、もはや丸腰同然だ! 皆、突っ込め!」
「おーっ!」
そのときの声が、また銃声でかき消される。
「うわっ!?」
「がっ!」
「ううっ!」
バタバタと落馬していく騎士たち。
伯爵は驚いたが、敵が素早く隊列を交代していることに気づいた。撃ち終えた兵士は後ろに回り、弾を込めているようだ。
(射手を温存していたか! これ以上、時間を与える訳にはいかん! 突撃だ!)
従者を置き去りにすると騎士たちを守る者がいなくなるが、ぐずぐずしていれば一方的に撃たれる。
だが命令を発しようとしたとき、誰かが叫んだ。
「……です! ……から、敵が!」
「むっ!?」
銃声の隙間からかろうじて聞こえてきた声に、伯爵は左右を見回す。
そして驚愕した。
右側面から、敵の騎兵が突撃してきているのだ。
陣形というのはおおむね、正面以外は極めて脆い。特に騎士は体の向きを固定されているので、右側からの攻撃には盾を構えられない。
「くそっ、右反転だ! 盾を左に向け、銃撃に備えよ!」
味方の騎兵に当たることを恐れてか、戦列歩兵からの射撃は止んでいる。だが弾を込めているのは間違いない。
一方、敵騎兵の動きはかなり軽快だった。兜と胸甲だけを装備し、馬に甲冑を着せていない軽騎兵だ。
「北方の貧乏騎兵め、目にもの見せてくれる!」
「パルネア騎士の精強さ、思い知るがいい!」
騎士たちが叫び、馬上で略式の礼を取る。騎士同士の挨拶だ。
しかしグライフ騎兵たちはそれに返礼することなく、一気に突撃してきた。
「うおあああぁっ!」
「死ねえっ!」
激しい戦いになった。双方の戦士たちが次々に落馬し、敵味方の軍馬に踏み潰されていく。
伯爵も自慢の槍捌きで敵騎兵を突き伏せ、瞬く間に二人を討ち取る。
「これぞパルネア魂、真の騎士道よ! 思い知ったか!」
血と泥の臭いに包まれながら叫んだ伯爵だったが、敵騎兵たちはそのまま一気に騎士団の隊列を駆け抜けていった。
背後に回られては厄介なので、騎士たちは馬首を転じて百八十度回転する。
その瞬間、敵戦列歩兵たちの銃が火を吹いた。
次々に騎士たちが倒れていく。
「くっ、こざかしい真似を!」
盾と甲冑の二重の防御があれば、銃弾を受けてもまだ耐えられる距離だ。
しかし今は戦列歩兵に右側を向けている状態なので、甲冑しか頼るものがない。さすがの甲冑も銃弾相手には貫通してしまう。
怯んだところに、また敵騎兵が突っ込んできた。
「ええい、こちらも突撃せよ! 動いていれば弾は当たらん!」
そう叫んだ瞬間、パンパンと銃声が響く。かなり近距離だ。
前方の騎士たちが次々に倒れていき、後続の騎士たちが接触して転倒していく。それをさらに後続の騎士たちが軍馬で踏み潰していた。
騎士たちは大混乱となり、従者たちは逃げ出す。騎士から置き去りにされた今、彼らには守るべき主君がいない。踏みとどまる理由がなかった。
孤立した騎士たちのうち、戦える者は二十騎ほどになっている。
そこにまた敵騎兵が突撃し、こちらの兵力を擦り潰していく。
その間、銃声は断続的に近くから聞こえていた。
「どこだ? どこから……」
疑問を発したバニエン伯爵の前に、スッとグライフ騎兵が現れた。その手には銃身を切り詰めた短い銃が構えられている。騎兵銃だ。
「なん……」
すり抜けざまにグライフ騎兵が引き金を引き、眉間を撃ち抜かれたバニエン伯爵は落馬した。
* * *
「皆、よく戦ってくれた。申し分のない勝利だ」
グライフ帝国陸軍のビュゼフ将軍は白髭を撫で、目を細めた。
「これだけの勝利であれば、皇帝陛下もお喜びになろう。ただし諸君、少々やりすぎたようだな?」
居並ぶ士官たちがどっと笑う。
歩兵隊長の一人が頬の傷を撫でながら苦笑する。
「申し訳ありません。訓練通りに撃っていたら、パルネアの王弟殿下まで射殺しておりました」
「おかげで降伏文書の調印相手がおらんので、事務屋たちが苦労しているようだ。次からは加減したまえ」
「はっ!」
笑顔で敬礼する歩兵隊長に、ビュゼフ将軍も苦笑するしかない。
「しかしこれでは、降伏したパルネア兵を徴用するのは難しそうだ。我が軍と歩調を合わせられない以上、足手まといにしかなるまい」
「はい、百年前の軍隊ですからね」
「仕方ない、本国に増派を要請せよ。占領統治にも兵が必要だ。ロイツェン侵攻の手が足りん」
すると士官の一人がニヤリと笑う。
「閣下、ロイツェン攻略は海賊どもがやるのでは?」
ビュゼフは温厚そうな顔に不敵な笑みを浮かべる。
「おいおい、帝国の輝かしい勲章を潮風で錆びさせるつもりか。あの磯臭い連中に今後大きな顔をされるのも癪だとは思わんかね、諸君?」
将軍の言葉に、全員が無言で敬礼した。