03話
マリシェ姫は今日も、授業の合間に公務に励んでいる。
「先生、この書類って誰に渡せばいいの!?」
「心配しなくても、それは秘書官たちが分類してくれますから。姫は書類に目を通して、大公家としての意見をお願いします」
「あ、そうなんだ」
露骨にホッとしている姫に、俺は咳払いをした。
「ところで姫」
「はい」
「今は化学の授業中です」
「……はい」
俺が授業と公務の補佐を両方担当しているせいで、おちおち授業もできやしない。
「せっかく姫が好きな火薬の話をしようと思ったのに、これじゃあ授業になりませんね」
「あっ、聞きたい! 火薬大好き!」
うんうん、知ってます。
俺は苦笑しながら、姫のためにまとめた授業メモを見る。
「前に火薬の材料と、取り扱いについて説明しましたよね。覚えていますか?」
「ええ、もちろん。硝石が主原料で、それに木炭と硫黄を足すのよね。で、硝石は乾燥地帯でしか採掘できないから、シュバール氏族連合との取引で入手しているの」
鉄砲に関係することだと、恐ろしく物覚えがいいな。一発でほぼ全部暗記してくる。
九九を覚えるときも、これぐらい記憶力を発揮してくれたら嬉しかったんだけど。
まあいい。とりあえず俺はうなずく。
「雨が多い地域だと、天然の硝石は採れませんからね。私の故郷の日本も雨が多いので、硝石は採れませんでした」
「あ、そうなんだ……。じゃあ、どうやって入手してたの? 輸入?」
「輸入が本格的になる前は、便所の土から集めてたみたいですよ」
「えっ!?」
聞かれたから教えただけなのにドン引きされてる。
日本各地の合掌造り集落が硝石の製造拠点だったのは有名な話だ。
俺はついでに社会科の授業もする。
「ロイツェンは国内に火薬の備蓄がかなりあります。それも大公家所有の火薬です」
「そうね。グライフ帝国と戦争になっても、これならそうそう簡単には不足しないでしょ」
最近はいろいろな目録にもきちんと目を通しているらしく、姫は即座にうなずいた。
うんうん、成長してるなあ。
「ですが、隣のパルネア王国には王室所有の火薬がほとんどありません」
「えっ?」
不安そうな顔をする姫。
「大きなお世話かもしれないけど、戦争になったとき大丈夫?」
「どうでしょうね……。火薬の管理は領主たちお抱えの銃士隊などに任されていますが、領主たちの財力を考えるとさほどの備蓄はないでしょう。購入にも安全管理にも費用がかかりますから」
パルネアはもともと、銃をあまり重要視していない。「弓隊があれば大丈夫」というのが王室の見解だ。
俺はそのことを説明し、小さく溜息をつく。
「銃と弓を比較すると、確かに弓の方が強いんですよ。連射できますし、射程も長いですし」
「でも訓練に何年もかかるし、盾や鎧を貫通する有効射程では銃に負けてるんでしょう? 威力は圧倒的に銃の方が上だし」
「はい、その通りです」
パルネアの誇る長弓隊は確かに強いが、一人前に育成するのにおよそ三年かかる。戦場の様々な悪条件の中、動いて襲ってくる敵に命がけで矢を放つのは非常に難しいのだという。
それに肉体そのものを弓術家として鍛え上げないといけないので、どうしてもそれぐらいはかかるようだ。
「私の予想ですが、パルネアがロイツェンと戦争に突入したら弓兵の補充が間に合いませんね。こっちは半年もあれば農民を銃兵に育成できますけど、あっちは弓兵の育成に三年かかりますから」
「さすがに三年もあれば戦争終わっちゃうわよねえ」
最近は姫もいろいろわかってきたのは、こんな風に話が早くなった。俺は嬉しくなり、しみじみとうなずく。
「そうですね。パルネアにはクロスボウ隊もありますが、クロスボウは銃以上に複雑な兵器なので量産できません。戦力の補充という概念が抜け落ちているパルネアは、これから危ういと思いますよ」
ロイツェンが同じ轍を踏まないよう、姫にはしっかり学んでもらわないとな。
さて、化学の授業に戻ろう。
「それで火薬の燃焼反応なんですが……」
「それより先生、今後のロイツェン歩兵の構成について検討したいの。今は銃兵の護衛に槍兵をつけたりしてるでしょ。でも護衛の槍兵は射撃に加われないから、無駄に危険に曝されてるわ」
「姫、今は化学の授業中です」
すると姫はニヤリと笑う。
「私は化学者になるつもりはないわ。これは私を良き君主にする為の授業でしょう? 未来の君主の軍師として、軍事の助言をしてよ」
「軍師ではないです」
「じゃあ、軍事の家庭教師!」
無茶言うなよ。五教科の範囲内でお願いします。
ここのところ、どんどん口が立つようになってきたな。
俺は少し考え、敗北を受け入れた。
ここは塾でも学校でもない。生徒はマリシェ姫一人だ。
だったら彼女が今、一番疑問に思っていることを解決してやる方がいいだろう。
「私の故郷で先込め式の銃が使われていた頃には、先端に銃剣を付けていましたね」
「銃剣?」
ああクソッ、また姫が目をキラキラさせてきたぞ。
「着脱式の短剣なんですが、一番最初は固定式の尖った鉄棒だったそうです。銃の信頼性が低かったので、そんなものでも兵たちは銃剣の方を信用していたとか」
「面白そう! ロイツェン軍の銃にも付けられるかしら?」
「どうでしょうね……。この手の合体武器って結構難しいですから。銃と斧、銃と剣の組み合わせもありましたが、全く普及しませんでしたし」
合体させるとどちらの武器としても使いづらい、という結果になりやすいんだよな。工具でもよくある。
だから俺は首をひねりながら、こう答えるしかなかった。
「ロイツェン軍の銃に銃剣を取り付けたとして、銃剣と銃身に十分な強度を維持できるのか。弾込めに支障はないのか。重さが邪魔にならないのか。そういうのは専門家でないとわかりません」
その瞬間、姫はガタッと椅子を蹴って立ち上がる。
「じゃあハンナに聞いてくる! ちょっと待ってて」
「待ちなさい、待って、姫!」
俺は化学の教科書を手に叫んだが、姫はもうドアノブに手をかけている。
「私が化学の勉強をしている間に、ハンナたち専門家に検討してもらった方が有意義でしょ!? すぐ戻るから!」
「いや、そこまで時間を惜しむ必要はないですよ! 授業が終わるまでは待ちなさい! 私への礼儀として!」
「いーやーだー! 私が! 私が国を守るんだから!」
ドアノブから姫を引っ剥がす作業が始まった。
* * *
雪深い大地で繁栄を続ける帝国、グライフ。
将軍たちが地図を広げ、極秘の会議に臨席していた。
「密偵からの報告によりますと、ロイツェンの軍備は非常に充実しております。火薬と弾の備蓄、ならびに兵の徴集と訓練の制度は我が国以上かと」
将軍の一人がそう言うと、上座に着席している美女が興味深そうにうなずく。
「そうですか。さすがは『ロイツェンの怪鳥』、即応の構えですね」
そう呟いた後、美女が問う。
「しかし怪鳥の娘はどうでしょうか? 成人したそうですが、酷い無能だと聞いていますよ」
しかし別の将軍が首を横に振った。
「パルネアに潜伏させている『草』の報告では、パルネア主導の失脚計画は失敗に終わったそうです。その後、ギルベルムなるロイツェン貴族が独断で公女暗殺をもくろみましたが、東方の暗殺団ともども返り討ちに遭ったとのこと」
その言葉に美女は笑みを含ませ、こう応じる。
「なかなかのおてんばのようですね。怪鳥の娘は怪鳥、というところでしょうか」
「少なくともアヒルや鶏ではなさそうですな」
美女はますます嬉しそうな表情を浮かべ、王錫の先端で地図を指さした。
「ではアヒルの方から食卓に並べることにしましょう。忠勇なる我が海軍の為にも、そろそろ凍らぬ港を返して頂かなくては」
王錫の先端で、深紅の宝石が妖しい輝きを放っている。
赤い光に照らされているのは、パルネア王国だった。
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