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04話

 翌日、俺はマリシェ姫にロイツェン式九九の表を提示した。

「姫、まずはこれを覚えましょう」

「な……なにこれ。『アイ・アイ・アイ』?」

「それは一の段の最初の計算ですね。はい、次」

「『アイ・ツァ・ツァ』?」

「とても良いです。はい、次」

「『アイ・ドリン・ドリン』……って、これは計算しなくてもわかるじゃない!?」

 ぐだぐだ言わずに覚えるんだ。



 こうして俺はマリシェ姫に無理矢理九九を覚えさせることにしたのだが、案の定一筋縄ではいかなかった。

「もうやだ! つまんない!」

 七の段まで来たところで、歴代家庭教師が震え上がったマリシェ姫のかんしゃく、別名「公女の雷」が、とうとう俺にも襲いかかってきた。

 公女殿下は俺を睨んで、九九の表をバシバシ叩く。



「こんなの覚えて何になるっていうのよ!? 計算なんか役人がするでしょ!?」

「その計算に決裁のサインをするのが、あなたの仕事になるんですよ」

「いいもん! 適当にサインするもん!」

 ダメだろそれは。



 とはいえ、生徒が興味や関心を持ってくれないと勉強はうまくいかない。

 人間、興味のないものは覚えにくいし忘れやすい。

 なるほど、この飽きっぽさは確かにやっかいだな。

 ちょっと攻め方を変えてみるか。



「では休憩にしましょう。スコーン食べますか?」

「食べる……」

 ふくれっ面の姫だが、お菓子の誘惑には勝てなかったらしい。

 俺は侍女に命じて紅茶と茶菓子を運ばせ、マリシェ姫と雑談することにした。

 考えてみれば、こういうのを先にするべきだったな。



「姫の好きなことって何です?」

「寝ることと、食べることかな……」

 とても人間的かつダメな回答をありがとうございます。

 俺も同じだよ。

「余暇はどのように過ごされているんです?」

「剣術」

 剣術かあ。



 俺はうまい具合に解決の糸口を見いだしたので、そこから切り崩していくことにした。

「私も剣術は嗜んでおりますよ」

「そりゃそうでしょ、あなたも貴族なんだから」

 貴族じゃないんですが。

 まあでも、彼女の言い分もわかる。



「日本では戦で剣が使われなくなって久しいですから、武人といえども剣術より他の修練を積んでおります。私のは健康法ですよ」

「なら私の方が強そうね。だって私の剣術は、戦うための剣術だから」

 得意げな表情を浮かべるマリシェ姫。

 うーん、どうだろうな。

 まあどっちでもいいや。



 そう思ったのだが、マリシェ姫は子供らしく「どっちが強いのか」ということに執着したようだ。

「ね、あなたって強い?」

「弱くはありませんが、しょせんはアマチュアの道場剣術です。実戦ではまるで役に立たないでしょう」

 竹刀と木刀しか握ってないからな。



 するとマリシェ姫はスコーンをぼりぼりむさぼりながら、にんまりと笑った。

 あ、その笑い方、君のパパそっくりだ。

 嫌なもんが遺伝してるな……。



「だったら、ちょっと剣術の試合をしない? ほら、剣術も大公には必要なものでしょう?」

「そうでしょうか?」

「そうよ! だって大公は臣民の庇護者なんだから!」

 君の剣一本で守れるとは思えないけどなあ。



「はい、決まりね! 誰かいる? 試合刀を持ってきて、早く!」

 おいおい、本当にやる気か。

 マリシェ姫が何かつぶやいている。

「ふふ、やっぱり家庭教師には剣術の試合よね……」

 おい聞こえてるぞ。



 こうして俺は試合用のサーベルを渡され、公女殿下と対峙することになってしまった。

 相手は十五歳の小娘で、しかも恩人の娘だ。やりづらいなあ。

 幸い、刀身は鉄製ではなく木製だ。フェンシングの剣のようにしなったりはしないが、俺には逆に扱いやすい。

 強いて言えば、片手剣なのが不利か。

 まあ何とかなるだろ。



 マリシェ姫は貴族将校の軍服を着て、歌劇の主人公のように颯爽と身構えている。

「来なさい。ボッコボコにしてあげるから」

「そういう本音は言わない方がいいと思いますよ?」

 面白い子だな。

 なんだか気に入ってきたぞ。

 俺は薄っぺらくて軽い木剣を、剣道の要領で構えた。

「では参りましょうか」



 結論から言うと、姫はハナクソのように弱かった。

 俺は中学校の頃、弱小剣道部で女子部員とも合同練習をしていたが、試合をしたときの感触はほぼ同じだ。

「踏み込みが遅くて浅いので、間合いが遠いですね」

 俺は十本勝負で全勝した後、がっくりと膝をついているマリシェ姫に説明する。



「姫の技量は私とほぼ互角ですが、体格差を埋めるほどではありません。互角だから当たり前ですが」

 ぜえはあと息を荒くしている姫は、恨めしげな目で俺を見上げる。

「……よくそこまで平気な顔して、追い打ちをかけられるわね」

「追い打ちではなく事実ですから」

「試合はともかく、言葉はもう少し加減しなさいよ!」

 すみません、よく言われます。



 俺は反省し、もう少しくだけた口調で改めて言う。

「姫は女性としても小柄な方ですから、一歩の踏み込みが男性よりかなり小さいんですよ。手も短いですし、これはどうしようもありません」

「でも大公が弱かったら、みんなを守れないでしょう? 体格差を埋めるために、もっと修業するわ」

「大公自身が戦う必要はないと思いますが……」

 たぶん気持ちの問題なんだろうな。



 まあいい、茶番は終わりにしよう。

 ここからが数学の時間だ。

「もしどうしても御自身で戦いたいのでしたら、銃をお使いください」

「銃? あの不便な武器?」

「銃は確かに不便ですし、重い上に反動もあります。銃も体格が良い方が有利なのは変わりません。ですが剣よりはマシですから」



 俺は姫に手を差し伸べる。

「散歩がてら、練兵場に参りましょう。練兵教官とは顔見知りです」

「え、ええ……」

 マリシェ姫は不安そうな顔をしつつも、俺の手を握って立ち上がった。

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