01話
ギルベルム卿によるマリシェ公女暗殺未遂は、俺とマリシェ姫自身の努力でなんとか回避された。
ギルベルム卿と暗殺者たちは恐鳥の腹の中なので、とりあえずはこれで安心だろう。
他に不穏な動きはなさそうだし、俺は姫の教育を頑張るだけだな。
そう思っていた矢先、俺は大公に呼び出される。
「御前、重要な御用件と伺いましたが……」
大公の執務室におそるおそる顔を出すと、ベルン殿下は待っていたといわんばかりに机から身を乗り出した。
「待っていたぞ、クロツハルト邦爵。いや、クロツハルト先生」
あ、じゃあ本業の紋章官じゃなくて「公女殿下の家庭教師」の方の用件か。
大公は俺にソファを勧め、それからさっそく用件を切り出す。
「そろそろマリシェに成人の儀を受けさせたい」
「早すぎませんか?」
マリシェ姫のポンコツ具合に俺も大公も頭を抱えていたので、当初は「延ばせるだけ延ばそう、どこまでも」という話だったはずだ。
この時期に成人させるのなら、むしろ前倒しになってしまう。
たぶん俺が渋い顔をしたのだろう。大公は苦笑する。
「すまんな、君の予定が狂ってしまうのは承知の上だ。しかしどうしても今のうちに、あの子に大人の仲間入りをさせておきたい」
「それは教育ではなく、もしかして政治の都合でしょうか?」
「相変わらず察しがいいな。その通りだよ」
大公は執務椅子に深くもたれかかった。
「西のパルネア王国、東のシュバール連合。いずれも敵とも味方とも言えない相手だ。油断はできない。そして北のグライフ帝国は建国以来の宿敵だ」
歴史年表を見ると、ロイツェン公国はグライフ帝国に侵攻を受けまくっている。帝国の前身、グライフ連合王国の時代からだ。
もちろん、これからも侵攻を受けるだろう。
俺はうなずいた。
「パルネアは先輩風を吹かせてロイツェンを従えようとしていますし、シュバールは氏族間抗争が激しくていつ飛び火するかわかりません。グライフに至っては南征が国政の要になっています」
「そうだ。ええと、『シメンソカ』だったかな? そんな感じだ」
「仰せの通りです」
日本語どんどん覚えていくな、この人。
大公は溜息をつく。
「このような状況では強力な君主が不可欠だが、そもそも後継者の候補がほとんどいない。ギルベルムは数少ない候補者だったが、あの通りだ。後を継げそうなのはマリシェ一人だよ」
だからこそ、大公は一人娘の教育を国家プロジェクトとして重視してきた。
それなのに元塾講師の異世界迷子……つまり俺なんかが、姫の教師陣の筆頭となっている。
「一方、私は老いた。まだあと十年はいけるだろうが、二十年は働けまい」
「御謙遜を」
「言い直そう、そんなに働きたくない」
「……仰せのままに」
いつ戦争になるかわからない国の国家元首なんて、確かに何十年もやりたくないよな。
俺たちは顔を見合わせ、苦笑しながら話を続ける。
「それに私が先代のように急死でもすれば、姫はいきなり大公位を継ぐことになってしまう。あれはつらいぞ」
「殿下は準備しておられなかったのですか?」
すると大公は遠い目をする。
「もう少し気ままに見聞を広めていたかったのだがな……」
このおっさん、未だにモラトリアムに心残りがあるらしい。
「人の生死は人の手の及ばざることだ。だが大公位の継承や成人の儀は、人の手でどうにかなる。今のうちに成人させ、姫に公務の経験を積ませておきたい」
「それができるのなら、そもそも私は必要ないはずですが」
どうしようもないダメダメプリンセスだから、俺が教えてるんだよ。
すると大公はおかしそうに笑う。
「何を言う。君の薫陶で姫は立派に成長した。シュバールの暗殺団から自らを守り抜き、謀反人ギルベルムに誅を下したのだぞ? わずか三名の手勢で」
「三名……」
俺と射撃教官のハンナ、あとは俺のメイドのコレットか。
最後のは戦力に入れないでください。姫の警護は雇用契約外です。
「あれだけの危難に立ち向かえるのであれば、もう一人前といってもよかろう」
射撃ばっかり上達していくんで、俺としては不安でたまらないんですけど……本当にいいの?
「それに書類仕事も多少できるようになってきたようだ。君の使用人たちとも上手に接しているようだし、対人面でも大きな問題はないだろう」
不安だ……。
すると大公は、俺の心中を見透かしたように微笑む。
「心配かね?」
「父君である御前に申し上げるのは畏れ多いのですが、心配です」
「君は慎重だからな。だが完璧に仕上がってから成人するのでは遅すぎる。半人前の危なっかしい若鳥だとしても、いつまでも巣の中にはいられまい。ふらつきながらでも自らの翼で羽ばたいてこそ、飛べるようになるのだ」
耳が痛い話だ。
「では御前は『半人前の危なっかしい姫』を成人させ、今のうちに実務経験を積ませる段階に入ったとお考えなのですね」
「ああ。親鳥が元気なうちに羽ばたかせたい。居心地のいい巣から蹴り出すべきだ。どうかね?」
過保護に見えて案外スパルタ式だな、大公。
だが確かにその方法は悪くない。今なら少々失敗しても大公のフォローがある。
俺は少し考え、それから溜息をついた。
「御前がそのようにお考えでしたら、教育の専門家として賛同いたします」
「おお、そう言ってくれると思っていたぞ」
「ですが御前」
俺はもう一度わざとらしく溜息をついてみせて、こう続ける。
「私を姫の補佐役につけるとか、そういう無茶をお考えではないでしょうね……」
「わかっているのなら話は早い。今後も頼むよ」
おい、ちょっと待て。絶対にお断りだ。
そう思ったのだが、今の俺は大公の直臣として俸給を貰う身。逆らえるはずがない。
俺は三度目の溜息をつくと、頭を下げた。
「主命とあらば、一命に代えましても」
こうしてマリシェ姫は、すぐに成人の儀を受けることになったのだった。
もうやだこの親子。
* * *
大公家の内々の儀式に使われる広間に、大公ベルンの厳粛な声が響く。
「この儀をもって、マリシェ・ルドリア・フォーンハウト・ロイツェンを大公家の正式な一員とし、大公家ならびに公国の政務に携わる権限を与えるものとする」
ガチガチに緊張しているマリシェ姫とは対照的に、集まった貴族たちは微笑ましそうにしている。ここに呼ばれているのは大公家の分家筋、つまり親戚のおじさんおばさんたちだ。
例外は俺一人だった。
本来なら俺も参加はできないのだが、実は重要な役割がある。
大公は居並ぶ貴族たちを見回し、こう宣言した。
「そして伝統ある後見人は、マリシェの師であるクロツハルト邦爵が務めるものとする。異議ある者は、この場にて申し出るがよい」
当然、誰も何も言わない。あくまでも儀礼的なものだ。
大公はうなずき、最後に宣言する。
「本日よりクロツハルト邦爵をマリシェの後見人とする。かの者の言葉は姫の言葉と心得よ」
こうして俺は、姫のお守りをこれからも続けていくことになったのだった。
できるだけ早く卒業してくれよ、公女殿下。
お待たせいたしました。
第2章の連載開始です。
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