エピローグ
「クロツハルト紋章官」
宮殿の大広間に、ロイツェン大公ベルンの威厳ある声が響く。
居並ぶ廷臣や諸侯に見守られながら、俺は大公の前に進み出た。玉座に座る大公の横には、公女マリシェ殿下も立っている。
俺は普段よりまじめな声で、こう応じた。
「クロツハルト、ここに」
大公は俺にうなずき、よく通る声で一同に告げた。
「大逆人ギルベルムの手より、公女マリシェをよくぞ守り抜いた。貴殿の忠誠と貢献は、とこしえにロイツェン史に刻まれよう」
俺は無言で恭しく頭を下げる。
大公は式典用の威厳を保ちながら、ロイツェン大公家に伝わる宝剣を俺の肩に優しく置いた。
「価値ある忠誠には価値ある恩賞を与えよう。貴殿は一代限りの名誉貴族であったが、本日より貴殿をロイツェンの正式な貴族として迎え入れる」
廷臣や諸侯が微かにどよめく。
ロイツェンの貴族はみんな、遠い親戚みたいなものだ。国が統一されて何百年も経ち、身内意識が芽生えている。
正式な貴族になれば、俺もその親戚の仲間入りということになる。俺の子々孫々も、俺の爵位を受け継ぐ貴族だ。
「貴殿とその血統には、由緒ある『邦爵』の位を授けよう。ロイツェン大公ベルンの名において、クロツハルト邦爵家を興すことを認める」
あ、ちょっと待ってください。
クロツハルトは俺のフルネームですよ?
クロツハルト家にされると、俺のファーストネームどうなるの?
そう言いたかったが、爵位授与の式典中は私語厳禁だ。
姫が真剣な目で、「早く宣誓しろ」としきりに促している。
いや、そこを躊躇してる訳じゃないんですが。
ああ困ったな。
困ったけど、他に方法がない。事前に確認しておかなかった俺の不手際だ。
「……謹んで邦爵位を賜ります。これよりはロイツェンを我が祖国とし、大公にのみ忠誠を誓います」
定められた宣誓を俺が言うと、居並ぶ人々が拍手で俺を迎えてくれた。
ロイツェン固有の「邦爵」は、異邦から来た貴人に与えられる最高の爵位だ。
亡命王族や投降してきた大将軍などの体面を保つための爵位で、領地や権力は乏しいが格式だけは異様に高い。ロイツェンでは「大公家の友」と呼ばれる。
なんかこう、どんどん深みにはまっていってる感じがする。
爵位の授与が終わると、公女マリシェ殿下が微笑みながら、ありがたいお言葉をかけてくださる。
「クロツハルト邦爵。あなたの知識と勇気、そして誠実さは、私の憧れです。今後も私に知識と知恵を授けてください」
「もったいないお言葉、光栄の至りにございます」
なんだこの茶番。
すると姫はますます笑顔になり、こう続けた。
「ですから木の上で半日過ごしたりしても、私は決して怒ったりはしませんよ」
「ええと……」
怒ってるじゃん。
「でも次はもう少し、年頃の女の子に配慮してください」
「……はい」
そういうのは式典の後で言ってくれよ。
俺はロイツェンの中流貴族として認められたが、おかげでますます深みにはまり、姫の家庭教師を続けていくことになりそうだ。
きらびやかなドレスを着たマリシェ姫が、くすっと笑う。
「これからもよろしくね、先生」
「ああ、うん……」
先生って呼ばれると、妙にやる気が湧いてきちゃうな……。
最後にベルン大公が俺に告げる。
「邦爵家を興すにあたっては正式な紋章が必要となろう。今回の功績を鑑み、貴殿には『恐爪紋』を授ける」
その言葉と共に、姫が俺に刺繍入りのマントを授けてくれる。
マントには紋章の刺繍が入っており、恐鳥の鉤爪を模したと思われる図案だった。
日本の家紋と違って、ロイツェンの紋章は俺個人のものだ。俺の子孫は図案の一部を受け継ぎ、個人の紋章にする。
俺の紋章には爵位を表す意匠や、初代当主を示す意匠が入っている。
それに大公家に特別な貢献をした者にだけ認められる「大勲紋」と呼ばれる意匠も入っていた。
紋章官やってるからわかるが、これはかなり格式が高い。高額の恩給もついてくる。
後で聞いたが、ハンナも大勲紋を加増されたそうだ。
でもこれ、どんな効果のある紋章なんですか。
俺の疑問を感じ取ったのか、大公はフッと笑った。
「この鉤爪は圧倒的な力の象徴だ。貴殿の前では、いかなる凶徒も恐怖に震えよう」
ああ、そういうタイプの紋章ですか……。
後で聞いた話だが、恐鳥はロイツェン大公家を象徴する鳥らしい。
日本でいえば、朝廷から鶴の家紋を賜ったようなものだ。大変な名誉だという。
嬉しいんだけど、デザインが凶悪すぎる。
こうして俺は「鉤爪のクロツハルト」という異名と共に、ロイツェン大公国の貴族として生きていくことになった。
がんばらなきゃな。