33話
「死んで……る?」
「死んで……ますね」
血と硝煙の臭いが漂う中、マリシェとコレットは顔を見合わせた。
コレットが金髪のウィッグを脱ぎながら、ほっと溜息をつく。
「姫様が無事で良かったです」
「ありがとう。でも、刺客に立ち向かえなんて頼んでないわよ?」
マリシェは三挺目の銃を構えたまま、廊下や窓の外を念入りにチェックしている。
彼女の銃の火縄からは、甘いバラの香りが漂っていた。火縄の臭いを消すための特性の火縄、銃術師範シュナイツァー家秘伝の一品だ。
「刺客の注意を一瞬だけ逸らしてくれれば、それで良かったのに。ほら、火縄の火と臭いに気づかれたらおしまいだったから」
「はい……でも」
コレットが珍しく反論してきたので、マリシェは首を傾げた。
「でも何?」
するとコレットは、少し照れくさそうにうつむいて応える。
「私は姫様の学友ですから。学友を守るためなら、命だって懸けます。貧民は助け合わないと生きていけませんから、それぐらいの意地はあるんですよ」
マリシェは驚いた顔をしたが、すぐに頬を染めて笑った。
「ありがとう。身分や家柄は違っても、あなたは私の学友だわ」
「はい」
マリシェは香水の瓶を手に取ると、それをコレットに渡す。
「そうだ、忘れないうちにこれを渡しておくね」
「これは?」
「柑橘の香水よ。実はクロツハルト殿から言われてたんだけどね……」
* * *
一方その頃、ギルベルム卿は手下からの報告を受けていた。
「またしくじっただと!?」
しとしとと降る雨の中でギルベルム卿がそう叫ぶと、顔を隠した男が深々と頭を下げる。
「申し訳ございません。いずれも配下の手練れを差し向けましたが、返り討ちにされてございます」
ギルベルムはいらいらして顔を拭う。
「小役人や小娘もまともに殺せんのか、お前の暗殺団は」
「返す言葉もございません。ですがあの異国の男、紛れもなく相当な達人。同伴していた護衛も一騎当千の猛者の模様」
暗殺団の頭目は自らの失敗を隠すため、クロツハルトの実力を過大に評価してみせた。
「あの異国の男は、そんなに強かったのか……」
ギルベルム卿は爪を噛む。
「なるほど。大公が気に入って、娘の家庭教師にする訳だ。ただの紋章官と侮っていたが、やはり分断させておいて正解だったな」
どうやらあのクロツハルトという小役人、想像以上の豪傑らしい。
暗殺団の頭目は、さらに弁明する。
「そして公女はどうやら、自ら銃を用いて刺客を葬った模様にございます。剣術かぶれの未熟者とお聞きしておりましたが、銃の名手ではございませんか」
その言葉には、正確な情報を渡さなかったことに対する微かな非難が含まれていた。
ギルベルムは顔をしかめる。
「俺だって今初めて聞いたぞ。あの小娘、剣だけでは飽きたらず銃まで練習していたのか」
「そのようにございます。予めわかっておれば、こちらも銃を用意したのですが」
「何で最初から用意しておかないんだ」
「この雨では、こちらの火薬は湿ってしまいますからな」
「むう……」
ギルベルムは不快げに眉をひそめたが、今さらどうしようもない。
「くそっ、俺にまともな兵さえあれば」
パルネア王国の軍閥が手を引いてしまったので、今のギルベルム卿には兵力がほとんどない。
ロイツェンの貴族は、大規模な軍隊を持つことを許されていないのだ。
そうなるとギルベルムには暗殺ぐらいしか選択肢がないが、家臣たちに命じても公女暗殺など絶対に承伏しないだろう。
大公家に密告されるか、下手をすればその場で取り押さえられかねない。何せ大罪中の大罪だ。
「クロツハルトの件は山賊の仕業にすればいいとしても、公女暗殺に失敗したのはまずいな……」
クロツハルトの暗殺が成功していれば、後は放っておいても公女は自滅していくはずだった。
公女がこれ以上君主としての力をつけなければ、後はどうとでもなる。
しかしクロツハルトが刺客を逃れただけでなく、返り討ちにしてしまったのは予想外だった。
死んだのはロイツェン人の殺し屋だから別にどうでもいいが、死体から何かが判明するかもしれない。
そのためギルベルムは第二の策として公女暗殺計画を実行に移したが、これもあっさり失敗してしまった。
今回の刺客はシュバール人だ。彼らを雇える者は限られる。ギルベルムの仕業だと露見する可能性が高かった。
異教徒の暗殺団を使って公女殺害を企てたとなれば、もう弁明の余地すらない。ギルベルムは処刑され、家系は断絶となる。
「もう後には引けん。何としてもここで公女を始末し、返す刀で大公も暗殺する。そうすればパルネアも、俺の実力を改めて見直すだろう」
シュバール人たちが顔を見合わせ、ひそひそとささやく。
「パルネア人どもに国を売る気か、この男」
「ロイツェン人は嫌いだが、パルネア人はもっと嫌いだぞ。こいつに手を貸したのは失敗だったな」
ギルベルムはぎろりと刺客たちをにらむ。
「俺のことは嫌いになってもいい。だが俺の金を嫌いにはなれんだろう? 払った分だけ働け」
「……承知」
刺客たちは不承不承といった態度で、静かに頭を下げた。
ギルベルムは銃を手にして愛馬にまたがる。
「こうなったら俺も行く。貴様らが本気で仕事をしているのか、見届けてやる」
「仕事の邪魔だ、こないでくれ」
「黙れ、本職の誇りがあるのなら二度も失敗するな」
次第に強まる雨の中、ギルベルムは叫んだ。
「急げ! 周辺に展開していた近衛隊が、公女を守るために集結しつつある。それまでに公女を討つのだ!」