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32話

「クロツハルト殿が襲われた!? 本当なの!?」

 深夜、公女マリシェは山荘に駆け込んできた近衛兵に対して、驚きの声を隠せなかった。

 ずぶ濡れの近衛兵は絨毯に滴が落ちるも構わず、深々と頭を下げる。



「はい。敵方は少数でしたが、間違いなく何かの訓練を受けた者どもでした」

「それで、クロツハルト殿は!? それにハンナも大丈夫!?」

「わかりません。私たちはただ、大公様と姫様に一刻も早くお知らせするようにと命じられましたので」

 申し訳なさそうに答える近衛兵に、マリシェは小さく溜息をつく。



「ううん、ごめんなさい。上官の命令には従わないといけないものね。無事にここまでたどりついてくれてありがとう。あなたはロイツェン軍人の鑑、立派な忠臣だわ」

「姫様……」

 近衛兵が目頭を擦ったのは、雨に濡れていたせいだけではなかっただろう。



 マリシェ姫は彼の着替えを用意するよう侍女たちに命じると、ただちに山荘の警備を固めるよう指示した。

「この屋敷だけでも二十名以上の近衛兵がいます。相手は少数、恐れる必要はありません。それからコレットは私についてきなさい」

 そう言った後、姫は不安がる侍女たちに微笑みかける。

「心配いらないわ。どうせ標的は私だから、あなたたちはそんなに危険じゃないのよ」



 そう笑って自室に戻る。

 ドアを閉め、コレットと二人になったところで、マリシェはガタガタ震えだした。

「どうしよう!?」

「どうしようって言われましても」

「クロツハルト殿、無事かな!? ハンナも心配だし、ああもう命なんか狙われてる場合じゃないわ!」

「そっちですか……」

 コレットが呆れたようにつぶやくが、マリシェは真顔で応じる。



「私は公女だから、命を狙われるのは当たり前。先祖代々、何人も暗殺されてるのよ? 平民とは覚悟が違うわ」

「その割にはずっと震えてませんか?」

「怖いものは怖いんだもん!」

 覚悟があっても怖いものは怖いマリシェだった。



「とにかく、応戦の準備をするわ」

「戦いは兵隊さんに任せておいた方がいいのではありませんか?」

「そうしたいんだけどね……」

 マリシェは小さく溜息をつく。

「この山荘は城や砦じゃないから、攻め込まれると弱いの。警備の兵は山荘周辺に広く薄く展開していて、今から呼び戻しても間に合わないわ」



 こういった用兵は、ハンナから教わったものだ。夜間、しかも雨天に兵士の集団を迅速に集める力量は、マリシェにはまだない。

 持参した火縄銃をケースから取り出しながら、彼女は言う。

「どんなときでも私を守るために最後まで戦ってくれる人は、私だけ。それは大公でも平民でも変わらないわ」



 コレットがマリシェの顔をまじまじと見つめ、それから大きくうなずく。

「はい」

「意見が合ったようね。そこでお願いがあるんだけど……」

「何でしょうか?」



 マリシェは困ったように笑った。

「さっき言ったことと矛盾するけど、私と一緒に最後まで戦ってくれない? ほら、学友として。ね?」

「ええと……」

 コレットは少し考え、それから溜息をつく。

「私はクロツハルト様のメイドですので、公女様の家臣ではないんですけど……。でも、学友としてなら、構いません」

「ありがとう」

 二人は顔を見合わせ、それから互いに笑みを浮かべた。



   *   *   *



 雨に煙る夜の山荘に、黒衣の集団が接近しつつあった。

「『左手』が失敗した。しかも全滅だそうだ」

 低い男の声が流れる。ロイツェン語ではなく、東方のシュバール語だった。

 別の声が同じくシュバール語で応じる。

「文官一人に何をやっているんだ」

「『左手』とはいえ、あいつらも我らの一味だ。どうやらその男、一筋縄ではいかん相手のようだな」



 雨の音だけがはっきりと聞こえる中、黒衣の集団は山荘を取り囲む里山を駆け抜けていく。

「『左手』はしくじった。となれば『右手』は絶対に仕損じる訳にはいかん」

「当たり前だ。仕損じて良い仕事などあるか」



 男たちは木々に隠れ、山荘の明かりが見える場所で立ち止まる。

「公女は十五、金髪の小柄な娘だ」

「うむ。そして『剣術好きの血気盛んな小娘』で間違いないな?」

「そう聞いている」

「承知した。では手はず通りに」

 男たちの声が止み、雨が一瞬だけ激しさを増す。



 雨が再びしとしとと降り注ぎ始めたとき、そこにはもう誰もいなかった。



   *   *   *



 暗殺者が二人、真っ暗な廊下の端を音もなく歩いていた。

 電灯などないこの時代、廊下は暗闇だ。燭台を持って歩かないと何も見えない。

 暗殺者たちは暗闇でも目が見える。



 たまに廊下を衛兵が巡回していくが、彼らはその度に物陰に潜んでやり過ごした。

 手と指のサインだけで情報をやりとりして、二人は山荘三階の一室にたどり着く。



 鍵穴からは、甘いバラの香りが漂ってきていた。

 貴人が用いる香水だろう。シュバール地方でも、バラの香水は有力氏族が愛用している。

 男たちは慣れた手つきで蝶番に油を注すと、今度はドアの鍵に奇妙な形の棒を差し込む。

 ほんの微かにカチリという音がして、鍵が開いた。

 暗殺者たちは懐から短刀を抜く。

 それからゆっくり、ドアを開いた。



 暖炉の火だけが照らす室内に、金髪の少女が立っていた。ドレスを着ており、腰にはドレスに不似合いな剣を吊っている。

「何者です!」

 少女は腰の剣を抜くが、手つきはおぼつかない。



 男たちは音もなく室内に滑り込むと、左右に分かれて短刀を構えた。

 その瞬間、轟音が室内を貫く。

「ぐっ!?」

 男の片方がよろめきながら崩れ落ちた。



 残った刺客は室内を見回す。

 暖炉の陰にもう一人、金髪の少女がいた。しゃがんで火縄銃を構えている。

「何だと!?」

 だがさっき、火縄の臭いはしなかった。



「護衛か!」

 火縄銃は恐ろしい武器だが、二発は撃てない。

 この距離なら短刀を投げれば仕留められる。



 だがそのとき、ドレスの少女が剣を振り回しながら突っ込んできた。

「やらせない!」

 ロイツェン語の叫びだが、刺客は少女の発音に下流特有の訛りがあることに気づく。

「影武者か!」



 暗殺者はドレスの少女を蹴り倒すと、火縄銃の少女を振り返った。

 短刀の刃には黒サソリの毒が塗られ、暖炉の光を黒く吸い取っている。

 かすり傷でも負わせれば確実に殺せる。



 しかしその瞬間、再び銃声が轟いた。

「なん……だと?」

 二挺目の銃を構えた少女が立ち上がると同時に、暗殺者は倒れた。




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