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26話


 聖灯教パルネア派、別名「青炎派」の神官たちが、聖ユートリウス救児院に集まっていた。

 建物の補修や増築が終わり、ボロボロだった救児院は輝くほど……ではないが、それなりに落ち着いた佇まいになっていた。



「君のとこは立派になったなあ、カルツ君」

 老齢の神官がうらやましそうに声をかけると、眼鏡の青年が微笑んだ

「ええまあ、これもクロツハルト殿のおかげです。あんなに多額の寄付を、何も言わずにポンと……」



 集まった神官たちは、首都やその近郊で救児院を任されている者たちだ。半数ほどはカルツ同様、若手の神官だ。

 教団の中では救児院の管理はあまり重要視されておらず、若手神官や出世コースを外れた神官たちに押しつけられていた。



 若い神官が嘆息する。

「うちは毎月、神官たちの給料から自腹ですよ。子供たちの冬着も買ってやれていません」

「僕のとこもです。近所の農家から余った野菜を分けてもらって、どうにかやりくりしているような有様で」

 どこもギリギリの経営状況にあり、建物の補修など夢のまた夢だった。



「いいなあ……」

 誰かがつぶやき、全員がうなずく。

「うちにも来ないかな、クロツハルト殿」

「いや、さすがにこの額を寄付するのは無理でしょう」

 カルツが苦笑する。



 クロツハルトは所領を持たない宮仕えの下級貴族で、収入源は紋章官の給料だけだ。相当な無理をしただろう。

 だからこそ、カルツはクロツハルトの優しさを痛感していた。

「クロツハルト殿は自身が困窮するのも厭わずに、この救児院に寄付して下さいました。しかもあの方はロイツェン派、我々とは宗派が違うのです」



 集まったパルネア派神官たちから、かすかなどよめきが生まれる。

「なんでそんな意味のない寄付を……?」

「物好きな御方だ」

 同じ聖灯教でも、ロイツェン派とパルネア派は互いに異端視している。表立って争うことは大公が許さないが、水面下での勢力争いは日常茶飯事だ。

 おそらくロイツェン派の神官たちは、クロツハルトに対して微かな不満を抱いていることだろう。



 カルツは壁の一部分、真新しいレンガで補修された箇所を撫でながら微笑む。

「あの方は、雇ったメイドがこの救児院の出身だからという、たったそれだけの理由で寄付をして下さったのです」

「それだけですか?」

「本当に?」

 みんな驚いている。



 カルツはますます笑みを深めながら、さらに続けた。

「しかもそのメイド、つまりうちのコレットに自ら学問を授けて下さっているそうですよ」

「なんと!?」

「いやいや、どういうことです!?」

 全員が度肝を抜かれた様子で、目を丸くした。



 クスクス笑うカルツ。

「私がお願いしたことですが、あの方は私の希望を遙かに越えて手を尽くして下さいました。そしてコレットは今、マリシェ殿下の御学友だそうです」

「なっ!?」

「公女殿下の御学友だって!?」

 あまりの驚きに全員が冷静さを失ってしまう。



「救児院の子供が、公女殿下の御学友になれるんですか!? そこらの貴族の子息なんかより、よっぽど将来が開けているじゃないか!?」

「信じられない! どういうつもりなんです!?」

「まさか、何か政治的な意図が?」

「いや、そのコレットという子に何か良からぬことをするつもりでは……!?」

 うろたえる神官たちに、カルツはこう答えた。



「彼には何にもありません。先日お会いした折には、『教えたら伸びそうだから教えてみたかった』と」

「それ……だけ?」

「はい」

 カルツはおかしくてたまらない。

 爽快だった。



「面白い御仁でしょう? 何の得にもならないことを、こんなに熱心にして下さる」

「訳がわかりませんよ、カルツさん。クロツハルト殿は、いったいどういう人物なんです?」

 彼らが知っていることといえば、クロツハルトが異邦人であること、今は貴族待遇で大公に仕えていることぐらいだ。

 謎が多すぎた。



 カルツはパルネア派の教典を手に取りつつ、一同に笑いかける。

「名声や世間体のための寄付も善行ですが、幼子のように純真かつ無私の寄付は最上の善行とされます。しかも財産の多くを投げうち、こうして実際にこの救児院の子たちを救って下さった」

 カルツは教典をめくり、そこに記されている一節を読まずに暗唱した。



『金貨を貸す者には銅の加護が、銅貨を与える者には金の加護が与えられよう』

 すると他の神官たちが一様にハッとした表情になり、数名が聖句の続きを暗唱する。

『一枚の銅貨しか持たぬ者が差し出した銅貨こそが、神の門を開く黄金の鍵である』

 その言葉に、カルツは深くうなずいた。



「クロツハルト殿の行いは、我らが信奉する神の教え、そのままではありませんか。あの方こそ真の聖者。『地にありて貴族、天にありても貴族』といえましょう」

 カルツは聖句の一節『地にありては貧民、されど天にありては貴族』をもじって笑う。

 これは世俗の君主たちがあまり快く思わない一節であり、世俗の法と秩序を重んじるロイツェン派では聖典から削除されている。



 パルネア派の誇りともいうべき一節に、神官たちは一様に深くうなずいた。

「確かに……」

「宗派は違えども、クロツハルト殿は青炎の使徒だ」

「寄付も欲しいのが正直なところですが、それよりも一度お会いしたい。人として惹かれるものがあります」

 崇高な理念を掲げ、教典を厳密に解釈するパルネア派の神官たちは、クロツハルトの行いに神性の輝きを感じているようだった。



 カルツ神官は一同に告げる。

「ではまず、あの方の前途を阻むものを焼き払いましょう」

 彼の言葉に、一同が慎重な態度になった。

「阻むもの、とは?」



 カルツは眼鏡を押さえ、冷たいまなざしで答えた。

「クロツハルト殿を快く思わない者が、我が青炎の使徒の中におります。違和感を覚えたので私が調べてみると、不正蓄財や教団会計の改竄など、確たる証拠をつかみました」

 彼は懐から書類の束を取り出し、パラパラとめくった。



「救児院への予算を削りまくっていたのも、その者の仕業です。おかしいと思いましたよ。私たちの救児院は貴族の道楽とは違い、少数派であるパルネア派が未来の信徒を得る場です。その予算を削るなど、背信行為に等しい」

 一同は沈黙する。話が大きくなってきたからだろう。



 やがて最年長の老神官が、目を細めながら問う。

「それほどの権限を持つ者であれば、我ら下級の神官ではあるまい。カルツ殿、それは誰か?」

 カルツ神官は書類の署名を一同に見せた。

「大神官の一人、ピウス殿です」



   *   *   *



 緑のジャケットを着た男の前には、椅子が二脚。

 片方には赤い軍服の男が座っていたが、もう片方には誰も座っていない。

「ピウス殿はどうなさった?」

 赤い軍服の男が問うと、緑のジャケットの青年が苦々しげに答える。



「失脚した。裏金を作り、私に献金していたのが発覚したそうです」

「大神官ともあろう方が迂闊なことだ」

 赤い軍服の男は笑いながら、パルネア訛りのあるロイツェン語でそう応じた。

「青炎派でしたかな、あの一派は苛烈な宗教裁判だそうですが」



 青年は憮然とした口調で返す。

「位階を剥奪され、今は行方もわからん。全く、使えん男です」

「救ってはやらないのですか? 彼はあなたの協力者、戦友でしょう?」

「戦友?」

 緑のジャケットの青年は笑う。



「一度失敗した、そしてもう役に立たん男です。幸い、私にはパルネア竜騎兵旅団という後ろ盾がある」

 だが赤い軍服の男は、髭を撫でながら小さく嘆息する。

「私はお世辞にも誉められた軍人ではないが、戦友を見捨てるような真似はしません。だがあなたは今、戦友を見捨てるとおっしゃった。あなたと共に戦うことはできませんな」



 赤い軍服の男は椅子から立ち上がると、緑のジャケットの男に軽く会釈した。

「では御機嫌よう、ギルベルム卿。貴殿の前途に栄光あらんことを」

「ま、待て! いや、待たれよ!」

 緑のジャケットの男は慌てたが、赤い軍服の男のまなざしは冷ややかだ。



「あなたの人物、能力、思想については、すでに本国に報告済みです。その結果、あなたにこれ以上肩入れしても国益につながりそうにない、というのが本国の判断でした」

 サーベルをガチャリと鳴らし、赤い軍服の男は背を向ける。

「あなたに肩入れするぐらいなら、マリシェ公女の将来性に注目するほうが良さそうだ。案外、良い女大公になるかもしれん」

「バカなことを!」



 ギルベルムと呼ばれた男は拳を震わせる。

「あんな愚かな小娘に、このロイツェンの舵取りを任せられるはずがないだろう! まだ十五だぞ!」

 すると赤い軍服の男が、ゆっくりと振り向いた。

「パルネアでは貴族の男子は十五で軍役に就き、国王陛下のために命を懸けて戦う。貴公は我が軍を侮辱なさるおつもりか?」



 その威圧的な視線に、ギルベルムは狼狽えて半歩後ずさった。

「うっ……」

 彼が怯んでいる間に、軍服の男は背を向けて歩き出す。

「そこで『国の舵取りと軍役は別物だろう』と即座に言い返せないのが、貴公の器だ。バカなことはもうおやめなさい」

「な、何だと!?」



 ドアを開けてパルネアの軍人が最後に微笑む。

「私も今回の失態で本国に召還されることになった。査問会が待っている」

 それから彼は小さく溜息をついた。

「もうお会いすることはないだろうが、君はまだ若い。私やピウス殿のようになるな」

 そう言い残して、男は部屋を後にした。



 残されたギルベルムは爪を噛む。

「くそっ……役立たずどもめ……」

 イライラした態度で椅子を蹴り、絨毯を踏みにじる。



「俺が、この俺でなければロイツェンは守れんのだ……。俺は大公家の血筋を引く男子、あんな小娘とは比較にならんのだぞ……」

 拳を震わせて力説するギルベルムだが、それを聞く者は誰もいない。

 目を血走らせ、爪を噛み続けるギルベルム。

「こうなったら……」

 その言葉の続きを聞いている者もまた、誰もいなかった。


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