22話
俺は本棚から、姫たちが話題にしている「イスファハーンの挽歌」を持ってきた。
分厚い装丁を開いて、豪華な挿し絵を示す。ゴテゴテの装飾過多の鎧を着た騎士たちが、槍や剣を手にしている絵だ。
「騎士たちの甲冑には、肩に大きな角飾りがついていることがあります。実はあれ、恐鳥の丸呑み対策なんですよ」
「えっ!?」
「本当ですか?」
二人が顔を見合わせたので、俺はクスクス笑う。
「本当です。恐鳥といえども、さすがに人間をそのまま丸呑みにはできません。でもとにかく何でも呑み込もうとしますからね。角飾りで肩幅を広くして、早めに諦めさせるんですよ」
コレットが描かれている角飾りを指さし、おそるおそる俺に問いかけてくる。
「もしこれがなかったら、どうなるんですか?」
「恐鳥はあんまり頭が良くないが、『このぐらいなら、もう少し小さくすれば呑み込めるな』と考えるだろうね」
「小さく……?」
姫が嫌そうな顔をする。
俺はうなずき、手で鳥のクチバシを模して机上のペンをつまんだ。
「だからこうしてくわえたまま、びたんびたんと岩や木に叩きつけて『小さく』します。犠牲者は全身の骨を砕かれてグニャグニャになりますので、スルッと呑み込みやすくなります」
「うえ……」
マリシェ姫がドン引きしている。
俺は知らん顔して説明に徹した。
「逆に小さくしても呑み込めそうにない場合、恐鳥は諦めることもあります」
「諦めなかったら?」
「諦めない場合は爪で押さえつけ、クチバシで引き裂きます」
「ひぇっ!?」
ビクッと肩をすくめる姫。
姫が興味を持つだろうと思って事前に調べておいたことなので、存分に怯えてほしい。
しかしこれ、地理じゃなくて生物の授業になってるな。
まあいいか。せっかくだし、もう少し説明しておこう。
「ただ、恐鳥のクチバシは丸呑みに適した形になっています。細かい動作は苦手らしいですし、鎧を着た人間を引き裂くのは面倒くさいようですね。歯もないので噛み砕けませんし」
「割と適当ね……」
怪物といっても野生動物だからね。
伝説にしか出てこないドラゴンだの悪魔だのとは違う。
「だから恐鳥に襲われたときは、両手を広げたりマントや棒で横幅を広くみせて威嚇すると、助かることもあるそうですよ」
「なるほどね。覚えとくわ」
うんうんとうなずくマリシェ姫に、コレットが遠慮がちに問う。
「姫様、まさか恐鳥にお会いになられるおつもりですか?」
やりかねないぞ、この姫様なら。
まあいいや、本題に戻ろう。
「ところで、この本の作者はロイツェン南部の出身ですが、おかしいと思いませんか?」
マリシェ姫がすぐに気づいた。
「南部? 南部に恐鳥はいないでしょ?」
「そうです。しかしこの本が書かれた二百年ほど前には、そうではありませんでした。恐鳥は南部にもいましたし、森だけでなく草原にもいました。農村もよく襲われていたそうです」
二人がその光景を想像してドン引きしているところに、俺は質問する。
「さて問題です。ロイツェン中にいた恐鳥が、今は北部の限られた森にしかいないのは、なぜだと思います?」
マリシェ姫とコレットが顔を見合わせ、それから姫の方が口を開く。
「やっつけたからでしょ? だってそんなのがうろうろしてたら、領民が働けないじゃない」
「仰る通りです。でも当時は領主たちがそれぞれに軍を持っていましたから、大公といえども駆除のために兵を送ることはできませんでした」
するとコレットがぽつりと言う。
「だから、私たちは自分でやるしかないんです」
一瞬、ギクリとした表情になる姫。
「えっと、それはどういう……?」
「平民は自分で何とかするしかありませんから。だからたぶん、農民たちが武器を持って戦ったんだと思います」
コレットの答えが正解だが、軽く姫をフォローしておくか。
「コレットの言う通り、恐鳥を駆逐したのは農民たちです。私たち貴族は庶民のためにいろいろしているつもりでも、やはり足りていないのかもしれませんね」
本当のところは何とも言えない。
民衆が恩知らずで厚かましいだけとも言えるし、貴族が自分ルールで貴族の義務を果たしているだけとも言える。
正直どっちもどっちだと思うので、俺はこの件について明言を避けた。
「まあそれはさておき、ここで農民の力になったのが銃です。恐鳥の数が減り始めたのが、ロイツェンで農村部にも銃が普及しはじめた時期と一致しています」
とたんにマリシェ姫が目を輝かせた。
「銃!? やっぱり銃なの!?」
「ええ。農民たちが使ったのは引き金も何もない、本当にただの鉄の筒みたいな代物だったんですが、恐鳥には十分でした」
火縄を手に持ち、点火口に差し込んでぶっ放すという原始的な発射装置だが、怪物に苦しめられていた農民たちにとっては救世主となった。
一撃の威力が高いことに加え、発砲音と硝煙の臭いが恐鳥を追い払うのに役立ったという。
「鳥の中でも猛禽はあんまり頭良くないそうですからね。人間が集団で知恵を使い始めたら、こんな怪物でも退治されてしまうんです」
こうして大口径の簡易火縄銃、通称『鳥撃ち筒』は高い生産性と威力で普及し、恐鳥を農村や里山から追い払ってしまった。
生息域の大部分を失った恐鳥たちはみるみるうちに数を減らし、ロイツェン北部の鬱蒼とした深い森の奥にだけ住むようになっている。
銃も恐鳥も見たことのないコレットが、首を傾げる。
「でも旦那……先生。銃って、一発しか撃てないんでしょう? 外したらこっちが食べられませんか?」
いい質問だ。
「農民たちは集団で行動してたから、誰かが一発当てれば良かったんだ。それに」
俺は銃弾として使われる鉛の玉を、いくつか机上に置いた。
「通常の鉛玉を数粒まとめて詰め込んで、散弾として使ったんだよ。バカみたいな量の火薬と一緒にな。他にも釘とか鉄屑とか大量に詰め込んで散弾にしたらしい」
前装式の銃は弾込めが不便だが、こういう利点もある。
「ぶっ放した後、農民たちは反動を逃がすために体ごとひっくり返ったというから、相当な威力だったんだろうな」
「なにそれ、おもしろそう!」
姫がますます目を輝かせたので、俺は起こり得るインシデントを回避するために釘を刺した。
「ダメですよ、姫。ロイツェン軍の制式銃で真似しないで下さいね。整備担当兵が泣きますから」
「ちぇー」
油断も隙もないな。
こうなってくるともう、地理だか国語だか歴史だか生物だかわからない授業になってくるが、これこそが俺の求める授業なので問題はない。
今やっているのは、受験対策の勉強じゃないからな。
公女殿下を立派な君主に育て上げるための特訓だ。
「で、話は戻ってロイツェン北部の森林地帯になるんですが……おや? どうしました?」
姫がなんだか元気を無くしているので、俺は少し心配になる。
あ、そうか。
「もしかして姫、恐鳥を追い払ったのが農民たちだったことにショックを受けておいでですか?」
うつむき加減のマリシェ姫が、こっくりとうなずいた。
彼女は悲しげに言う。
「私、この国の歴史を切り開いてきたのは、歴代の大公と騎士たちだと信じていたわ。恐鳥だって騎士たちが倒してきたんだと思ってたのに……」
うなだれる姫の横で、コレットが不安そうな顔をしている。
こっちはこっちで、自分が失言をしたんじゃないかと怯えているようだ。
俺はコレットに優しく語りかける。
「コレット、姫は大公家の嫡子として誇りを持っておられるんだ。だから今、ちょっと傷ついている。でもそれでいいんだよ」
「……はい」
今度は姫に向き直り、俺は意外と打たれ弱い姫を励ます。
「姫、騎士たちも道楽で戦っている訳じゃありませんよ。彼らは地位と名誉のため、もっと言えば地位と名誉にくっついてくる領地と恩賞金のために戦っているんです」
おそらく当時の大公は、騎士たちに恐鳥討伐を命じなかったんだろうな。
冷たいようだが、当時のロイツェンは四方を敵に囲まれていて害獣駆除どころではなかったはずだ。
姫はまだ落ち込んでいる。
「でも、そんなの騎士っぽくない……」
「しょうがないでしょう。彼らにも養うべき家族や使用人たちがいるんです。金にならないことで命を危険に曝していたら、一族が滅びてしまいますよ」
仕事だからね。
やりがいとかそういうフワフワした言葉で、つらい仕事させちゃダメだからね。
おい聞いてんのか、前の職場の上司。待遇悪いのにやりがいなんか感じる訳ねえだろ。
いかん、つい発作的に私怨が……。
今の俺は貴族階級だ。あんな庶民のことなんか忘れよう。
俺は小さく咳払いをして、姫に微笑みかける。
「でも姫が大公になれば、そんな世の中も変えられます。今の大公家には直属の国軍がありますから、いざとなれば領民の救援ぐらいは造作もありませんよ」
その瞬間、姫は立ち直った。
「そうね! 銃もあるし!」
「どんだけ銃が好きなんですか」
もう銃と結婚してしまえ。
しかし立ち直ったマリシェ姫は、ぐっと拳を握りしめる。
「そうよ、私がしっかりしなきゃ! 恐鳥だろうが竜だろうが巨人だろうが、私が全部やっつける!」
「姫はやっつけなくていいんですよ。ロイツェン軍の仕事です」
俺は溜息をついたが、ふとコレットの表情が気になった。
コレットは意外そうな顔をして、まじまじとマリシェ姫の顔を見つめている。
姫もコレットの視線に気づいたのか、振り返ってコレットの手を握る。そしてニッと笑ってみせた。
「大丈夫、任せて! 私が大公になったら、もっともっといい国にしてみせるわ! 貧しい人も弱い人も安心して暮らせる、そういう国に!」
「姫様……」
じんわりと感動している様子のコレット。
うんうん、いい光景じゃないか。
しかしその直後、姫は堂々とこう言った。
「具体的にどうするかは全然わからないから、クロツハルト殿に教えてもらうわね!」
「私にどこまでやらせるつもりですか」
「教えてくれるでしょ? ね、クロツハルト先生?」
うおお、先生と呼ばれるとやる気が出てしまう。