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20話

 俺の問いかけに、カルツ神官は顔を上げる。

「どういう……意味です?」

「具体的に言えば、『資金面で余裕があれば、子供たちにもっとマシな教育をしてやれますか?』という問いですよ」

 カルツは即座にうなずいた。



「ええ、もちろんです。例えば近所の職人を招いて、子供たちに本格的な技術を学んでもらうこともできるでしょう。木工や料理や裁縫も立派な技術です」

 確かにここは電子レンジもミシンもない世界だから、少し本格的な技術があれば立派に食っていける。

 なんせうちの料理人のリックでさえ、貴族の屋敷に勤められるんだからな……。彼の腕は決して悪くないが、現代日本だったらお抱えシェフなんて絶対なれない。



「他にも蔵書を増やしたり、できることはいろいろあるはずです。今は神官たちの俸給から、少しずつ出し合って不足分を埋めている有様ですから」

 それは酷いな……。

 結局いつも、犠牲になるのは弱い立場の者たちか。

 そこは現代日本もロイツェンも全く同じのようだな。



 よし、決まりだ。

 俺は懐から上質な羊皮紙を取り出すと、サラサラとペンを走らせた。

「カルツ殿、これを」

「何です?」

 何となく雰囲気は察してそうなカルツ神官だが、「まさかな……?」という顔もしている。



 だが書面を見た瞬間、カルツ神官は目を丸くした。

「これは!? クロツハルト様、何かの御冗談ですか!?」

「いや、これは冗談なんかじゃない。些少ですが、この救児院に寄付をしたいのです。私は本気だ」

「しかし、この額……。そもそもあなたはロイツェン派の信徒でしょう!? 筋が通りませんよ」

 知らん。俺はそもそも聖灯教徒じゃない。



 さすがにそう言ってしまうと角が立ちそうなので、俺は適切にごまかす。

「ロイツェン派だろうがパルネア派だろうが、あるいは異教徒だろうが、子供は子供。子供を守るのは大人の務めだ。違いますか?」

「しかし庶民の……」

「私は見ての通り、異国からの流れ者。そういうしがらみとは無縁ですよ」

 もともと俺も庶民側だ。



 俺はカルツに渡した約束手形を指さす。

「そのお金には、何の『色』もついていません。政治的、あるいは宗教的な意図もなければ、個人的な要求もない。だからカルツ殿が一番良いと思う方法で使って下さい。どう使おうが私は何も言わない」

 スポンサーはありがたいが、施設の運営に口出しされるのは嫌だろう。俺も嫌だった。

 だから金だけ投げつけておいて、後は知らん顔をする。



「本当はこの国の全ての救児院に、この何倍もの寄付をしたいのだが……。なにぶん紋章官の給料と公女殿下の家庭教師手当だけでは、この程度が限界でして」

 俺の顔と約束手形を何度も見比べていたカルツ神官は、ようやく混乱から立ち直ってきたようだった。

 彼のそんな顔を見られただけでも、払う価値はあったな。



「クロツハルト様、あなたはいったい何者なんですか? ロイツェン派の神官たちが知ったら気分を害するでしょうし、救児院への寄付など名声の足しにもなりません。あなたに何の得があるんです?」

 カルツにしてみれば、嬉しいけど何となく薄気味悪いのだろう。

 俺だって初対面の人間から理由のわからない大金をもらったら、同じ反応を示す。



 だから俺はなるべく正直に答えることにした。

「うちでよく働いてくれているコレットが、この救児院で世話になったのですから。コレットの雇用主としても、お礼はしたい。それに」

「何ですか?」

「仕事柄、こういう事情を見て見ぬ振りはできません。この国に来る前、私は子供たちに学問を教える立場にありましたから」



 するとカルツが驚いた顔をする。

「学問を? では、あなたは学者ですか?」

「いやいや、とんでもない。学者などではなく、高校と中学……あれだ、二番目と三番目の学校に通う生徒たちが対象でした」

「二番目と三番目の学校ですって!? そんなにたくさん学校に通う子弟ならば、やはり貴族ではありませんか!」



 説明が不適切だったかもしれない。

 ロイツェンでは学校に通えるのは中流以上の家庭の子に限られるし、学校といっても寺子屋みたいな個人の私塾だ。

 だから小学校から大学まで四つも学校に通うような子となると、ロイツェンでは上流階級の中でもトップエリートになってしまう。

 大貴族や豪商、あるいは高位の神官など。そういう家柄の子弟だ。

 事実、現代日本とロイツェンでは、教育水準に雲泥の違いがある。



 カルツ神官の誤解をどう解くか考えた俺だが、何だか面倒臭くなってきたので笑ってごまかすことにした。

「とにかく、子供たちが将来立派に生きていけるようにすることは、大人全員の役割だと私は考えています。そこには宗派の違いは関係ない。では、そういうことで」

 俺が立ち上がると、カルツは慌てて叫んだ。



「待って下さい! 寄付を戴いておいて厚かましいのですが、一つだけお願いしたいことがあります!」

「何です?」

 さすがにもう、銅貨一枚出せないぞ。

 するとカルツは言いにくそうに、こう訴えた。



「コレットに……コレットに、もっと勉強する機会を与えていただけませんでしょうか?」

「別に構わないが、なぜ?」

「あの子はとても賢いのです。その気になれば神官でも医者でもなれるでしょうが、勉強する機会が十分ではありませんでした。私たちの力不足のせいです」



 カルツはつらそうな表情のまま、さらに続ける。

「私はあの子の本当の師にはなれませんでした。あの子が解雇されないよう、つまらない処世術を教えることしかできなかった。ですが、あの子の未来を閉ざしたくないのです」

 同感だ。コレットはとても賢い。

 なんといっても理解力と応用力が優れている。同い年の頃の俺よりも確実に賢いだろう。



 自分の少年時代を思い返しながら、俺は笑う。

「私も同意見です。あの子には仕事の合間に勉強してもらって、いずれはもっと専門的な仕事に就けるようにしたい。うちの蔵書も貸すし、私も空いた時間に勉強を教えよう。もちろん、あの子がそれを望めばですが」

 無理に勉強させたり転職させたりはできないからね。



 カルツは俺の言葉に深々とお辞儀をする。

「何から何まで、本当にありがとうございます。クロツハルト様、この御恩は決して忘れません。慈愛の灯明が、あなたの往く道を照らしますように」

「ありがとう。またときどき、コレットと一緒に訪問させて下さい」

「ええ、ぜひいらして下さい。歓迎いたします」

 ちょっとだけ、いいことをしたな。

 それはそれとして、俺の悪口を言いふらしたヤツは誰だ……。



 救児院の外に出た俺は、待機していた護衛のハウザーを伴って歩き出す。ここは治安の悪いスラム街で、貴族が一人で歩き回れる場所ではない。

「旦那様、もう帰るのかい?」

「ああ」

 こいつ、俺が貯金の半分を寄付したって言ったらバカ扱いするだろうな……。黙っておこう。



「ハウザーは子供の頃、どんな教育を受けた?」

「うちの実家は貧乏だから、俺も兄貴も読み書きは近所の神殿で教えてもらいましたよ。後は軍隊に入ってから、計算なんかも少し」

「なるほどなあ」

 庶民には、まともな教育制度がないんだよな。



「何とかしなきゃな」

「何を?」

「いや、いろいろとな……」

 とりあえず、しばらくは家計を引き締めないと。



   *   *   *



 カルツ神官は感慨に耽る暇もなく、神官たちを呼び集めていた。施設の性質上、ここは女性神官が多い。

「先ほど、公室紋章官のクロツハルト様から多額の寄付を戴きました。これを機に古い備品を買い換えますから、大至急リストを作って下さい」

「まあ、何てありがたい……」

「クロツハルト様に聖灯の加護がありますように」



 すぐに購入計画のリストが作られたが、子供たちの寝具や食器を全部買い換えても、まだまだ金額に余裕があった。

「これなら外壁の修復もできそうですね。業者を手配しましょう。それと念願だったトイレの増設も」

「子供たちが喜びますね!」

 教団からの資金は、神官と子供たちの生活費に全部消えてしまう。

 クロツハルトの寄付は、救児院に降って湧いた奇跡だった。



 みんなうきうきしてきて、計画はどんどん大きくなっていく。

「凄いわ……。これだけ使っても、まだこんなに残るんですね」

「それならいっそ、隣の空き家を買い取りませんか?」

「ああ、あの小さな小屋ですか?」

「ええ。勝手に住み着く人もいましたし、空き家のままというのも不安で」



「なるほど。そうだ、空き家を教室にするという手もありますね」

 カルツ神官も子供のようにワクワクしてきて、大きくうなずいた。

「よし、買いましょう!」

「クロツハルト様、心から感謝します!」

「神よ、あの方にありったけの加護を!」



 女性神官たちがはしゃぐのに背を向けて、カルツ神官は聖印を握りしめる。

 それからくしゃくしゃと髪をかき乱すと、窓の外に向かって小さくつぶやいた。

「あんた、本当に変わってるよ……。でもありがとう。この恩は、いずれ必ずな」


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