18話
コレットは眠っているクロツハルトをじっと見つめながら、かなり長い間迷っていた。
ロイツェンには、風邪のときは人肌で温めるという民間療法がある。まともな寝具や暖房がない庶民の知恵だ。
それを口実にしてクロツハルトの寝床に入れば、既成事実を作ることもできるだろう。
ここには上質の寝具や暖房があるが、庶民の治療法を試したと言い張ることはできる。
「クロツハルト様?」
返事はない。眠っているようだ。
そっと布団の端をめくるコレット。
大きなベッドなので、その気になれば少女ひとりぐらいは難なく入れる。
しかしコレットはどうしても、そこから先に侵入する気になれなかった。
クロツハルトが嫌いだからではない。むしろ逆だ。
庶民を見下し、使用人といえども心を許さないロイツェンの富裕層の中では、クロツハルトは使用人に優しい。甘すぎるぐらいだ。
コレットの貰っている給料は相場より随分多いし、住み込みの使用人にしては休みもかなり貰っている。
かといってクロツハルトに何か下心がある訳でもなさそうで、少しサービスを過剰にすれば逆にたしなめられる有様だ。
珍しいタイプの貴族といえた。
だからといって善人とは限らないし、好意を抱く理由にもならないが、少なくとも嫌いにはなれない。
今ここでまた色仕掛けをすれば、クロツハルトは困るだろう。
主を困らせるのは、良いメイドではない。
「……添い寝はまた次の機会にさせていただきますね、旦那様」
コレットは布団をきちんと整えると、火勢の弱まった暖炉に新たな薪をくべた。
ふと気づいたとき、コレットはベッドの上だった。
どうやら眠っていたらしい。クロツハルトのベッドだったが、主の姿は見当たらなかった。
「あれ?」
慌てて起きるコレット。
別に何かされた様子もなく、毛布が一枚掛けられていただけだ。
「旦那様?」
室内を見回したとき、ドアを開けてクロツハルトが入ってきた。本と紙の束を抱えている。
「やあコレット、起きたか?」
「あ、はい。ですが……」
「俺の看病をしているうちに、君は眠ってしまったんだよ。疲れてたんだろう」
クロツハルトの説明に、思わずぎょっとなるコレット。
仕事中に主人の目の前で眠ってしまったのは、非常にまずい。それだけで解雇の理由には十分すぎる。
しかしクロツハルトは全く気にした様子がない。にこにこ笑いながら、鞄に本と紙の束をぎゅうぎゅう詰め込む。
「ありがとう、コレット。おかげで熱も下がったようだ。これで明日からまた働けるぞ」
「で、ですが旦那様、せめてもう一日お休みを頂いては? また体調が悪くなってもいけませんし」
「いや、姫を長いこと放っておくと、何をやらかすかわからないからな。それに復習しないと、覚えたことはすぐに忘れてしまう。長期記憶にならないんだ」
「ええと……」
この旦那様が何を言っているのか全くわからない。
わからないが、どうやらとても仕事熱心らしいのは理解できた。貴族はみんな怠けていると思いこんでいたコレットには、それがちょっと意外だった。
この旦那様に、もっと気に入られたい。
コレットはこのとき、初めてそう思うことができた。
だからこう言う。
「お勤めの支度は私がしますから、旦那様はもう一休みなさって下さい。そのためのメイドですから」
「そうかな? でも別に……うっ!? げほっ! げほっ!」
首を傾げていたクロツハルトが咳込み始めたので、コレットは有無を言わせずに主をベッドに向かわせる。
「もし明日、また熱が出ていたら出仕はナシです。いいですね?」
「わ……わかった」
布団に入ってしょんぼりしているクロツハルトを見て、コレットは不思議な高揚感を覚える。
「ふふっ……」
分厚い本と紙の束をてきぱきと鞄に収納しながら、コレットは笑みを抑えきれなかった。