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16話

 コレットは本当によく働くメイドだった。

 仕事は丁寧だし、手際もいい。

「これでようやく、俺たちも家事から解放されるな」

 やれやれと笑みを浮かべると、リックとハウザーの退役軍人兄弟も笑う。

「旦那様のエプロン姿、もう少し見ておきたかったですけどね」

「冗談じゃないぞ」

 こいつら絶対、俺を雇用主として尊敬してないだろ。



「お前たちもコレットを見習って、給料分は働けよ?」

「へいへい、承知してますってば」

 いいや絶対承知してない。

 サボるんじゃねえ。



 こいつらに限らず、ロイツェンの使用人たちはあまり勤勉ではない。

 とはいえ、それはあくまでも現代日本と比較してのことだ。

 分単位でめまぐるしく働く現代人と違って、鐘の音やゼンマイ時計で時刻を知るロイツェン人は、全体的にゆったりしている。

 正直、こういう点はちょっといいなあと思っているので、俺は使用人たちに対してあまりうるさく言わない。



 一方、コレットはといえば朝から晩までめまぐるしく働いていた。

 電気のない世界なので、家事はどれも大変だ。掃除も洗濯も時間がかかる。

 貴族の屋敷は無駄に広いし、服も凝っていて洗濯には注意が必要だ。

 まだ子供のコレットにどれだけ家事ができるかハラハラしていたけど、今のところ実に見事にこなしている。



 そして合間合間には、俺にお茶も淹れてくれる。

「旦那様、お茶をお持ちしました」

 明日の予習をしていると、いい香りが漂ってきた。

 姫に歴史を教えるために特製のロイツェン史年表を作っているところだが、紅茶は貴重品だ。

 冷めないうちにいただこう。



「ありがとう、そこのテーブル……」

 振り返ったが、書斎のテーブルの上は仕事に使う本だらけだ。

 あれ動かしたくないな。

 しょうがないので、仕事机の方をごそごそ片づける。

「こっちに置いてくれるかな」

「はい、旦那様」



 コレットは笑顔でティーセットを机に置く。

「失礼いたします」

 机周りは狭いから仕方ないんだが、なんだか距離が近いな。肩と肩が触れ合いそうだ。

「お砂糖をお入れしましょうか?」

「そうだな」

 近いって。

 彼女の垂れた前髪が、俺の頬に触れそうだ。



「旦那様、お茶請けには卵のサンドイッチを御用意しましたけど、甘いものが良かったでしょうか」

 何か言われてる気がするけど、今の俺はコレットの前髪と吐息を回避するのに精一杯だ。

 そう思っていたら、ごく自然に肩と肩が触れ合った。



「あっ……。旦那様、申し訳ありません」

「いや、いいんだ」

 通勤電車の中だと老若男女問わずモミクチャにされていたが、こちらに来てからは身体接触がほとんどなかった。

 身分差があると、触れ合うどころか近づくことさえ許されない社会だ。



 コレットは机の上のロイツェン史年表をじっと見ている。

「旦那様、これは何でしょうか?」

 この子が仕事以外で俺に声をかけてくるのは珍しいな。

「これは公女殿下の授業で使う年表だよ。あの方は銃が大好きだから、ロイツェンの歴史に銃の歴史も重ねてみたんだ」



 こうして見ると、銃が大きく発展すると他国との力関係も変わっているな。

 新兵器に国境線を引き直すだけの力がある。そういう時代か。

 もちろん、新兵器を軍に配備するだけの財力と生産力も不可欠ではあるが……。



 そんなことを思っていると、コレットの顔がすぐ隣にあった。頬と頬が触れ合いそうだ。

 彼女は食い入るように真剣なまなざしで、年表を見つめている。

「すごい……」

 ぽつりと声が漏れ、彼女はハッと俺を振り返った。



「も、申し訳ありません」

「いいんだよ。君も歴史に興味があるのか?」

「歴史といいますか、身分の高い方はこういうもので学問をなさっているんだなと思いまして……」

 これはマリシェ姫専用の特製年表だよ。

 あの子が興味を持ちそうな内容と、覚えて欲しい内容を無理矢理重ねただけだからな。学術的には邪道もいいところだ。



「旦那様、これは?」

「ああ、ロイツェンに火薬が伝わった時期だね。大パルネア帝国のロイツェン州だった頃だから、厳密にはロイツェン史じゃないんだが」

 この世界の歴史もなかなか面白いので、俺は説明したくなる。

 だがメイドにとっては、あまり面白い話ではないだろう。

 ていうか、さっきから顔が近い。



「ま、まあ、興味があるなら今度ゆっくり見せてあげよう。今日はもう遅いから休みなさい」

「はい、ありがとうございます。大変失礼いたしました」

 にこっと笑って、ぺこりと頭を下げるコレット。

 そのまま彼女は退出する。



 彼女が部屋から出て行った後、俺はしばらく妙な違和感に悩まされていた。

 なんか、初対面の頃と距離感が違ってきてない?

 物理的にも精神的にも距離が近いというか……。

「おや?」

 机の上に見慣れないものが落ちていたので、俺は拾い上げる。



「髪留め……?」

 木と薄い鉄でできた質素な髪留めだ。

 コレットのものだろう。この屋敷には他に女性がいない。

 さっき落ちたのかな?

 でも髪留めって、こんなに簡単に外れるものなのか?

 俺は男だからわからない。



 まあいい。コレットのものだから届けてあげよう。

 俺は大きく伸びをしながら、燭台を手にして真っ暗な廊下を歩く。電気照明のない時代だから、とにかく暗い。

 たぶんコレットは女性使用人部屋だな。四人部屋のはずだが、今はコレットが一人で使っている。



 女性使用人部屋に着いた俺は、もちろん礼儀としてドアをノックした。

「コレット、忘れ物を届けにきた」

「はい、旦那様」

 彼女の返事を待ってから、女性使用人部屋に入る。

「この髪留めなん……」

 ロウソクの灯が揺らめく薄暗い部屋に、白い何かが。

 下着姿のコレットだ。



「コレット!?」

「あっ、申し訳ありません。今着替えているところです」

 俺、ノックしたよね?

 なんで着替え中だって言ってくれなかったの!?

 これじゃ子供の使用人に手を出す破廉恥ご主人様じゃないか。



「すまん、すぐ出る」

 俺は慌てて部屋から出る。

「あっ、旦那様!? 気にしないでください」

 気にするよ!

 ロイツェンの庶民は割と開放的らしいけど、だからといって下着姿の女の子と二人きりになっていいとは思えない。



「旦那様、髪留めがどうかしたんですか?」

「ああ、いや……書斎の机に落ちてたんだが、とりあえず廊下に置いておく」

 俺は髪留めを綺麗な紙に包み、廊下に置いた。

「おやすみ、コレット」

「ありがとうございます、旦那様。あの、私は気にしませんから、お部屋に……」

 俺が気にするんだってば。

「また明日な」



 こんなところをハウザーやリックに見られたら、なんて言われるかわかったもんじゃないからな。

 俺は急ぎ足で立ち去った。

「やれやれ……」

 えらい目に遭った。

 女性使用人との距離感は難しいな。



 苦笑しながら真っ暗な廊下を歩いていた俺は、ふと首を傾げる。

 なんか、不自然じゃないか?

 やけにくっついてきたコレットといい、音も立てずに机に落ちていた髪留めといい、何か妙なものを感じる。

 それと下着姿で俺を出迎えたことも。

 まさか、あの子は……。



「いや、まさかな」

 自意識過剰だ。

 なんせ俺はモテないことには絶対の自信がある。

 おまけに相手は十四才。まだ子供だ。

 子供らしい無防備さなのだろう。



 それよりも早く、明日の教材を作ってしまわないと。

 俺は燭台を手に、真っ暗な廊下を急ぐことにした。


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