15話
コレット・リンネンと名乗ったメイド志望の少女は、救児院出身だった。
救児院から持たされたという人物証明書、つまり救児院が作成した公式履歴書を読む。
なかなか壮絶だった。
母親は娼婦で父親は不明。コレットが四歳のときに母親が病死したので、彼女は救児院に引き取られた。
救児院では家政について学び、メイドとしての技術を磨いてきたという。
現在十四歳。
現代日本ではまだ義務教育だが、ロイツェンではそろそろ働き始める年頃だ。
人物証明書には「勤勉で誠実な人柄、聡明で従順」とも記されている。こういうのは学校の内申書みたいなもので、悪いことは書かないものと相場は決まっている。
ただ、目の前の少女はなかなか賢そうではあった。
わかりやすい点としては、まず立ち方が美しい。姿勢が良く、じっとしている。
かといってぼんやりしている訳でもなく、俺の視線や表情には敏感に反応していた。
大人ならこれぐらいは当たり前のことだが、十四歳でこれだけ落ち着きがあるのは立派だ。
俺が働いていた塾にもこういう子たちはいたが、だいたいみんな成績が良かった。
コレットは俺が人物証明書を読み終えたことに気づいているらしい。
だが声をかけることはなく、そっと微笑みながら首を傾げてみせた。
うん、「使用人は必要なとき以外は主人に声をかけない」というロイツェンの作法を守っているな。
優秀そうだ。
それに何より、十四歳の子供が働き口を求めて俺を頼ってきたんだ。ちゃんと働けそうだし、追い返したらかわいそうだ。
決まりだな。
俺はにっこり笑ってみせた。
「この屋敷はこの数日、メイドがいなくてメチャクチャになっている。その分も取り戻してくれるかな?」
「はい、お任せ下さい」
パッと表情を輝かせて、コレットは頭を下げる。
今一瞬だけ、年相応の子供みたいだったな。
うんうん、ちょっと安心したぞ。
こうしてコレットは俺の屋敷でメイドとして働くことになったが、彼女は本当に優秀だった。
彼女はだいぶ汚れていた屋敷の全部屋を、たった数日で綺麗にしてしまう。
よく使う部屋は毎日掃除し、あまり使わない部屋を何日かに分けて順に掃除していったらしい。
メイド一人で屋敷を掃除しようと思ったら他に方法がないのだが、十四歳にしては計画性が高い。
また、シーツや衣類も綺麗に洗濯されている。おかげで俺は久しぶりに皺のないシーツで寝ることができた。
「おはようございます、旦那様」
俺が起床して少し落ち着いたところに、メイド服のコレットがベストなタイミングで入室してくる。
「おはよう、コレット。よく眠れたかな?」
「はい、旦那様。本日の御予定の確認ですが、よろしいですか?」
「ああ、うん」
てきぱきしてるなあ。
コレットはメモも見ずに、すらすらと俺のスケジュールを告げる。
「本日は朝三つの鐘から、宮中で紋章官会議がございます。正午は大公殿下との昼食会、午後からは公女殿下に化学の講義をなさる御予定です」
あ、昼食会のこと忘れてた。今日だったのか。危なかった。
俺はついでに、他の使用人についても聞いておく。
「うちの料理人、体調崩してないか?」
「リックさんは風邪気味ですね。後で薬湯を飲ませておきます。僭越ながら、朝食は私が御用意いたしました」
「薬湯も作れるのか。どこで覚えたのかな?」
コレットはちょっと陰のある微笑みを見せると、こう答えた。
「はい、救児院では医者や薬師に頼るお金はありませんでしたから、風邪ぐらいなら薬湯を作って治しておりました」
「そうか……」
聞かない方が良かったかな。
コレットの作った朝食は、軍隊上がりのコックの朝食より豪華だった。
リックのヤツが用意するのは、前日の夕食の冷えたシチューとパンぐらいだからな。これがロイツェンの一般的な朝食だ。
ちゃんと火を熾してシチューを温め、ついでにパンをトーストして目玉焼きも用意するコレットの方がどうかしている。
おかげで久々に満足感のある朝食ができた。
ただ、コレットは少し落ち着かない様子だった。
「どうした?」
すると彼女は目を伏せ、こう答える。
「はい、朝食のために薪を使ってしまいましたので、お叱りを受けないかと心配で……」
「大丈夫、それぐらいの稼ぎはある。ありがとう。でも朝からこんなに手間をかけなくてもいいよ」
この国には掃除機も洗濯機もないけど、電子レンジもトースターもないからな……。
その日の午後、俺はマリシェ姫から質問攻めにされていた。
「クロツハルト殿のお屋敷に、新しいメイドが来たのよね? どう?」
「どうって言われても困るんですけど」
俺は宮殿の図書室で見つけた錬金術の本を開きながら、教え子に化学の授業をしようと苦戦する。
しかしマリシェ姫は身を乗り出して、俺にまた質問してきた。
「ねね、若いの?」
「若いというか、まだ子供ですよ。十四歳ですから」
「十四歳は子供じゃないわよ!? 私も十五歳だもの!」
「どっちも子供です」
俺はペンを取る。
するとマリシェ姫は不満そうに唇を尖らせた。
「子供じゃないもん……」
「そうやって拗ねるところが、まだまだ子供ですよ。はい、今日はロイツェンに伝わる錬金術とかいうヤツについてです」
「子供じゃないし……」
しつこいな。
俺は錬金術の写本をめくり、そこに書かれている記述に片っ端からアンダーラインを引いていく。
「ここは違います。ここも。ここもおかしいですね」
「ちょ、ちょっとクロツハルト殿!? それって大錬金術師のワーグコッフの『大錬金術』でしょ!?」
「そうですが何か」
マリシェ姫は面白いぐらいに慌てている。
「何かじゃないでしょ!? 三百年前から伝わってる、錬金術の奥義じゃない! 今の錬金術師たちはみんな、それをお手本にしてるのよ?」
「だからダメなんですよ」
俺は溜息をつきながら、片っ端からアンダーラインを引いていく。
「大錬金術師だか何だか知りませんが、再現性のない実験結果なんて役に立ちません。ここに書いてある通りにして、本当に金を生み出せた錬金術師が一人でもいるんですか?」
マリシェ姫が首を傾げる。
「言い張ってる人は結構いるんだけどなあ……。あ、私が自分で確かめた訳じゃないし、大公家としても認めてないからね」
詐欺師の主張を鵜呑みにしないのはいいことだ。姫も成長してるな。
「実は私も、ここに書いてある通りに実験してみたんですよ。三回ぐらい」
マリシェ姫がググッと身を乗り出す。
「どうだった? 金できた?」
「できてたら、この書物にもうちょっと敬意を払ってますよ。なんだこの詐欺みたいな本」
俺の住んでいた世界とは物理法則や元素が異なる可能性もあったので、再現実験は一応してみた。
「鉛を金に変える術だとかいうんで、アカヤドクトカゲとかいう気持ち悪いヤツの干物を薬屋で買ってきたり、天源晶とかいう怪しい石を買ってきたりしました」
材料はどれもメチャクチャ高かったので、この時点で赤字になるのは確定していた。
「後は七日間、聖灯教の祭壇からもらった火に香油を注いで、銅の鍋で煮込み続けましたよ。うちの料理人に火の番をしてもらいました」
その結果、料理人のリックは体調を崩して寝込んでしまったので、俺も悪いことをしたとは思っている。
「で、鉛から何ができたの? 金じゃなかった?」
「よくわからない脂がべっとりこびりついた鉛になりましたよ。あと鍋は焦げ付いてダメになりました」
もしかして前のメイドのおばさんが出て行ってしまったのは、これを三回もやったせいだろうか。
屋敷の中が物凄い臭いしてたもんな。
俺は溜息をつく。
「もしかしたら材料や方法のどこかに誤りがあったのかも知れませんが、私は記述通り厳密にやりましたからね。それでダメなら技術として確立されていないと言えるでしょう」
俺も化学実験なんて高校でやった程度だが、この世界の科学水準を考えれば十分だろう。
もし好意的に解釈するなら、材料の中のわずかな不純物などで違いが生じたのかもしれない。
でも何にも書いてないし、筆者も特に考察していないのでどうしようもない。レポートとしては〇点だ。
「何か新しい発見をしても、発見者や他の人が検証しないとダメです。三百年間まともに再現できてないのなら、これはもう無視していいでしょう」
俺が溜息混じりにそう告げると、マリシェ姫は俺の顔をまじまじと見つめた。
「なるほど……」
それから姫は頬杖をつくと、俺の顔をじっと見る。
「で、新しいメイドになって何か新しい発見あった? 私が検証してあげよっか」
「何がですか、姫」
「いいじゃん、教えてよー!」
あんまりしつこく尋ねられるので、俺は辟易して率直に答える。
「新しいメイドは優秀ですよ。あれだけ能力があれば、メイド以外の仕事もできるでしょう。ただ……」
「ただ?」
「彼女はメイドとしての訓練しか受けていませんから、メイドにしかなれません。能力はあっても、他に活かす方法がないんですよ」
教育の重要性と、教育格差による残酷なまでの人生の差。
俺は溜息をつき、それから真顔になってこう言った。
「姫は本当に恵まれてるんですから、しっかり勉強して下さいね?」
「な、何よ……わかってるってば」
本当にわかってるのかな?