13話
俺はマリシェ姫の家庭教師をする傍ら、大公の紋章官としても勤務している。
今日も大公に紋章関係の申請書類を届けに行くと、我が主君はこんなことを質問してきた。
「どうかな、マリシェの様子は?」
「とてもいいですよ、御前。学習意欲も旺盛ですし、態度も真面目です。理想の生徒と言ってもいいでしょう」
俺が思ったままを言うと、大公は少し驚いた様子だった。
「マリシェが最近、勉強熱心になったのは知っているが……まさか君が、そんなに肯定的に捉えていたとは意外だ。もっと苦労していると思っていたよ」
「そうですか?」
すると大公は苦笑し、君主の顔から父親の顔になる。
「娘の性格は、父親の私にはよくわかっているからな。君主として己を強く持つよう、芯のある性格に育てたつもりだが、おかげでずいぶんとわがままになってしまった」
「家臣としては答えづらいところですが、家庭教師としては否定はしませんよ?」
「ははは」
俺と大公は笑い合う。
俺は続ける。
「ですが、今まで姫にきちんと講義できなかったのは、姫の責任ではありません。教える側の教授法が未熟だったからです」
「そうかね? 皆、優れた学者ばかりだったのだが」
「良い学者が良い教師になれる訳ではありませんからね」
俺は苦笑しつつ、頭を掻いた。
「私の経験ではむしろ、学者としては出来の悪い方が教師に向いていますよ。学ぶのに苦労した経験は、教師の財産ですから」
「なるほどな……私も身に覚えがある。納得したよ」
大公は髭を撫でながら、にんまりと笑う。
「どうやら私は正しい人選をしたようだ。今後も娘の指導をよろしく頼む」
「でしたら少しは、紋章官の仕事を減らしていただきたいものですな」
しかし大公は俺の苦情にも動じない。
「君に家庭教師だけやらせておくのは惜しい。紋章官としても君は優秀だ。仕事は正確で素早く、間違いがない。存分に働きたまえ」
とんだブラック大公だ。だいたい俺は臨時の家庭教師のはずだろ。
まあでもいいさ。
働きぶりを正当に評価してもらえるんだからな。
大公は笑うと、俺を見据える。
「休暇の代わりに君の働きぶりに褒美をやるとしたら、何が欲しい? 地位かね、それとも領地か? 十分に報いるぞ」
「うーん……」
俺は首をひねる。
この国で手に入りそうなものは、貴族の立場を利用して全部手に入れることができる。
逆に言えば、手に入らないものは何をどうしても手に入らない。
近代化以前のこの世界で、高望みしてもしょうがないな。
「特に何もありませんよ、御前。今のままで十分です」
「ほらみろ」
苦笑する大公に俺もつられて笑ってしまう。
「では私は明日の講義の予習がありますので、これで。残りの仕事は他の紋章官に振って頂けますか?」
「よろしい、そうしよう。これからも娘の指導を頼むよ」
「ええ、御前」
俺は穏やかな気持ちで一礼すると、執務室を退出した。
* * *
「ふむ……」
ロイツェン大公ベルンは窓の外を眺めながら、しばらく考え込む。
するとそこにマリシェ姫が入ってきた。
「お父様、鉛玉を二百発ほど作っていただきたいのですけど」
「ん? まあいいだろう。最近、お前がよく使っているようだからな」
「特注で試作品もお願いできる?」
「まあ、軍に納入している業者になら多少の無理は頼めるが……」
大公はそう答えた後、にっこり微笑む。
「ところで先ほど、クロツハルト……いや、先生がお前のことをとても誉めていたよ。どうやら良い師に巡り会えたかな?」
マリシェ姫はきょとんとして、それからはにかむような笑みを浮かべた。
「そうかもしれないわ。だってあの方の講義は、胸が躍るんですもの!」