10話
「ではクロツハルト殿は、殿下に本当に銃を撃たせるおつもりですか?」
「もちろん。お飾りの稽古などに時間を費やす余裕はない」
あの子、来年成人だからな。
それまでに必要とされる水準まで鍛え上げるとなると、無駄なことをやっている暇はない。
銃の練習は姫の希望だから積極的に教えてあげたいが、その目的は暗殺対策の護身術としてだ。
どうせやるなら使い道のある技術を学んでもらおう。
使うことはないだろうけど。
俺は意味ありげに笑ってみせ、それから今度は火縄銃を撃とうかと思ったが、ここでまた的を外したら猛烈に格好悪いことに気づく。
だから俺は火縄銃をハンナに差し出した。
「ではその前提で、姫の腕力を想像しながら火縄銃を撃ってみるといい」
「え、ええ」
こくりとうなずき、火縄銃を受け取るハンナ。
彼女は火縄銃を手に持ち、的に背を向ける。
「シュナイツァー流銃術は、騎士たちの戦場銃術です。騎士は敵に狙われやすいため、背後からの奇襲であっても応戦できねばなりません。これが基本の構えのひとつ、『背射』です」
なんとなく作法の家元みたいな感じだと思っていたら、荒々しい乱世の遺風を受け継ぐガチ勢だった。
「では、参ります」
素早く振り向きながらハンナは銃を構え、振り向き終わると同時に引き金を引いた。
「ふっ!」
タァンと軽快な音が響き、的の中心近くに穴が空いた。早撃ちだ。
あれで当てられるの!? まともに狙いもつけてないのに!?
プロって凄いな……。
俺は本職の至芸を見て感動したので、思わず拍手する。
「お見事。さすがは銃術指南役に選ばれるだけのことはある。その正確無比で迅速な射撃を、姫に伝授して頂きたい」
「はい……その、クロツハルト殿」
ハンナはどこか落ち着かない様子で、うつむき加減に俺を振り向く。
「申し訳ありません。実はこうしてお話するまで、この教官の仕事やクロツハルト殿のことを誤解していました」
どんな誤解かな?
「私は銃術の名門シュナイツァー家の跡取りですが、女ですので見くびられ、かといって技量を示せば生意気だと言われてきました。ですからその……きっと公女殿下のお守りとして厄介払いされたのだろうと」
ああ、そうだよな。彼女は職場は男性軍人、しかも貴族将校ばかりの社会だ。
相当苦労しているんだろう。
ハンナはますますうつむき気味になる。
「それに私は銃術指南役なのに、銃の性能のことばかり考えていました。使い手の体力や目的など全く考えず、恥ずかしい限りです」
何となく俺は猛烈に彼女に同情してしまい、拳を握りしめて否定する。
「とんでもない。君は左遷されたと思ってもなお、より良い指導のために堂々と意見を言った。その勇気と勤勉さは素晴らしい。ロイツェン軍人の鑑だ……と俺は思うよ?」
俺はロイツェン人でもなければ軍人でもないので、ややソフトな言い回しにしておきます。
「あ、ありがとうございます。そのように褒められますと、逆に恐縮してしまいます」
まだ少し落ち込んでいるが、ハンナの顔に笑みが浮かんだ。
逆に俺の方が少し恥ずかしくなってきたので、話題を変える。
「ところで姫が護身用に火縄銃を使う場合、問題点はあるかな? 専門家の意見をお伺いしたい」
「そう……ですね」
微笑む娘の顔から軍人の顔になり、少し考え込むハンナ。
「火縄の火は小さな光点ですが、暗闇だとかなり目立ちます。暗がりに隠れて刺客を待ち伏せするような状況ですと、ゆっくり狙いをつける猶予はないかと」
「なるほど」
「それと火縄の匂いです。屋内では火縄の燃える匂いが薄れないので、かなりはっきり嗅ぎ取れます」
「ふむ……」
この手の古い鉄砲、特に火縄銃は待ち伏せで大きな威力を発揮する武器だ。というか、待ち伏せ以外だと使いづらい。
「何かいい方法はないかな、ハンナ殿」
すると彼女はごそごそとポーチを漁り、火縄を取り出した。
「火縄の匂いの方は、良い物があります。当家に代々伝わる『シュナイツァー縄』は香を練り込んだ火縄で、燃やしても火縄の匂いがしません。元々は暗殺用の道具ですが、これなら良いでしょう」
あ、確かにバラの香りがする。ちょっと高いトイレットペーパーみたいだけど、戦場でもアロマが楽しめそうだ。
しかし暗殺用の装備まで持ってるのか……。シュナイツァー家怖い。
「それはいいな。姫に献上して頂けないだろうか?」
「はい、殿下の御身のためなら喜んで」
明るく笑うハンナ。元気になったようだ。
よかったよかった。
と、そこにマリシェ姫がてこてこ歩いてくる。
「ハンナ、今日はこれから射撃の練習よ。教えてくれる?」
「はい、殿下」
きびきびと応じるハンナを見て、俺はそっとその場を離れた。
後は彼女がうまくやってくれるだろう。
いい同僚ができたな。
* * *
マリシェ公女殿下の射撃教練を、ハンナはいつも以上に張り切って進めていた。
「殿下、こちらはシュナイツァー家に伝わる特別な火縄です。それとこの種火入れもお使いください」
「う、うん。ありがと。でも射撃の練習は?」
「殿下、火縄銃の名手になるには、まず火縄の名手でなくてはいけません。火種がなければ撃てませんからね」
きびきびと説明をしながら、彼女は標的を指さす。
「銃は一度限りの勝負、外せば終わりです。必中を確信するまで撃ってはいけませんが、かといってぐずぐずしていれば敵に撃たれます」
「どうすりゃいいのよ……」
眉をひそめるマリシェ姫に、ハンナ教官はとびっきりの笑顔を向けた。
「簡単ですよ。一瞬で必中を確信できるよう、技を磨けばよいのです」
そして彼女は銃を手に取る。
「具体的な方法は、私たち鉄砲指南役が熟知しております。ロイツェン軍が磨き上げた射撃術の妙技、これからひとつずつ殿下に御教授いたしましょう」
それからハンナは、ふと練兵場を振り返る。
あの異国の青年は、頭を掻きながら歩き去っていくところだ。
宮廷では変わり者の客分として知られている、異国の貴族。
どれほどの人物かと怪しんでいたが、どうやら大公殿下の人物眼は間違いないようだ。
だからハンナは、姫に向かってこう言う。
「殿下は良い先生に恵まれましたね」
きょとんとするマリシェ姫だが、すぐに彼女は大きくうなずく。
「え? うん、ハンナは良い先生よ。あなたの講義は楽しいもの」
「いえ、私のことではありませんよ」
ハンナはちらりとクロツハルトの後ろ姿を見てから、的に目を向ける。
「クロツハルト殿です」
ハンナの銃が火を噴き、銃弾が的を正確に射抜いた。