第八話:意思と願い
「……ところでそろそろ満足したか?」
「……はっ!」
お師匠さまが呼びかける声がする。
その声に、私はなんだかボンヤリとしていた意識を急浮上させた。
――そして私は目撃した。
「!?!!?」
――お師匠さまの顔がものすごく近い!
え? なんで? どうして!?
顔がどんどん熱くなりパニックになりかける。
ほんのごくかすかに困った顔をした厳しカッコいい私のお師匠さま。
そんなお師匠さまの顔をこれ以上直視していられなくなった私は、あたふたと視線を下に向けた。
「ふぇっ!?」
するととんでもない己の状態が目に入ってきた。
――どういうわけか私はお師匠さまの右腕に全身で抱きつくような格好になってしまっていたのだ。
……なんとなくおかしいなとは思っていた。思ってはいたのだ。
だってお師匠さまがぽつぽつと昔を語る声がドンドン近づいてきてたんだもん。
でもでもどうして? どうしてこんなことに!?
すごく、すごーく必死になって記憶の海を探る。
記憶が詰まった無数の泡がぷかぷかと底から浮かんでくるイメージ。
一番近くの泡を掴み取ってパチンと割り、目的の記憶を頭のなかで瞬間に再生する。
◇
『あの……。その、手を……繋いでもらっていいですか?』
『ふむ。別に構わないが、どうしたのだ?』
『その、手を取ってくれるって……』
◇
『お前の名前は今日から――シャルティアだ』
『しゃるてぃあ……。わたしの……なまえ……』
◇
『……ぱぱ…………』
◇
……身体が羞恥でわなわなと震え始める。
なんということだ! なんということだ!
先程の私の手を繋いで欲しいというお願い。
そのお願いを聞いたまま、一緒に昔の話をしてくれるお師匠さま。
そして嬉しい昔話が連発して感極まった私が、手を繋ぐだけに飽き足らず――、
――どんどん接触度合いを自分から深めていく様子。それも無意識のうちに。
自分から動いてこんな体勢になってしまったのは分かっている。
でもそれでも欲求に突き動かされて、知らず知らずこんなことをしてしまって。
それからはっと我に返ってみたら、これは……なんだか不意打ちだ。
まるで自分で自分に奇襲攻撃を仕掛けてしまったみたいな……。
「う~……うう~~」
思わず言葉にならないうめき声をあげてしまう。
消え去りたい。いやむしろ溶けたい。
錬金釜で極限まで分解されて、魔力に還りたい。
今日の私はちょっとおかしいかも。
私は偉大なるお師匠さまの弟子なんだからもっとしっかりしないといけないのに。
いつまでも甘えてたらいけないのに。でもでも仕方がないところもあると思う。だってだって――。
私が溢れる感情に呑み込まれていると、お師匠さまがふと頭の上でゆっくりと語り始めた。
「……我が弟子シャルティアよ。私は時々疑問におもうことがあるのだ……。人にはなぜここまで豊かな感情というものがあるのだろうと。……この世の全てのものは限られたリソースを消費して存在している。ならば、感情というものを、そう例えば人以外の動物程度に抑えれば、我々人間なら更なる知性を得ることができるのではないか。そして私やお前が追求すべき錬金術の深奥にもより早くたどり着くことができるのではないかとな。
――だがきっと、事はそう単純ではないのだろう。お前を見ていると私はそう思う。お前は私と比すれば実に無駄の多い人間で、時折胃がいた……じゃない。もどかしく思うこともある。しかし――それでもお前は私から見ても見事な結果を残してきている。ならばお前の一見、知の追求に障害となりかねないほどの感情の氾濫は有用なものに違いない。
……あー。だからだな、お前はー、そう、存分に悩み己と向き合うが良い。ほら、師が茶のおかわりを淹れてやろう。――なので腕を……ぐっ……離してくれないか」
「…………お師匠さまぁ……はい、ありがとうございます」
いつまで経っても成長しない不甲斐ない私を、それでも責めることなく受け入れてくれるお師匠さまの優しい言葉。
ああ……私はいつまでも受け取るばかりだ。
お師匠さまが淹れてくれた茶を一口含んで、目をつぶって私は想う。
あの時、お師匠さまと交わした約束。
”お前が俺にとって役に立つ存在である限り、俺はお前の手を取り続けると。決してお前を――ひとりぼっちにはしないと。”
私はお師匠さまが今も変わらず与えてくれるいろんなものに、果たして応えることができているのだろうか。
約束とは、契約とは、どちらかが一方的に履行するだけでは成立しない――お師匠さまにとって私は本当に役に立つ存在になれているのだろうか。
……お師匠さまがかけてくれた言葉は嬉しいものであるはずだ。
それなのに心の一部で私は、こんな情けない私なんていつか見捨てられてしまうのではないかという激しい恐怖と焦燥感を覚えてしまう。
でももしかしたら、お師匠さまは私がこんなことを考えてしまっていることまで気付いておられるのかもしれない。
存分に悩め、とはそういうことなのかもしれない……。
――ならば、ここからが私の本当の修行なのかもしれない。
うん。そうだよね。
思えば最近の私は、王室付きの錬金術師なんかになってから少し弛んでいたかも。
王室付きなんてどうでもよくて、私は、お師匠さまの弟子なのだ。
それに今は、自分をステップアップさせる絶好のチャンスでもある。
過去のお師匠さまがどんな視点で物を視ていたのかを識るために、そして私自身の始まりを再確認するために。
お師匠さまが与えてくれた、この貴重な機会を存分に私は活かすべきだろう。
……はっ。
そういえばお師匠さまは、『決して無駄な時間とはなるまい』、なんておっしゃっていたっけ……。
もしかして、私が弛んでいるのに気付いていらっしゃったからだったりするのかな……。
こんな機会を設けてくださったのは。
きっと正面から尋ねても否定されてしまうだろうけど。
だけど絶対そうに違いない。
目指す頂きのあまりの高さに思わず身体が震え、手に汗が滲んでくる。
でもそれでも、がんばろうと私は思った。
§
こんな風に、あたかも卓越した戦略家のようにお師匠さまはいつも先の先を見通している。
だけどそれでも答えそのものを教えてくれることは滅多にない。
それは畏れ多くも弟子である私に対してもそうだし、他の人達に対しても同じだ。
お師匠さまは何気ない仕草や言葉の中にヒントを散りばめ、私たちが気付くことが出来るかを試しているのだろう。
だけどこの時はまだ私が弟子となったばかりだったからだろうか。
珍しく、答えそのものを私に教えてくれていたんだなと今になって思う。
もちろん、その時は全く気付いていなかったんだけど。
――そう、それは。
私にシャルティアという名前をくれた次の日、いやそれ以前から実は始まっていた、王都の異変に対する答え。
それを私にだけは教えてくれていたのだ。
――『淀んだ魔力』。
今にして思えば、それがすべての答えだった。
§§§
お師匠さまに拾って頂いたあの晩から二回目の早朝のことだ。
その日、私はお師匠さまよりも早く目を覚ました。
それには理由があって、出会ってまだほとんど経ってはいなかったがそんな私でも心配になるほど、前日のお師匠さまの様子がおかしかったからだ。
そう、あの時のお師匠さまはお役所から帰るあたりからどこか心ここにあらずといった様子だった。
そしてそれは眠りにつかれる前も変わらなかったのだ。
「お前は今日も……ベッドで寝ろ……。一緒に寝たら……寝てしまったら……ッ。まるで本当にアレみたいだからな……。……うっ……(バタン)」
なんて言い残して気を失ったように眠りに落ちられたら、私でなくても心配になってしまうとは思うけど。
ベッドからゴソゴソと起きだした私は、お師匠さまが寝ているソファの元へ向かった。
「……あれ……? ……っっ!」
しかし背伸びをしてお師匠さまの顔を覗き込もうとした私は、そこに先客がいることに気付いた。
半透明でぷるぷるしたいきもの……。
先々日に私の身体を散々イジメていたぶってきた、こわいいきもの……。
それが何故か、ソファの背もたれに引っかかるような形に体(?)を預けて、お師匠さまの顔、特に口や鼻に触手……手(?)を伸ばしてツンツンとしていたのだ。
「あぅ……その……おじゃま、します……ぽち、さん?」
よく分からない状況に混乱した私は変な挨拶をした。
すると、その当時の私にとって恐怖の対象でしかなかったポチはツンツンするのをやめると――
――ぐっと触手を変形させて、親指を上に立てた状態の人の拳を再現した。
”おうおう新入りか! おはようなんだぜ!”
思わずそんなセリフが聞こえてきそうな勢いのある”拳”だった。
「お、おはようです。その……なに、してるんですか?」
勢いに呑まれた私は何故か会話を試みてしまう。
どういうわけか通じる気がしてしまったのだ。
するとポチさんは、五指を突き立てるようなポーズをしてからぎゅっと拳を握りしめた。
「えっと……」
……今度はよくわからなかった。
やっぱり気の所為だったかも……?
ってそうじゃない! お師匠さまの様子を確かめないと!
そう思った私は、今度こそちゃんと覗き込んだ。
あっ……昨日よりは穏やかな顔……。
「……ぱぱ……だいじょうぶ、そう……?」
……。
むぅ……。なんか、良いなぁ……。
昔の私、やっぱりちょっと、ずるくないかなぁ……?
………………じゃなくって!
えっと、そんな感じにほっと安心していると。
「ぐっ!」
すると突然お師匠さまが苦しみはじめてびっくりした私は飛び上がった。
「ぱぱ!?」
「ぐぐっ!」
「ぱぱ、だいじょうぶ!?」
「ぐぐぐっ!」
まだ全然大丈夫じゃなかったのか、突然苦しみ始めるお師匠さま。
心なしかなんだか吐息に黒いモヤみたいなのが見える気がして、思わず泣きそうになる。
そしてすがりつこうとした私だったが、だけどそんな私を押しとどめるモノがいた。
「ふえっ?」
さらにもう一本触手を伸ばしたポチさんが、私を制してきたのだ。
そして彼(?)は元々伸ばしていた触手を使ってお師匠さまの口元の空気をわし掴むような仕草をしてから、再び口をつんつんとする。それからぐっとまた親指を立ててきた。
”げぷっ。もう大丈夫なんだぜ!”
まるでそんなことを言っているかのような仕草だった。
何が何やらさっぱり分からず潤みかけた目を瞬かせる。
だけどポチさんは何だか一仕事終えたような雰囲気で、ふいっと触手を引っ込めるとズルズルと壺の方に向かって去っていった。
ポチさんを見送った後に、再びお師匠さまの方を見る。
まだ顔をしかめてはいたが、先程よりは良くなった……ような?
「ぱぱ……?」
「……ぅ……っ!」
依然うなされているようだが、今度は嫌な感じはそこまでしない。
「ぽちさんが、なにかした……のかなぁ?」
不思議に思うも、私なんかにわかるはずもなく。
私はそれからお師匠さまに時々呼びかけながら、水を絞った布巾で顔を拭いてみたりしたのだった。
§
水差しに入っていた水の量が少なくなってきていたので、私はすぐ外に水を汲みに行った。
昨日、お役所に行ったりした時に、お師匠さまのお家……工房というらしい……とそのレンガ塀の間に井戸があることを教えてもらっていたのだ。
そう、私はそのとき、何気なく外にでた。
寒い風がびゅうと吹き抜ける。
だけど、今の私にはそんな風から身を守る暖かい服がある。
それがなんだか不思議な感傷を私に与えてきた。
素直にその暖かさに溺れたい。
だけどそうすることに罪悪感めいたものを感じてしまうのだ。
許されないことをしている。どうしてもそう思うことを止められない。
夜の間に少し雪が降ったのか、さくりさくりと足元から音がする。
靴のお陰でいつものように足元から体温が奪われる感覚がない。それが一周回って不思議で奇妙だった。
スラムでは足の指が寒さに負けて取れてしまっている人なんて珍しくもなかった。
私は幸い、人よりも丈夫だったのかそうなることはなかったが、冬は他の季節よりも気力の消耗が激しかった。
こんなに余力を残していて本当にいいのだろうか。それがひどく落ち着かなかった。
さきほど、お師匠さまの家の中にいる時はこんなことなんて考えなかった。
昨日、お師匠さまと一緒に出かけた時もやっぱりこんなことなんて考えなかった。
だけど、ほんの僅かでもこうしてひとりぼっちで外に出ると、どうしようもない罪の意識が私を苛んだ。
そう。私はそのとき思ったのだ。
――私なんかが、真っ当な”物語”の登場人物にしれっと混ざり込もうとするなんて、身の程知らずではないかと。
――いっそこのまま、私が在るべき場所に今すぐにでも戻るべきではないのかと。
理屈建てて考えたわけではない。
だけど一瞬、そのような衝動に私は確かにとらわれていた。
しかし、次の瞬間に聞こえてきた”叫び声”は私を確かに呼び戻した。
意識の中に強烈に飛び込んでくる、ここ数日で私に強烈に刻み込まれた声。
その叫び声に、驚いて、心配して、必死になったこと。そう、感じてしまったこと。
全ての葛藤が吹き飛ぶほどの大切な想い。それがこみ上げてきてしまった。
――少なくとも、今の私が在るべき場所。
――もしかしたら、やっぱり私なんかがいてはいい場所ではないのかもしれないけど。
――やっぱり私はここに居たい。
――些細な力しか持っていないのは分かっているけど。
――それでもこの人の力になりたい。
私が明確に自らの意思と願いを持ったのは、もしかしたらこの時だったのかもしれない。
過去を振り返りながら、ふと私はそう想った。
師匠「深読みしすぎ! マジやめて!」
おまけ:師匠のパターン
1.とりあえず見たまんまの感想を言う(シャルってほんと喜怒哀楽激しいよな)
2.それに適当に理屈をくっつける(知性がどうこう)
3.師匠が考える師匠っぽさを出すのに必死になって無駄に長くなる。そして何をいいたいのか忘れる。
4.無理やりそれっぽいことを言って要求を通そうとする。(なんでもいいから手をどけて、とりあえず抱きしめるのやめてくれない? 痛いっす)
(EX.ぶっちゃけ4だけでも話は通じる)