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第六話:ぱぱ


 ふぅ、と額に手を当てて色んな感情を込めてため息をつき、一度気持ちをリセットする。

 それから俺は、目の前でフルフルと震えている薄い尻に向かって声をかけた。


 「……大丈夫か?」


 「……………………はい………」


 長い長い沈黙のあと、蚊のなくようなか細い声が返ってくる。

 そしてその後しばらくすると、少女はモゾモゾと動き、俺とは反対を向きながら膝を抱えて丸くなった。


 「…………」


 うーん、これは。

 あまりのいたたまれなさに、顔を上げられないとかなんだろうか……。

 哀れすぎるな……。なんかもう、とっさに掛ける言葉が見つからないレベルだ。


 俺は再度ため息をつくと、さっき彼女が脱ぎ捨てた黒のマントを拾ってきて、肩に背後からかけてやった。

 そして少女の正面に回り、今度は暴走してくれるなよと信じてもいない神に願いながら、ゆっくりと話しかけた。

 気分はまるで猛獣使いである。


 「まあ、なんだ。とりあえず、お前のその誤った認識を正そう」


 俺がそう言うと、少女はやっと顔を上げる。

 両目には涙がにじみ、先程までの興奮ゆえか痩せた頬はわずかに色づいていた。

 しかし、先程までのやべー感じはどうやら落ち着いてくれているようで、俺は密かに胸をなでおろす。


 「まず、俺はお前を生贄にするつもりでここに連れてきたんじゃない。私の役に立て、というのはそういう意味で言ったんじゃない。……いいか? もう一度言うぞ。生贄にするつもりなんてないからな」


 「……え」


 少女は俺の言葉に心底驚いたように目を見開いた。

 うーん、この子には一体どれほど俺が生贄を欲しがっていたように見えていたんだろうか……。


 何とも言えない気持ちになりながらも、俺はじっとその緑の瞳をみつめ、少女の中で情報が咀嚼されるのを待つことにした。

 少女は数度濡れた瞳を困惑したように瞬かせていたが、やがて恐る恐る尋ねてきた。

 

 「じゃあ……なんで……なんですか? わたしが……ほかにできることなんて……」


 おー、やっとちゃんと伝わったか……。

 びくびくと上目遣いをしている少女をみて、ここまでたどり着くのに訳の分からん回り道をしてしまったなと心のなかで本日何度目かのため息をつく。


 しかしこれでやっと肝心の話を切り出すことが出来る。

 はてさて、どう言ったものかな……。


 言葉を選ばないなら俺の要求は『奴隷のごとく俺のために働け』といったものになるが、流石にそういうわけにはいかないだろう。

 ……いや、こいつならなんかそれでもオッケーと言いそうな雰囲気あるのが怖いが、後々それなりにモノになった後でやっぱやめたなんて言われても困ってしまうし、いまこの瞬間なにを言うかは結構大事だろう。






 そろそろ蓄光石(ルミナスストーン)の交換が必要なのか、工房の中はやや光量が落ちた、寒々とした灯りに照らしだされていた。加熱されている錬金釜のわずかな稼働音や俺たちの服が時折こすれる音以外、なんの音もしない。


 ほっとすればいいのか不安に思えば良いのか。そんな眼差しで俺の言葉をじっと待つ少女の姿を観察しながら、俺は考えた。


 無意識のうちに唇を舐める。


 先程、飯を食ってこいつが流した涙。

 確かに俺はそれを美しいと感じたし、俺に対する感謝の念もはっきりと感じ取ることができた。

きっとこいつは、スラム育ちとは思えないほど素直で優しい子供なのだろうと俺も思う。



 ――しかしそれでも。



 俺に対する、いわば“一宿一飯の恩”。

 それをこいつが将来においても持ち続けているなんて、俺はこれっぽっちも期待しない。

 誰かや何かに対し変わらぬ恩を感じ続けるというのは、簡単なようで実際はひどく難しいことを、俺は知っている。人はそこまで強くはなれないのだ。


 例え今のこいつが“生贄とされてもいいほど”の熱量を持って俺に何かを感じているのだとしても、いずれはそれもゼロになるだろう。

 熱というものは外の要因なしでは拡散するのが自然の法則というやつで、それは人の感情においてもきっと当てはまる。



 ――それ故に、人を縛る時には、恩などというあやふやなものはあくまで熾り火として使い、明快な利益を示して欲望を刺激し続けてやらなければならない。



 そしてこの場合の“利益”と“欲望”とは一体なんだろうか。


 ……思い出せ、そして考えろ。

 今までこいつは、俺の言動に対しどんな反応を見せてきた?

 どんな言葉を俺に投げかけてきた?


 そして、俺のうっかりから始まった誤解とはいえ。

 自ら生贄となろうとするほどの強烈な、狂気に近い熱量は一体どこから発生したんだ?




 ――キーワードは……いったいなんだ?



 …………。


 …………。



 『ひとりぼっちでおわりたくない』



 確かこいつは、そう言ったな……。

 どういう意味だろうか。あそこまで大胆な行動を引き起こすくらいだ。

 きっと俺の想像を越えた事情があるのだろう。


 しかしそれを慮る必要は――少なくとも今は――ないか。


 利用するだけなら事情など知る必要はない。

 勝手に解釈してもらえばいいだけの話だ。

少なくともこのワードには、この少女にとっては、生贄に突き進むほどの願いが込められているのだから。



 数分か、数秒か。

 そこまでの思考を終えて、言うべき事柄をまとめ終えた俺は口を開いた。



 「今更だが自己紹介をしよう。俺は、錬金術師『グランニート・レインジー』。魔法の力が込められた特殊な品を作り出す、魔法使いだ。――お前にはその錬金術を習得してもらうつもりだ。そして俺のためにその技を使ってもらう。……なに、約束しよう。お前が俺にとって役に立つ存在である限り、俺はお前の手を取り続けると。決してお前を――ひとりぼっち(・・・・・・)にはしないと。それが、俺がお前に提示できる報酬だ」



 すると少女はぽかんとした顔でぼーっと俺のことを見ていたが、やがて鼻をすすりながら途切れ途切れ言葉を紡いだ。


 「は、はい……っ! よ、よろしく……おねがい、しますっ……!」


 どうやらちゃんと当たりを引けたみたいだな。

 たまには俺もやるじゃん。

 ふう、疲れた――。




 ――あれ?




 しかしその時、自画自賛に浸りかけた俺はふと我に返った。


 ……なんか傍目からみたらこれって、打算に満ちた悪い大人がいたいけな子供をだまくらかしている図じゃね?


 いや、もともとそうするつもりで拾ったのはそうなんだが、実際にやってみるとなんかこう、罪悪感が……。滅茶苦茶感動してるっぽいし、こいつ……。


 もっとこう、他にあったんじゃないの?

 わざわざ感動路線に持っていく必要なくないか?

 しかし無駄に上から目線のセリフを吐いたばかりなのに、どうこうできるわけもなく。


 もやもやした感情がこみ上げてきた当時の俺は、目を赤くしていたシャルを寝かしつけ、昼に買ったエールを新しく開けて飲むと、そのまま寝て忘れることにしたのだった。



§§§



 「よくそんなに完璧に覚えているな」


 当時俺が言ったらしいセリフを一言一句正確に再現された俺は、思わずそう一言ボヤいてしまう。

 せっかくモアピジョンの煮込みスープのことを思い出してスッキリしたのに、別のイヤなことを想起させられてしまった……。


 隣に座るシャルは恥ずかしそうに頬を赤らめた。

 そして彼女はホクホクと湯気を立てているティーカップをもじもじと触りながら、返事をした。


 「えへへ、いまでもたまに夢に見ますからっ」


 ええ……。

 なにそれ、なんか重くない? 忘れろよ。夢に見るってなんだよ。

 内心ゲンナリとしながら、俺もティーカップを手にとって茶を飲んだ。


 ……え。なにこれうっま。


 「あの……。その、手を……繋いでもらっていいですか?」


 俺が意味がわからないほど美味い茶を二度見していると、顔を伏せたシャルが面倒くさい事を言ってきた。


 なんだなんだ? 最近甘やかしすぎたか? 弟子のくせに図々しいぞ!

 黙って俺にヒモ生活をさせろ! 大体なんでお前はそんなに優秀なんだ。ああん?

 養ってくれてありがとうございますぅ、こんちくしょう!


 心のうちでクズっぽい八つ当たりをしながらも、俺の口は半ば自動的に言葉を紡ぐ。


 「ふむ。別に構わないが、どうしたのだ?」


 別に構わなくないよ。大いに構うよ。


 「その、手を取ってくれるって……」


 ??? その説明は何か変わったんだろうか。

 無闇矢鱈ともじもじしているシャルを見ながら、必死で読解に励む。


 ……あーあれか? あれを思い出したのか?


 「そういえば、あの頃のシャルはしばらく何をするにしてもどこに行くにしても、私の手をよく握ってきていたな」


 実に鬱陶しかった。

 なんで俺は『お前の手を取り続ける』なんて言ってしまったんだろうと暫く後悔していた記憶がうっすらとある。


 「~~~っ」


 そして自分で思い出させといて、なんでそんなに恥ずかしそうなんだよ。

 大体この間は抱きついてきたじゃないか。

この年頃の女の子の気持ちってホント謎だな……。

 もうなんでも良いから、ほら、さっさと手を出せよ。


 そんなことを思いながら右手を差し出すと、シャルはびくりと身体を震わせた。



 彼女は恐る恐る顔を上げて、俺の右手を凝視する。

 ぎくしゃくとした動きで自身の左手を持ち上げて、ゆっくりと俺の右手と重ね合わせる。

 皮膚と皮膚が触れ合った瞬間、彼女は目を閉じてふわぁと無駄に艶っぽい声を出す。

 それから指を一本一本折り曲げて、俺の指の間に差し込み、ぎゅっと力を込めてくる。

 そして彼女は目を開くと、何故か潤んだ恍惚とした瞳でつながれた手をじっと見つめていた。



 ……何をやっているんですかね、シャルティアさん。


 それ以上は、頭の中でツッコミを入れることすら放棄した俺は、そのまま目を閉じて、昨日暇つぶしに読んでいた娯楽小説の内容を思い返すことにした。



§§§



 この国、ラクラシア王国ではいくつかの定められた魔法職、技術職に従事する人間は基本的に国に登録が必要だ。

 主に、他所の国に技術が流れるのを防ぐ目的と、戦争時に効率的に軍需品を生産させる目的の二つがあるとかなんとかだったか。

 一応、租税面などでいくつかの便宜も図られるので悪いことばかりではないが、法制化された徒弟制度に定期的な技能証明など、ぶっちゃけ少々面倒くさい。


 しかしいくら面倒くさいとはいえ、必要なことではある。

 あの晩の翌日、俺たちは役所でその手続きをやりに行ったのだが――。


 「レインジーさん、貴方は馬鹿なのですか?」


 ――俺は顔見知りの女職員に冷静な口調で罵倒されていた。


 どこぞの島国の血が先祖に混じっているとかで、黒のロングヘアーをした小柄な女である。

 きちっとした仕事着に身を包み、背筋を伸ばして座っているそいつは、俺をまるで路端に転がっているゴミかなにかのような目で見ていた。


 この女の名前はカヤ。


 やや童顔なせいで歳が分かりづらいが、俺より幾つか下の二十代前半くらいだったはずだ。

 そして、少しばかり性能がキチってる家庭菜園をやっている以外は、“遊び人通り”で数少ない人間的に出来た人、ミールさんの一人娘である。底抜けに明るい母親とは大違いのクソ真面目なやつだ。


 「いきなりご挨拶じゃないか。俺は何かおかしなことを言ったか?」


 「おかしなことも何も……」


 カヤは俺の手を握ってピタッと張り付いている幼女を見ると、はあと深くため息をついた。そして立ち上がると、後ろの席で作業をしている別の職員に声をかけた。


 「プラティさん、申し訳ないですがしばらく窓口をお願いできますか? 私はこの頭が足りてない人、レインジーさんと少しお話がありますので」


 「は、はあ。わ、わかりました。いってらっしゃいませ、先輩……」


 「おい、カヤ。何のつもりだ」


 「いいから、貴方はこっちに来てください」


 しかめっ面をしたカヤに連れて行かれた先は、空室の札がかかった部屋だった。

 彼女は、俺たちが中に入ったのを確認すると部屋に鍵をかける。

 そしてまたまた深くため息をつくと、口を開いた。


 「適当に座ってください。……それでその子は一体どこの子なんですか?」


 ここに来る前に古服屋で適当に買った、モコモコゴワゴワとした冬服を着た少女と俺を交互に見てそう尋ねてくる。その問いに俺は先程と同じ答えを返した。


 「だから言っているだろう。俺の遠い親戚の子供だよ。俺も心底嫌だったが、俺くらいしか頼れる人間がいなかったんだと」


 「……あくまでそう言い張ると、そういうことですか? ……はあ、わかりました。百歩譲ってそうだとしましょう。仮にそうだとして、その子はどうやってこの王都までやって来たのですか? 今の季節、分かってます? 真冬ですよ? 身寄りが貴方以外いない子供がはるばる王都まで来れるわけがないと思うのですが。冬季の馬車代はただでさえ高額だというのに、王女殿下の誕生祭が重なるこの時期がどうなるか、知っていますよね?」


 「…………。どうやっても何も、現にここにいるんだから来れてるってことでいいじゃないか。細かいことは気にするなよ。たまたま親切心に溢れた商人とかがいたんだろ。なあ?」


 俺がそう言うと、少女は予め言い含めていた通り、必死でコクコクと首を振る。

 それを見て、カヤはきっと俺を睨みつける。


 「細かいことは気にするなって、細かいことを気にするのが私たちの仕事なんですっ! それになんですか。“たまたま”に“とか”って! 誤魔化す気あるんですか!?」


 「うるさいなあ。お前そんなんだから、エリートで顔もそこそこいいくせに未だに独り身なんだよ。もう少し落ち着けよ」


 「な、なあ!? そ、それっていま関係なくないですか!? だいたい貴方の方こそ、私よりも年上のくせに独身じゃないですか!」


 「俺は別に良いんだよ。結婚なんてする気ないからな。女とは金と身体だけの付き合いに留めるのが一番後腐れなくていいってもんだ」


 「あ、貴方っていう人はっ! そ、そんなことを言って、わわ、私にどういう反応をしてほしいんですかあ!?」


 「そういう反応?」


 「!? さ、さいてい! 最低です! 人をおちょくって楽しいんですか!? ええ、楽しいんでしょうね、遊び人通りの人はみんなそうです!」


 「おいおい、今は俺とお前の話だろ。他人を巻き込むのは感心しないな。お役所の人間なんだから道理はわきまえないと」


 「えええ!? 何で私が貴方みたいないい加減な人に説教されないといけないんですか!? うう、釈然としません……もうやだぁ……」


 流石に幼い子供に聞かせるのはあれかなと常識的なサムシングを働かせた俺は、途中から彼女の両耳を塞ぎながら、ワイワイとカヤと言い合っていた。

 混乱したカヤが涙目になってきた辺りを見計らって、この場からの脱出を試みる。


 「まあ、それはそうともういいか? 俺たちはこれから色々と用事があるんだよ。続きはまたそのうちな」


 「続かなくていいです! もう、好きにしてくだ……。って駄目です駄目です! 肝心の話が何もおわってないじゃないですか!」


 ちっ……。あと少しだったのに、正気に返ってしまった。


 苦々しく思っていると、カヤが落ち着くためか大きく深呼吸をした。

 ほほう……。背が低いくせに胸部装甲が厚いせいでなかなか良い感じだ……。

 仕方ないから今までの無礼は許してやるか。


 そんなことを考えていると、カヤはキッと俺を睨みつけてきた。

 視線がバレたのかと思ったがそうではなく、単に俺を睨みつけたいだけのようだった。


 「本音で話しましょう」


 「本音?」


 「はい。ここには私たちしかいないのですから、本当のことを話してください。大変不本意ですが、私だってあそこの住民です。ろくでもない貴方達ですが最後の一線は見誤らないだろう、程度には信頼しています」


 ……それって信頼なのだろうか。どちらかというと諦観ではないだろうか。


 俺は首を傾げたが、このままではいつまで経っても話が進まないのはその通りである。

 しかし、結構久しぶりに会ったがまさかこいつがこんなことを言うとは。

少しは丸くなったのだろうか。


 ――それはそうと、今回の俺ってその、最後の一線とやらは守れている……のか?

 正直あまり自信がないんだけどどうしよう。


 俺は少女を椅子に座らせたまま、カヤを部屋の隅にまで引っ張っていって、ヒソヒソと囁いた。

 カヤは俺のその行動に不審そうな顔をするも合わせてくれる。


 「……そうだな。はあ……怒るなよ?」


 「もう怒っていますから大丈夫です」


 「そ、そうか。――こいつはスラムで拾った」


 「ほら、やっぱり親戚なんかじゃ……はい?」


 「だからスラムで拾ったんだよ」


 「……どうしたんですか? どこか体の調子でも悪いのですか? 貴方が人道的なことをするなんて」


 「失礼な。どこも悪くない。……確かに人道を考えて拾ったわけじゃないが」


 「じゃあ何のために」


 「…………弟子が欲しかったんだよ」


 「弟子……弟子?」


 俺がいろいろと(・・・・・)省略してそう言うと、カヤは俺の真意を探るような目で見つめてきたが、やがて諦めたようにため息を付いた。

 そして、不安そうに落ち着かない様子で俺達の方を気にしている少女を見て、仕方なさそうに呟いた。


 「はあ……。あの子も貴方を嫌っているようには見えませんしね……。――わかりました。貴方の遠い親戚の子としてなんとかしておきます。その方があの子も幸せでしょう」


 「……どうした? お前の方こそ体の調子でも悪いのか?」


 俺の言葉に、カヤはムッとした顔をする。


 「私にだって、スラム出身の孤児として生きていくのがどれほど大変かくらいわかりますよ。そのくらいの融通は利かせます」


 あっ、いや……。

 俺は別にそんなこと全く考えてなかったんだけど……。

 単にその方が楽かなと思っていただけなんですよね。


 ま、まあそう思ってくれるならそれでいいか……。


「それにそもそも……役所の恥部を晒すことになりますが……そんなこと、正確に確認できるわけがないんです」


 「ん? どういうことだ?」


「はあ……。それはですね。実は、しっかりとした管理ができているのは爵位持ちの方や、騎士や衛士、私たち国に仕える役人に、貴方のような職の人くらいなんですよ。――ここだけの話、国の利益に直結する人材以外をしっかり管理するのは、上位貴族の方の抵抗が根強くて王家の方も手をこまねいているらしく……。だいたい、先日もお祭りのための大量のエールの調達に横槍が入ったせいで、どれだけ現場が混乱したか――」


 おい、話がずれてるぞ。

 このままほうっておくと延々と愚痴られそうだったので口を挟むことにした。


 「わかったわかった。お前も苦労してるんだな。しかしなんだ。もし万が一問題になったら、お前は気づかなかったことにしてくれていいぞ」


 「ふふ。貴方もたまには気を遣うことができるんですね。ですがお気になさらず。その時は、私も貴方も(・・・・・)しっかりと裁きを受けましょう」


 「ごめん、訂正するわ……。お前、やっぱクソ真面目過ぎるぞ」


 そんなことをふわりと笑って言ったカヤに、俺は深々とため息をついた。



§



 窓口の所に戻って書類を作り始めたカヤは、ふと俺に尋ねてきた。


 「そういえば聞きそびれていましたが、その子の名前はなんですか?」


 「……………………あっ」


 「……………………は?」


 「いや待て違うんだちょっと待て」


 「信じられない……。何なのこの人……」


 まるで道端に転がっている虫の死骸か何かをみるような目を俺に向けた後、カヤは頭痛をこらえるように頭を手で抑えた。


 俺は慌ててしゃがみ込んで、俺の手を再びぎゅっと握りしめている少女と目線を合わせる。


 言われてみればそうだよ!

 どうして俺は未だにこの少女の名前を聞いていないんだ!?

 どこまで俺は抜けているんだ!


 「ごほん。すまないな。俺としたことが、実に、実に、実に、うっかりしていた。今更だが、お前の名前を教えてくれないか?」


 「なまえ?」


 一晩ぐっすり寝て、朝、昼としっかりと食べさせたお陰か大分良くなった顔色の少女は、きれいな緑の目をパチパチとさせながら不思議そうに首を傾げた。


 ……いや、何で首を傾げるんだよ。

 名前だよ名前。早くしてくれ、もう遅すぎるのは分かっているが!


 そんなことを思いながら、俺は再度問いかける。


 「そうだ。お前の名前だ」


 「? なまえはないです」


 「ん……?」


 あまりに予想外のことを言われたせいで一瞬思考が停止する。


 え、マジで? スラムの人間って名前もないの?

 それとも名前を付けられる以前からスラムにいたってことか?

 こいつ、見た目十手前くらいはありそうなんだけど。


 やばい、一般的なスラムの人間のことなんて知らないから判断がつかねえ。


 ……いや待て待て待て落ち着け落ち着け落ち着け。今の問題はそこじゃない。

 ないなら付ければいいんだよ、むしろそのほうが都合がいいだろう、うんうんそうだそうだ。


 「そ…………そうか。なら俺が付けてやる。感謝しろよ」


 くっそ、名前なんて急に思いつかねえよ!

 えっと、そうだな。あーもういい、あれにするか。


 「お前の名前は今日から――『シャルティア』だ」


 そう言うと、頭の上で小さく息を飲むような音が聞こえてきた。

 俺はそれを無視して、目の前の小さな、ちょっとしたことで死にそうな顔を見つめる。


 「しゃるてぃあ……。わたしの……なまえ……」


 「ああそうだ。いや、正確には『シャルティア・レインジー』か。レインジーの方は家名……まあ、家族が共通して付ける名前だな。文句はあるか?」


 「かぞく……なんですか……? わたしと……その、まほうつかいさまは」


 「ん、まあ、そう……だな?」


 勢いでつい頷いてしまったが、遠い親戚って家族ではないような。

 まー細かいことはいいかと思っていると、少女、改め“シャル”が――、






 ――衝撃の一言を放ってきた。






 「……ぱぱ…………」




 「!!?!??」


 あまりのショッキングな一言に茫然自失となったせいだろう。


 その日の残りをいったい何をして過ごしたのかは、俺の記憶から完全に失われている。




気付いたら8月最終日……。度し難いぞこの作者。

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