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第四話:ひとりぼっち


 ひとりぼっちの寂しさが分かるのは、ひとりぼっちじゃなかった時期がある人だけだ。


 五年後のいまの私はそう思う。

 そして、つらいことに悲しいことに、そして幸いな(・・・)ことに。

 どうして自分が“スラム街”と呼ばれるこの場所にいるのか、それ以前の記憶をすっかり無くして空っぽのままただ彷徨いその日を生きていた私にとっても。


 私を一人にしないでいてくれた人は確かにいた。


 その人の名前は知らない。

 すごく、とてもたくさん歳を重ねた、いま思えば幽鬼のような姿をしたお婆さん。

 そのお婆さんが私にとってのその人だった。


 しわくちゃな顔でいつも世を呪い、目には見えない何かに罵声をぶつけていた人だったけれども、私がかろうじて食せるものを持っていくと時折、お婆さんはふっと穏やかな顔になり様々な物語を私に語って聞かせてくれた。

 

 神に仕えし聖者の物語。

 魔に挑んだ勇者の物語。

 そして、他愛もない毎日を生きるただびとの物語。


 空っぽな私にとって、その全ての物語の登場人物は等しく憧れの対象だった。

 そして同時に、彼らは多くの疑問を私に抱かせた。


 ――神に仕えし聖者。


 最後は民草に裏切られ無実の罪で処刑されることとなったその人は、最後の瞬間まで穏やかな表情で神に祈りを捧げていたという。


 一体どうしてその聖者はそこまでして“神”に仕えることができたのだろうか。

 どうしてそこまでの熱量を持って“何者か”を想うことができるのだろうか。


 それが私にはわからなかった。


 ――魔に挑んだ勇者。

 災厄の根源ともいえる魔の王に挑んだ勇者は最後の戦いで多くの仲間を失うことになる。

 かの勇者はそれでもしかし、力及ばず倒れた仲間たちの“想い”を受け取って、見事勝利を飾ったという。


 一体どうして勇者とその仲間たちは命を失う危険が高い戦いに臨むことができたのだろう。

 そして死んでしまった仲間の想いを受け取ってとはいうが、既にいなくなった仲間たちの想いを使わなければ得られなかった勝利に果たしてその勇者は最後に何を感じたのだろうか。


 それが私にはわからなかった。


 ――そして最後に。他愛もない毎日を生きている、らしい人たちの物語。


 温かい家の中で日々家族と笑ったり喧嘩したり、あるいは近所の人たちとお互いに様々に繋がりながら仕事をして日々の糧を得ている、らしい人たち。


 温かい家、とはなんなのか。

 家族、とはなんなのか。

 笑うとは、喧嘩するとは一体どういう行いなのだろうか。


 それが私にはわからなかった。



 もちろん、当時の私はここまで明確に言葉にして疑問に思っていたわけではない。

 むしろ疑問よりは、あこがれや感心の気持ちのほうが大きかったかもしれない。

 だがそれでも、かつての私の心のうちに数々の疑問が蓄積されていったのは間違いないことだといえるだろう。

 

 何も知らない私はお婆さんを質問攻めにした。

 どうして、どうして、どうして。私の怒涛の疑問にお婆さんは答えてくれることもあったし、怒り出してしまうこともよくあった。手だって上げられたこともある。


 ――しかしそのひと時は、私にとっての“他愛もない毎日”として、確かに私に何かを与えてくれていたのだ。


 そして、私という子供がスラムにあった(・・・)時から季節が二巡りするまでの間はそんな時間が過ぎていったことを、私はいまでも鮮明に覚えている。



 それは私がお師匠さまと出会うあの冬の夜より、およそ半年前の夏のことだろうか。

 

 夏は生きるのは楽だ。

 なにせ、温かいからあちこちに草がよく生える。虫もたくさんいる。

 雨もよく降るから飲水も簡単に手に入るし、体を洗うことすら出来てしまう。


 えへへ。まあ、そんな感じで夏は楽なのだ。


 たしかに光差す通りに住む人たちは依然、私と目を合わせると顔をしかめて何処かに行ってしまうし、私が僅かな残飯を拾おうと伸ばした手もただ『汚い、どこか行け』といって払いのける。


 それでも私は彼らを恨むことはなかった。


 だって空っぽで何も知らない私にとって、彼らは物語の中の人たちで、私と彼らの間にはひどく遠い距離があるのが当然なはずだと思っていたからだ。

 もしかすると、糧を得るためとはいえこんなキレイな所に入り込んでしまってごめんなさいとすら思っていたかもしれない。

 

 自分のことながら、流石にモノを知らなさすぎるよね。

 あの頃の私はもっと図々しく生きるべきだと、決して我が道を譲らず孤高を貫くお師匠さまと暮らして日々教えを受けている、今の私ならそう思ってしまうけれど。


 あはは、ちょっと脱線しちゃったな。

 まあ仕方ない。かつての私に物申したい気持ちは私にもあるのだ。


 とにかくそんな感じで、たやすく生きていけるはずの夏にそれは起こった。


 私がいつものように自分とお婆さんの分の食べ物を手に入れて、お婆さんがいつもいる屋根なしの廃屋に向かったところ、私の向かう先に何羽もの黒い鳥が飛んでいるのを発見する。



 ――不吉な予感がした。



 あの黒い鳥の下にはいつも、様々な理由で死んでしまった人がいる。


 一度だけ甘い果物をひとかけら分けてくれたおじさん。

 ときたま、道ですれ違うことがあった私と同じくらいの片手がない男の子。

 いつみても、高い柱の周りをぐるぐると回っていた女の人。


 みんなみんな、……じゃった後にはあの鳥についばまれてた。


 そう思ったかつての私は一瞬空を見上げて目をつむり、それから開ける。

 そして、いつもは体力を消耗しちゃうからやらないようにしてる全力の走りで、私は廃屋に向かって駆け出したのだ。



 ――そしてたどり着いた私が見たものは、黒の塊だった。



 そこからさきのことは、実は記憶がない。

 ただ、さほど時間は経っていないと思う、そのときには何故か鳥たちは散り散りに逃げ去っていて、私の目の前には幸運なことに、意外とキレイなお婆さんの遺体があった。


 本当に幸運だ。

 だって私はこれで、キレイなお婆さんを時たま物語に出てくるようなお墓の中に入れてあげられるのだから。


 そう思って安堵したはずなのに、目の下、頬、そして顎が何かが通ったかのように痒くなってくる。


 なんだろうこれは。


 そう思った私は自分の顔に手をやった。水だった。

 雨でも降っているのだろうか。私はそれの意味が本気でわからず、空を見上げる。

 快晴だ。壊れた屋根の上には雲なんてどこにもない。


 首をかしげると、今度はなんだか喉が震え始める。



 「やだぁ……、やだよぉ……」



 妙に冷静な意識の裏で誰かが悲痛な声を上げていた。

 その時、私は初めて気づいた。

 ああ、もしかして私は泣いているのか、これが“悲しい”かと。


 それに気付いたかつての私はようやく、素直にわーわーと泣き始める。

 そうか、もしかしてこれが、『勇者』の感じた気持ちだったのかと思いながら。






 ――それからの私は、ほんとうの意味で抜け殻のようになった。


 たった一人といえど、そしてその人が果たして本当に私を認識していたかわからずとも。

 それでも私は誰かといたし、その人がいなくなったことで私は『ひとりぼっち』を知ったのだ。


 そして生きる気力をなくし、それでも死ぬ勇気はなく、ただ漫然と時を重ねた末に――。





 ――私は、お師匠さまと出会うあの冬の夜を迎えることとなる。





§



 『――この世全てに見捨てられし哀れな幼子よ。この先、幾夜過ごせるかも分からぬ迷い子よ。私の手を取れ。そしてその身を捧げて、私の役に立て。――されば私は、お前にささやかな救いを与えよう』


 ドクロの付いた杖を持ち黒いマントを羽織った、怖い顔をした魔法使い。

 私は正直なところ、そんな人が突然目の前に現れても全く怖く(・・・・)なかった(・・・・)


 ただその人が言った言葉は私の感情をひどく久しぶりに揺さぶった。

 その人が、汚い私に差し出した手にはひどく驚きを覚えた。


 初めてあったはずの私のことを、まるで当然のように見透かしている言葉。

 スラムの外のほかの人みたいに私の手を汚がることもなく、差し出された手。


 まるでその人は物語から出てきた悪い魔法使いのようで、しかしもはや世界と何の繋がりもない私にとっては、『こんな私に手を差し出し私を求めてくれただけで』もうそれで良い気がした。


 例えどんなことをされようとも。

 物語の中の彼らのように、これからひどく残酷な目に合わされるのだとしても。

 殺されてしまうのだとしても。



 ――それでももう、その一点だけで私はすべてを差し出しても良い気がしたのだ。



 手を取った私に、何を思ったか、魔法使いさまは不気味に笑う。


 しかしそれでも魔法使いさまは私に対して優しかった。


 身にまとっていた温かい体温の残るマントの丈を調整して、私を包み込んでくれた。

 私が裸足であったことに気付くと、黒のフードを二つに裂いて私の足に巻きつけてくれた。

 どこかに向かうときも私の歩幅に合わせてゆっくりと歩いてくれた。


 それはきっと大事な素材を壊さないようにするための気遣いなのだろうと、幼心に思いはしたものの、私は久しぶりに、いやほとんど初めて触れた人の好意にお婆さんを失ってからなくしてしまった感情が少しずつ蘇っていくのを感じた。



§



 なんだかすごく怖いことをしている人たちの横を通り過ぎて辿り着いた魔法使いさまの家。


 そこに手を引かれて入った私は、


 『ああ。やっぱり、私はそうなるのか』


 と諦める。


 部屋中に乱雑に散らばっている、子供のものにしかみえない無数の頭の骨。

 大きな釜の中で苦しげに漂う人の骨。

 そして、その釜をおもむろに熱し始める魔法使いさま。



 ――うん。確かに私はもうここまで来る間だけで十分な『救い』を貰った。


 ならば、次は私が私を差し出す番なのだろう。


 そう思った私は、むしろどこか清々しい気持ちで私の方を振り向いた魔法使いの元に向かった。


 ……いや、それは嘘だ。


 身体が震えそうになるほど怖かったけど、ここで逃げ出して本当に何もかもから繋がりを失ってしまうことのほうが、ひとりぼっちで死ぬことのほうがもっと怖かったからこそ、きっと私は向かったのだろう。


 そんな私に、魔法使いさまはいよいよ最後の言葉を言おうとする。


 「お前には錬金術を――」


 を、なんだろう。

 もっとすごくするためいけにえになってもらう!!とかかな……。

 恐怖に泣きそうになるも、聖者の話を思い出して私も最後は堂々としようと思い、必死に顔を引き締める。



 しかし、それに続いたのは正直ちょっと肩透かしだった。



 「……うっ……臭いと汚れが……ひどいな……」



 「…………」


 ちょっといままでになくゆとりのある場所にいるせいだったのだろうか。

 せっかく覚悟を固めた所にわかりきっていることを今更言われて、正直、当時の私は少しイラッとした。

 これも初めて知った感情だったかもしれない。


 もう、いけにえにするならはやくしてよっ!こわいのにっ! へんにじらさないでっ!


 私がそんなどこか間の抜けたことを考える。

 それから、口にするのは怖くて無理だけど『この想い、魔法使いさまに届け!』と思いながら、じっと魔法使いさまの目を見つめていると、魔法使いさまが口を開いた。


 「先に体を洗うか。少し待ってろ」


 私はそれにむすっと頷く。

 

 私に背を向けて隅のほうにある壺に向かった魔法使いさまは、なんだかすごく気持ち悪いモゾモゾと動いている半透明な何かを腕に乗せて戻ってきた。


 (…………?)


 私が初めて見る気味の悪い物体に戸惑っていると、魔法使いさまはこういった。


 「さあ、こいつを使え。きれいになったら気持ちいいぞ」


 「…………ぇ?」


 使うってどれを? それを? え? どうやって?

 洗う……んだよね? え?


 私が目を大きく見開いて少しパニックになっていると、ニヤリと笑った魔法使いさまがこう言いながら、そのぞっとする物体を私に押し付けてきた。


 「なんだ、お前喋れるのか。遠慮するな。こいつに汚れを食ってもらったあとの爽快感は他所では味わえないぞ。さあ」


 やだあああ!

 心は悲鳴を上げるも身体は私の意思に反して動かない。


 「ふえっ!? …………っぁ………! っ! っ!」


 そのぬるぬるする物体が私が魔法使いさまにかけてもらったマントの下に入り込むと、更にその下に服があったはずなのに、しばらくすると何故か直接、顔以外の体全体にぴちゃりと張り付き、もぞりもぞりと皮膚を吸い上げるようにして一斉に蠕動(ぜんどう)を開始した。


 「!? ゃぁ!」


 私は思わずしゃがみ込み、悲鳴を上げた。

 そんな私を魔法使いさまは完全に無視してまた別の棚のところに向かって、ごそごそと何かを始めていた。


 もう、なんでもいいからはやくいけにえにしてぇっ!!


 私は思わず泣きそうになりながらそう言おうとするも、私の口から出てきたのは皮膚をこすられ吸い付かれる妙な感覚からくる悲鳴だけだった。


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