幕間P:私の尊敬する先輩がダメ男に誑かされている件っ!
六話に一瞬だけ出てきたカヤの後輩プラティが、表題について深刻な懸念を表明するお話。
私、プラティ・レーンには、とってもとっても尊敬している人が一人いる。
その尊敬の度合いといったら、うーんそうだね……。先日、一ヶ月のお給金の半分をつぎ込み早朝から並ぶことで、やっとの思いで入手することに成功した舶来品の高級ハチミツ。そのハチミツを、その人のためなら断腸の思いで半分……三分の一……十分の一……分けてもいいくらいに、私はその人のことを尊敬しているのだっ。
…………あれっ?
――ま、まあそれはともかく。
私が尊敬するその人の名前は”カヤ・バーネット”。私の職場、王都庁での先輩だ。
カヤ先輩は私より二つ年上の二十二歳。王国では珍しい黒髪でどこかエキゾチックな雰囲気を持つ綺麗な人だ。
普段はあんまり感情を顔に出す人じゃないから、容姿も相まって、初見ではちょっと取っ付きにくい印象もあったりする。
だけどそれでも実際に付き合ってみたら、さり気なく気を回してくれたりフォローしてくれたりして、とっても優しい人だとすぐに分かるはずだ。
そして、仕事もすごく出来る人で特に事務処理の速度が尋常じゃなく……というか超人じみていて、自賛するようだけどそれなりに優秀なはずの私たち他の職員ですら、嫉妬する気持ちが全く湧かないほどの領域にある。
ある先輩曰く、
『バーネットは事務処理という名の概念なんだよ。ある意味、神さまみたいなもんだ。そして、当たり前のことだが神と人を比べ、嫉妬することになんか意味はない。そう、俺らがするべきはバーネットみたいなやつが身近にいることに感謝し、少しでも能力を盗ませてもらうことなんだよ。それさえできれば、いずれ他の職場に移った時、俺らが逆に神さまになれるんだからな』
なんて恐ろしく前向きなことを言っている人がいたが、カヤ先輩の事務処理能力に関してはその過剰な物言いも確かに理がある。意外と初心で可愛らしい面もある先輩を神聖視することには、もちろん異論があったりするけどね。
――だけどそんなカヤ先輩が昨日からちょっとおかしい。
庁舎ではいつも先輩に張り付いている先輩マニアのこの私が言うんだから間違いない。
今日だってほら、昼前に登庁してきた先輩の顔がほんの僅かではあるが嬉しそうに見える……可愛い……はっ、違う違う。今はそんなことを言っている場合ではない。
どこのだれだっ! 私の先輩にこんな顔をさせたのはっ!
やっぱり昨日のあいつか!? あいつなのかっ!?
気になって気になって仕方がなくなった私は、もう聞いてしまうことにした。
私の席の隣でいつもに増してすさまじい速度で書類の山を攻略している先輩に声をかける。
ちなみに他の同僚は風邪が流行っている外回りなどの部署の応援に行っていて今はいない。
「せ~ん~ぱ~い~? ちょお~っといいですかあ~?」
「なんですか、プラティさん。先程から手が止まっているようですが」
「あ、ごめんなさい…………じゃなくってですねっ!」
一瞬流されて仕事に戻りかけた私は、机をぱんと軽く叩いて体ごと先輩の方に向いた。
「な~んだか先輩、嬉しそうじゃないですかっ! 何があったんですかっ!」
私がそう言うとこれまた珍しいことに先輩はぽろりとペンを落とした。
そしてわざとらしく何事もなかったかのようにペンを拾うと再び書類と向き合い始める。
でも明らかにさっきまでよりスピードが鈍っていた。
「な、なんのことですか。私はいつも通りですよ。プラティさん、変な邪推をしないでください。今は仕事中です。怒りますよ」
「わーすっごい早口です、先輩~。すご~い」
「こ、こらっ」
――ズキュン!
私の煽りに遂に手を止め、目を怒らせてそう言った先輩に思わず胸を撃ち抜かれる。……私は一度落ち着くために深呼吸をし、ココロの中で絶叫した。
なにそれっ、かわいすぎかっ!!
「なにそれっ、かわいすぎかっ!!」
あ。声に出てしまった。ま、いっか!
そんな私のことを先輩はジト目で見つめてくる。
「……プラティさん? 貴女とは少しお話をしないといけないようですね……」
「え、やったあっ! 先輩の許可がでたぜいっ!」
「……でたぜいじゃありません。はあ、まったくこの子ときたら……。貴女の指導がここ数年の仕事で一番大変な気がしますよ」
「えへへ。そうですか? 私は先輩の一番になれてとってもうれしいです♡」
私がそう言うと、先輩は無言で額を抑えてうなだれてしまう。
解せぬ。……でもそんな先輩も素敵です……っ!
私がそうやってもだえていると、先輩は呆れたようにため息をついてこう言った。
「……で、何が聞きたいんでしたっけ? このまま仕事の邪魔をされては敵わないですし、少し休憩にして聞いてあげましょう」
……あ、そうだった!
先輩のかわいい言動に惑わされて、本題を忘れるところだった。
私は再度、片手でパンと机を軽く叩き(以前ドンと叩いて怒られたことがあるのだ)、先輩に詰め寄った。気分はまるで司法代官である。
「そーですよ! 私が聞きたいのはですねっ。先輩が、どうしてそんなに嬉しそうだったのかってことですっ! ごまかしは許しませんからねっ!」
「……別に大したことではありませんよ。頼って欲しい人に、やっと頼ってもらえたのがすこし……その、表に出ていたのかもしれません」
「むーそれってどういうことですか? 頼って欲しい人って……やっぱり昨日の男の人のことですか? あのよれっとした服を着た、だらしない感じの」
「ず、随分辛辣ですね……。ですが、ええ。あの人、レインジーさんのことですね。……一応フォローしておきますと、あの人はあれで綺麗好きなんですよ。職業柄か、少なくとも体は毎日しっかりと綺麗にしていたと思いますし。……まあ、見た目がみすぼらしいのはともかくとして」
そう言って苦笑する先輩の表情に、私はやはりいつもの先輩とは違うものを感じる。
……それがなんだか気に食わなかった私は、この際、徹底的に問い詰めてやろうと思った。
だって、みんなの憧れで、尊敬すべき私の先輩がよりにもよってあんな貧乏臭そうないけ好かない男に特別な感情を抱いているなんて、何か裏があるに決まっていると思ったからだ。
それにもし、その”特別な感情”が恋愛的な意味での好意だったら……正直なところ心配になってしまう。
先輩は普段はとても頼りがいのある人だけど、その、ちょっと男女の機微に疎そうなところがあるし。……私も言うほど詳しいわけじゃないけど、たぶん先輩よりは大丈夫なはず……。
私は珍しく真面目な顔を作って口を開いた。変に持って回らず直球で聞くことにしよう。
「先輩……真面目な話、どうなんですか。あのダメそうな人のことが、好きなんですか? 恋愛的な意味で」
すると先輩はどういうわけかきょとんとした顔になる。
そしてしばらくして、小さく苦笑するとこう言った。
「ああ、なるほど。そういうことを心配してくれていたんですね。……確かに今も昔も、私はあの人に好意を持っています。――ですが恋愛的な意味でそうだったのは、もう七年も前の話ですね。私が十五で、あの人が二十くらいの頃でしょうか」
カヤ先輩は懐かしむように目を閉じ、唇の端をわずかに緩ませながらそう言った。
むー……。本当だろうか。
それにしては随分と声がこう、しっとりとしている気がするけど。
私はまだ納得していないですっというのを示すために、唇を少しとんがらせた。
そんな私の仕草を見た先輩は小さく肩をすくめて続ける。
「私が王都生まれの王都育ちで、一人っ子なのはプラティさんも知っていたかと思いますが。ですが、私には近所に三つ年上の姉代わりみたいな人もいたんです。そしてその人……”姉さん”の祖父の方が錬金術師をやっていらして。彼はそのお爺様の元に弟子として十九なんて歳でやってきたんです。私が十四のときだったでしょうか」
先輩は一度そこで言葉を区切ると、一度飲み物に手を付けて唇を湿らせた。
先輩の艶やかに濡れたピンクの唇が更に言葉を紡ぐ。
「……ふふ、懐かしいですね。あの人は出会ったばかりなのに、当時とある私塾に通っていた私が陥っていた……いえ、自らはまり込んでいた苦境に最初に気付いて、あの時の私が何よりも必要としていた言葉を、掛けてくれたんです。まあ、きっとあの人からすれば嫌々で、あの人自身の言葉を借りるなら『自分の心の安定を保つため』だったんでしょうが、それでも当時の私が憧れるには十分な理由でした。ふふ……実際に動いてくれたのはあの人じゃなくて、ほとんど”姉”の方だったんですけどね」
そして先輩は少しイタズラっぽい顔をすると、
「自分の気持ちに気付くまでの一年間は”兄さん”なんて呼んでいたこともあったんですよ。それはそれは物凄く、驚くほど嫌がられましたけどね」
なんて言った。
「むーむー……」
そこまでの先輩の話を聞き終えた私は、思わず変な鳴き声を上げてしまう。
なんだか……思ってたより、マジっぽいんですがっ!
そんな風に言われたら、一方的にあやつのことを悪く言えないじゃないかっ!
……だけどどうしてなんだろう。
そんなに好きだった……ぐぬぬ……のに、どうして先輩は諦めちゃったんだろうか。聞きたい……けど聞いて良いのかな……?
と一瞬ためらったが、あまりためらうのも私のキャラじゃないし、聞いてしまうことにした。
もし要らぬことを掘り返してしまったなら……超謝って、ハチミツを三分の二……半分、献上することに、するっ!
「というわけで、先輩。ずばり、なんで諦めたんですかっ」
「……貴女は本当に物怖じしませんね……。なにが『というわけで』なのかも分かりませんし。ふぅ、将来大物になりそうな予感がします……」
「えへへ、そんなぁ~♡ でもいくら褒めてくれても追求はやめませんからねっ♡ はやくっはやくっ」
私がそう急かすと、先輩は項垂れた。
「どこまで計算して口を開いているんでしょう……この娘は……。まさか、天然? いやでも……」
先輩は何事か小さく口の中で呟いていたが、諦めたようにため息をつく。
「まあいいでしょう。ですが予め言っておきますが、別に面白い話ではありませんよ?」
「それでも聞きたいですっ! 女の子は暇さえあれば、いえ、暇を作ってでもっ! 恋バナをするものなんだと、どこかのエラい人が言っていましたっ!」
「今は一応勤務時間だとかその人は本当に実在するのかとか、いろいろとつっこみたいところですが……もういいです……はあ……。えっと、先程、十四の時に憧れ、十五の時に自分の気持ちに気付いたと言ったと思いますが」
「はいはい、言っていましたねっ」
「……なんというかその、ちょっと恥ずかしいんですが、当時の私はかなりの無口というか、口下手でして……。結局のところ一度も想いを伝えたことはなかったんです……」
「え”」
私は思わず目を見開いて先輩を凝視した。
先輩が……口下手っ!? ていうか何それ、奥手すぎっ!
「い、いえもちろん他にも理由はあるんですよっ。例えば、あの人は本当に昔から怠け者でしょっちゅうお爺様の工房から抜け出してはどこかをふらついて下手したら数日帰ってこなかったりと、まさにダメな大人を体現したような人で、当時の浮ついた私でも少しためらうところがあったとか、あ、でもそれでも不思議とお爺様には可愛がられていたようなので、必ずしもダメ過ぎるというわけではなかったのかもしれませんがその」
私は思った。
「先輩、私、そこは別にフォローいれなくていいと思います。ダメですよそれ。絶対」
「!? あっ、そうですならこれなら。姉さんがいたとも言ったと思いますが、その姉さんと”兄さん”があの頃の私にはすごくお似合いに見えていたというのもあります。姉さんはその、なんといいますか、女の子とは思えないほど猪突猛進で正義感溢れる性格をしていまして、悪人が相手なら錬金術で自作した爆弾を投げ込むことも辞さないテロリストじみたところがあって」
私は思った。
「ほんとにテロリストですねそれ」
「で、でででですから、そのですね。そんな実に遊び人通りの人らしい暴れ馬な姉さんの手綱を、”安定”を好む小心な兄さんが仕方なく握り始めてから、随分とマシになったといいますか、世間の人からの呼び名が【オレンジ髪の爆弾魔】から【爆竹女】にトーンが落ちるくらいにはなりまして、なんというか、良いコンビだなと……思っていたんですっ」
私はなんだか……。
「先輩…………そんな二人に囲まれて、先輩が先輩に育ってくれて…………ううっ。私、あとで教会に行って感謝のお祈りを捧げてきますね……っ」
「!!? ち、違うんですっ、プラティさんっ! 私は二人をけなしたいわけじゃなくってっ!」
ポケットからハンカチを取り出して目を拭っていると、先輩はそう必死になって言い募ってきた。
ううっ、せんぱいぃ……。
ほんとに、せんぱいがせんぱいに育ってくれて、よかったです……っ!
それでも少しは洗脳されているせいか部分的におかしなことを言っていたけど……この程度ですんで本当に……っ!
可哀想な先輩が必死にダメな人たちのフォローをしている。
それを聞き流しながら、私は目を拭ったハンカチをじっと見つめる。
――その時、ふと私は考えた。
ということはもしかして、そのテロリストさんと本当にダメだった昨日の人が付き合ったから、諦めたということなのかなあと。
そういえば、遠目に見た、昨日の男の人が連れていた女の子はオレンジ髪だった気もするし。
そうだっ。
なんだか先輩は微妙に未練がましい気もしないこともないし、ここはすっぱり私が指摘して、先輩にそれを思い出させてあげたほうがいいかもしれないな。
うん。今の空気なら、きっとそれも許されるだろう。
――そう思った私は、先輩がまだ何事か言っているのを遮って、口を開いた。……開いてしまった。
「あー! ってことはやっぱり、そのお姉さんと昨日の人が付き合ったから先輩は諦めたんですか?」
――と。
――すると先輩はまた、キョトンとした顔をした後、小さく笑った。
「いいえ、プラティさん。それは違います。……姉さんが、それに姉さんのお祖父様であの人のお師匠さまが、亡くなったのをきっかけに諦めた……それどころじゃなくなってしまったんです」
――私は声を失った。
そんな私を慰めるように先輩は言葉を続ける。
「ごめんなさい、プラティさん。ちゃんと最初に伝えるべきでしたね。誤魔化すつもりはなかったのですが、私もプラティさんと話をするのが楽しくて、今までつい避けた物言いをしてしまっていたみたいです」
そう謝ってくれた先輩に私は何も口にすることができない。
「事実を端的に並べますと……あれは、私が十七、あの人が二十ニの時でしたか。当時、王国軍兵器開発局が主導していた、五年経った今でも機密指定されている開発計画があったらしいのですが、お爺様の工房もそれに外部協力者として協力していたみたいで。――そしてその開発計画の佳境にどこかの研究施設で行われた実験があり、その実験の爆発事故で、あの人を除いた二人は命を落としました。あの人も背中に大火傷を負っていましたね。とても凄惨な事故だったらしく、王室付きの錬金術師や宮廷魔法師を含む大勢の技術者や魔法師が亡くなったそうです。更には監督にいらっしゃっていたという、私のひとつ上だったと聞く、第一王女殿下を巻き込んで。……なので、プラティさんもあの五年前の事故のことは耳にしたことがあるかもしれませんね」
§
「う”ええ~ん! せ”ん”は”い”ぃぃぃ、ごめん”なさい”ぃぃぃっ!」
「そ、そんなに泣かなくても。私自身はとっくに割り切ったことなので、全く気にすることはありませんよ。むしろ私のほうこそ、嫌な伝え方をして申し訳ないといいますか」
「せ”ん”は”い”はわ”るくないですうぅうぅっ!」
「はいはい、そうですね。ほら、これでちゅーんとしましょう。ちゅーんと」
§
私、先輩と一緒に、なくなるまで毎日、こんがりと焼いたパンにあのハチミツを塗って食べることにする……。
ようやく落ち着いてきた私はそんなことを考えていた。
そんな私に、ずっと付き添ってくれていた先輩が微笑みを浮かべながらこう言った。
「ほら、プラティさん。落ち着いたようならそろそろ休憩時間は終わりにして、仕事をしましょう。仕事をすれば、きっともっと落ち着きますよ」
「はい……。でもそれ、なんだか仕事人間っぽくて、やです……」
「…………え。でも私は……。……もうっ、プラティさん! 分かってますかっ! 二人でこれだけを今日中に片付けないといけないんですよ! 終わるまで帰れないと思って下さい!」
あ、逆ギレされた……。
へへ……でもいいんだ……。私みたいなゴミ虫はぞんざいに扱われるくらいで……。
そんな風に僻みながら、私も机と向き合う。
「あれ……これなんですか? 多分先輩のですよね」
手のひらほどのサイズの長方形の上質そうな紙が何枚か、私の机の上に転がっていた。
先輩がハンカチを取り出した時に、一緒に出てきたんだろうか。
「ああ、符術に使う魔紙ですね。ありがとうございます」
先輩は私が差し出したその紙をポケットにしまう。
「符術……ってなんですか?」
「うーん、私の家に伝わる異国の魔術みたいなものですね。この紙に力ある異国の文字を魔力で刻むことで、使い捨ての簡易的な魔道具のようなものを作れるんです。母の得意技で、紙の方も母が作ったものですね」
「ほえー、そんな魔法があるんですか。いつも持ち歩いているんですか?」
私は感心する。
先輩は仕事をしながらも、つと首をかしげる仕草をする。
「大体は、ですね。今日はこれでも少ないんですよ。外に出かけると言っていたので、こっそりともたせて……って、プラティさん。お仕事しましょうお仕事」
「ですね……そうでした」
はあ、と私はため息をつく。
もうお祭りは終わって二日目なのに、どうしてこんなにお祭り関連の仕事が残っているんだか……。
お祭り用の飲食物の検査報告書とか、いまさら見る必要ってなくないかなあ……。
っていうか来るの遅すぎない?
私はそんなことを思って、再度ため息をついた。
はあああああ~~~~。
ちなみに昔のカヤは、黒髪和風無口系美少女でツンツンしてるけどいつの間にか傍にいて「んっ、兄さん」ってぼそっと言いながら世話焼いてくる感じの子です。
そう言えば寡聞にして知らなかったけど、ググったらアマで最高四万円のマヌカハニーとかいう高級ハチミツが実際にあるみたいですね。ニュージーランドで作られてて消化器系にめっちゃ良いらしい。うーん本当だろうか。……って何の話してるんだ(;・∀・)




