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第九話:三十一セレン


 ――金が無い!




















(大事なことなのでもう一度……)




















 ―― か ね が な い !






 えっ? どれくらいないかって?


 そりゃあもう……………………。


 ほとんど”すっからかん”といっていいレベルだ。


 財布をひっくり返してみても、出てくるのは何処のものとも知れぬスタンプカードが何枚かと、たった百五十六セレン分の硬貨のみ。激貧状態である。



 ……いや本当にどうしてこんなにも金がないのか。


 それにはこう、実に複雑かつ壮大な理由が星の数ほどあるわけなのだが、おおむね次の二つに集約されると言えるだろう。


 ――まず一つ目。


 そう、俺は人ひとりを維持するためには相応のコストがかかることを、分かっていたようでまるで分かっていなかった。

 こういってしまえば『お前の見込みが甘かったんだろう?』なんて言われてしまうかもしれないが、それは違う。


 これは自然界による俺への反逆なのだ。


 だってそうだろう。そもそも人が素の状態では寒さに耐えられないのが全て悪いのだ。

 そのせいで俺は、我が弟子となったシャルティアに想定外の出費として冬服代を捻出することを強いられてしまった。いつもより少しグレードを上げた食事を用意することを強いられた。


 全く信じられない。

 冬という季節なんて何のためにあるんだよ。

 それにどうして、寒いのが分かっていて人間の体毛は薄いんだよ。


 王国の北の国境であるマクル山脈には獣人やら鳥人の自治領があるらしいが、ちょっとは俺たち人間も連中を見習ったらどうなんだ。

 あいつら、気合で微フサになったり超モフになったり出来るらしいからな。ふざけてやがるぜ。――人間なんて数少ない体毛である髪の毛すら無くしてる奴がいるんだぞ!


 はあ……。



 ――そして二つ目。


 ……それはシャルティアを弟子として登録する際に金が必要なことだった。

 『予め調べていないのが悪い』って? いいや、違うな。そんなこと、想像だにしていなかっただけだ!


 さっきのが自然界による反逆なら、こっちは云わば人間社会による横暴である。


 全くありえない。俺はこの国の将来を思って技術を後進に伝えるべく、弟子を取ったんだぞ!

 それなのになんで俺が金を取られなきゃいけないんだ!

 お国の理由なんて知ったことか! むしろ助成金を出すべきだ!


 きっと誰もがそう思うことだろう!

 民を虐げてそんなに楽しいか!

 

 …………。





 ――とまあ、こんな二つの俺には全くどうしようもなかった理由があるわけだが。





 はあ……それにしても百五十六セレンか……。


 こんなんじゃ、その辺の靴磨きをしているガキにすら鼻で笑われそうだ……。

 いくらこの俺でも、流石にこの所持金はひどすぎる。

 こんなんじゃ原野バトの足ごときクズ肉ですら一本と半分くらいしか買えそうにないんじゃ……。



 …………いや適当に難癖付ければ……二本、いけるか……?



 そしたらそれで一食分として……それを食べ終えるまでは、働かなくていいのでは?

 んん? いっそのことその肉を晩飯に食えば……今日はまだ働かなくていいのでは?

 また明日から……頑張ればいいんじゃないか?



 俺は顎に手をやって、その案をこの上なく真剣に検討する。



 ……いやいや待て待て。待つんだ、グランニート・レインジー。


 難癖付けるなんて、わざわざスラムの子供を弟子にとるほどの素晴らしき人格者たる俺らしくもないだろう。

 くそっ。百セレン硬貨がもう一枚あれば、明日に先送りできたのに。

 今、こんなに悩まなくても済むのに。……どこかにもう一枚転がってないだろうか。


 そう思った俺は、無駄な努力とは知りつつも椅子から身を乗り出して、テーブルに並べた硬貨を今一度数えなおしてみる。


 一枚、二枚、三枚、四枚……。


 一枚一枚丁寧に指で動かし、下に重なっている硬貨がないかを確かめる。

 ない……。やはりない。きっかり百五十六セレン。

 それが今の俺の手持ちのすべてであることはどうやら間違いがないらしい。


 あー何だかこんな虚しい作業をしていると、段々どうでもいいことにすら腹が立ってくるな……。


 ほら、この忌々しい硬貨どもが放つ鈍い金属光沢とか。

 まるで俺のことをおちょくってるようじゃないか?



 そうだな、例えばまるでこんなことを……、


 『やっほー、ご同輩さん(・・・・・)! 今日もお前さんの魂の輝きには何だか仲間意識を覚えるぜ! まあそう怖い顔をせず仲良くしようや! 俺たちとお前さんは、同じ底辺層仲間だろ? ……おっと、違ったか。俺たちは使える(・・・)が、お前さんは使えない(・・・・)不良品だったか。がはははは」


 ……言っているかのようで…………。




 やばい、本当に苛ついてきた……。


 くっそ、いっそのこと鋳潰してやろうか。

 百五十六セレンなんて中途半端な額しかないから、俺は悩まされてるんじゃないか?

 完全にゼロにでもなれば、却ってスッキリするんじゃないか?


 ってそれはダメだ。危ない危ない。死罪になってしまう。


 この国では、貨幣の偽造に関わる全て――特に王国が発行している『セレン硬貨』に関してのそれは異様に罰則が厳しいんだった。セレン硬貨の偽造なんて、不可能(・・・)なのは知れ渡っているのに、全く神経質過ぎるぜ。


 もしバレたらと思うと、一時の下らない衝動でそんなことはとても出来ない。




 …………って俺は何をどうでもいいことばっかり考えているんだ……。


 余裕が無いせいで、心まで荒んでいるんだな……。

 虚しい、虚しいよ。なんだか目尻が熱い……。

 この世に救いはないのか……。神はいないのか……。


 思わず背もたれに深く腰掛けて、黄昏れてしまう。



 はあとため息をひとつ吐くと、俺はテーブルの上の硬貨を睨みつけるのをやめてぼんやりと目線を彷徨わせた。


 工房の中は錬金釜を既に稼働させているため、そこそこ暖かい。それだけは救いだ。

 そして更に幸いなことに、何故か無駄にドクロ――動物の骨――だけはあるので、そこから勝手に魔力を抽出させてやれば維持も楽々である。ついでに骨油を分離させておけば、仮に全部骨の魔力を使い尽くしても、まだ多少は暖を採れるだろう。これなら一ヶ月二ヶ月くらいは寒さに震えることはないか。薪よりもはるかに安く済むしな。


 ……とは思うものの。


 なんで俺、こんなに骨ばっか用意したんだろうな。

 別にアルケミースタッフ(しかも、その偽物(・・))にそこまで拘る必要ないじゃん。アホなのかな。端金とはいえ、その金があればまだ働かずに済んだのに……。


 っとこの思考はダメなんだった。


 頭を振って再びリセットする。

 そして気分転換に、実は先程からずっと聞こえてきていた音の方にようやく意識を向けることにした。(意識を向けるだけの余裕が少ないながらもやっとできた、ともいう)


 その音――パタパタと工房(アトリエ)の中を駆け回る音――を立てていたのは、もちろん、昨日から正式に、なけなしの金を代償として俺の弟子となった少女――シャルティアという名を与えた少女である。


 彼女は一体、何をそんなに張り切っているのか知らないが、頼んでもいないのに工房(アトリエ)の床の拭き掃除をしているみたいである。

 服の袖をたくしあげ、パタパタと端から端を行ったり来たり。そうやって忙しなく動き回っているせいだろう。頬は赤らみ、額に僅かに滲み出した汗で前髪が張り付いてしまっている。


 働き者だなあ。

 それにちょっと前まで死にかけていたクセに元気なことだ。


 そうやって俺が目で追いかけていることに気付いたのだろうか。

 シャルティアは動きを止めると立ち上がり、俺の方を向いてニコッと笑みを見せた。

 たくし上げていた袖がストンと落ちる。


 「ぱ……おししょうさまっ! もうかんがえごとは、おわりですか?」


 「あ……ああ。お、終わったぞ……」


 「そうですかっ」


 きっとこの人は何か有意義なことを考えていたのだろうと、まるで疑っていない純真な眼差し。

 そのあまりにピュアッピュアな瞳に射抜かれて、俺は唸りながら思わず目を両手で抑えてしまう。



 ぐわあっ、目が、目がぁ~! 焼かれるううう~ッ!

 俺の心の闇が、無理やり、純白の光によってさらけ出されてしまううう~~ッ!

 いやだああ! 浄化されてたまるもんかああああ~~ッ!

 俺は絶対に、負けない、からな……くっ!



 「っておししょうさま!? どうしたんですかっ!」


 ちょっと前みたいに心配気な声を上げたシャルティアが駆け寄ってくる音が聞こえる。


 これ以上、俺をどうしようというのだ!

 そう思って、俺は片手を弱々しく突き出して近づいてくるシャルティアを制した。


 「だ、大丈夫だ。気にすることは……ない!」


 「ほ、ほんとですか? ほんとにほんとですか?」


 しかしそれは一瞬遅かったのか、想定外の近さから声が聞こえてくる。

 俺は、思わず怖いもの見たさで片目を、開けてしまう――。






 まだ少し丈の長い地味な色合いをした町娘風の服。


 しかしそんなありふれた服に身を包む幼い少女は、どこか異質な、妖精めいた儚い雰囲気を持っている。

 それはいくら血色が良くなったとはいえ痩せた体躯をしているからだろう……と考えるが、もしかしたら他にも理由があるのかもしれない。

 ……俺は、つい、囚われるように目の前の少女について分析を始めてしまう。


 そう、彼女はあまりにも綺麗すぎるのだ。外見の話ではなくその心の在り方が。

 例えるならまだ何も描かれていない白紙のキャンパスのよう。そしてそれは――明らかにおかしい(・・・・)話だ。

 このご時世、まだ十にも満たない子供とはいえ生きてさえいれば必ず降り積もるはずのものがあるはずである。特に目の前の少女はこれまでスラムで生きていたはずなのに。


 どこか非実在的な不確かさ。

 錬金釜の中に投入した素材が変質し錬成品へと変化する最中の夢幻物質にも似た、あやふやな可能性の固まり。下手に手を加えれば、あるいはちょっと目を離すだけでも。途端に消えて、どこかにいなくなってしまいそうな存在。

 それは俺の元から、という意味ではなく文字通りの意味で。いやどっちにしても困るんだが。もう投資してるし。


 とはいえ、なんだか昨日以前よりはマシになっている気もするが……。

 まあ、そんな不確かな存在を不確かなままにしておくのは、俺の精神衛生上、あまりよろしくないだろう。


 だけどそれでもやりたくないなあと思っていたが、こっちを上目遣いで覗き込む少女の目の端に僅かに光を認めた俺は――。






 ――仕方なく、妥協することにした。





 「ほれ」


 「ふぇっ!? あぅ……」


 はあ……あまり必要以上に”与える”つもりはなかったが……。めんどいし……。

 まあ、妥協することには慣れている……。


 俺は目の前の少女、シャルティアの頭をぽんぽんと撫でる。


 「この通り何ともない。それと掃除をしてくれていたみたいだな。ありがとう」


 「いえ……その、はい……。ううう……」


 シャルティアはなんだか今されていることを理解できないといった様子で、大きく目を見開き、すこし肩をすくめ、ふるふると震えていた。

 その様子に俺はすこし可笑しみを感じる。


 「くく、何をそんなに縮こまっている。もっと堂々としていいんだぞ。それに俺のことならそこまで心配する必要はない。俺はーそう魔法使い、偉い偉い(・・・・)錬金術師さまなんだからな。そしてそんな俺は、お前の師匠でもある(・・・・・・)。わかったか?」


 いいながら、気付け代わりに少し力を強めてぐしぐしと撫でる。

 そうこうしていると、シャルティアはやっと理解が追いついてきたのか、声を張って返事をした。


 「は、はいっ」


 「そうだ、その調子だ」


 「えへへ……」


 「……む……」


 はにかんだ笑みを見せるシャルティア。

 うーん、ペットとか買ってたらこんな感じなんだろうか。


 ……正直、少し可愛らしく感じてしまって不覚を取った気分になる。



 ――そして何だかあまりにも気持ちよさそうにしているので、なんとなく止め時を見失ってそのまま一分くらいなで続けていたのだが。








 「「ぐぅ……」」







 ――同時に腹の虫がなって、俺たちははっと我に返った。

 

 








§



 ちょっと行った所で蒸かし芋を買ってきた。

 そしたら残金が三十一セレンになった。


 やばい。


 やばい。





【獣人種】

実は獣人種も人間(正確には純人種)と遺伝子的には同一(作中の時代では不明)。特異なヒュレーの魂脈による”変身作用”が常時発現することで、一見違う種のように見える。だから実は交配が可能……だけど、倫理とか文化とかの問題はなきにしもあらず。

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