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短編小説

漫画家と編集者

作者: 伊那

 ネットで調べてプリントアウトした地図を片手に、なんの変哲もない一軒家を見上げる若い男性が一人。高柳圭司(たかやなぎけいし)は見知らぬ民家の前に来ていた。

(普通、新旧担当者二人で会うもんじゃないのか?)

 仕事は仕事だと割り切って行動出来るタイプの男高柳圭司でも、この日の業務内容に疑問を抱いた。

 新しく高柳が担当する事になった仕事相手を、これまで担当していた者が引き合わせて三者で話しをするのが普通ではないか。そう思ったが高柳は一人で行けとの命を受けている。

 考えていても仕方がない。高柳は地図を鞄にしまうと、玄関に向かった。

 この家の中で人と会う約束をしている。高柳はチャイムを鳴らす。

 しばし待ってみても、家の中から足音はおろか物音も聞こえない。気づかれなかったかと思い高柳はもう一度チャイムを押す。また反応はない。

 しばらくして、インターホンから音がした。

『あ、開いてます……』

 機械越しだからだろうか、やけにこもった、か細い声が聞こえた。声は若い女性のものだ。

 インターホンの受話器は取れるが、何か玄関に来られない事をしている真っ最中だろうか。

(それにしても、鍵を開けっぱなしとは……)

 不用心とも思えるが、来客を知っていてあえてそうしたのかもしれない。

 とにかく高柳は断りを入れてから室内へ入る。

 玄関からは廊下の先にある部屋が少し見えたが、誰もいない。やけに静かな中、ぱたぱたと小さな足音だけが聞こえる。

 やはり何かおかしいと、高柳は眉を寄せる。とにかく家人に会わねばと靴を脱ぎ踵を揃えて爪先の方向を反対にする。

「失礼します。月下(げっか)先生、いらっしゃるんですか?」

 高柳は、自分の担当する相手がまだ若い女性だという事しか聞いていない。先ほどのインターホンの声の主がそうだろう。そういえば、少し人見知りをする、と聞いたような気がする。だからなかなか顔を見せないのだろうか。

 とりあえず高柳は廊下を進んでみる。すぐにこじんまりとしたリビングルームに着き、人の姿を探して視線を動かす。

 人の気配はまるでなかったが、低いテーブルの上には紙が一枚のっている。高柳は膝をついて紙をとりあげた。

“新しい担当さん、はじめまして。これからよろしくお願いします”

 文面を読み終わったあと、高柳の頭はフリーズした。

 もしかしなくともこれは、高柳が担当する相手からの手紙。面と向かって言えばいいような簡単な事を、わざわざ手紙にしたためるとは。高柳からしてみれば訳が分からない。

 辺りを見回して書いた張本人を探すが見つからない。高柳は、ため息をついた。

 気づけば、テーブルのそばのソファにも紙がある。高柳は眉を寄せながらそれもとりあげた。

“前の担当さんから話はたくさん聞いています。連絡はメールでください。その方が忘れてしまった時も後で確認しやすいですから。どうしてもという時以外は電話でなくメールでお願いします。でも出来るだけメールにしていただけたらと思います”

 もしかして、人見知りとかいうレベルではないのだろうか。高柳はちょっと気が遠くなりそうだった。前の担当者も同じように扱われたのだろうか。問題があったとは聞いていないから、顔を合わせなくとも上手くいっていたのか。少なくとも高柳はやりづらいのだが。彼は立ち上がった。

「いや、居るなら出てきてくださいよ、月下先生!」

 ツッコミのように言うと、どこからか物音がした。何かがぶつかったような音が。

 いる。高柳は新しい仕事相手がこの家の一階にいるのが分かった。こちらの様子をこっそり見ているのだろうか。

 かさ、と音がしてキッチンに続く床に新たな紙があらわれた。高柳はそこにも何か書いてあるのが分かったが、そんな紙より人に出てきてほしい。高柳は息を吸う。

「ただーいまー」

 ドアの開く音と男の声。思わぬ別の人物の登場に、高柳は小さく肩を跳ねさせる。

未優(みゆう)、いるのかー?」

 この家の住人の一人だろう、声は近づいてくる。

「今日あれだろ、新しい担当が来るって話だったろ。どうだっ……た?」

 言いながら、男は高柳のいるリビングルームにたどり着く。顔を合わせた男二人は既視感に目を見張った。

「お前」

 相手は高柳の大学時代の同級生だった。とても親しいというほどではなかったが、学科が同じで、時々グループで遊んだ時にはよく一緒になった。

「タカヒロ」

 高柳を指差した男は他人の名前を口にした。

「高柳圭司だ」

「ああそうそう。タカヤナギタカヤナギ」

 タカしか合ってねーよ、と言いたい高柳も実はこの同級生の名前を宮本ナントカというところまでしか覚えていなかった。

「何してんのお前、うちで。同窓会?」

「いや、仕事だ」

「じゃあもしかして新しい担当って……あっ未優」

 宮本ナントカが他所を向いたので高柳もつられた。その先には物陰から顔を出す女の子の姿があった。高柳が視線を向けると彼女はすぐに隠れてしまった。

「未優にもう会った? あいつちょっと人見知りするからさー」

 ちょっとどころの騒ぎではないだろう。

 宮本――やっと思い出した――広嗣(ひろつぐ)は大股でキッチンに入り込む。そしてそこにいるらしい誰かと話をする。

「大丈夫だってあいつオレの友達。大学の時の。え? ああそうだけど、別にあいつが悪いわけじゃないし」

 何やかやと言う広嗣に対し、もう一人の声はまったく聞こえない。まさか相手は一言もしゃべってないのでは、と高柳が思っていた頃。

「タカヤナギ。お前の仕事相手ってオレの妹」

 少女が兄につれられてきた。

 高校生――中学生にだって見えるだろうか。とにかく小柄で、顔立ちも幼い。うっかりすると小学生に間違われるのではないか。

 彼女はうつむいて、困ったような恥ずかしそうな表情をしている。

 高柳は小さな子供を困らせている悪い大人のような気分になった。

「……えと、水健社の高柳と申します。これから月下先生の担当をさせていただきます。よろしくお願いいたします」

 とにかく高柳は社会人としてやるべき事をしなければならない。色々とペースを崩されたが、この家には仕事で来ているのだ。一礼も忘れない。

 反応はない。高柳は顔をしかめないよう心がける必要があった。

 が。

「タカヤナギさんは、おにい……兄のお友達なんですか?」

 しゃべった。小さな子供みたいな少女が、高柳の前ではじめて口をきいた。

 高柳は妙に落ち着かない気持ちになった。

 彼女の声は思っていたより、しっかりしていて澄んでいた。子供っぽい話し方ではなかった。何故か高柳は返事が遅れてしまった。

「あ、はい」

 言うと、少女はさっと兄の影に隠れてしまう。またか、と高柳が表情筋を使わないよう努めていると、

「ごめん、こいつ、タカヤナギがバカみたいにでかいからビビってるんだよ。なんかやけにガタイいいし。ガテン系のあんちゃんみたいなやつが雑誌の編集者なんて思わなかったからさ」

 兄の広嗣が解説した。

 これは、兄がいないと会話が成立しないという事か。高柳は広嗣を眺めた。

「それなら、座らせてもらっていいですか」

 高柳の言葉に、また少女が顔を出す。

 ところでこの少女は一体いくつなのだろうか。高柳は新しい仕事相手が未成年だとは聞いていない。

「あ、ちなみに未優はもう二十一だから安心して。でも一緒に町歩いてると誘拐と思われるから覚悟して」

 朗らかに言う広嗣に、少女は拳を叩きつける。年相応に見られないのを気にしているのか。

 宮本未優。少女漫画家の本名と素顔を知り、高柳は改めて彼女を見つめた。

 今は兄の暴言に怒っているのだろう、眉をつりあげている。ほとんど言葉を発しない彼女が、感情的な姿を見せる。相手が人間だというのが高柳にもやっと分かった。

「まあその前に未優は外での打ち合わせなんてしたくないって言い続けるだろうけど」

 人見知りの上に引きこもりらしい。高柳は観念するしかなかった。

「とにかく、よろしくお願いします」

 高柳が少し背をかがめて言うと、未優は兄の影から隠れるのをやめた。

「……はい」

 その頬は緊張してか赤くなっており、高柳は心臓を跳ねさせた。

将来ラブコメ。たぶん続かない。

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