森の癒し手
重い足を引きずりながらクランハウスまでたどり着く。アラクネ様とドリスは、以前からの知り合いだったようだし、何と伝えればいいのか……。
「ふむ、戻ったか。タモツ」
「タモツ、おかえりー」
俺も未練がましい。あるはずのない声を期待してしまう。
「なんか顔が暗いねぇ」
「稼ぎか悪かったか? そんなに深刻にならずとも、わらわも裁縫で稼いでおるし」
「ああ、今日は途中で終わっちゃたっしね」
ん?
アラクネ様は誰と会話しているんだ?
顔を上げると、丸テーブルに座るアラクネ様と焦げ茶色の髪を持つ小柄な人影。
「え? は?」
「死ぬのは失敗だねぇ。奴隷契約も解除されないし」
「その程度で解消されては適わん。きっちり働くのじゃ」
「結構痛かったし、お腹は減るし……」
「体を作り直すとエネルギーを使うからな。もし足りなんだら、天界に戻されるところじゃぞ」
「むう、それはこまるなー」
「いやいやいや、何を呑気に話してるんですか!?」
そのツッコミに二人して首を傾げる。
「何を泣きそうな顔をしておる?」
「だって、ドリスが目の前で消えて。いなくなって、死んじゃって、何でいるんですか!?」
「精霊は死なないよぉ」
何を当たり前の事を。
そんな雰囲気でドリスが答える。
「天界に戻ると、何百年かは戻って来れんがな」
「そうなるとタモツとは会えなくなっちゃうから、気をつけるよ」
ふふーんと笑みを浮かべて近づいてきた。
「どう? ワタシのありがたみがわかったかね?」
「ありがたみといか、何というか……」
まだ混乱からは立ち直れていない。ただ目の前にいるドリスは、ドリスで、ちゃんといる。
「よかった……」
「ちょ、ちょっとぉ」
思わずその小さな体を抱きしめた。
パコーンと頭を叩かれた。
「どさくさに紛れて何をしておるか!」
「うーん、ワタシはタモツの奴隷だし。求められたら断れないなぁ」
「は? いや、違いますよっ」
慌ててドリスを放す。
改めてその体に矢が生えておらず、傷もなさそうなのにほっとする。
「そんな焼き餅妬かなくてもいいのに」
「馬鹿、そういうことではないわ! いいか、ドリスは森で若い男を誘惑して、神隠しにする類の精霊じゃ。甘言にのるでないぞ?」
「もう、奴隷だからそんな力ないって。まあ、経験は豊富かもね? 色々楽しませてあげるよ?」
「ド~リ~ス~」
「ふぉぉっ」
ドリスの体が宙に舞い、天井付近で止まった。よく見ると半透明の糸で吊されている。
スパイダーウェブの応用だろうか。ああいう使い方もできるんだ。
動揺する心は、現実逃避的にそんな事を考えていた。
何にせよ、俺の失敗は取り返しがついた。かといって、次も助かるとは限らない。
無理、無茶、駄目、絶対。
心にそう刻んだ。
そえいえば、と拾ってきたドリスのリュックを確認する。とてもギルドで換金している余裕が無かったので、ドロップ品はそのまま入っている。
銅貨が12枚とボロ布6枚、青い木の実が8つ。どうみても赤字か……。
「むう、この布は流石にどうしようもないな。糸に解いて織り直しても下の下な布にしかならぬ。
こちらの木の実は、食用にも使えるが、染料にもなるぞ。ギルドで売るより、わらわが使った方が良いかも知れぬ」
ということらしい。換金してこなかったので判明した事実。怪我の功名といったところか。
そういえば最後に倒したゴブリン6匹のドロップ品もあったのか……勿体ないことをした。
「ねー、そろそろ解いてよ」
ぷらぷら揺れながら、ドリスがアラクネ様に訴える。
「一晩、頭を冷やすが良い」
「そんなこといって、下でタモツといちゃつくつもり……って、痛い、痛いからっ」
アラクネ様に手にしてた青い木の実をぶつけられてる。どんぐり程度には堅いから、結構痛そうだ。
そんな二人を見ながら考える。
万が一を考えるなら、回復薬は必要だ。残る銀貨は1枚、銅貨もそれほどないので、買えて二つ。もちろん、命には代えられないので必要だが、二つでどこまでできるのか。
「ヒーラーが欲しいところだよなぁ」
回復要員がいるかどうかで、パーティーの生存率は大きく変わる。回復薬では、元を取るのも大変だ。
「んー、心当たりがないわけじゃないけど……」
俺の呟きにドリスが上から答えてきた。ただその声はためらいが感じられた。
「何か問題があるんですか? 素行が悪いとか、乱暴者だとか、我が儘だとか」
どれも同じか。
「真面目でいい子なんだけどね……」
ドリスの様子は歯切れが悪かった。
翌日、ドリスの案内で近くの森に来ていた。草木が生い茂り、小川のせせらぎが聞こえ、小鳥の囀りが木霊する。とても穏やかな雰囲気だ。
「確かこの辺に……あった、あった」
ドリスが指さす方に、一軒の小屋が建っているのが見えた。目的地らしい。
「いるといいけど……」
ドリスが扉をノックする。扉には、『ドリュアスクラン』と書かれていた。
「はい、どちら様ですか?」
出てきたのは大人しそうな少女だった。
栗色の髪を三角巾で留め、三つ編みにした一房は、肩口から垂らしている。
丸メガネをかけていて、優等生という雰囲気。白いローブに緑のガウンを羽織っていた。
「や、やあ、フィオナ。元気だったかい?」
ドリスがぎこちなく挨拶している。少女は一瞬驚いた顔をしてから、がしっとドリスの肩を捕まえた。がくがくと揺さぶりながら、問いつめる。
「ドリス様、今までどこに!」
「え、え、え、えー、それには深い訳が……」
「突然加護は無くなるし、気配は感じれなくなるし、占いには諦めろと出るし、心配したんですよ!?」
どうやらドリスのクランの子だったらしい。しかも、ドリスの神格がなくなったせいで、加護を失ったと……不憫だ。
「ドリス様の事だから、どこかで行き倒れていないかと、森の動物達で探したんですよ。キノコを拾い食いして動けないとかっ」
「やっ、森の精霊であるワタシが、そんな失敗はしないよ!?」
「じゃあ、どこで何をしてたんです?」
まさか食い逃げで捕まって奴隷になったとか、思いもよらないだろう。
「まさか街に遊びに行って、買い食いした挙げ句に、お金がなくて捕まったとかじゃないですよね? 奴隷になったから加護が切れたとか、ありえませんよ?」
予想できたようだ。この子がすごいのか、ドリスの普段の行動が悪いのか……。
「てへへー」
ドリスは返す言葉も無いようだ。
「はぁ。とりあえず中に入って下さい」
小屋の中は、様々な草であふれていた。鉢植えにされたものや、刈り取られカゴに入れらたもの。乾燥させたものや、鍋で煮詰めているものなど、いかにも薬師といった雰囲気だ。
俺が物珍しげに辺りを見回しているうちに、ドリスは一通りの説明を済ませたようだ。九割方予想された通りなんだが。
「そんな訳で、ワタシのモノはタモツのモノ。ワタシのクランもタモツのモノというわけ」
いつの間にか、ガキ大将のような論理にされていた。
「そう……ですか」
思い詰めたような少女は、俯いて呟いた。
「いや、俺はただね……」
「ドリス様の代わりに、私を好きにしてください。
ドリス様は、どうしようもないお方ですが、それでも私にとっては、大事な精霊様なのです」
悲壮な感じでこちらに訴えてきた。というか、こんないい子をほっといて何をやってたんだ、ドリス。
「いや、だから俺としてはヒーラーが欲しいと言っただけでだな」
「フィオナは、いいヒーラーだぞ。ドルイド僧だが魔法に頼るばかりでなく、薬の調合にも長けていて、知識が豊富なんだ」
ドリスが胸を張って説明する。
フィオナの方は少し困った様子だ。
「しかし、迷宮に潜るとなると、加護がなくては……」
「それはそうか……回復薬を安く分けてもら……」
「アラクネの加護を受ければいいでしょ?」
妥協案を提示しようとしたら、ドリスが何でもないように言った。
え? それでいいの?
「え、アラクネ様?」
「あんな蜘蛛女の加護なんかイヤかもしんないけど……」
「アラクネ様の加護が頂けるなら、喜んで!」
フィオナが目を輝かしていた。
「え、あれ、フィオナ?」
ドリスは思わぬ反応に、戸惑っている。
「アラクネ様の織物は、女の子の憧れなんです。
私は刺繍入りのハンカチくらいしか持ってませんけど」
そんなに人気あるのか。その割にクランは寂れてたけど。
「まあ、蜘蛛が苦手って子は多いですから。まあ私は、森に住んでますし、平気ですけど」
「あれ、ワタシは? フィオナ?」
「それじゃ、支度しますので、少々お待ち下さい」
ドリスに答えることなく、フィオナは奥の部屋へと消えていく。
残されたドリスは、捨てられた子犬のように震えていた。
余程ショックだったのか、気絶するように意識を失ったドリスを、俺が背負ってドリスのクランハウスを出た。
「クランを乗り換えてよかったのか?」
「まあ、ドリス様が神格を失ったのであれば、仕方ないですしね。
もし、ドリス様が力を取り戻したら、私も戻ることにはなると思いますが」
なるほど、そういう心積もりだったのか。それにしてはドリスに対して辛辣な感じだったが。
「ドリス様はちょっと自由過ぎます。クランをほっといてこんな事になってましたし、少しお灸を据えておかないと」
確かにドリスの下で働くのは大変そうだ。
「今回の事がいい薬になるといいんですが……」
はぁ、と深いため息をつく。まあ、簡単に直るなら苦労はないか。
アラクネクランに戻り、フィオナを紹介した。
「ふむ、ドリスが力を取り戻すまで……な。よかろう、それまでは加護を与えるのじゃ」
「ありがとうございます」
「寿命が尽きる前に戻るといいのぉ」
ぼそりと呟くのが聞こえた。アラクネ様も意外と毒がある。
フィオナの儀式が終わるまでは、工房の方で待つことにした。しかし、あの三畳間に四人は狭いだろう。
アラクネ様がドリスを吊り上げたのを見て、思いついた事を試してみよう。
工房の壁にスパイダーウェブを打ち込み、逆の壁へと引っ張ってくる。伸縮性も粘着性もあるので、壁から壁への架け橋のようになった。そこへマントをひっかけてやると……。
「ハンモックとして使えないかなぁ」
その呟きにドリスが、がばっと跳ね起きた。やはり狸寝入りだったか。
「おおお、面白そうだね!」
「寝てみる?」
「え、ワタシが先でいいの?」
「レディファーストで」
ドリスは喜んでハンモック状のマントへと寝ころぶ。強度的にも問題なさそうだ。
軽く揺すってみても、破れる気配はない。
「わはは、楽しいな、これ」
ドリスも大喜びだ。これを利用できれば、工房の土間で底冷えがあっても影響は少なく、スペースが有効的に使えるはずだ。
あとは……。
ズドン。
「ぐぎゅう」
スパイダーウェブの効果時間が切れて、ドリスが落ちた。俺の魔法だと、五分程度しか保たないんだよね。
腰を押さえながら恨めしそうに俺を見上げるドリスをよそに、マントを拾い上げて確認。うむ、粘着も残ってないな。
「何か言うことはないの?」
「楽しかった?」
「痛かったよ!」
万が一落ちた時の為に、何かクッションは欲しいか。
「気に入ってもらえなくて、残念です」
「ううう~」
その夜、アラクネ様に作って貰ったハンモックで寝てみる。さすが神様の作ったハンモックは、朝まで快適な睡眠を約束してくれました。
儀式が終わり、工房とのしきりの扉が開かれた。結果がでるのは明日だろうが、多分大丈夫だろうとのこと。
そんなフィオナにドリスは謝りながら、見捨てないでと泣きついていた。まあ、俺の背中でフィオナの話は聞いてただろうから、後はドリスの心掛け次第か。
「そういえば、タモツのレベルアップも見ようかの」
「レベルアップ?」
「うむ、迷宮もそれなりに進んでおるし、ステータス変化しておるだろう」
どうやらこの世界は、神様が確認することで、レベルが上がっていくようだ。確認してもらうのは、面倒な気もするがシステムなら仕方ない。
以前のように上半身を脱いで、うつ伏せになる。
神様の指がうねうねと、背中を這っていく。くすぐったいより、恥ずかしい方が強い。
「何で見てるの?」
「いいじゃない、減るものでなし」
「ほら、失礼ですよ」
フィオナがドリスを引っ張っていこうとする。でもさっきまでは、君もこっちをガン見してたよね?
「ほれ、続けるのじゃ」
アラクネ様の指が再び動いて、作業が続けられた。
儀式が終わり、上がったステータスを記入した布を渡される。
「何か三倍になってるんですが」
各数値が10前後だったのに、30前後まで上がっている。
「今が迷宮四階じゃろ? 十階で百が目安らしいゆえ、順当であろう」
ふむ、そういうモノなのか。
「ふふ、早く稼いでくれるのを期待しておるぞ?」
「いや、あまり焦ってもいいことないと気づきましたので」
もうあんな失敗はごめんだ。フィオナも増えたし、安全性は高くなったとも思うが、無理はしたくない。
その後、皆で夕ご飯となったが、フィオナの手腕のおかげで一気に食卓が豪華になった。
鋭気を養い、明日は四階にリベンジだ。




