終焉と報酬
そこは真っ白な空間だった。上も下も何もなく、宙に浮いたような感覚。その中で認識できるのは、目の前にいる恰幅の良い、人のよさそうな笑みを浮かべる中年の男。
「ジャスト3ヶ月、イイ夢見れましたか?」
「……夢、だと?」
「はい、私どもの用意した装置で、夢の世界で活躍していただいた訳です。大木場保さん、貴方の成果は素晴らしい」
「あの生活が、夢、だと?」
「厳密にいうならば、集団の無意識にある共通概念の中、人類の総和社会での生活と言えますでしょうか」
「なんだ、ユングとかフロイトとかの話か?」
「さすが大木場保さん、よくご存じで。我々は人の深奥に眠る共通した認識の世界に、自我を持った人を送り込むことができるようになりました。そこで成せる事を見極める為のモニターテストだったと言うわけです」
心理学などほとんど知らない俺としては、それがどんなことかは分からないし、知る必要もない。
「人の意識には、共通する部分がある。それは無意識の領域に蓄積され、ある程度の形になります。例えばそう、神、といった存在として。世界には多くの概念がありますが、意外と共通するモノも多い。一つの地域で発祥したモノが伝搬したとする説もありますが、エジプトとインカで同じように神という概念が生まれ、太陽などをその化身とする。それらは伝搬による共通で片づけられるのか? その辺が、我々のアプローチ。そして、我々は人の積み重ねは記憶が集う場所を人の深奥に見つけ、ソコに人を送り込む方法を得たという訳です」
長々とした説明は、俺の理解が及ばないものだ。そんなモノには興味が無かった。
「ええ、ええ、分かってます。大木場保さん、貴方への報酬ですが、我々の期待以上の成果を上げてくださいましたので、かなり色を付けさせてもらいますよ」
そういって俺の評価内容を上げていく。弱小クランの創設を行い、大規模クランに対抗。新たな銭湯というシステムによる集金。様々な可能性を示してくれたと。
「中でも神を奴隷にして、迷宮に連れ込み殺したこと。また、神殺しの武器が存在し、それによって大きなクランが滅んだ事実への到達は大きいですよ」
中年男は、興奮冷めやらぬといった雰囲気で教えてくれる。
「諸々を勘案して、貴方への報酬は十億と決まりました。今後の人生は、現実でお楽しみ下さい」
「十……億……」
そのけた違いの金額が、より俺を冷静にさせてくれた。
「だが俺は……」
「そうそう、ご報告しなければならないことがあります」
俺が男にあの世界への残留を切り出そうとしたところに、男はさらに話を被せた。
男が手を動かすと、白い空間にスクリーンが浮かびあがる。そこには、老域に入った夫婦が映っている。
「長年連絡のない息子が、ふと気になって連絡を入れたら出ない。会社に問い合わせたら、とっくに退職している。暮らしていたアパートにも戻っておらず、老夫婦は失踪人として息子さんを探しておられる」
住んでいたアパート側の駅、白いモノが混ざり、皺が深くなったビラを渡す女性。毛髪が薄くなり、厳しい顔で道行く人に頭を下げる男性。
俺の両親だ。
「私共も気づくのが遅れまして、今では貴方の眠る病院へと案内させていただきました」
場面は変わり、白い部屋。寝かされた俺には、いくつものチューブが生やされ、隣の大きな機械に繋がれている。
「本人の意志とはいえ、人体実験と騒がれるのもよろしくないので、ご両親には意識不明で発見されたとお伝えしてます」
そんな俺の手を握り、涙を流す母親。黙って見下ろす父親。
「貴方が戻れば、何の不都合なく生活に戻れます。もちろん、報酬の十億付きで」
中年男は人のよさそうな笑みのまま、冷静に告げてくる。
「万が一、貴方の意識が戻らなければ、生命維持の費用はご両親の負担になるでしょうね。定年後の年金暮らしで、それを支払えるか……老後を借金にまみれて過ごす事になるかも、しれませんねぇ」
全く悲観はしていない、淡々とした口調だ。
「さあ、貴方の最後の選択をお聞きしましょう。元の世界に帰りますね?」
「くくくっ」
俺の口からは、笑いがこぼれていた。中年男は表情こそ変えていないが、怪訝そうにはしている。
「ここまであからさまだと、誰も引っかからないんじゃないか?」
「はて?」
「今となっては誰もが知ってる、オレオレ詐欺の手口じゃないか。連絡が取れない状況で、身内の不幸を聞かせ、金を騙し取る。今回の場合は、俺を現世に戻したいってところか」
「ほうほう……」
「俺はあの世界で、アラクネ様と過ごす。それが答えだ」
「本当にいいんですか? ご両親を不幸にしても?」
「そんなのは信用できない情報の時点で、意味がない」
「なら現実を確認してから、決断なさいますか?」
「一度でも現実に戻されたら、こっちに戻れる保証はないのだろう? なら、不可能だ」
内心ではかなり不安はある。あの映像が本当なら、両親を苦しめているのなら、そう思うと震えそうになる。身内の不幸を装う詐欺の酷さ、それを実感している。
人の心はソコまで強くはなれないのだろう。救う手段があれば、そのために力を尽くそうとしてしまう。
しかし、それを言うのならアラクネ様達にも言える。ここまでプレッシャーをかけて俺に元の世界に戻したいというのであれば、俺があの世界にいては都合が悪い事があるという事だろう。
何らかの危機がアラクネ様に迫っていると考えられる。すぐにでも戻りたい。
「俺の意志は変わらない。アラクネ様の元へ戻る」
ここで中年男が笑い出した。
「クアハハハッ、よござんしょ。私の仕事は本人の選択を尊重する事です。貴方をあの世界へと戻します。いいですね?」
「あ、ああ……」
突然の変わり身に、戸惑ってしまう。こいつは何なんだと。
「ええ、ええ、私の事も気になるでしょう。でも貴方ならその可能性に気づいているのではありませんか? 神が存在するのなら、その対局の存在もありえるのではないかと」
男はそこでようやく張り付けたような、人のよい笑みを捨てて、自らの軽薄で冷酷なニヤリとした笑みを浮かべた。
「そう、悪魔、をね」
俺の意識は、闇の世界へと引き落とされた。
そこは黒で塗りつぶされた世界。上も下も右も左も遠くも近くも、何も感じられない。自らの指、腕、足、そういった感覚もなくなっている。
視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚。五感全てが役に立たない、真の闇の世界。
残っているのは、自分が自分であるという自覚。自我。そして、必ず戻るという意志と、逢いたいという願望。
それがすり切れるのが早いか、闇に呑まれるのが早いか。
ただ一つ繋がっている気配。
引かれているという願い。
見えもせず、触れもしない、ただあると信じられるだけのわずかな糸。
「カンダタは糸を独占しようとして、切れたんだっけ」
声にならない声。自分自身にすら届かないそれをあえて口にしながら考える。
「ならばアイツも連れて行ってやらないとな。アラクネ様、少しだけ待って下さいよ」
あの日、守護騎士の鎧が現れたように、ここが人の深層心理にある夢であるならば、強く願うことで実現は可能かも知れない。
いや、実現する。
俺は彼に助けられた。ならば俺が次は助ける番だろう。彼ならば、必ず戻ろうとしたはずだ、俺と同じように……。




