神を殺す黒き鎌
ブリギッドクランのギブソンが、かぎ針や縫い針を納品に来てくれた。さらには、織り機のメンテもやってくれるという。
「そんな事もできるんだな?」
「当たり前よ、アタシを誰だと思ってるのかしら?」
おかま細工師?
「ふふん、タモツちゃんが不届きな事を考えてても、許しちゃう。あのお風呂、最高ね」
ようやくオープンにこぎ着けた銭湯は、今のところネプチューンクランとブリギッドクランのみに開放している。
「ふふふ、働く男達の背中っていいわよねぇ」
ネプチューンの連中と居合わせたギブソンは、入浴以外のところでご満悦のようだが、問題だけは起こすなよ。
ネプチューンクランだけで百、ブリギッドも二百近いメンバーを抱えているらしい。それが毎日とは言わないが、かなりの頻度で銭湯を利用している。
それこそ昼夜を問わずなので、番頭も置けないままの運営で、料金の徴収は募金箱みたいなのに入れて貰うようにしている。
一回銅貨三枚なのだが、毎日三百枚ほどの集金で、迷宮にいかなくてもいいくらいだ。
定期的にお湯を入れ替えないと、すぐに汚れてしまうので浴槽をもう一つ用意する予定。しかし、二つのクランでこれだと一般開放はいつになるか、見当もついてない。
「素材の方はまだだけど、アラクネ様の糸もあるから、裁縫の方も大丈夫そうね」
「おかげさまでね」
「あの下着もヤバいわ。一度使ったら、他の使えないもの。ますますアテナを刺激しちゃうかもね」
「といっても、うちは小規模クランなんだがなぁ。稼ぎなんて知れてるだろ」
「アテナの嫉妬心を甘く見ない事ね。自分より目立つ奴が嫌いな口よ」
参ったものである。
「ヤバいのがくるっ」
最初に気づいたのはドリスだった。何というか、気配を感じようと意識を凝らしている。
ドシン!
建物を何かが揺らした。地震というには直接的な振動。俺はあわててクランハウスを飛び出した。
「なんだアレは……」
夕闇にそびえる黒いシルエット。三角の頭に二本の大きな腕、それは鎌のようにも見える。
「カマキリ……か?」
「まずいわ、あれってもしかしたら」
同じく飛び出してきたギブソンが、青ざめながら見上げる。
「昔、ここらは有力クランが集う街の中心地だった。それが一夜にして、滅んだのは神が刈られたせい……」
以前、アラクネ様に聞かされた話を、ギブソンが繰り返す。
「その神を襲ったのは、死の鎌だったというわ」
神殺しの鎌を振るう神切が、こいつだっていうのかよ。
「アラクネ様とドリスは!?」
近くにいたフィオナに聞く。ドリスはさっき一緒にいたから、居間か。アラクネ様は、工房?
「わらわは、ここじゃ」
工房の入口に、這い出るように現れた。何か重石でも乗せられているように、不自然な格好だ。
「わらわは逃げれぬようじゃ、ドリスだけでも連れて逃げよ」
今にも見えない何かに潰されそうな、アラクネ様。
「タモツ、ワタシは大丈夫だよっ」
ここにきて、奴隷であるおかげか、神切の力には晒されてないドリス。
「アレは神を殺す為の存在。手を出さなきゃ、人には危害を加えない……」
ギブソンが悔しさをにじませながら言った。その言葉には己の経験から紡がれているようだった。
「アタシはかつて、クロノス様に仕えていたのよ。そして、奴が現れ何もできぬままに主を殺された。でも、仕方ないの。アレはそういう存在なんだからっ」
神切はその小さく見える頭を傾げるようにして、こちらを見下ろしている。その威圧感は、今まで戦ってきたモンスターの比ではない。
正直、今にでも走って逃げたい。しかし、すぐ側には倒れて動けないアラクネ様がいるのだ。放っておけるはずもない。
己を鼓舞する為に、腿を殴る。拳を握って、三度、四度と。震えが止まり、力が入るまで。
腰から剣を抜き放ち、神切とアラクネ様の間に立った。
「大丈夫じゃ、タモツ。わらわは死んでも天界に帰るだけ。ソナタら人間とはちがうのじゃよ」
「そうですか」
頭の位置は4mほどか?
クランハウスの屋根より高い。飛びかかっても届かないだろう。となれば、来るのを待ち受けるしかない。
カマキリの鎌は、切るための腕ではない、獲物を捕まえる為の腕。本当に致命傷となるのは、大きな顎のはず。
一瞬で獲物を捕獲し、そのアギトで貪るのだ。そんな目にアラクネ様をあわせるわけにはいかない。
カンッ!
その頭部に矢が当たる。しかし、刺さることはなく、大きく弾かれた。キサラだろう。
「無理なの! 貴方たちより大きなクランでも止められなかったのよ!」
ギブソンが叫ぶ。
「どっせいっ」
掛け声と共に、その足に斧が叩きつけられる。その刃が食い込む事はなく、カサンドラの方がよろめいた。
「右っ」
ドリスの声に、自然と体が反応した。奴の左の鎌がしゅるっと伸びて、俺の背後を襲おうとしている。それを手にした剣で切り上げて、弾き返す。
手に痺れが残るような、硬質な感触。その鎌には一筋の傷も残っていない。
続けざまに左の方からも鎌が迫る。それには体をぶつけて対処した。反射なのだろう、俺の体を捕まえてしまい、アラクネ様には届かない。
「タモツ!」
悲壮な声が聞こえる。
「大丈夫です、カマキリの鎌は切れませんから」
内側のトゲがしっかりと体に刺さってますけどね。ギブソンの鎧も穴だらけになってそうだ。
「フィオナ!」
「この者に疾く足を!」
フィオナの補助魔法で加速した足で、三度振るわれようとしていた鎌を打ち落とす。
ギギギィ……。
金属を擦り合わせるような音が、神切の方から聞こえてくる。その複眼には俺が捉えられているだろう。
「俺がいるうちは、アラクネ様には触れさせねえよ」
その言葉を解したのかは分からないが、右の鎌に捕らえた俺を吊り上げた。俺の体を容易に挟み込めるサイズの大顎が、迫ってきた。届かないから、来るのを待っていた。
「こういうのは、口が弱点ってねっ」
俺は自由になる右腕を、大顎の付け根へと差し入れた。
ガツン!
思ったよりも堅い感触。刺さってはいるようだが、とても致命傷になってるとは思えない。
神切の大顎が左の肩と、右の脇の下へと差し入れられ、噛み潰そうとし始めた。
「え、マジ? 痛い、痛いんだけど! 死ねよ、おい!」
右手を精一杯伸ばして口の中へと剣を押し込もうとするが、力が入らない。メキメキと体がばらばらになりそうな痛みに締め上げられる。
カンッ!
俺の持つ剣に、衝撃が伝わった。カンッカンッ、続けざまに加えられる力に、剣が神切の奥へと入っていく。
カカンッ!
四、五回目の衝撃で、剣は俺の手を放れ、神切の口内を突き破り、小さな頭からその切っ先を見せた。
カシャンッというガラスにも似た音を立てて崩れる神切。俺は3mの高さから、ろくに受け身もとれぬまま地面へと叩きつけられる。
尾てい骨に響く痛さに、涙があふれた。
キサラか、キサラが魔弾で剣の柄を後押しした!?
そんな事が可能なのか、にわかには信じがたいが、あの五連の衝撃が神切を打ち破ったのは間違いなかった。
「タモツさん!」
駆け寄ってきたフィオナが、すかさずヒールしてくれて、尻の痛みが軽くなる。体に空いた穴は、すぐには直らないだろうが、止血はされた。圧迫されて感覚の無かった左腕も、血が通い始めて動かせるようになった。
ヒーラーは偉大だ。
「いやはや、力が十分溜まってない状態とはいえ、こんな小クランに潰されるとは。神切も使えば目減りしますかね?」
日が沈み、暗闇に包まれ始めたクランハウス前の通りに、聞き覚えのある声が響いた。
金髪碧眼の甘いマスク、しなやかな体つきに、ぴったりとした甲冑。左の腕には小型な丸盾、そして右手にはあの日と違って、黒く禍々しい鎌を持っていた。
「ミアロ……か」
武闘大会準優勝者にして、俺をとことん痛めつけた上に、致命傷となりうる一撃をくれた男。
「アテナクランが荷担するのが、ばれてもいいのかよ」
「私は地下で禍々しい鎌を見つけただけです。でもその鎌には神殺しの呪いがかけられてて、自分では止めることもできないのですよ」
陳腐なシナリオだ。しかし、有力クランが弱小クランを潰すには、その程度でも十分らしい。
「ぐはっ」
背後から音もなく切りかかったカサンドラが、胸を柄で突かれて止められる。そのまま鎌の先に引っかけられて、放り投げられた。
その先には弓を構えたキサラが、彼女を受け止めようとして一緒に転がった。
「私は女性に手をかけるような事はしませんよ。大人しくしといて下さい」
「アラクネ様は?」
「醜い蜘蛛が何か? 貴方もソコをどいて、命乞いすれば助けてあげなくもないですよ」
こちらを見下す瞳には、愉悦が浮かんでいる。弱者をいたぶるのが楽しいらしい。
アラクネ様はまだ神切の力か、この鎌の力かに押さえられて身動きもとれていない。
俺はそんなアラクネ様の隣にかがむと、その体を抱き上げた。
「俺の女に手出しはさせねえよ」
「何をしておるタモツ、わらわを捨てて逃げよ!」
身じろぎして逃げ出そうとする体を、強く抱きしめて阻止する。
「どっかのゴテゴテした女神と違って、うちのカミサンは柔らかくて抱き心地もいいぞ」
「下衆が、蜘蛛に絡めとられて何をさえずる。ひと思いにやってあげるよ」
「誰が手放すかよ。大切な人を失うくらいなら、潔く死を選ぶさ」
両手で鎌を握り振りかぶる。目にも止まらぬ神速の鎌は、容易に人も神も撫で斬る。
しかし、体に触れる寸前で、その刃は止まっていた。
俺の左腕には、金色の盾が浮かび上がり、全身を鎧が包む。無手だったはずの右手には、豪奢な剣が握られていた。
(ホントに出るし)
俺は強く己の女神を護る力を欲した。その為のスキルだろうと。今までは流用程度に使ったいただけ、本番はここだろうと。
あえて『俺の』と強調することで、心の内側に問いかけたのだ。
(まあ、あのまま死んでも悔いはなかったか)
残す者はいたが、アラクネ様がいないなら生きる価値もなかっただろう。この世界に来て得ることができた様々な感情は、全てがアラクネ様のモノだ。
「何を……悪足掻きを!」
鎌を回転させるように振り回し、変幻自在の軌道で切りつけてくる。左から来るものは盾で、右から来るものは剣で。無数に繰り出される全てが感じられ、見切って対応できる。
(ドリスには悪いが、アラクネ様は別格だわ)
かつてない万能感。何をどうすればどうなるのか。それら全てがわかり、コントロールできる。鎌の最も核となる禍々しき力、その源を断つ。
パリン。
儚げな音だけを残して、鎌は消失した。呆然とするミアロをあっさりと気絶させて戦闘を終わらせた。
唐突に始まったボス戦でした。
このところの体調不良で妄想することは多々ありましたが、こういう形でアテナクランとも決着。
残り1ヶ月を切って、やり残しを埋めていく作業ですね。
途中で空気になったギブソン。鎌とおかまをかけたわけじゃないんだからねっ。




