異世界でのスタンス
翌朝、朝食の席にアラクネ様がいなかった。
「あれ? アラクネ様は?」
「タモツの顔を見たくないってさ」
「え?」
「そりゃ、昨日あんな態度されちゃね」
ドリスに呆れられる。そう言えば昨日タダシと会った後、クランハウスに戻った時に、何かを言われた気がする。
「何て言ってたんだっけ?」
「これだもんねー」
ドリスがやれやれといった感じで肩をすくめて首を振る。
「タモツがアラクネに気を使って、女の子に手を出すのを我慢してるって話だよ」
一体何の話だよ!
「男は溜まっちゃうと大変なんだとか、色々教えて、何とかアラクネから許可をもらったのに、あんな態度とるから」
「それって、俺のせいなのかよっ」
勝手に変な話をされて、誤解されて、顔も合わせて貰えないとか、全部ドリスのせいじゃないのか!?
「でもこれはチャンスですぜ、旦那」
ゲスな笑みをドリスは、耳打ちしてくる。何をいいたいんだ?
「あの反応、アラクネも脈があるよ、タモツ」
何そのポジティブシンキング。
「他の子に手を出して欲しくない。けど、無理に我慢もして欲しくない。いっそ私がっていう女心が分からないかね?」
そんな男に都合のいい解釈なんてできるかよ……。
「はいはい、分かったから、迷宮行くぞ」
ドリスの戯言に付き合うくらいなら、少しでも稼いでアラクネ様のご機嫌を伺った方が建設的だ。
この世界が単純なアトラクションじゃないのは確かだ。地球の技術力でこんな世界の体験はできない。目に映るものはCGとは思えないし、触感はおろか嗅覚や味覚まで感じられる。
街の人は自然に振る舞っているし、あれをAIで実現するにはどれだけの情報がいるのかという感じ。
となるともし未知の世界へ行く方法を見つけたとしたら? それも夢技術の領域だけど。
まずは学術的な調査団を派遣するだろう。しかし、戻れる保証がないとするとどうか?
知識欲の強い学者は喜んで行くかもしれないが、権威ある学者は渋るかも知れない。家族がいるものも躊躇うだろう。
友達も少なく、連絡が途絶えても、しばらくは誰も気づかない。もし帰らなくても、失踪人で処理できる人材を派遣……。そんな事がありえるのか?
以前、ニュースで年間の失踪者数は、八万人を越えるとか言ってたのを覚えている。その中には何らかの実験に使われるような事がないとは……。
「タモツ、蛇でたよー」
俺の思考は中断され、迷宮へと呼び戻された。
八階での狩りもかなり安定した。ドリスの危機感知能力が大きい。食人植物や蛇といった、擬態が得意で不意打ちしてくるモンスターを、苦にしないで済む。
蛇には毒を持つモノもいるが、フィオナが回復魔法で解毒してくれた。
さらに薬草を採取し、回復薬にして販売してくれるおかげで、稼ぎも増えている。
探索と金策は順調と言えた。
九階はキノコが群生する八階とはまた違った雰囲気の森とのこと。採れる素材も違うので、新たな薬も作れるようになるとか。そうなるとまた稼ぎも増える。
フィオナ様々だ。
「そろそろ九階に行くか」
「そうだねー」
「タモツさんなら、問題ないと思います」
皆の賛同も得られたので、九階へと降りることにした。
九階は湿度が高く、軽くもやが立ちこめたような場所だった。
ファンガスという動くキノコが、襲ってくるようだ。普段は群生したキノコにしか見えず、獲物が近づくと動き出す。その際に麻痺性の胞子をばらまくのも厄介だ。
「まあ、ワタシならすぐに分かるけどね!」
忘れがちだが、ドリスは森の精霊だ。森の気配に敏感で、ファンガスの位置も特定できるらしい。
そのおかげで、新しい階でも大した危機もないまま、探索を行えている。
これに慣れると、森以外のフィールドは不安になるだろうな。
それにしても……視線を感じる。
迷宮の中で他のパーティーと出くわすのは、さほど珍しい事ではない。
ただ視界に入るギリギリのところで狩りをして、階を移動してもついてきているのは不気味だ。
まあ正体は分かっているのだが。クランの徽章をつけている。丸盾に女性の横顔が記されたエンブレムは、アテナクランのものだ。
先日アラクネ様とやりあってから、こちらの動向を伺っている……程度だといいなぁ。
話しかけてきたり、MPKを仕掛けてくる気配はない。まずは戦力把握に努めている感じか。まあ、実際のところ俺らが弱小クランで、勝負にもならないと判断すれば、ちょっかいをかけてくる事もないだろう……ないよね?
とはいえ見られ続けているというのは、思ったよりも疲れる。今日は少し早めに切り上げて、帰ることにした。
夜、食後の散歩に出る。
アラクネ様は夕食には現れたが、俺と会話する事はなかった。俺が謝るべきなんだろうか、全部ドリスが悪いはずなんだが……。
うじうじ悩みながら歩いていると、マルスクランの周辺にやってきていた。アテナクランと競い合う攻略大手、その規模はかなり大きい。
クランハウスの側には、同じ徽章を掲げた酒場や宿屋などもある。クラン御用達の店なのだろう。
ひとまず受付でタダシに連絡を取れるか聞いてみる。田舎の知り合いと言うことにした。
魔法グッズの中には、電話のように長距離での会話ができるモノがある。さすがに団員一人一人に配布とまではいかないだろうけど。大手クランだとチーム単位くらいでは、行き届いているみたいだ。
しばらくすると、タダシが軽い調子で現れた。こっちは部外者で居心地が悪いのに。
クランハウスをでて、少し離れたところにある居酒屋的な店へと向かった。
「というのが俺の意見だけど」
昼間に考えていた失踪してもいい人を、異世界に送り込んでる説を伝えてみた。
「やっ、俺、そんなにぼっちじゃないっすよ。ケータイには友達いっぱい登録してますし」
タダシが反応したのは、失踪しても気にされないという部分だったようだ。
「その中で半年以内に連絡したのは?」
「え、えーと……」
ぱっと思いつかないなら、そう言うことだろう。
「別れた彼女とか、あったっすよ!」
それ連絡こないだろう。
「まあ、あくまで仮説だよ。二人じゃサンプルとして、少ないし」
「地球じゃない、別の世界っすか……それと、最低三ヶ月っていうのは忘れてたっすね。てっきり締め切りが三ヶ月かと」
まあ俺も三ヶ月をどう過ごすかと考えていたしな。
「実際どうなるのかな。三ヶ月経ったら、誰か迎えに来て意志の確認をするのか、どこかへ行かないと駄目なのか」
「っすねぇ。でも滞在期間に制限はないのかぁ、ならルージュとも一緒にいれるって事っすよね!」
「え?」
ああ、前に言ってた彼女か。
「そうと決まれば会いにいかなきゃ、ありがとうっすー」
言うが早いが駆け出している。おい、勘定は……今度会った時に払わせるか。
しかし、異世界の女の子と仲良くする……か。不安は無いのだろうか、俺が考え過ぎなのか。
ここが異世界なのか、何らかのデジタルデータなのか、もしかしたら夢……もし、今のこの世界が失われるとして、仲良くなった人々と別れるとなって、自分は大丈夫だろうか。
結局のところ、自分がどうしたいか……ということなのかな。
クランハウスに戻ったときには、 真っ暗になっていた。 みんな寝てしまったのだろう。
「戻ったか、タモツ」
その声と共に蝋燭が灯る。
神様はあまり睡眠を必要としないので、睡眠が浅かったり、短くてよかったりするそうだ。
アラクネ様の神秘的な容貌が、暗闇に浮かび上がった。少し心配そうな、困ったような顔をしている。
灯りをつけてくれたのは、俺が工房に行くときに、躓かないようにだろう。工房についたところでその灯りが消える。ただ暗闇のなかで人の気配が近づいてきた。
「アラクネ様、すいませんでした」
自然と謝れていた。ドリスがどうこうではなく、俺自身が適当な対応をしたのが問題だった。
「いや、わらわの方こそすまぬ。どう考えてもドリスの戯れ言よな……」
ある程度の誤解は解けているようだ。案外ドリスがちゃんと説明してくれたのかも知れない。
「いえ俺に覚悟ができてなかったようです」
「ふむ?」
「どこかクランでの生活を、他人事というか、借り物みたいに考えてて」
タダシほどじゃなくても、もう少し気楽に、前向きに考えてもいいのだろう。
「自分に素直に、一歩踏み込んでみようかと思いまして」
このクランでの生活は楽しい。続けれるだけ続けたいと思うし、アラクネ様の役に立ちたいとも思う。それが俺の素直な気持ちだった。
「そ、それは、ドリス達と仲良く、いたす、ということかの?」
「まあ、そう言うことですかね」
どこか仮想の存在と遠慮していた。いつか別れるなら、仲良くなりすぎては駄目だ。
そんな俺の中の枷を外す。
今、一緒にいられることを大事にしたいと思った。
「そ、その中に、わ、わらわは……」
「それは当然入ってますよ」
「そ、そうか、仕方ないのぅ」
真っ暗な工房の中、自分の手すら見ることはできない。目の前にアラクネ様がいる気配はある。俺の事をどう思ってくれてるのだろうか。
不意に頬に添えられる手の感触。
え、何が……。
んんっ!
驚くよりも早く、唇に軽く触れるような柔らかな……。
「きょ、今日のところは、このくらいで勘弁するのじゃ!」
え、あれ?
混乱しているうちに、すっと気配が離れていった。
物語の本質部分を進めつつ……ダンジョン探索がおざなりじゃないかと思わなくもない今日この頃。
アラクネクランを成長させる
アテナクランとの対立
日本で交わした契約
迷宮の探索
色々と軸を広げすぎて、どれが本筋なのやら。
ただただ女の子とキャッキャウフフする話でもいいのかしら……